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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第五章 少女たちの聖誕祭
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ワーミー侵入

 

 その時。ワッと、声が上がった。慌てて眼下に目をやる。聖域外の人波をかき分け、誰かが姿を見せた。遠くからではよく見えないが、赤いゲブラーの仮面を被っているようだった。声は彼の周囲の人たちのものらしい。ざわめき声が波のように広がっていく。


「聖域外の人たちの声が聞こえる……」、ぽつりとユウナが呟いた。


 ハッとする。それが意味することは一つ。結界の効力が切れたのだ。つまり、大聖堂の魔力が効果を失ってしまった。しかし、どうして?


「ステラ、あなたは下に……」


 私の手を引くユウナだったが、突然、がくんと首を垂れた。


「ユウナ?」


 彼女は顔を上げると、ぼんやりとした目で私を見た。


「ど、どうしたの、ユウナ……?」


「何をしているの、ステラ!」

 その時、外の足場からジョアンナさんが現れた。「早く大広間に戻りなさい! この大聖堂はもはや安全とは言えません!」


「一体どうしたのですか?」


「分かりません。突然に大聖堂が魔力を失ってしまったのです。でも、心配しないで。あなたは私が命に代えても守ります」


「でも、ユウナが……」


「ユウナ? どこに?」


 私たちは鐘楼を見回す。いつの間にか、彼女は姿を消していた。唯一の出入り口にはジョアンナさんがいたのに……一体どこに行ったのだろう?

 もしや下に落ちてしまったのではと、私たちは眼下に目をやった。ユウナの姿はどこにもなく、とりあえずは胸を撫でおろす。しかし、信じられない光景が私の目に飛び込んできた。いつの間にか、都市と聖域の間に橋が架けられていた。元来ある橋はまだ上がっている。こんなに急に新しい橋を架けられるはずがないのに……。新たな橋に人々が殺到し、渡っていた。あれによって魔力の許容量を超えてしまったのだろうか?

 私たちが見ている間にも、どんどん新しい橋が架けられていく。向こう岸に、眼鏡をかけた人の姿が見えた。あの人の魔法なのだ。新たな橋が完成すると、ゲブラーの仮面を被った男の人が渡り始めた。


 人々の目は彼に集中していた。陽光を浴び、金色の髪がキラキラと輝いている。まさしく聖人ゲブラーの再誕を思わせる姿だった。

 ワーミーに違いない。ついに聖域にワーミーが侵入した。


「おのれ……」

 ジョアンナさんは怒りで身を震わせる。


 橋を渡り終えたワーミーは、顔を上げ、大聖堂を見据えた。ふと、その顔がこちらを向いたような気がした。それに、なんだか彼の体が発光しているような気も……。素早く、ジョアンナさんは私を鐘楼の中に押し入れると、剣の柄に手をかけた。


「ジョアンナ!」

 吠えるような声と共に、ルーペルトさんが鐘楼に飛び込んできた。彼は走りながら腰の剣を抜いた。「奴らを迎撃するぞ! 絶対に大聖堂の中には入れるな!」


「しかし、中の警護はどうするのです?」


「駆士たちや教戒師を集めて護らせている。審問官も使うそうだ」


「なるほど、分かりました」

 ジョアンナさんは剣を抜く。「ステラは大司教様たちのところに!」


「は、はい……」


 ルーペルトさんが剣を一振りすると、空中から水の塊が現れて私を覆った。そのまま、ルーペルトさんは私を塔から突き落とした。


「ぶばぁああああッ!」


 私は水の中で誰にも聞こえない悲鳴を上げた。ヒューってんでバシーン……。終わりだ……。しかし、地面にぶつかると水が弾け、私は少し転がっただけで済んだ。助かった……。私はそのまま回廊を駆け、大聖堂を目指した。


「ユウナぁ、どこぉ?」

 私は叫んだ。「一緒にいようよぉ! 私、とっても怖いの!」

 しかし、彼女は姿を見せてはくれなかった。


 最後に見せたユウナの顔が気になっていた。あの目は駄目だ。あんな目をユウナは浮かべちゃいけない。絶望に支配され、全てを否定する悲しい目。私たちはあの目から逃れるために修道院に入ったというのに……!

 あれは、孤児院の子どもたちと同じ目だった!


「ユウナぁ!」

 回廊を走っていると、突如何かが外から飛来した。その何かは目の前の床に叩きつけられ、勢いのまま壁に激突した。

「ひぁあああっ!」

 私はその場で頭を抱えてうずくまり、恐々と飛来物を見てみる。ジョアンナさんだった。


「見つけたぞ」 

 私のすぐ傍に、ワーミーが着地した。赤い仮面を被った男だった。「さあ、オレと一緒に来い」


「や、やめて……!」

 私は後ずさりながら、男と対面する。「これ以上聖地を荒らさないで! 今すぐ出てってよ!」


「やれやれ、毎度面倒な奴だ」


 そう言うと、ワーミーは仮面を外した。仮面の下から現れたのは、あまりにも美しい彼の素顔だった。私は思わず言葉を失くし、ただ見つめることしかできなかった。腕を掴まれたことにもまるで気づかなかった。こんなにも麗しき人間がいるなんて――心を奪われてしまった私は、ただふらふらと彼について行くしかなかった。

 その時だった。私の肩を、背後から誰かが掴んだ。強引に後ろに引っ張られ、私は尻もちをついてしまう。ジョアンナさんだった。


「走り続けなさい、ステラ!」

 彼女はそう叫ぶと、そのままワーミーに打ちかかった。


 爆発が起きる。

 不意の突風に、私の体は浮いた。衝撃で周囲が大きく揺れる。私は床を転がりながらも、何とか立ち上がる。後ろから間断なく爆音が続いていた。ジョアンナさんの魔法だろう。私はとにかく必死で走った。

 空に無数の剣が浮かんでいるのが見えた。尖塔の一つに誰かが立ち、まるで指揮者のように腕を振り、剣を操っている。眼鏡をかけたワーミーだ。周囲には水が漂い、彼を包囲しているようだった。ルーペルトさんだ。すると、剣が一斉に発射された。その内の一本がこちらに飛んできて、私の背中すれすれを通過した。

「のわぁああああっ!」

 私の悲鳴が大聖堂にこだまする。剣は壁に当たって跳ね返り、私の目の前を通過した。「ひえええええっ!」


 戦場と化した回廊を命からがらに走り抜けた。しかし、何ということだろう。まあ当然なのだが――大広間に入る扉は閉ざされていた。


「開けてください! 開けてぇ! 私です! ステラです!」


 私はもう必死に扉を叩いた。物騒な音がすぐ背後にまで迫って来ているような気がして、とてもじゃないがまともではいられなかった。

 すぐに、内側から扉が開けられる。まだ大して開いていない内から強引に身を入れ、何とか大広間に戻ることができた。息を絶え絶えに倒れ込んだ私に、一斉に視線が向けられる。


「おお、ステラ! 無事だったか!」

 大司教様がやって来ると、他の信徒たちも続いた。私は抱えられ、輪の中へと入れてもらえた。


「一体どうしたんだね。外から凄い音が聞こえるが……」


「ワーミーが……侵入した……のです……」

 私の声を受け、悲鳴が上がった。

 私は深呼吸をして、何とか息を整える。「この大広間は聖絶技法で造られているのですよね? 安全ですよね?」


 大司教様は困惑気味に眉を下げ、聖堂を見回す。「お前が通って来た回廊は増設されたものだよ。まあ、しっかり塞がれているから大丈夫だろうがね」


 まるで狙ったかのように――全ての視線が集中したその直後、扉が吹き飛ばされた。巨大な人間の手が聖堂の中に侵入する。


「ギャァアアアアッ!!!」


 私たちは一斉に絶叫した。手は真っ直ぐに私の方へと向かって来る。蜘蛛の子を散らすように、私の周辺から信徒たちが逃げ出した。ただ一人残ったのは大司教様。見事に腰を抜かし、まるで子供のように私に抱き着いてきた。いや、動けないんですけど!

 しかし、手が私を捕まえようとした瞬間、目の前に円形の壁が発生した。水の壁だ。水は形を変えて球形に戻ると、一気に放出される。巨大な手はそのまま押し返され、消失してしまった。


「無事か、ステラ!」

 別の扉から、誰かが大広間に入って来た。ルーペルトさんだった。宙に浮かぶ平面の水を駆けて信徒たちの頭を飛び越え、私の元へとやって来た。


「うわぁああん!」

 私は大司教様を力いっぱいに突き飛ばし、ルーペルトさんに抱き着いた。


「落ち着け、ステラ。もう大丈夫だ」

 彼は私の頭を撫でながら、「広間に穴が開いた! 守りを集中しろ!」、鼓膜が震えるほどの大声でそう叫んだ。


 正面の扉から、ぞろぞろと赤い顔が入って来る。教戒師だ。味方であろうとやっぱり彼らは恐ろしい。


「戻らなければ」と、ルーペルトさんは言った。


「いやっ! ここにいて、ルーペルトさん!」

「ここにいてくれ、ルーペルト!」

 私と大司教様は同時に叫んだ。


「外でジョアンナが一人で戦っています。加勢してやらねば。今に大聖堂の魔法が戻るはず、それまでの辛抱です――」


「ルーペルト」

 信徒たちをかき分け、ヴィクトリア様が現れた。「ステラは私が地下へと連れて行こう。あそこならここよりは安全だ」


「地下に――?」


 ヴィクトリア様はルーペルトさんが言葉を返す前に、ひったくるようにして私を奪った。それから教戒師を二人呼んで護衛に付けると、私の腕を引いて強引に外へと連れ出した。私の歩幅も考慮してくれない早足のため、必然駆け足になった。


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