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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第五章 少女たちの聖誕祭
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五つの記憶

 

 断続的に爆音が聞こえる回廊を、私たちは進む。すると、無数の剣がガラスを突き破って現れた。


「見ーつけた」

 眼鏡のワーミーが窓に取り付いた。


 彼の全身から紫の煙が噴出し、廊下に流入した。ヴィクトリア様は私の腕を引っぱり抱き寄せると、駆け出した。


「逃がさないよ」


 眼鏡の人は手を叩く。途端、天井や壁、床一面を人間の手が埋め尽くした。足を掴まれ、呆気なく転ばされてしまう。まるで捕食するかのように、周囲の手が伸びてきて私の体を掴んだ。


「いやぁああっ」


 助けを求めてヴィクトリア様を見るが、彼女もまた無数の手に群がられ、膝を突かされていた。私は持ち上げられ、ゴロゴロ転がされてしまった。そのまま外まで運ばれかけたその時、廊下を水の塊が駆け抜けた。思わぬ衝撃を受け、あわや意識を失いそうになった。水を飲まなかったのが幸いだ。水が通過すると、無数の手は綺麗さっぱり消えていた。


「そのまま伏せていろ!」

 ルーペルトさんは素早く私たちに駆け寄ると、青く発光した剣を外に向ける。


「おおっと!」


 眼鏡の人は間髪入れずに窓から離れる。空気中から水が出現し、放出された。刃のような水流に、眼鏡の人は退散する。


「ご無事ですか」


「当然だ」


 ヴィクトリア様はルーペルトさんの手を振り払い、立ち上がる。ルーペルトさんは私に駆け寄ると、手を差し出してくれた。彼の手を借り、何とか立ち上がった。


「ワーミーはこの子を狙っているようです。私が護衛しましょう」

 背後から私の肩に手を置き、ルーペルトさんは言った。彼の顎髭が頭に当たり、チクチクした。


「必要ない。お前はワーミーの駆除に専念しろ」

 ヴィクトリア様は濡れた衣服を煩わし気にさすった。


「しかし、また襲われては――」


「そうならないために元凶を断てと言っているのだ! 早く行け!」


 まるで癇癪を爆発させるように、ヴィクトリア様は叫んだ。


「かしこまりました」

 ルーペルトさんは頭を下げ、私の頭を軽く撫でると、足早に去った。すぐに外に飛び出し、水を繰って空を駆け上がった。


 私はしばらく彼の姿を目で追っていた。できることなら、護ってほしかった。でも、あの人はたくさんの命を救うことができる人だ。私だけの護衛にするわけにはいかない。


「来なさい」


 ヴィクトリア様は私の腕を引く。私は彼女に続き、廊下を歩いた。二人いた教戒師は、今は一人になっていた。ワーミーの魔法で、(もしかしたらルーペルトさんの水で)気絶させられたのだ。


 中庭に出た。この先には地下墓所がある。地下に連れて行くと言っていたが、あそこのことなのだろうか。何か、特殊な避難所のような造りになっているのだろうか?

 頭の上で爆発音がした。私は驚き、足を止めてしまう。しかしヴィクトリア様に引っ張られ、無理矢理に歩かされる。ふと見ると、水が中庭を漂っているのが見えた。ルーペルトさんの魔法だ。傍にいなくても、私たちを護ってくれているのだ。胸が温かくなった。


 ルーペルトさんとはこの大聖堂に来てから初めて会ったが、本当に頼りになる人だ。おっかない外見から最初は敬遠していたが、すぐに優しい人だと分かった。あのひげを剃ってくれたら、みんなもすぐに気づけるはずなんだけど。あれでは駆士というよりは山賊の頭だ。転職すれば天職に違いないと酷いことを思ってしまった。


 ――あれ?


 足が止まる。


「今度は何だ?」、ヴィクトリア様が辟易したように振り向いた。


 何かがおかしい。

 前にも、同じことを思った気がする。

 前って――いつ?

 大聖堂で初めて会った時に思ったんだっけ? いや、違う……。もっと最近だったように思う。それに、一度じゃない。何度も、何度も……。


 聖地を見下ろす丘の上で……。

 ――高い背丈に身にまとう筋肉の鎧も相まって、山賊の頭と紹介すれば誰もがすんなりと受け入れてくれるのではないだろうか? いっそのこと転職すれば、意外と天職かも……?


 晩餐会の中で……。

 ――騎士というよりは山賊の頭と紹介された方が納得できそうで、転職すれば天職に違いないと酷いことを思ってしまった。


 祭祀区画で……。

 ――もっとも騎士というよりは山賊の頭の方が向いているかもしれないが。転職すれば天職だろうにと酷いことを思ってしまった。


 路地裏で……。

 ――彼は相変わらず怖い顔をしており、騎士というよりは山賊の頭のようでした。転職すれば、意外と天職かも……と、ぼんやりとした頭で酷いことを思ってしまいました。


 ひっくり返った誰かの家で……。

 ――騎士というよりは山賊の頭にしか見えない。こんな時だが、転職すれば天職だろうにとくだらないことを思ってしまった。



 この記憶は……何?

 私のようで私ではない……でも、私の中に確かにある、この記憶は……?


 まるで自分の中に五人もの別の人間がいるような――。

 五つの聖週間の記憶、部分的に切り取られた記憶が頭の中に……。


 花畑の中で作った花冠、降り注ぐ雷鳴のような拍手喝采、ワーミーたちの魔法、審問という名の無慈悲な暴力……。閃光のように激しく頭に浮かぶ不確かな記憶の数々……。しかし、どれも脳裏に刻み込まれたように鮮明だ。まるで実際に体験したことのように。


 どうなっている? 訳が分からない。


 私はステラ。孤児院で育ち……修道院に入り、聖女に選ばれた。それがステラ……今日までの私……。

 私……?

 私はステラ……?

 ステラ……?

 ……違う。

 私は……。

 本当の私は――。


 私は……とことこ歩くお馬さんに乗ってこの聖地にやって来た。近衛たちに護られ、まるで成長を感じないことに焦燥を感じ、ひたすらに文句ばかり言っていた。目の前には馬――マクシミリアンの頭があって、私を挟んで左右に従騎士たちがいて……そして、私が背中を預けるのはひげもじゃの大男……。


「ディオニカ……?」

 ぽつりと呟く。


「何?」


 ヴィクトリア様は怪訝に私を見た。

 直後、爆音が上がる。私は顔を上げ、音の出所を探した。


「ジャンヌ……?」


「何を言っている……」


「ルカ……ルシエル……?」


「私を見ろ、ステラ」


「違うわ。私は……私はダリア……」


「何だと?」


「違う……。シュナ……ルージュ……モモ……?」

 頭を押さえ、うつむく。「私は誰……? 教えて……ヴィクトリア・ウィンストン……」


「まさか……記憶が戻ったのか……?」


 狼狽するような声に、はっと顔を上げる。ヴィクトリアは驚愕に目を見開いていた。


「頭が……頭がおかしくなる……。私は誰……。私は誰なの……」


「こんなことが……」


 しかし、ヴィクトリアはすぐに平静に戻った。いつもの生気のない顔で、私の腕をしっかりと掴む。


「お前はステラだ。それ以外の何者でもない。さあ、地下に行くぞ。そこがお前のいるべき場所だ」


「いや!」

 私はウィンストンの手を弾くと、彼女から逃れた。そのまま駆け出すが、「捕まえろ」という背後から声とともに、目の前に黒い影が立ち塞がる。顔を上げると真っ赤な顔の禿頭の女性がいた。教戒師だった。


「ダリ……ア……?」と、教戒師は言った。教戒師がまともな言葉を話すのを聞いたことがなかったので、私は驚いた。「モ……モ……?」


 虚ろな目に、光が戻ったような気がした。よく見れば、その顔には見覚えがあった。髪が剃られ、赤い塗装をされているが、どうして忘れることができるだろう。


「コーデリア……?」


 その教戒師はコーデリア・サーベンスだった。


「私は……何だこの姿は……」

 彼女は自分の手を見て、それから顔に、頭に手を当てる。


「ステラ……私のもとに来い……」

 背後から、低い声でヴィクトリアが言った。「その女は危険だ……。お前なら分かっているはずだ」


 私はゆっくりと後ずさる。しかし、コーデリアは私のことなど見てすらいなかった。満腔の憎悪を瞳に込め、真っ直ぐに地面を睨んでいた。「老いぼれどもが……私を堕としたな……」


 背後から強引に肩を掴まれ、引き寄せられる。ヴィクトリアは私を自分の背中に隠した。


「地下へ行け。そして長老様たちのところまで走れ――」


 ヴィクトリアが言い切る前に、彼女を衝撃が襲った。コーデリアが殴りかかったのだ。ヴィクトリアは彼女の拳を避け、逆に攻勢に出る。激しい闘いが始まった。二人の実力は伯仲しているかに思われた。だが、何の武装もないヴィクトリアに対して、教戒師となったコーデリアの掌には爆破魔法陣が刻まれていた。コーデリアはヴィクトリアの脇腹を掴むと、そのまま爆破した。


「がはっ……!」

 ヴィクトリアはお腹を押さえて崩れ落ちた。


「何が聖女……ただの小娘が……」


 コーデリアはゆっくりと私に迫る。私は恐怖のあまりその場から動くことができなかった。


 その直後、爆音が轟いた。中庭で激しい爆発が起こった。誰かが上空から中庭に叩きつけられたらしい。土煙の中に、キラリと光るものがあった。金髪だ。一瞬、コーデリアの注意が削がれた。それを見て、私は猛然と駆け出し、煙の中に入った。

 中庭は上空からの爆撃に晒されていた。金髪の男は周囲に残光を走らせ、頭上に放つことで相殺していた。私は真っ直ぐに金髪の男の元へと走る。安全を確信していたわけではない。爆撃は雨のように降り注いでいる。しかし恐怖心はなかった。そこに行きなさいと、頭の中で何人もの私が言っている気がするから。


 ハッと、金髪の男がこちらを見た。それと共に、ピタリと爆破が止んだ。「ステラ!?」、どこかからジョアンナさんの声が聞こえた。


「初めまして――かな? お姫様」と、金髪男は言った。


「あなたは……あなたは……」

 彼の前に立ち、私は声を震わせる。


「オレはルビウス――」


 ルビウス。

 ルビウス……!


 頭の中に記憶がドッと流れ込んで来る。

 今まで知らなかったはずの人なのに。

 今ではもう知っている。

 私はこの人を知っている!


「気安く……ルビーと呼ばせてもらいます」


 私がそう言うと、ルビーはニヤリと笑った。「思い出したのか?」


「思い出し――。いえ、私は……私は――」


「ステラ」、いつの間にかジョアンナさんが背後に立っていた。コーデリアの姿はどこにもない。よろよろとした足取りで、ヴィクトリアが回廊を歩いているのが小さく見えた。


「今すぐにその人から離れなさい。私のところに来て」

 彼女は真っ赤に光った剣をルビーに向けていた。


「ジョアンナさん――」

 思わず彼女へと足を踏み出してしまったけれど、立ち止まる。それから後ろに下がった。「いえ、ジャンヌ……」


「ジャンヌ?」と、彼女は眉をひそめた。


「分からない。私はもう分からないの……」

 思わず涙が出そうになり、慌てて堪える。私はルビーの腕にすがりついた。「私を助けて、ルビー……」


「いいさ。オレにおんぶに抱っこで来るがいい」


 そう言うと、彼は私を抱きかかえた。その瞬間、ジャンヌの剣から火花が走った。ルビーは跳躍し、爆破を避けた。そのまま光を発すると、残光の上を駆け、屋根へと逃れた。

 爆炎は屋根まで漂っていた。私はルビーの胸に顔を埋める。息苦しかったわけじゃない。ただ、堪えられなかったから。


「私の中に、たくさんの私がいるの」


「ああ、そうだろうな。だが、本当の貴様は一人だけだ」


「本当の私……」


 炎が空を走った。

 ジャンヌも屋根の上に立ち、私たちと向き合った。


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