ルビーVSジョアンナ
「その子を解放しなさい。でなければこの場で焼却させていただきます」
口調だけは穏やかに、ジャンヌはギラギラした闘志をはらんだ鋭い眼差しでルビーを睨みつける。
「ジャンヌ、剣を納めなさい」
私はそう命じた。この人はジョアンナさんではない。私の従者のジャンヌ=マリアだ。「私たちはみんな魔法にかけられているの。それを解く必要がある。邪魔は許しません」
「ステラ、あなたの言動は理解しかねます。相互認識に著しい乖離が認められます。よって洗脳されていると判断し、これ以上のあなたとの対話は拒否します。許してください」
「自分が洗脳されているとは考えないの?」
「いずれにせよ異教徒たちを排除し、あなたを調べてみれば分かることです」
すごい正論。ジャンヌのくせに生意気じゃない? 私は異教徒、もといルビーを見る。
「この人のセフィラは赤、その心象は全てを破壊する力。とても強い人なので遠慮は無用です。やっつけて」
「分かっている」
一瞬だった。ジャンヌは素早く地を蹴ると、高速の一撃を打ち込んだ。ルビーは私を脇に押しやると、剣を避ける。業火のように激しいジャンヌの猛攻を、ルビーはステップを踏むような軽やかな足取りで巧みにかわした。しかし、ついに肩口に剣がかすった。ルビーは顔に苦悶を浮かべた。隙を逃さず、ジャンヌはとどめとばかりに突きを見舞う。だが、それは誘いだった。無防備に踏み込んだ彼女の一閃に合わせ、ルビーはカウンター気味に拳を繰り出した。顔を狙った攻撃を、ジャンヌは首をひねって辛うじて避けた。二人はすぐに場を離れ、距離をとった。
「強いですね」
ジャンヌは指で頬の血を拭った。「私の剣をここまでかわした人間は初めてです。あなたは一体何者なのでしょう。ただの魔法使いとは違う。相当に肉体の鍛錬を積んだお方だとお見受けしますが」
「さあ、どうだろうな」、ルビーは首を傾いで見せ、はぐらかす。
「焼却するのは惜しい。改心するつもりはございませんか」
「ございませんな」
「残念です」
ジャンヌは両手で剣を握る。
突然、彼女の背後で爆発が起きた。ジャンヌは爆風を利用し、高速で飛んだ。自分めがけて振り下ろされる高速の剣を、ルビーは咄嗟に背後に飛んでかわした。と、ジャンヌは剣先を爆発させ、強引に軌道を変えた。予想外の動きのはずだけれど、ルビーは虚を突かれたそぶりもなく、身をひるがえして空に逃げた。頭の中で事前にシミュレーションしてなければできない動きのように思える。あの人はいかなる事態にも即応できるよう、あらゆる状況を並列的に考えているのではないかとふと思った。
ジャンヌの体からは黒煙が上がる。人間離れした恐ろしい姿だった。この人が戦闘を始めると、辺りが焦げ臭くなるから嫌い。気分の高揚に応じて、これがさらに猛火となり、最後には爆炎となるのだ。今にもこの臭いや爆音を聞きつけ、ディオニカがやって来るだろう。時間が無い。
「ジャンヌ、いい加減にして! 私たちの邪魔をしないで!」
「私はジョアンナです」
ルビーと激しい戦いを繰り広げながら、ジャンヌは言った。
「いいえ、あなたはジャンヌ! ジャンヌ=マリア・ヴェアダルク! 王国騎士シューレイヒム卿の従騎士よ!」
王国騎士……!?
自分でそう言って、驚いた。そうだ、王国……! だとするなら、私は――。
「何を言っているのやら」
ルビーの蹴りを剣で受け止め、呆れたようにジャンヌは言った。素早く彼の足を掴む。
「ダリアを覚えている?」
「存じ上げませんが」
剣を爆破させたが、その直前、ルビーは空中で回転して強引にジャンヌの拘束を解いた。それから彼女の体を足場に跳躍し、空に逃げた。こちらも人間離れした動きだ。
「あなたは彼女を救ったはずよ!」
「ごめんなさい、ステラ。あなたの妄言に付き合っている場合ではないの」
崩れた体勢を立て直し、剣を構えてジャンヌは言う。
「思い出して、ジャンヌ! あなたはコーデリアからあの子を救い出した! 聖週間の初日よ! 地下に入れられた私を――いえ、ダリアを救ってくれた……!」
「そんな記憶はありません。コーデリアという者も存じ上げません」
「あなたは洗脳されているのよ、正気に戻って! 私の知っているあなたなら、誰にも縛られたりはしない!」
「私は――」
一瞬の隙を突き、ルビーはジャンヌの腹に蹴りを入れる。ジャンヌは足に力を入れ、飛ばされるのを防いだ。
「どうした、爆発女。動きにキレが無くなったな? 自分が何者か思い出したか?」と、ルビーは挑発するように嘲った。
「黙りなさい……」
「本当は貴様も気づいているんじゃないのか? 記憶にズレが生じ始めていることに! その知らない記憶に身を委ねてみろ! 貴様が誰かを教えてくれる――」
「私はジョアンナだ! 他の何者でもない!」
ジャンヌは咆哮を上げた。途端、空中に連鎖的な爆発が起きる。驚きのあまり、私は尻もちをついてしまった。
「危ない奴め……」と、ルビーは呆れたように言った。
「あなたはどうなのです」と、ルビーに剣を向け、ジャンヌは言った。
「オレ?」
「どうして剣を使わないのです? 気がつかないと思いますか。あなたの戦い方は、全て魔法剣術に最適化されたものです。当然、剣が無ければ実力は発揮できない。手加減してくださっているというのなら甚だ不愉快です」
「悪いな、剣はもうやめたんだ」と、ルビーはひらひらと手を振った。
「あなたはワーミーではない。どうして彼らと一緒にいるのです?」
「人生なんて1ダンテ先は闇ということさ」
「なるほど、黄色魔法使いが言うと説得力がありますね」
「嫌な奴だ」
その時、大聖堂の向こうで大量の水が放出された。それはさながら水の閃光だった。ディオニカが眼鏡の人……もとい、クーバートと戦っているのだろう。その壮絶な光景に、思わずルビーはジャンヌから視線を外してしまう。瞬間、ジャンヌは足元を爆破させ、一直線にルビーを狙った。それはあまりにも速く、私の目にはただの突風としか映らなかった。ルビーは一閃のもとに屋根に叩きつけられてしまう――はずだった。
しかし、ジャンヌの剣は空を切った。無防備な彼女の背中を、ルビーが蹴飛ばす。いつの間に背後をとったのだろう。虚を突かれたジャンヌだったが、一歩で踏ん張ると、ろくに体勢を立て直さないままに剣身を爆発させ、急加速を利用して強引にルビーを狙った。ルビーはひらりと体をねじって避けた。そして宙がえりをすると、空を蹴って加速する。そのままジャンヌに体当たりをすると、彼女を屋根の上に押し倒し、自分は空へと跳ねた。
「さあ、オレを止められるか?」
ルビーは激しい閃光を発した。思わず私は目をつむる。再び目を開けた時、周囲一帯に残光が浮かんでいた。
「これは……!」
ジャンヌは剣を構え、苦々し気に奥歯を噛みしめる。なるほど、何もない空中を蹴ったように見えたのは、残光を蹴っていたのだ。空に走る無数の光……。ただでさえ機動力のあるルビーが、さらなる足場を手に入れたことになる。
ルビーが次の行動に動く前に、ジャンヌが動いた。体から爆炎を発し、ルビーめがけて剣を振りかぶる。彼女の剣が斬った空間は爆発した。しかし、ルビーはまたも宙を蹴って逃れるや、ジャンヌの死角を突いて蹴りを食らわした。瞬間、狂乱染みた怒涛の攻撃が始まった。ルビーは空から地から三次元の猛攻を仕掛ける。さすがのジャンヌも全てを裁くことはできず、ついには重い一撃をもらってしまった。すぐに爆破を利用して距離をとる。間髪入れず、ルビーは空の残光を操り、ジャンヌめがけて放射した。光が一斉にジャンヌめがけて降り注ぐ。
ジャンヌは構えを変える。徹底防御の型なのだろう、ルビーの一斉放射をさばき始めた。状況は圧倒的にルビーが有利なはずだ。上空を確保し、全方位から光撃しているのだから。しかし、ジャンヌの鉄壁の防御を崩すことができない。このままでは、ルビーの魔石が切れるのが早いかもしれない。私は安全を確認し、塔の影から抜け出すと、ルビーの近くへと移動する。これだけは言いたくはなかったが……仕方ない。
「ルビー、ジャンヌは右目が全く見えないの! 右側を狙って!」
長い前髪で覆い隠しているのには、それ相応の理由がある。彼女は実質的な隻眼なのだ。しかし、私の助言は無視された。相も変わらず、ジャンヌはルビーの光撃を弾き続ける。きっと、敵の弱点は狙わない殊勝な人なのだ。高潔な二人の戦いに水を差した自分が恥ずかしくなる。
「最初からそっち側しか狙っていないんだが……」
こちらを見ずに、ルビーは言った。「どうして防げるんだろうな、アイツは?」
狙っていたんだってさ。
何と卑怯な人だろう。ジャンヌを応援したくなってしまう。弱点を突かれ、情け容赦のない怒涛の猛攻を浴びても、彼女は一歩も引かなかった。いや、それどころか。前進していた。全方位の放射を受けても、なおルビーに接近している。
「身を隠しなさい、ステラ!」
その時、ジャンヌが叫んだ。彼女の体から出る煙は、空へと上らずに屋根の上を漂っていた。何かするつもりだ。だからこそ、私はその場を動かなかった。むしろ足に力を込め、踏ん張ってやる。私がいては、ジャンヌは大規模な攻撃ができない。ここに私がいるだけで、ルビーの有利になっているはずなのだ。
すると、何かに押された。水の塊だった。これは……ディオニカの魔法だ! そのまま、中庭へと落ちてしまう。
「いやぁあああっ!」
しかし、地面に落ちる直前に水の塊が私を飲み込んだ。その直後、屋根の上で広範囲な爆発が起きた。とてつもない威力で、私は水の塊ごと爆風で飛ばされた。地面に接すると、水が弾けた。緩衝してくれたおかげで、地面に叩きつけられずに済んだ。
「ぶはぁっ!」
私は地面に転がり、荒く息を吸った。水中での息の止め方を知っていてよかった。湖に潜り続けた経験がこんなところで役に立つとは。私の記憶じゃないけど……。
すぐに顔を上げると、もうもうと立ち込める黒煙の、はるか上空に輝く金色の光があった。陽光を浴びて煌めく金色の髪だ。ルビーは空に逃れていた。すると、空を大量の水が両断した。振り返ると、屋根の上にディオニカが立っているのが見えた。ルビーは残光を駆け、ディオニカの魔法を逃れる。しかし、次の瞬間、さらに上空へと弾き飛ばされた。ジャンヌの一閃だった。ディオニカは魔法でルビーの動きを制限していたのだ。師弟のコンビネーションは記憶を失くしても完璧だった。
激しい爆発が続く。音だけ聞けば白日の花火と錯覚する人もいるかもしれないが、その光景はあまりにも凄惨が過ぎた。まさに破壊と殺戮の象徴。もはやルビーは灰も残っていないのではないかと思われた。
「ステラ、無事か?」
ディオニカは地上に下りて来た。反射的に飛びつきそうになるが、理性が押しとどめてくれた。ゆっくりと後ろに下がる。
「ヴィクトリア様はどうした? 今すぐ地下に避難するんだ。私が付き添ってやる――」
ディオニカが私の腕を掴んだ直後だった。
何かが地上に落下した。地面に大穴を開けるその物体は……ルビーだった。ぱちくりと目を見開き、「参ったな……」と、彼は言った。
「むっ!」
ディオニカが空を見上げる。真っ赤な剣を振りかぶり、落下してくるジャンヌの姿があった。
「まずい!」
ディオニカは私を抱えると、屋根の上へと飛び乗った。
直後、轟音が起きた。




