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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第五章 少女たちの聖誕祭
139/148

不思議な部屋と少女たち ― シュナ ―

 

 劇場は観客たちでいっぱいになっていた。舞台へと上がった私を、雷鳴のような拍手で迎えてくれる。彼らは求めているのだ、私を。それが分かっているからこそ、嬉しいと同時に、胸に熱い火が灯った。

 ここはシュアンの劇場じゃない。では、一体どこだろう? 開けた天井は、薄い膜のようなもので覆われている。全方位に張り巡らされた観客席。その人数は聖地の人口にも匹敵するかもしれない。いつか、本で読んだことがある。大本山ハルマテナには、演劇の聖地と呼ばれる劇場があるという。そこで演じることができるのは、真に選ばれた人間だけ。舞台人にとっては最高の栄誉とされるその場所こそ……聖マルクト大劇場。そんな場所に、今私は立っている! ありえな過ぎて夢に見ることさえなかった場所なのに!


 やっぱり私は怖気づくことができなかった。はち切れんばかりの胸の鼓動は、緊張なんかじゃない。量も速度も倍になった血液が、全身を駆け抜けている。たまらない興奮が空気を暖め、地面さえもぐにゃぐにゃになる。ただただ愉しみで仕方がない。繋ぎとめていた鎖を解けば、邪魔するものは何もない!


 私は舞台の中央まで歩いた。すると、反対側から誰かが姿を現した。アテナだ。

 美しかった。微かな緊張に顔を強張らせてはいたが、その歩みには少しの怯えも見えない。世の賞賛を一身に浴びてしまう呪いにかかっている彼女には、失敗なんてありえないから当然だ。


「ひひっ」

 私は笑う。アテナもまた、私だけにしか見えない微笑を浮かべた。

 やってやろうぜ!


 劇が始まった。

 私の全力の演技に、アテナはしっかりとついて来る。一歩も引かない。もっと飛ばすぜ。もっと、もっと。二人だけの世界の中で、私たちはどこまでも高め合った。観客たちは息をするのも忘れて見惚れている。今この場所こそが世界の中心! 私たちがこの世界の王様だ!

 ただただ、愉しかった。心が満たされていくのを感じる。こんなに幸せでいいんだろうか? 生まれてきてよかったと心から思う。できることなら、一生この舞台から下りたくない。ずっとずっと、演じていたい――。


 ふと、誰かの声が聞こえることに気がついた。


 ――シュナ。


 誰だコラ。本番中だぞ。


 ――起きろ、シュナ。


 あ、母ちゃんだ。

 その瞬間、私の心は深く沈んだ。ああ、そっか。これは夢なんだ。当たり前か。私がこんなに幸せになれるはずがないもん。


 ――起きろ。シュナ、シュナ。


 うるせぇ馬鹿野郎が。次の鐘まで寝かせろ。


 ――起きろ、起きろ、起きろ。


 ぶん殴っちまうぞ、でくの坊が。


 ――起きて、シュナ。


 目を開ける。


 目の前にあったのは気絶を誘う母ちゃんのまずいツラではなく、目が眩むほどの美しい顔だった。


「アテナ……?」


 私はそっと彼女の淡紅色の髪を撫でる。アテナは何も言わず、つと伏し目になった。


「よかった、アテナ……!」

 私は彼女を力いっぱい抱きしめた。「また急にいなくなっちゃうから……本当に心配したんだよ。ごめんね、守れなくて……。守るって約束したのに」


 アテナは何も答えなかった。私は彼女の肩を掴み、しっかりとその目を見つめる。


「私……もっと強くなるから。もっとしっかりするし、文字も読めるようになる! 今度こそアテナを守ってみせるから!」


 アテナはしばしの沈黙の後、「そう……」と、答えた。

「うん!」

 私はもう一度彼女を抱きしめた。


「ひひっ。今さ、すごくいい夢見てたんだぁ。ハルマテナの大劇場で、私たちが一緒に舞台に上がってたんだよ! いつか現実になればいいね!」


 アテナはやっぱり何も言わなかった。ただ、ジッと私を見つめている。


「でさ、ここどこ?」


「知らない」と、簡潔に彼女は答えた。


 狭い部屋の中だった。私は床が盛り上がった台座のようなところで寝ていたらしく、今はアテナと向き合って座っている。壁には半分だけ出た柱があるけれど、出口はどこにも見当たらなかった。


 私たちが着ているのは、赤い装束だった。母が棺舟で運んでいる人たちがこんな格好をしていた。要は死装束だ。悪趣味。


「どうやって出よう」

 壁を殴ってみるが、ビクともしなかった。ただの石じゃない。「入ったからには、どこかから出られるはずだよ」


「これは聖遺物の一つだと思う」

 ぽつりとアテナが言った。


「聖遺物?」


「聖絶技法で造られた、古代の遺物。大聖堂や聖剣もその一つよ」


「ふうん。で、何で私たちはここにいんの?」


「聖地の聖遺物は何らかの儀式に使われることが多いから……そのためでしょう」


「私たちは生贄か何かってこと?」


 アテナは何も答えなかった。

 何か変だな。いつものアテナとちょっと違うような……。何か、演技している時のアテナみたい。別にいいけど。


「一生このままなのかなぁ」

 私はふうっと息を吐く。


「外に出るためには何らかの条件があるのでしょう。見当もつかないけれど」


「条件って例えば?」


「魔法の発動。あるいは、特定の行動……」


「特定の行動?」


「……殺し合いとか」


「怖っ!」

 私は思わずアテナの髪をくしゃくしゃにした。彼女は身動き一つしなかった。


「誰か、ご飯とか運んできてくれるのかなぁ。飢え死になんて嫌だよ」


 私はごろりと横になる。アテナは台座から下りると、部屋の隅に腰を下ろし、膝を抱えた。話しかけても何も答えてくれなくなった。ご機嫌斜めはほっとこ。


 私は探索を開始する。ドアも窓もない部屋。なのに息が苦しくならないということは、どこかに呼吸のための穴が開いているということだ。それは当然、外に繋がっているはず。地上付近に穴は見つからなかった。では上か。天井はアーチ状になっていた。私たちは球の中にいるのだろうか? それにしても……灯りも何もないのに、どうして暗くないんだろう。壁自体が光を発しているのだろうか。何もかも、おかしな部屋だ。


 壁を登ろうとするが、取っ掛かりがないためすぐに落っこちてしまう。突起でもあればいいのになぁと思っていると、突然、壁が突き出てきた。そのまま、天井まで突起が続く。


「見て見てアテナ! 壁が変形した!」


 膝を抱えてうつむいていたアテナは、ゆっくりと顔を上げる。彼女は特に驚いたりせず、床に手を置いた。すると、床が盛り上がった。


「知ってたの?」


「元々、この部屋は二つに区切られていた。こちら側に来た時、壁が無くなって一つの部屋になったの」


「いや、最初に言ってよ」


 アテナは肩をすくめた。

 私は突起を掴み、壁を登る。天井を変形させ、取手を作った。天井を調査してみるが、やはり穴はなかった。念じてみると、穴が開いた。しかし小さな穴しか開かず、深さもないため、通り抜けられるものでもなかった。仕方なく、地上に飛び降りた。着地した瞬間、床が柔らかくなり、着地の衝撃をやわらげてくれた。


「面白いね、ここ! 何だってできそう!」


 私は興奮してしまった。床に弾力をつけ、ぴょんぴょんとその場で飛び跳ねる。

 アテナは顔を上げ、私を見た。薄い笑みを浮かべていた。すると、彼女は床に四つん這いになり、何かを調べ始める。私は傍に着地すると、彼女の見ているものを確かめた。ただの床だ。


「何やってんの、キミ?」


「……この下に魔法陣があるみたい」


「え?」


「ここには魔法がかけられている。だから空腹も、喉の渇きも感じない。ここにいる限り、私たちは人としての呪縛から解放される。新陳代謝も起こらず、生理現象もなく、何かを食べる必要もない」


「すごいじゃん!」

 私は手を叩いた。「働かなくても生きてけるんだ!」


「代償に、この密閉空間から出られない。死ぬこともできず、永遠に生き続けることになる」


「やばいじゃん!」

 私は腕を組んだ。「でも、どうしてこんな場所に入れられちゃったのかな? やっぱり生贄?」


「これが巨大な魔法装置だとすると、機動には生きた人間が必要なのかもしれない。だから通常、中の者は睡眠状態にさせられているのだと思う。現に私たちもそうだった。それが、何らかの原因で目覚めてしまった……」


「ふむ」

 私は床に座り込む。「これから永遠に二人っきりってこと?」


「望めば」


「嬉しい?」


 アテナは小首を傾げた。「何故、そんなことを聞くの?」


「喜ぶかと思った」


 アテナは私に恋しているから。アテナが望むなら、満足するまでここにいてもいいかもしれないと思ってしまった。それが彼女の幸せなら。


 アテナは腕を抱き、伏し目で何かを思案しているようだった。そして、私に訊ねた。とっても大事なことを。それだけは聞いてほしくはなかったのに。思わず、動揺してしまう。でも、逃げちゃダメだ。アテナから、もう逃げないって決めたから。私たちはしばらくその場に座り込み、話をした。


 そして。


「もういいでしょう。私は外に出たい」と、アテナは言った。


「うん」

 私は頬を伝う涙を拭い、コクリと肯いた。「二人ならさ、もっと大きな穴が開くと思うんだ」


 どうにも柱が怪しいということで、私たちは柱の前に移動する。恐らく、この向こうには同じような部屋があるのだろう。そして当然、同じように誰かがいるのだろう。

 私たちは柱に手を当てた。反対の手でアテナの手をしっかり握り、二人で念じる。

 すると、壁に亀裂が走った。亀裂はみるみる広がっていき、扉の形になった。予想通り、壁の向こう側にも同じような部屋があって、二人の少女が抱き合っていた。

 赤毛の貧相な子と、暗いブロンドの子……。ブロンドの方には見覚えがあった。ルージュ・オブライエンだ。


「わっ、仲いいんだ」

 思わず私は言った。


「頽廃がここにも」と、ため息交じりにアテナが言った。


「そんなんじゃありませんっ!」

 顔を真っ赤に染め上げ、ルージュは叫んだ。


 私とアテナは隣の部屋に入った。


「よお、ルージュ……でいいんだよな?」


「ええ……」

 ルージュはコクリと肯く。


「あの後さ、無事に逃げられた? 私、途中から記憶が無いんだよね」


「ええ、何とか……。あの時はありがとう」


「そう、よかった! 心配だったんだよね」


 ルージュは貴族がよく見せる社交的な笑みを浮かべると、アテナの方を向いた。「ウィンストン……」。アテナを見て、ルージュは露骨に嫌そうな顔をした。でも、アテナは何も言わなかった。アテナはルージュの姉ちゃんのジュノーさんのことは好きだけど、ルージュのことはあまり好きじゃないみたい。まあ、それはお互い様みたいだけど。


「んで、お前誰?」と、痩せた子に訊ねてみる。


「わ、私は……ダリア。ダリア・バーガンディです」


「貴族……じゃないよね? なんかすごく痩せてるし」


「ええ……。サーベンスの屋敷で働いているの」


「バーガンディ家は元貴族なのよ! 私の幼馴染なんだから!」

 ルージュはダリアの背中を無遠慮に叩いた。痩せぎすのダリアはちょっと浮いた。彼女はジロリとルージュを睨んだ。


「私とアテナみたいなもんか」

 私はアテナを抱き寄せる。アテナもジロリと私を睨んだ。


「そんで、ルージュとダリア。ここがどこだか知ってる?」


「私たちもそれを知りたいの」と、ルージュが言った。


「やっぱ知らないかぁ。まあそうだよね」

 私はポリポリと頬を掻いた。「アテナが言うにはね、ここは聖遺物の中なんだって。私たちは全員捕まって、ここに入れられちゃったんだよ」


「聖遺物?」


 アテナに聞いたことを簡単に説明した。アテナが話した方が正確のはずだけれど、アテナは壁や床を調べるのに忙しそうだった。


「それでさ、捕まる前の記憶とかある? 私は覚えてないんだよねぇ」


「ええと……私も……」

 額を押さえ、ルージュは言った。


「ある」と、ダリアは言った。


「え?」

 私とルージュは驚いてダリアを見た。


「大聖堂で、コーデリアが誰かに『連れて行け』って命令したの。私は誰かに掴まれて……眠らされちゃった。だからここがどこかは分からないけど、少なくとも大聖堂が関係していると思う」


「そっか、やっぱり!」


「ここが聖遺物の中だとすると、私たちだけなのかしら」と、壁を見てルージュは言った。「私の仲間たちも一緒に捕まっているかも……」


「お前の仲間って?」


「ワーミーたちです」


「やっぱりか!」

 瞬間、私はルージュの肩を掴んだ。「お前、この前は知らないって言ってただろうが! どこにいんだ? 全員ぶっ飛ばしてやる!」


 団長はワーミーにやられたと言っていた。ワーミーたちは劇団を乗っ取り、滅茶苦茶にしてしまった。私はまんまと騙され、彼らに協力さえしてしまったのだ。絶対に許せない。特にあのルビーの野郎だけは。私の乙女心を踏みにじりやがって!


「ひぇえええっ!」

 ルージュは分かりやすく縮み上がった。「ご、誤解です! 彼らは悪い人たちじゃありませんっ!」


「そんなわけねえだろ! 団長の今の姿を見てもそんなこと言えるのか!」


「言えまぁす!」

 ルージュはしっかりと目をつむって叫んだ。青白い顔で震えてはいたけれど、その声は力強いものだった。「彼らはそんな酷いこと絶対にしません! 誰かがワーミーたちに罪を被せたのです!」


 何か、心の中の詰まりが取れたような気がした。ずっと前からどこかで感じていた……そう、違和感だ。


 ワーミーたちは劇場を裏から乗っ取っていた。何で? それは演劇を名目に市民たちを洗脳するためだ。でも、洗脳するなら魔法でいいはずだ。団長をボッコボコにした理由は? 団長はワーミーが逃げ出した後も、劇場に残っていたらしい。そして、ワーミーたちは離れ島に逃亡した。ワーミーたちがわざわざ劇場に戻って来て、団長をボッコボコにしたのか? ルビーは都市に残っていたけれど、湖にいて、私を助けてくれた。彼とは都市で別れたけど、その後、劇場に行って団長をボッコボコにした? 何で? なんかおかしいぞ。


 私はルージュの肩を後ろから掴んだ。足に全く力の入っていなかったルージュは、そのままペタンと床に座り込んでしまった。


「お前の言う通りかもしれない。怒鳴ってごめん」

 私はルージュの両脇を持ち、立ち上がらせた。「誰かがワーミーに罪を被せたんだ。よく考えれば、ワーミーたちに団長を痛めつける理由がないもん」


「じゃあ誰がそんなこと?」と、ダリアが言った。


「異端審問官だよ。団長はきっと審問を受けたんだ。劇場がワーミーに乗っ取られた時の話、聞いてるでしょ?」


「ええ……」

 ルージュは小さく肯いた。「聖週間の初日に、ワーミーたちと一緒に劇場に入りました。その……ウィンストンの手引きで……」


 アテナを横目で見ながら、いかにも言いにくそうにルージュは言った。


「うん、前に聞いた」と、私は頷く。「ワーミーのことに気づいてたのはアテナだけなんだよね?」


 私は振り返り、アテナに確認する。しかし、アテナは熱心に床や壁を調べていた。邪魔しちゃ悪いような気がした。


「ええと……かなりの高等な紫色魔法を受けたから、みんな気づく前に洗脳されたはずです……」と、代わりにルージュが答えてくれた。


「もちろん団長も知らなかった。でも、大聖堂は団長がワーミーを引き入れたと考えた。だから審問をしたんだ。その結果がアレだ」


「どうしてワーミーに見せかけたの? 名探偵さん」と、ダリアが言った。照れる。


「多分……大聖堂はそうやって自分たちがしたことを人のせいにしてるんじゃないかな」と、私は言った。


「審問を受けた者は島送りにされるのよ」と、ルージュが言った。


「うーん……聖週間の劇がまだあったから……見逃されたんじゃないかな。団長はただ洗脳を受けていただけだって、あいつらには分かっていたはずなんだ。暴力なんか必要なかった」


「コーデリアのやりそうなことね」と、吐き捨てるようにダリアは言った。


「大聖堂が悪い奴らだとすると、全部納得できるんだ」

 そう言って、私は顔の前でがっしりと拳を合わせた。「全員ぶっ飛ばしてやる。泣いたって許してやるもんか」


 私は振り返り、アテナのところまで行くと、その腕をがっしりと掴んだ。「さっきから黙ってるけどさ、何か分かったんでしょ?」


 アテナはコクリと肯いた。それから、ルージュたちをチラリと見る。「四人いればここから出られると思う」


「じゃあ出よう、今すぐに」

 私も後ろの二人を振り返る。「来なよ。一緒にここから出よう」


 ルージュとアテナは顔を見合わせ、すぐにこっちに歩いて来た。


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