王女の演説
「状況の説明を求める。島民たちの目的は何だ?」と、ディオニカは言った。
ルビーは腰に手を当てる。
「彼らは大聖堂の支配の被害者だ。心を壊され、島に押し込められていた。オレたちは島で興行を行い、彼らに人の心を取り戻させようとした。そして、ある少女が彼らの壊れた心を戻した。彼らは怒っているのさ。自分たちを裏切った大聖堂を。救いをくれなかった聖人を」
ついに、島民たちが祭祀区画に到達した。次々に橋を渡り、聖域に入って来る。
「どいて!」
私はルビーとディオニカを下がらせ、前に出た。
「殿下、一体何を――」
私は仰け反り、深く息を吸った。
「聞きなさい、シュアンの民たち! 私はルチル! ルチル・カルバンクルス! この国の王女です!」
自分の全てを吐き出すように、私は叫んだ。「ここに私が命じます! 今すぐに信仰を放棄しなさい! こんな腐った信仰なんてもう必要ない! これ以上彼らの好きにはさせないで!」
島民たちは一斉に立ち止まり、私を見上げた。
「何が聖地!? 何が聖人領!? ここは私の国よ! 私の国でこれ以上の勝手は許しません! みんな聞いて! 私たちを救ってくれる聖人様はここにはいない! 大聖堂は聖人様を貶めた! 私たちの信仰を汚してしまった! これ以上、彼らのためになんか祈らないで! 祈るなら自分自身に祈りなさい! 自分の中の聖人様を! 誰の中にも聖人様はいるの! 自分自身を信仰して! 私も私を信仰します! さあ、今こそ自分を信じ、私と共に大聖堂を打倒しましょう!」
ワッと、島民たちは歓声を上げた。
「ルチル様よぉ! 俺はアンタにつくぜぇ!」
誰かの大声が聞こえた。「アギオス教なんて糞食らえだ、馬っ鹿野郎どもがぁ!」
棒義足をつけた、顔に知性の欠片も見られない牧草を反芻する牛と見紛うその人は――。母ちゃん……いや、シュナのお母さんだ。ババだっけ? 快哉を叫んだ彼女は、勢いのままに目の前の教戒師を殴り飛ばした。
「行くぞオラぁああああっ!」
混乱の中でも、その怒声はひときわ大きく聞こえた。あの人、無事だったんだ……。グレンと同一化したジュノーは、あの審問の時、彼女を壊さなかった。モモたちの目を欺き、島送りに処すことで逃がしたんだ。
島民たちの中には、もう一つ目立った集団がいた。屈強な男たちの集まりで、その先頭にいるのは小柄な男だった。あれは確か――ハニカム商会の商館長で、二代目とかいう三枚目。手下の商人たちを従え、それはもう見事な大立ち回りを演じていた。その顔は恍惚に輝いている。どうせまた、かつて得るはずだった栄光に浸っているのだろう。それが虚構であると誰か教えてやればいいのに。
聖域は興奮のるつぼと化した。島民たちは市民には目もくれず、大聖堂を目指して突き進んだ。呆然としていた市民たちは、怒涛のような島民たちの勢いに飲み込まれ、彼らの一部と化してしまった。一斉に教戒師たちに群がる。
「何ということだ……」
ディオニカは眉間にしわを寄せ、真下の惨状を見つめていた。
「戦争が始まった。火を点けたのは貴様だ」
ルビーは笑みを浮かべ、私を見た。
「違うわ。ただの戦争ゲームよ。それに、始めたのは彼ら」
私は薔薇窓を指す。「責任をとってもらわなきゃ」
「それはそうだ」
ルビーは私を抱える。
「ディオニカ、あなたは島民たちを手助けして。教戒師たちが相手では、ただでは済まないだろうから。中で会いましょう」
「かしこまりました」
そう言うと、ディオニカは先に屋根から飛び降りた。
「行くぞ」
そう言うと、ルビーも飛び降りる。残光を駆け、人々の頭上を通過した。そのままの勢いで、固く閉ざされた扉を蹴破る。悲鳴が上がった。聖堂に飛び込んだ私たちに、全ての目が集中した。
「ステラ……」
信徒たちの当惑した声が聞こえた。
「ステラという少女はもうここにはいません。私はルチル。この国の王女です。みんな、聞きなさい」
私は台座へと上がり、注目を集めた。
「今、あなたたちが隔離島と呼ぶ島から島民たちがこの大聖堂になだれ込んできています。彼らはかつて背信行為により、大聖堂に罰せられた者たちです。あなたたちは彼らを島に閉じ込め、信仰以外のすべてのものを取り上げ、労働に従事させてきました。彼らの中には、ただ大聖堂の意に添わなかったというだけで審問にかけられた者たちもいます。審問とは恐ろしいものです。激しい暴力行為を伴い、人間の尊厳を奪い、心を壊してしまうのです。たとえどんな背信行為があったとしても、それを受けなければならない人間がいるとは私には思えません。でも、現実として審問は行われてきた。あなたたちはそれを知っていたのに、知らないふりをしていた。島民たちを下等の労働力としか見ていなかったからです。彼らは怒っているのです。大聖堂から受けた酷い仕打ちに。失われた時間に。そして、私たちの無関心に。あなた方に贖罪しろとは言わない。彼らに許しを請えとも言いません。それは全てが終わってからでいい。今必要なのは、みんなで一緒に走ることだけなのです。あなた方は同じ都市に住む人たちです。貴族も平民も混血も背信者も関係ない。全員がこの都市で生まれ、育った者。私の国の子供たち。だからこそ、分かってほしいの。争いが必要なのは市民同士なんかじゃない。問題なのは、巨大に肥大化した権力のせいで足元もろくに見えなくなった愚か者たちよ! ある人が言ったわ! この大聖堂は額縁のようなもの! 外面を豪華に飾り立てることで絵画の虚飾を誤魔化しているの! 儀式や絢爛な聖具だってまやかしよ! 聖なる力や深い意味を錯覚させるためだけの外連味に過ぎない! 大聖堂があるから祈るんじゃない! 聖職者がいるから祈るんじゃない! 聖人様はいつでも見守っている! 誰の中にも聖人様はいます! 私たちは自分の聖人様に祈るのです! こんなところ、もう必要ありません! 今、私たちは手を取り合って、共にこの大聖堂を打倒するのです! 聖地の全てを白日の下に晒し、染みついた汚れを一掃するの! 私たちはゲブラーの子! 大聖堂が乱した秩序は私たちの手で正さなければならない! さあ、立ち上がりなさい! カルバンクルスの正義の子らよ!」
私の声は広間に大きく響き、どこかに消えてしまった。信者たちは口をポカンと開け、一様に私を見つめていた。馬鹿を見るような目で。我に返ると一生眠れなくなってしまいそうだから、我は前進あるのみ!
「名演説をごくろう」、ルビーはクックッと笑った。
いいもん。
その内に島民たちがなだれ込んでくるんだから。その時まで好きなだけ呆けていなさい!
「それでは権力で肥えた愚か者に話を聞こうか」
そう言うや、ルビーは振り返り、聖職者たちの塊に向かう。
「ひぃぃいいいいっ」
ルビーが掴んだのは、大司教だった。
「情けない声を出すな、この悪党」
美しい顔を不快に陰らせ、ルビーは大司教を床に引き倒した。「貴様に聞きたいことがある」
「な、何でも話す! だから暴力はやめてくれ……!」
「こいつの名を言ってみろ」と、ルビーは私を指した。
「ス、ステラ……ステラだ……。こ、孤児のため、苗字はない……」
「赤の聖女という存在については?」
「聖地のどこかにそういう者がいるとは聞いてはいた……。だが、赤の聖女という名称は今日までは聞いたことがなかった」
「そうだろうな。では、昨日までは何と呼ばれていた?」
「使徒だよ」
ルビーは私を見る。私は首を振った。
この人は何を言っている? 使徒? それは伝説上の、聖人様に仕えた人たちのことだ。ステラの記憶では、赤の聖女は昔から赤の聖女として存在していた。
「現在の使徒は貴様も知らないんだな?」
「ああ……地下にいるのだろうが、私は教えてもらえないから……」
「アザレアという女については?」
「アザレア?」
大司教はきょとんとした顔をする。「もちろん知っているよ。背信行為の末、島送りにされてしまった女性だろう。もう亡くなってしまったのでは?」
「ふむ」
ルビーは顎に手を当て、何やら訳知り顔に笑う。
「どういうこと、ルビー?」と、私は訊ねる。
「この聖地では、二つの方法で現実の改変が行われている。一つは洗脳。これはゲブラー派の洗礼を受けた全ての者に効果がある。大聖堂が一年ごとに洗礼の更新を行っていたのはそのためだ。洗脳により、大聖堂は自分たちの望むままに都市を作り変えた。洗脳に疑問を持った者や、効かなくなった者たちは捕らえ、島送りにする。市民たちの記憶からも消えてしまう。貴様らはオブライエン家を覚えているか? サーベンス家はどうだ?」
私は首を振る。ルビーは信徒たちを見るも、彼らも分からないようだった。
「その方法は……貴様には分かるな?」
私の中にある記憶……。
「鐘の音でしょう? 私たちはこの聖地に来たその時から、大聖堂の洗脳にかかっていた……」
「ああ、その通りだ。こいつらは宗教の聖地という立場を悪用し、獲物を捕らえる蜘蛛のように罠を張っていたわけだ」
「さっき、私は鳴らしたけど……。みんなが大人しくなったのはそういうことなの? でも、魔法陣は使っていないわ。昨夜のように――」
そう言いかけて、首を振る。あれは私の記憶じゃない。モモの記憶だ。
「魔法陣はあくまでも人力に頼らずに鐘を鳴らすことと、洗脳の指示を与えるものに過ぎない。鐘の音自体に洗脳の効果はあるのだろう。だが、そこに邪念は無い。あくまでも人々の怒りや憎しみを和らげる鎮静作用を与えるものだ。それこそが本来の鐘の音の役割なのだろうな」
それを大聖堂は悪用していたのだ。許すことはできない。どうしてくれよう。
ルビーは大司教を見た。「だが、洗脳はこいつのように外の宗派から洗礼を受けた者や、ワーミーのような異教徒には効果はない。だから都市に入る前に検査を受け、仮洗礼を施すのだ」
そう言って、大司教の頭を叩く。「ひいっ!」と小さな悲鳴が上がった。
「こいつは大本山ハルマテナで洗礼を受けているから、洗脳の対象外だ。さらに更新の必要もない。つまり、こいつは都市に施される現実改変を把握していたのだ。洗礼を把握できるのは、本来、主流派の限られた聖職者だけ。それ以下の者たちや貴族たちは、こいつを通してしか改変の情報を知ることができなかった。それにより、こいつは多くの利益を収めていた」
「ち、違う。私はただ……自分の身を護りたかっただけだ。ここは毒蛇の巣窟のようなもの……。立場を保たなければ、たちまち命を落としたことだろう……」
「黙れ。貴様がしてきたことをここで数え上げてもいいんだぞ」
彼の言葉のあまりの切れ味に、大司教は沈黙するしかなかった。
「――だが、こいつは洗脳にかからないだけで、洗脳を行えるわけではない。どんなに求めても相手の心を奪うことはできない」
ルビーは恐ろしいほどに冷たく言った。「だから貴様はヴェルメリオ派に手を貸した。自分の情報と引き換えに、市民を洗脳する力を得ようとした……。しかしそれは罠だった。異端に力を貸したことで、大聖堂は貴様を排除する名目を得た。明日からの聖地に居場所はないだろう」
大司教の顔がみるみる青くなっていく。「わ、私はどうすれば……?」
「さあな。島民たちと共に大聖堂と戦ってみるのはどうだ? それが無理なら混乱に乗じてこの聖地から消えてしまえ。庇護の無い世界を存分に満喫するがいい」
大司教は震えながら立ち上がると、よろよろとどこかに去って行く。慌てて数人の聖職者たちが後を追った。彼もまた、この聖地を汚していた愚か者の一人だ。長年に渡って市民たちを食い物にし、利益を享受して来た。大聖堂にまとわりついた汚れを一つ一つ取り除いていき、本来の美しい姿を取り戻してやる。私はきっと、そのためにこの聖地に来たのだ。




