聖剣を手に入れし者
「あの……」
おずおずと、レトさんが声をかけて来た。
「何?」
「私……なんだか大切なことを忘れてるような気が……するんです。私は本当に私なのでしょうか……」
泣き出しそうな顔で、彼女は言った。当たり前だ。自分が信用できないということはそれほどに辛いことなんだ。
「あなたは……レトではないわ」
花冠を被った少女……。今だから分かる。この子はジュリアだ。孤児たちにはモモのおかげで洗礼が授けられた。昨夜の活躍が認められたからなのか、この子は記憶をいじくられ、大聖堂に迎えられたのだ。洗礼が無ければ、洗脳も受けなかったのだろうけど……。
「では……私は一体誰なのでしょう?」
私はジッと彼女を見つめる。それから、「……カルミルはどうしたの?」と訊いた。
「カル……ミル……?」
瞬間、ジュリアの目にパッと光が灯った。「カルミル……そうです、思い出しました。私はジュリア……修道院ではない、孤児院で育ったジュリアです! カルミル様と共にこの聖地を出て行くはずだったのに――! カルミル様はどこにいるのでしょう?」
「分からない。多分、審問官に戻っているのだと思う。もしそうなら、洗礼を受けてしまったあなたには彼の姿は見えないわ。今どこにいるのか分からない……」
「いえ、大聖堂の魔力は切れているはずです。だとするなら、審問官の特権も効力を失っている可能性が高い……。私にもカルミル様を見つけられるはずです」
そうか。審問官の特権は大聖堂の魔力に依拠している。それなら、この子の言う通り、私たちにも見ることができるはずだ。それにしても……審問官のことなんて昨日までほとんど知らなかっただろうに、本当に優秀な子だ。
「私は大聖堂を正しい在り方に戻すつもりよ。審問官も全員解放する。今日の日が終わった後、あなたはカルミルと共に自由に生きなさい」
「ありがとうございます、王女様」
ジュリアは深々と頭を下げた。それから、花冠を手に取ると、私に差し出した。
「どうか、花冠をお受け取りください。多くの人の手に渡った冠です。きっと王女様をお守りしてくださるはずですから」
「ありがとう」
私はジュリアに頭を差し出し、彼女から戴冠を受けた。なんだか懐かしい。私が私でなかった時……毎日のように冠を被っていた気がする。まあ、聖週間だから当たり前なのだろうけど。
「おいおい、何だいこりゃ」
ジュリアの肩越しに、入り口からクーバートがやって来るのが見えた。
「さっきまでの殺伐はどうしたんだよ。争え争え」
「どこに行っていた?」と、ルビーは眉を顰める。
「管理塔とかいうところさ。そこから魔力の経路を辿って大本の陣をいじくって来た。しばらく大聖堂の魔法は戻らないよ」
「オレにあの二人を預けて一人でか……。計画とずいぶん違うなぁ……」
怒りを隠さない低い声でルビーは言った。
「時間短縮になったろ? 怒るなよぉ」
クーバートは人を馬鹿にしたようなヘラヘラ笑いを浮かべ、さりげなくルビーから距離を取った。「そんでさ、あれ何? 俺の聖剣に何してんの?」と、彼は内陣を指した。
振り返ると、聖剣の刺さった台座の前に誰かがいた。全身に赤い塗装を施した禿頭の人物……教戒師となったコーデリアだ。
「聖剣を抜くつもりよ!」と、私は叫ぶ。
「抜けんの?」
「不可能という話だが」
ワーミー二人は全く動じず、コーデリアの挙動を見守っていた。
「死ぬつもりか!」と、ディオニカが駆ける。
コーデリアは聖剣の前でしばし佇んでいたが、やがて意を決したように剣の柄を握り締めた。その直後、奇妙なことが起きた。コーデリアから急速に生気が抜けてしまった。まるで枯木の枝みたい。彼女は苦悶の声を上げた。聖剣が彼女の力を吸い取っているのだ。
「なるほど、噂は本当だったわけだ」
「俺じゃあ無理かなぁ」
ワーミー二人は冷静に分析している。
「何を呑気な! 剣を放しなさい、コーデリア! 死んでしまうわ!」
しかし、私の叫びも虚しく、コーデリアはさらに強く柄を握り締めた。
「剣を放せ!」
ディオニカは背後から羽交い絞めにすると、強引に引き剥がそうとした。
「ああああああっ!」
コーデリアが雄叫びを上げた。それに呼応するかのように、全身が発光する。私との――いえ、モモとの闘いで見せた現象だ。
「くっ!」
堪らず、ディオニカは彼女を放した。
「またあの姿……。あの人は体の熱と共にどんどん力が上がっていくの。モモとの戦いでもそうだった……」
「ふーん」、ルビーは顎に手を当てる。「魔法陣を体に彫っているのだろうな。恐らく、力の補填――肉体強化の魔法陣を何重にも刻み、それを順に解放していくのだろう。いわば力のストックだ」
なるほど。それで彼女は力が上がったのか。魔法陣は残りいくつある? もしも全てを解放したとして、そんなことをして肉体が耐えられるのだろうか。
コーデリアが発する光が変化した。さらに魔法陣を解放したのだ。
「この状況を想定して彫られたものなのかもしれない。だとすると、もしも力の解放に耐えることができたなら――」
その仮定が意味を為すことはなかった。それは現実となったから。聖剣バーミリオンが抜けた。信じられないことだった。聖人ゲブラーの剣を手にしたのは、元赤の巫女、コーデリア・サーベンスだった。
「ははは……どうだ……。手に入れたぞ……聖剣バーミリオン……」
妖しい輝きを放つ剣を、恍惚の表情でコーデリアは眺めていた。
「まさか……」
ディオニカは呆然とその剣を眺めていた。剣身はどす黒い赤に変わった。コーデリアはディオニカめがけて剣を振った。ディオニカは水をまとって防いだ。しかし、次の瞬間、水は爆発するように霧散した。そしてディオニカは吹き飛び、私たちのところまで転がって来た。
「だ、大丈夫? ディオニカ……」
私は慌てて駆け寄り、彼を揺さぶる。
「で、殿下……い、一体何が……?」
「あなたは吹き飛ばされてゴロゴロ転がって来たのよ」
「素人女が一振りで騎士を打ち倒すとは。本物のようだな」
ディオニカを見下ろし、コーデリアへと顔を向けてルビーは言った。
「んじゃ、譲ってもらおっか」
クーバートは顔の前で手を叩いた。すると、何本もの剣が空中に現れた。ただの剣じゃない。聖剣のレプリカだ。
「ちょっと、こんな周囲に人がいる中で――」
私はクーバートの前に立って制止しようとした。しかし私を避け、剣が一斉に放射された。いつの間にかルビーの姿が消えていた。ハッとして振り返ると、剣に紛れ、一気にコーデリアの元へと向かっているのが見えた。
しかし、剣はコーデリアに当たることなく、内陣の壁に当たって消えた。コーデリアを乗せたまま、台座が回転を始めたのだ。そのまま地下へと下りて行くではないか。ルビーは光を放つ。コーデリアは聖剣を振り、光を弾き飛ばした。そのまま彼女の姿は地下へと消えた。内陣へと辿り着いたルビーの指先で、床も閉じてしまった。
「逃したか……」
ルビーは床を観察し、おもむろに殴りつけた。しかし、聖絶技法でできた床はびくともしない。「やれやれ。聖絶技法を破れる唯一の武器を失ってしまった」と、頭を振ってルビーは言った。
「取り返しにいかなきゃな。ここにある聖絶技法は全部俺のもんだ」
眼鏡をいじりながら、クーバートは言った。強欲な人だ。
「大聖堂の魔力は戻らないと言っていなかったか?」と、詰るようにルビーはクーバートを見る。
「聖剣用の非常用魔力回路があったんだろ」
クーバートは眼鏡をかけ、肩をすくめる。
「もう何が何やら……」
困惑するジュリアの肩を精一杯の同情を込めて叩くと、私はディオニカが立ち上がるのを手伝った。ディオニカは負傷箇所を確認していたが、ふと私の後ろへと顔を向けた。振り返ると、二代目が立っていた。手下の商人たちと共に、何やらはにかみながら私を――いや、ディオニカを見ていた。
「シューレイヒム卿ですね?」と、二代目は訊ねる。
「そうだが」
「お話はかねがね。いや、まさかお会いできるとは」
二代目は額の汗を拭く。後ろの商人たちもそわそわしている。
「本物だ……」
「すげえ!」
何だろう……この人たち。挙動がおかしいぞ。魔法について語るルカみたいだ。
「殿下……」
ディオニカは私に耳打ちすると、大広間の端へと顔を向けた。そこにはヴィクトリアが立っていた。柱に寄り掛かり、腹部を押さえていかにも苦しそうだった。
「……ヴィクトリア」
私は彼女の方へと向かう。ディオニカもすぐ後ろからついて来る。そんな私たちを、商人たちが囲った。
ヴィクトリアは微かに私に向けて頷くと、「……地下に案内する」と、言葉少なに私に背を向けて歩き出した。
「分かった……」
私とディオニカは彼女の後に続いた。ぞろぞろと商人たちもついて来た。その中に、ルビーとクーバートの姿、そしてジュリアの姿もあった。
「待てよ、俺も連れてけ!」
大広間を出る私たちを、ババが嬉々として追ってきた。




