不思議な部屋と少女たち ― ルージュ ―
私の魔法はみんなを笑顔にするのです。
昔々、私に魔法の素養があると知ったお父様は、とても喜んでくださいました。
「まさか私の娘に魔法の才能があるなんて! お前は私の誇りだよ、ルージュ」
そう言って、私の頭を撫でてくださったのです。
私は王都の魔法学校に入学しました。王国中の魔法の才能が集まったその学び舎の中でさえ、私は特別なのでした。みんな、尊敬を込めた目を私に向けます。やれやれ、私は当たり前のことをやっているだけなのに……。誰もが、まるで奇跡でも目の当たりにしたような反応をするのです。困ったものです。
飛び級で学校を卒業した私は、聖地に帰ります。立派な魔女となった私を見て、みんなはとても喜んでくれました。お母様は感激のあまり泣き崩れてしまいます。お姉様は私を力いっぱい抱き締めてくださいました。
私はダリアとともに、離れ島に行きます。そして、病のアザレアを魔法で癒してあげるのです。たちまち、アザレアは元気になりました。母娘は島を出て、都市に戻って来ます。そして幸せに暮らすのです。私は劇場の舞台に上がり、市民たちに魔法を見せてあげます。誰もが、否応なく私の虜となってしまいます。ウィンストンに魔法を見せてあげると、彼女は「あなたには敵わないわ」と、握手を求めて来ました。
私はダリアに魔法を教えてあげます。ダリアもすぐに魔法が上達して、私たちは聖地で一番と二番の魔女となるのです。私たちは人々の助けを求める声に応え、王国の内外問わず、カルム中を旅します。私たちが通った後には、ただただ人々の笑顔しかありません。
私たちの活躍はすぐにハルマテナにも届き、私は真聖皝帝猊下から直々に皝帝付き魔女に任命されるのです。私の魔法はカルム中に遍く届き、みんなを笑顔にするのです。
人々の尊敬される人間であるというのは、もちろん嬉しいだけではありません。常に品行方正を意識して、みんなの模範とならなければならないからです。いつだって笑顔で、苦労など知らないような顔をして振舞わなければならないのです。時には辛いことだってあります。でも仕方がないのです。能力を持って生まれたからには、それを正しく行使するのが当然だからです。人々が笑っていられるように、私は今日も頑張るのです。
「馬鹿め」
誰かが言いました。「魔法が何の役に立つ。人々をいたずらに頽廃に招くだけだ」
私は先の見通せない深い闇に包み込まれてしまいます。
「どうしてそんなことを言うの? 私の魔法は――」
「貴様の魔法は誰も幸せになどしない。自分自身すら幸せにできないのだから。貴様など生まれてきたのが間違いだった。両親も姉も貴様を愛してなどいない」
優しさどころか、感情の欠片もありませんでした。そこにあるのはただ明確な敵意だけ。強大な憎しみに晒された私は、丸裸も同然でした。
「やめて!」
「貴様は何者にもなれない。どこにもいけない。夢など見るな。一生この聖地で大人たちの言うことを聞いていればいい。頭が悪ければ感性も鈍い想像力の欠片もないクズはそうしてこそ生きることを許されるのだ」
「違うわ! 私は今度こそ……自分の道を――」
額に痛みが走った。思わず押さえ、確認する。べっとりと血がついていた。
「ひいっ……!」
「家柄しか人より秀でるものを持たないからそれにこだわるしかない無能が。すぐに人を僻むが、相応しい努力をする気もない。自分は何も与えないくせにいつも何かもらえることを期待している。頭で考える前に口に出してしまうから後悔するが、寝たら忘れて同じ失敗を繰り返す。長所と呼べるものは極端に少ないくせに食べ物の好き嫌いはとても多い。いつまでも聖書を覚えられない。難しいことを考えると眠くなる。たまに起きた時、とんでもなく不細工な日がある。寸胴短足。へちゃむくれ。欠点だらけの性根の腐ったわがままめ。そんなだから姉は貴様よりもウィンストンの方を可愛がっている」
「やめて……違う……。私はそんなんじゃ……。酷いことばかり言わないで……!」
「貴様は幸せになれない。なる必要もない。俺が貴様の全てを摘み取ってやる」
闇が人の手のようになり、私を掴んだ――。
「嫌ぁあああああああっ!!」
私は弾かれるように身を起こしました。
とても恐ろしい夢でした。前半は素敵だったような気がするのに……もはや何も覚えてはいませんでした。酷い話です。あんな悪夢を見ては、眠るのが怖くなってしまいます。私は眠ることが大好きなのに……。
ふと、視線を感じ、私は辺りを見回します。一瞬、確かに女性が立っていました。しかし、まるで壁に溶けて行くかのように消えてしまったのです。私は目をこすり、もう一度そちらの方を見ます。人の気配はありません。寝ぼけていたのでしょう。寝起きに夢と現実を混同してしまい、恥ずかしい思いをしたことは一度や二度ではないので、今回は何も無かったことにしてしまいます。
そんなことよりも。私は周囲を見回します。ここはどこでしょう?
私が眠っていたのはベッドでもない、祭壇のようなところです。部屋には床以外の何もなく、とにかく狭い空間でした。部屋の狭さはその人の心の狭さだと教わりました。部屋が狭い人は心も狭いのです。駄目な人なのです。私は違います。だから、こんな場所には一秒だっていたくはないのです。
冷静に、記憶をたどります。確か、プレシオーサと一緒に洗濯をしに湖に向かっていたはずです。しかし、それ以降のことは何も覚えていない……。もしかして……ワーミーたちに騙されて——。
いや。
私は首を振ります。そんなはずがないのです。きっと、大聖堂です。教戒師か、あるいは異端審問官に捕まってしまったのです。そうに決まっています。
私は狭い部屋を壁まで歩きました。家具も何もない、こんなところで一体どうしろと言うのでしょう。私は監禁されているのでしょうか。我慢できず、壁を叩きました。
「どなたか、どなたかいませんか? 私はここにいます! ルージュをお助けください!」
しかし、いくら叩いても叫んでも、何の反応もありませんでした。音は壁や床に吸収されているようで、はたして外まで漏れているのかも分かりません。私はもう不安でどうにかなってしまいそうでした。せめて窓でも、いえ、覗き穴でもいい。部屋の外を見ることができれば……この不安も少しは和らいでくれるのでしょうが……。
そんなことを思っていた、その時です。私の目の前で、壁に四角い穴が開きました。
おやまあ!
私は思わず飛びずさり、安全を確認すると、そっと穴の中を覗き込みました。穴の向こうにも、こちらと同じような部屋があるようでした。そして、私と同じように横になっている誰かの姿がありました。
「あの、もし! もし!」
私は必死に呼びかけますが、隣の誰かは身動き一つしません。とても深い眠りについているようでした。四角い穴は、頑張れば通れるくらいの大きさでした。こんな鼠の通り道のような穴、高貴な猫を気取っていた以前の私なら無視をして、隣で眠っている何者かに通らせたはずです。ですが、今の私は違います。頭から穴に入り込み、壁をよじ登りました。このまま向こう側まで行ってやるのです。そういう者に私はなりたい。
しかし、途中で詰まってしまいました。こうなってはもう泣きながらバタバタと暴れることしかできません。それでも少しずつ進んでいくと、ようやく顔を出すことができました。何とか右腕を出し、それから左腕も出してやります。
でも、ここまでです。もう一歩も進めません。このまま頑張れば抜け出すことはできるかもしれませんが、穴の位置は私の胸くらいの高さにあるので、落ちたら痛い目に遭うことは間違いありません。困りました。果たして安全に下りる方法はあるのでしょうか。少なくとも私だけの力ではそれは難しいように思われます。
「もし、そこの方……手を貸してくださらないでしょうか」
声をかけてみます。しかし、よほど熟睡しているのか、少しも目を覚ます気配はありませんでした。仕方なくジタバタとしていると、不思議なことが起こりました。徐々に床が近づいてくるのです。いえ、違います。下がっているのは私の方です。お腹が床に接したのを感じ、即座に穴から這い出ました。壁を見ると、私が詰まっていた穴が、そのまま下がっているようでした。私が安全に床に下りたいと思ったから……? そう言えば、穴が開いたのも部屋の外を見たいと思ったからです。
試しに、壁に消えるように念じました。すると、ゆっくりと壁が上下に分かれて行くではありませんか。ついに壁は無くなってしまいました。おかげで部屋が少し広くなりました。
ここは魔法の部屋なのです。私の思う通りに形を変えてくれます。とりあえず、私は元いた部屋に戻りました。そして腰を下ろせる椅子が欲しいと願ってみました。すると、床が隆起し、ぴったりの椅子になったのです。何と素晴らしい部屋なのでしょう!
さっそく、部屋を飾るタペストリーにカーペット、長椅子、ふかふかのベッドを所望しました。壁や床がみるみる内に形を変え、私の望んだ通りになります。ほんの少しだけですが、私にふさわしい部屋になってくれました。今のところはこのくらいで十分でしょう。
気を取り直し、私はお眠りさんのところへと向かいました。台座に眠っていたのは女の子でした。くすんだ赤毛の子で、悲しいほどに痩せています。それはダリアでした。
私は驚き、しばし呆然と見つめます。ダリアは抜け殻のようでした。魂がお散歩にでも出かけているのか、呼吸さえしていないようでした。胸に耳をつけます。心音はありませんでした。
私の体はブルブルと震え始めます。どうしてあなたが! あなたが……!
「ああ、ダリア!」
彼女の体にすがり付き、私は言いました。「どうして? どうして死んでしまったの——」
「ん……」
ダリアは小さな声を発しました。
すかさず、私は彼女から離れ、身だしなみを整えます。それから、台座の傍に椅子を創り出しました。ダリアの瞼が痙攣を始めました。夢を見ているのでしょう。私はコホンと咳払いをします。
「起きなさい、ダリア」
軽く頬を叩きます。しかし彼女は起きません。
「起きなさい!」
体を揺さぶります。それでも彼女は起きません。
「ちょっと本当に起きなさいよ!」
ダリアは眉間にしわを寄せました。ぐずるように、プイッと顔を背けます。
「起きてってば!」
パチンと頬を叩きました。
「はっ」
ダリアは目を覚ましました。ぼんやりと虚ろな目で私を見ます。
「ようやく起きたのね、寝坊助さん」
私は腕を組み、彼女を見下ろします。
「ルージュ……?」
私を見て、驚いているようでした。彼女はそっと自分の頬に手を当てます。ちょっと強く叩き過ぎたかもしれませんが、一度で起きない彼女が悪いのです。
「久しぶりね、ダリア」
髪をかき上げ、私は言いました。
まだ寝ぼけているのでしょう、ダリアの顔には何の感情も見当たりませんでした。でも、嬉しいはずです。私たちはとても仲のいいお友達でしたから。同い年ですが、彼女は私のことをまるで姉のように慕っていたのです。
それにしても……。
ダリアが痩せているのが気になります。サーベンスの屋敷でのお仕事がよっぽど大変なのでしょうか。晩餐会で失態を演じていたのを思い出します。スープの海で溺れていた彼女を見て、私まで息が苦しくなりました。殿下と楽しくお話をしていた時も、私は彼女の姿をチラチラと目で追っていました。そして、見たのです。ダリアはこけたのではなく、他の使用人に転がされたのです。しかしその場の空気はダリアを非難するものでしたから、私は声を上げることができませんでした。すると、殿下の従者の女性、ジャンヌさんが立ち上がり、袖から取り出したフォークで機転を利かせ、ダリアの窮地を救ったのです。張り詰めた気が緩んでしまい、つい安堵の言葉が口から漏れてしまいました。恐らく、ダリアは日常的にいじめを受けているのでしょう。それとなくコーデリア様に忠告しておいたので、多少の改善は見られると思うのですが……。
ダリアは台座から下りると、部屋を見て回ります。私は無視されました。きっと恥ずかしがっているのでしょう。可愛い子です。
「私が分かることと言えば……」
そう言いながら、ダリアはゆっくりと振り返りました。「私にとって、今の状況は屋敷以上に最悪ってこと」
何を言っているの?
私は訳が分からず、しかし黙っていることもできませんから、「はあ? どういうこと?」と素直に聞きました。
「言葉通りの意味だけど」と、間髪入れずにダリアは答えました。
ああ、冗談なんだ。ダリアは時折、少し外れた角度からの冗談を放り込んで来るのです。彼女のそういう他とは違う独創的なところは好きですが、しかしせっかくのユーモアも伝わらなければ意味はありません。
私はクスリと笑いながら、「私と一緒にいたくないって聞こえるけど」と、言いました。
「そう言ってるの」
ダリアは笑っていませんでした。
「え……?」
「もう話しかけないでくれる? お願いだから」
冗談ではない、ダリアは本気でそう思っているのです。それが分かったから、私は口を閉じました。何も言葉が出て来ないのです。
私は元の部屋に戻ると、小さなスペースを作りました。少し頭を整理したかったのです。
ダリアが私のことを嫌っている? そんなこと、少しも考えたことがありませんでした。本当にこれっぽちも。彼女は私を慕っており、尊敬してくれているのだと信じていたからです。きっと、サーベンスの屋敷での酷い生活のせいでやさぐれてしまっているのでしょう。なんとか昔の優しい彼女に戻ってほしい……私はチラチラと彼女に視線を送りますが、冷たい眼差しに弾き返されてしまいます。
意を決して、ダリアと向き合います。
「あの、さっきのことだけど……」
ダリアは私に対して怒っているようでした。しかし、その理由が私には皆目見当もつかないのです。彼女が平民になってからも、私は心の底ではずっと案じていました。声をかけることこそなかったのですが、陰ながら助力していたつもりだったのです。それなのに、この仕打ちはあんまりです。
「何も覚えていないのね」
心底見下げ果てたという顔で、ダリアは言いました。「私がサーベンスの使用人になったばかりの頃……偶然、あなたと会ったことがあるわね。大聖堂の橋の上よ」
「え? う、うん……」
そういえば、そんなこともありました。
私は貴族の子たちと一緒に朝の礼拝をしに行っていたのです。すると、礼拝を終えたダリアが向こうからやって来ました。彼女はハッとした顔で私たちを見ましたが、すぐにうつむき、無言で通り過ぎました。すると、その場の一人が嘲るように言ったのです。「今の、あの惨めな子、どこかで見たことあるかしら?」
みんなが笑いました。そして、何かを期待するような目で私を見て来るのです。ダリアを見ると、声が届かないであろう場所まで離れていました。
私は言いました。
「まったく、なんてみすぼらしいのかしら? あんな子と仲良くしていたなんて、私の人生の汚点だわ!」
「ええ、全くその通り!」
私たちは笑いました。もちろんダリアを悪くなど言いたくはなかったのですが、その場で彼女たちをたしなめるのも変でした。ダリアとその母親であるアザレアの背信行為はみんなの知るところとなっていましたので、擁護するわけにもいかなかったのです。
まさか、聞こえていたなんて。
聖域内の沈黙の魔法によって彼女の耳には届いていないと思っていました。
私の頭は真っ白になってしまいます。私を突き放さんとするダリアの腕に、なんとかすがりつくことしかできません。しかし、ついに彼女は私に背を向け、絶対の拒絶を示しました。呼応するように、床にトゲが生え、近づくことができなくなってしまいました。
ダリアに対して、私は間違いなく友情を感じていました。幼馴染で、悩みも打ち明け、辛い時も寂しい時も同じ時間を共有した間柄だからです。しかし、彼女が私に抱いていたのは友情ではなかったのです。
手下、とダリアは言いました。ダリアに対してそんな風に思ったことはもちろん一度もありません。でも、彼女はそう思っていたのです。対等な関係ではなかった。では、私のダリアとの思い出も……。彼女にとっては、仕方なく付き添っていたに過ぎなかったのです。
とても悲しくなりました。
でも、その通りなのかもしれません。私はオブライエン家の娘として、彼女に接していたからです。家柄を馬鹿にされるわけにはいきませんでしたから、誰に対しても高圧的に接していました。ダリアだけは本当の私を理解してくれているなんて、どうして思ってしまったのか。本当に大事に思っていたのなら、ちゃんと言葉で伝えるべきだったのに……。
ここで、ダリアを無視することは簡単です。大声で騒ぎ、頬を叩き、無理矢理に謝罪させることもできるでしょう。でも、そんなことをして何になるの? この狭い部屋の中にいるのは、私たちの二人だけ。誰も見ている者などいません。こんな場所でさえ素直になれないのなら、私の魔法はそれまでだということです。ダリアとの関係が友情ではなかったというのなら、もう一度、今度はちゃんと友達になりたい。私はもう、高慢ちきのルージュ・オブライエンではないのですから。
私はトゲの中に道を作り出しました。しかし、何ということでしょう。作ったそばから、トゲが生えてきてしまうのです。私の侵入を拒絶するように。ですが、そんなものでは私は止められません。たとえ足を突き刺されようと、血を流そうと、もう一度彼女のもとにいかなければならないのです!
私は覚悟を決めました。みんなお願い! 今一度、私に魔法を!
勝負は一瞬。
私は後ろに下がって助走をつけると、勢いよくジャンプしました。その時、私は風になったのです。トゲを華麗に飛び越えて、一息にダリアのもとへと辿り着きました。そのまま彼女を抱きしめ、勢いのあまり床に倒れ込みます。
「私を好きって言うまで離さないから!」
ダリアは呆れているように見えました。でも仕方がないのです。心の中の全てを出してしまえば、後はもう純な激情しか残っていないのですから。いつの間にか、床にトゲは無くなっていました。最初から存在しなかったように。ダリアは私を受け入れてくれました。もちろん私には分かっていました。この子もやっぱり私のことが好きなのだということは。
その時でした。
壁に亀裂が走ったのです。直後、大きな穴が開きました。隣にはまだ部屋があったのです。そこには二人の少女が立っていました。どちらも見知った顔です。アテナ・ウィンストンと、シュナ……。
「わっ、仲いいんだ」
シュナが言います。
「頽廃がここにも」
呆れたようにウィンストンが言います。
「そんなんじゃありませんっ!」
私は必死に否定しました。彼女たちの仲間だと思われるのは困ります。
シュナとウィンストンは私たちの部屋に入ってきました。
「んー、こっちも特に変わったところはないかぁ」
部屋を見回しながらシュナは言いました。彼女はウィンストンに聞いたという話を教えてくれました。ウィンストンから聞いた話なら、ウィンストンが説明してくれればいいのに。その方が明瞭であることは間違いないのですが、彼女は壁や床を調べるばかりでこちらに関心がないようでした。
シュナ曰く、ここは聖遺物という古代の遺物の中なのだそうです。聖絶技法で造られているのなら、この不思議な部屋にも納得ができます。どうして私たちがここに入れられてしまったのかといえば、私たちが聖遺物を動かすために必要だからなのだそうです。では、誰の仕業か? 私は覚えていないのですが、ダリアは捕まったときの記憶があるようでした。彼女はコーデリアの指示でここに連れて来られたそうなのです。大聖堂が関係しているのは確実なようでした。だとするなら……。
「私の仲間たちも一緒に捕まっているかも……」
「お前の仲間って?」と、シュナが訊ねました。
「ワーミーたちです」
「やっぱりか!」
途端、シュナは吼えるような大声を上げ、私の肩を掴みました。「お前、この前は知らないって言ってただろうが! どこにいんだ? 全員ぶっ飛ばしてやる!」
「ひぇええっ」
私は縮み上がってしまいます。「ご、誤解です! 彼らは悪い人たちじゃありませんっ!」
「そんなわけねえだろ! 団長の今の姿を見てもそんなこと言えるのか!」
「言えまぁす!」
私は目をつむって叫びました。「彼らはそんな酷いことは絶対しません! 誰かがワーミーたちに罪を被せたのです!」
ぶたれるぅ! やだぁ! 私は震えながら続く衝撃に備えました。しかし、どれだけ待っても何も起きません。恐る恐る目を開けます。
シュナは手で口元を覆い、何やら思案していました。「ふーん……」
私はダリアの足にすがりつきます。
「こ、腰が抜けちゃって……。肩を貸してくれる……?」
ダリアは答えず、無言で私を見下ろしています。
「ワーミーの仲間になったの?」
「え、ええ」
私はコクリと肯きました。
「嘘でしょう?」
「本当よ」
「だって、ワーミーになるということは……貴族じゃなくなるってことでしょう?」
「そう……かもね」、私はうつむきました。
「信じられない」
「色々あったのよ」
私はダリアの足を支点に、何とか立ち上がりました。しかし背後から強い力で肩を掴まれ、また地面にぺたんと座り込んでしまいます。
「お前の言う通りかもしれない。怒鳴ってごめん」
シュナはそう言うと、私を抱え上げました。
それから、シュナは大聖堂全ての黒幕説を披露してくれました。途中、ダリアが名探偵などとシュナをからかうようなことを言ったので、ヒヤヒヤしました。シュナが気にしていないようだったから良かったものの……。ダリアはまだシュナの恐ろしさを知らないのです。もしも怒らせてしまったら、痩せたダリアの骨肉なんて簡単にぶち抜かれてしまうことでしょう。後で注意をしておかなければ……。
「全員ぶっ飛ばしてやる。泣いたって許してやるもんか」
顔の前で拳を合わせてそう言うと、シュナはウィンストンの元へと向かいました。彼女はさっきから何を調べているのでしょう。魔法のことなんて何も知らないくせに。しかしウィンストンはしたり顔で「四人いれば、ここから出られると思う」などとのたまいました。
「来なよ」と、シュナは私たちに向かって言います。
私とダリアは顔を見合わせました。それだけで、私たちは互いの考えていることが分かってしまいました。まるで、昔に戻ったみたい。私たちは並んで二人のところへと向かいました。
壁が無くなった今、一本の柱は完全に露出していました。私たちは柱の前に立ちます。ウィンストンによれば、これが出入り口なのだそうです。私たち四人で望めば、必ず外に出られるのだとか。何を根拠に言っているのでしょうか。魔法素人が偉そうに。そんなの、最初からみんな外に出たいと望んでいました。いい加減なことばかり言わないで。嘘つき、出しゃばり、いいカッコしい——などと言っても事態は好転しないので、ここは大人しく彼女に従うことにします。どうせ何も起きないことは分かりきっているのですから、後で嫌味の一つでも言ってやればいいのです。そうすれば彼女も己を恥じ、自分の程度を理解して後ろに下がってくれるでしょう。
私たちは互いに手を取り合い、外に出たいと念じました。しかし、やはり何も起きませんでした。私はふふんと笑い、ウィンストンを見ます。彼女も冷たい眼差しでこちらを見ていました。
「誰かが、本気で出たいと思っていない」と、彼女は言いました。
何という言いがかり! 自分の過ちを認めたくないからって!
私は憤慨しましたが、「もう一度やろう」というシュナの冷静な一言を受け、大人しく引き下がりました。この人は怖いので……。
私たちはもう一度念じました。
でも、やはり何も起きません。ウィンストンはジロリと私たちを見ます。
「何故、言う通りにしてくれないの? 外に出たくないの? 意図が理解できない。説明して」
まるで審問をするように彼女は言います。私とダリアが悪いのだとはっきりと決めつけていました。
「な、何よ! 私たちはちゃんとやっているわ!」
私が抗議の声を上げると、ダリアもコクリと頷きます。
「では誰だと言うの。あなたたち以外に考えられない」
冷たくそう言い放つと、ウィンストンはうつむき、小声で何かを言いました。聞き取れはしなかったのですが、私たちに対する不満なのは明らかです。まあ、なんと理不尽な人! もう我慢ができません。シュナがいたって関係ない。私が言い返そうと口を開きかけた、その時でした。
「ごめん、私かも……」
シュナが申し訳なさそうに手を挙げました。
「どういうこと?」と、ウィンストンが首を傾げます。
「出たくないって……心のどこかで思ってたかも……。だってさ……ここにいればもう嫌なこともないだろうし……」
シュナの言葉に、一瞬ダリアがギクリと肩を揺らしたのを私は見逃しませんでした。
「ダリア?」
そっと肩に手を置いて尋ねると、ダリアは、「私も……少しだけ思ったかも……。ごめんなさい……」と、言いました。
私はダリアの手を握ります。
「いくらここが魔法の部屋でも、こんな狭い場所にずっとはいられないわ。私はもう外の広さを知ってしまったもの」と、私は言います。
私にとっての世界は、この聖地シュアンが全てでした。でも、私はもう知っています。聖地がいかにちっぽけなのか。本当の世界とは、私などが及びもつかないほどに広大だったのです。
「そうだね。うん……そうだ」と、ダリアは頷きました。
「ごめん、もう大丈夫だから」
シュナは自分で自分の頬を叩きます。馬鹿力ですから、バシンを通り越してボゴンと悲惨な音がしました。そんな彼女をダリアがギョッとして見ていました。
私たちは手を繋ぎます。そして、今度こそみんなで念じました。外に出たぁい!
はたして。突然、光が消えました。
「キャッ!」
私は悲鳴を上げ、ダリアと抱き合います。
「あ、見て!」
シュナが足元を指しました。
そこには、先ほどまであった床が無くなっていました。代わりに、透明なガラスが張っていたのです。その下には、びっしりと謎の球体が敷き詰められていました。
壁も天井も、すっかり様変わりしていました。何か、紋様が刻まれているのです。魔法陣だと、私にはすぐに分かりました。賢明ですから。
壁の紋様や球体が発する光で、何とか辺りを見回すことができました。これが、この部屋の本当の姿なのでしょう。魔法が解けてしまったのです。
ウィンストンは柱に手を当てます。すると、床が柱を中心に光を発し、いくつもの筋が走りました。そして、柱に円形の穴が開きました。それはゆっくりと広がっていき、ついには私たちが通れるほどの大きさとなりました。これこそが出口なのです。私たちは顔を見合わせて喜びました。
ウィンストンは一人でさっさと穴をくぐります。次にシュナが続き、私とダリアが一緒にくぐりました。てっきり階段があり、どこかに続いているのかと思っていたのですが、何もありませんでした。
柱の中は四人では狭く、密着してしまいます。隙間なんてほとんどないものですから、息をするのも一苦労です。
「それで、どうするの?」と、私は詰るようにウィンストンを見ました。
すると、彼女が私の背後を見ていることに気がつきました。振り返ると、小さな魔法陣があるではありませんか。
すぐに私は手を当てます。すると、穴がみるみる小さくなっていき、ついには無くなってしまいました。そして、ガコンと何かが外れるような音がしました。何が起きるのかと、私たちが身構えていると……恐ろしいことが起こりました。床が落下を始めたのです。
「何? 何したの? 大丈夫なの?」と、ダリアが怯えた声を出します。
「落ちてない? 落ちてない、これ?」と、シュナが興奮して騒ぎ始めます。
「わ、私じゃ……私じゃない……。じ、じ、陣に触れただけで……わ、私のせいじゃ……」
と、私は冷静に事実を告げます。
「なんで勝手に触ったの!?」
「落ちてるよ、これ! 落ちてるぞぉー!」
「私のせいじゃないんだから!」
声の限りに騒ぐ私たちを、ウィンストンは哀れなものを見るような目で見つめていました。関係ありません。それでもこの場は騒ぎたい!
しかし、しばらくすると落下は止まりました。そして、再び穴が大きくなります。私たちは我先にと、穴から出ました。
そこは広い足場の上でした。どうやら円形をしているようで、端には外周に沿っていくつもの柱がぐるりと並び立っています。空は暗く、今は夜のようでした。それにしても、大聖堂にこんな場所があるなんて……。どの部分なのかはわかりませんが、主塔の辺りでしょうか。鐘楼に似ている気がしますが……。
見上げると、柱に貫かれた球体が見えました。あれこそが私たちの閉じ込められていた部屋なのでしょう。球体には柱から出た数本の大きな管が接続されていました。見ていると、球体がビクリと震えました。まるで脈動のように。
「あ、あ、あれ……」
私は震える指で球体を差し、振り返りました。誰もいませんでした。いつの間にか、みんなは端に移動して都市を見ていました。「ま、待ちなさいよ!」
私は慌てて彼女たちの元へと向かいました。
眼下には都市が広がっていました。夜の闇の中で、家々は淡い光を放っていました。赤や黄色に緑……都市のこんな姿は見たことがありません。聖誕祭ですから、大聖堂が様々な魔法を開放しているのでしょうか。
「ねえ、何かおかしくない?」と、シュナが言います。「水路がないよ」
「ここ、シュアンじゃないわ!」と、ダリアが叫びました。
そう言えば、どこにも水路がありません。そもそも、湖そのものが無いのです。妖しい光を発する家々にも見覚えはありませんでした。
眼下に広がっていたのは、私たちが知らない都市なのでした。




