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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第五章 少女たちの聖誕祭
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騎士の復活

 

 振り返ると、巨大な黒煙が中庭を覆い尽くしていた。今度こそ、本当にルビーは灰になってしまったに違いない。ディオニカがここにいるということは、クーバートを打ち破ったのだろう。では、私はどうすればいいのだろう。どこに行けば……。

 次の瞬間、幾筋もの光が上空に走った。それと共に、ジャンヌが空に弾き飛ばされる。爆破で勢いを止めようとする彼女を、ルビーが追撃した。高速で光の上を走り、ジャンヌを蹴りつける。彼女の体を掴むと、ぐるりと回転して上をとった。直後に発光し、ジャンヌは閃光と共に屋根の上に墜落した。


 ディオニカが剣の柄に手をかける。

「とう!」

 私はディオニカの腕に掴みかかった。


「な、何をする、ステラ!」


「あなたはジッとしていて、ディオニカ!」


「ディオニカ……!?」


 ルビーの体が発光する。呼応するように、ジャンヌの体から出る黒煙がついに爆炎へと変わった。彼女は素早く剣を振りかぶる。周囲の空気が連鎖的に爆発していく。ルビーは一点集中した巨大な閃光を放った。ジャンヌもまた、剣を振り下ろした。火山の大噴火にも似た、巨大な爆轟が放たれた。二つの力はぶつかり、必然のように大爆発を起こした。すぐに煙が全てを覆い隠し、何も見えなくなってしまった。


 ディオニカが上を向く。上空に光が浮かんでいた。先ほどの発光で、別に光を残していたのだ。残光は真下めがけて放たれた。


「くっ……!」


 ディオニカが私の身体ごと無理矢理に剣を引き抜いた。その腕に掴まる私はすっかり宙ぶらりんになってしまった。

 しかし、ディオニカが剣を振るう前に、光は煙の中へと落ちた。どうなった? しばらく、煙の中では何の変化も見られなかった。しかし間もなく、煙の中から幾筋かの光が私たちの方へと飛んできた。ディオニカは私を庇い、光を避ける。途端、煙から誰かが飛び出して来る。ディオニカは剣を振ろうとするが、光の筋を警戒して動きを制限されてしまった。金色に光るその影は、ディオニカの顔を蹴飛ばした。仰向けに倒れる彼の手から私を奪うと、ルビーは跳躍してその場を離れた。そして無数の光がディオニカを襲う。


「少しは時間が稼げるだろう」

 残光を駆けながらルビーは言った。


 このルビウスという人間はいったい何者なのだろう。

 やっつけてとは言ったけど……まさか本当にジャンヌを退けることができるとは。心の動揺により本来の力を出し切れていなかったのだろうが、それでもジャンヌは王都の怪物。単純な力だけなら既にディオニカをも上回るほどの実力者だ。こんな名前も知られていない人が……。


「貴様、オレたちの動きが見えていたな?」

 その時、ルビーが言った。


「え……?」


 そういえば……。怪物同士の戦いのはずなのに、私は目で追うことができていた。戦闘訓練なんてしたこともなければ、運動を憎んでさえいる私のような人間が……どうして?


「代わりに戦ってほしいくらいだよ」


「え、イヤだけど……」


 突然、ルビーはあらぬ方を向いた。蛇のような水が襲って来る。


「チッ!」


 ルビーは素早く光を飛ばし、空を駆けた。水はしつこく襲って来る。私たちは尖塔の一つへと逃れた。聖絶技法で造られている大聖堂の外壁はあらゆる力を受け付けないため、魔法を跳ね返してくれた。そのまま尖塔を盾にして進み、薔薇窓の前に出た。

 しかし、一歩と進む前に水に囲まれる。


「動くな」

 ディオニカが水のスロープを滑り降りて来た。「お前に聞かなければならないことがある。島民たちに何をした」、剣を突きつけてディオニカは言った。


「あの眼鏡……本当に頼りにならん奴め」

 ルビーは舌打ちをする。


「お前たちが島民に洗脳を施したのは分かっている。一体どういう手を使った? 紫色魔法か?」


「もっと単純な話だ」と、ルビー。「貴様らが壊してしまった心を修復した。人間に戻してやったのだ」


「何だと?」


「人を殺すには何も命を奪うだけではない。彼らは花を見てもその色さえ分からなくなっていた。満天の星空を眺めても、そこには洞のような穴があるばかり……。美しいものを美しいとも思えず、親の死に涙さえ流せず、何に心を揺さぶられることもない。それが果たして人間といえるのか? 貴様らは奴らを家畜にしてしまったのだ」


 ルビーはガツンと壁を叩いた。「人をもてあそんで……何様のつもりだ? そう簡単に人間が思い通りになると思うな。彼らの怒りを甘んじて受け入れるべきだ」


「お前が何を言っているのか、私には分からない」


「アハハ、だろうな。貴様もまた、もてあそばれた人間だからな」


「何を言って……」

 ディオニカは一歩後ずさる。周囲の水が一斉に屋根に落ちた。動揺している……?


「ディオニカ……」

 私はルビーの手を離れ、彼に近づく。「私が分かる……?」


「ステラ……」

 そう呟き、ディオニカは額を押さえる。「ディオニカ――だと?」


「あなたは王国騎士ディオニカ・トルネック。騎士名はシューレイヒム……。私の近衛として……小さな頃から一緒にいてくれた……」


「違う……私は……ルーペルト・ペルドール……」


「思い出してよ、ディオニカ……。だって私……あなたに言わなくちゃいけなかったことがあるの」

 そう言った途端、私の目から涙が溢れた。


「この記憶は……一体……。違う、私は……私は……」

 ディオニカは崩れ落ちるように膝をついた。もう一歩近づくと、虚ろな目をして私を見上げた。


「私が……この聖地に来ることができたのは、あなたのおかげだよ……。ありがとう、ディオニカ……。大好きなの」

 私はそう言うと、ディオニカの顔を抱きしめる。やっぱり髭がチクチクした。


「殿下……?」

 ぽつりと、ディオニカは呟いた。「殿下――ステラ……殿下……」

 ディオニカは頭を抱えてうずくまった。脳が現実を処理できていないのか、苦悶の声を上げる。

 そして、それは私も同じだった。


 私はゆっくりと後ろに下がる。ルビーが受け止めてくれた。彼の美しい顔を見つめ、またディオニカへと目を戻す。私の視界は自分の手の影で覆われた。


「どうしても思い出すことができないの……」

 私は声を絞り出す。「私の名前は……何? 本当の私は誰なの……?」


「貴様はルチル・カルバンクルス。紛うことなきこの国の王女だ」と、ルビーは言った。


 本当は……。

 今の私こそが洗脳であってくれたらと……心のどこかで期待していた。

 これは現実ではないのだ、と。

 でも違う。

 私はステラではない。

 ステラなんて人間は初めからいなかった。

 全てが虚飾。

 作り物。

 この荘厳な大聖堂も、美しい聖地も、ユウナとの関係も、絶望の記憶も、全てが作り物だったんだ。

 髪を掻きむしる。


「ぎぃいいいいいいっ……!」


 私もまたその場でうずくまり、床の上に額をつける。認めたくない。全部が嘘だったなんて……。認めたくない……!


 どうしてこんなことをするの?

 あまりにも酷い、酷すぎる……!

 人間を根本から馬鹿にしている行為だ。私は自分を自分だと信じて生きて来た。自分が自分であることを誇りにも思ってきた。でも、もう心の底からそう信じることができない。私は本当に私なの? この記憶も誰かに作られたものではないの? 私は私を信じていいの……?


 遠くから、喚くような声が聞こえて来た。ルビーは屋根の端へと行き、都市を見つめる。私は震えながら立ち上がり、彼の隣に立った。

 内区画をこちらに向かって突き進む暴徒たちの姿が見えた。もはや彼らの進行を止める者はない。悲鳴が聞こえる。聖地の純白が染められていく。それとともに、私の心にもどす黒いものが流れる。


 汚せ。

 この美麗な都市を汚してしまえ。

 何が聖地だ。

 何が大聖堂だ。

 こんな場所、もう必要ない!


「立って、ディオニカ!」と、私は叫んだ。


 ディオニカは震えながら顔を上げた。


「誰よりも先頭に立ち、人々を護るのが騎士の役目よ! 立ちなさい、シューレイヒム!」

 私の言葉を受け、彼はよろめきながら立ち上がる。


「私は……本当に騎士――? これは夢か何かでは……? 貴女様は本当に殿下であらせられるのでしょうか……。失礼ながら、私にはあなたがステラという少女としか……。王女の記憶は確かにあります……。しかしその顔も姿も……私には思い出せないのです……」


 およそ彼に似つかわしくない、頼りない声だった。


「私が誰かなんて、もういい! あなたが誰かなんてことも、もういい! でもシューレイヒム卿! あなたには戦う力がある! 誰かを護れる力がある! 今はそれで充分よ! 自分の力だけを信じなさい!」


 ディオニカの目に力が戻ったような気がした。

 次の瞬間、彼は力いっぱい両手で自分の頬を叩いた。高い音が辺りに響き渡る。


「情けないところをお見せしました、殿下。私は自分を見失っていたようです」


 優しい目に見つめられ、つい顔を背けてしまう。「悪い夢だったのよ」


「私はカルバンクルスの騎士、シューレイヒム。他の何者でもありません」

 ディオニカは都市を見つめ、そしてルビーを見た。「お前を信じるぞ、ルビウス」


「勝手にしろ」

 ルビーは肩をすくめた。


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