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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第五章 少女たちの聖誕祭
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祈り

 

 とにかく必要なのは行動だ。仮にも私は聖女。自分が特別な人間だと自惚れるつもりはないが、少なくともこの聖地では知名度がある。何かをすれば、普通の人よりは影響力があるはずだ。

 大広間を出て、階段を駆け上がった。回廊を走り、渡り廊下を通って鐘楼塔へと移る。そのまま塔の外側にある足場を駆け上がり、鐘楼へと飛び出した。ここからなら、都市の姿を人々の頭上から見下ろすことができた。


 市民たちは大聖堂に群がっていた。まるでビスケットに集まる蟻のように。橋は上げられており、聖域と都市との繋がりは断絶されていた。人々の中には水路に飛び込み、渡って来ようとする者たちもいたが、都市側の教戒師たちによって阻止されていた。

 外画の方からは煙が上がっている。暴徒たちの進行状況を示していた。停魔はもう実行されているのだろうか? だとしたら、暴徒たちがここまで到達した時、恐ろしいことが起こるのは目に見えている。


 鐘楼の中に戻り、頭上を見上げる。九つの鐘たち。大聖堂の鐘の音には、時報や警告の他、人の心を癒す効力があると聞く。人々の痛みや恐怖を、わずかでも和らげることができれば――。私は台座へと目を移す。ここで鐘付きが魔法陣を発動し、鐘を鳴らすのだろう。でも、鐘楼のどこを探しても魔法陣なんて無かった。試しに台座に手を当ててみるが、当然何も起こらない。ダメなんだ……私では鐘を鳴らすことはできない……。悔しくて、悔しくて、ゴツンと壁に頭をぶつけた。


「何をしているの」


 ハッと振り返る。髪の色と同じ、真っ黒な聖衣を着た女の子が立っていた。ユウナだった。


「鐘付き以外がここに来てはいけないのよ。知ってるでしょう?」

 人差し指を私に向け、詰るように彼女は言った。


「そんなことを言いに来たの? こんな時に……」


「この非常時だからよ。あなたを連れ戻すように言われたの」

 ユウナは鐘楼の中を歩き、私の腕を掴んだ。「さあ、戻りましょう。子供みたいな軽薄な行動は慎みなさい。あなたはみんなの規範となるべき存在なのよ」


「放して!」


「聖女になってまで私に手間かけさせないで」


 彼女の諭すような物言いに、ついカッとなってしまう。


「何よ!」

 私は強くユウナを押した。「意地悪ばっかり! そんなに私が聖女になったのが許せないの? ユウナがそんな人だったなんて思わなかった!」


「はい?」、彼女はきょとんとした顔で私を見る。


「一度もおめでとうって言ってくれないし! もう二度と会えないかもしれないのにさ! 分かってるんだから! 私に嫉妬してるんでしょ!」


「嫉妬? 私が?」


「そうよ! 自分が聖女に選ばれるって思ってたんでしょ? でも私が選ばれたから、私のこと許せないんでしょ!」


「……そんなこと思ってたの?」


「思ってたのはユウナの方でしょ! 意地になってさ! おめでとうって言ってよ!」


「馬鹿なやつ」

 ユウナはやれやれと首を振ると、深く息を吐いた。


「馬鹿って何よ――」


 ユウナは宙でバタバタ暴れる私の手を捕まえると、両手で握った。


「おめでとう、ステラ。あなたが聖女に選ばれて、私はとても嬉しいわ」


「え……」


「これでいい?」と、彼女は小首を傾げる。


「う、うん……」


「言っておくけど、私はちゃんとお祝いの言葉を送ったはずよ。あなたの報石に」


「んん……?」


「そもそもよ。私はあなたが聖女に選ばれたその日に大聖堂に行くことが決まったの。ヴィクトリア様と一緒に修道院を出たから、あなたと話す機会なんてなかったのよ。そのことも、ちゃんと報石に刻んだはずだけど」


「そうだっけ……?」


「聖女に選ばれたことに浮かれて、私のことなんて見ていなかったんじゃないの?」


「そんなこと……」


 言い淀む私を、ユウナは冷ややかな目で見つめた。「あなたが私をどう見ているのか、よーく分かった」


 聖女に選ばれた時、最初に浮かんだのはユウナの顔だった。選ばれたのはユウナではなく、私。胸を刺すような痛い喜びが沸き起こった。私は血を吐きながら笑っていたのだ。


 ユウナの上に行きたかった。一度でいいから彼女に勝ちたかった。小さな頃から常に私の前にいたユウナ。私が欲しい全ての物を持っていたユウナ。彼女の存在は、いつしか私の劣等感の象徴となっていた。

 聖女になったことで、ユウナの全てを超えることができたのだと思った。そして彼女は私を妬んでいるに決まっていると、そう思った。だって、もし選ばれたのがユウナだったら、私はそうしただろうから。

 全て、私の勝手な想像だった……? ユウナは初めから私を祝福してくれていて……。


「自分の中で私を矮小化して、貶めていたのね。それなのに被害者ぶって、私を責めていた。気づいていないなら教えてあげる。あなた最低よ、ステラ」


「だって……」

 わなわなと震える。私はそんな卑怯な人間だったの?


 自分でも気づかなかった。いや……気づかないふりをしていた本当の私が露わにされる。どうしようもなく恥ずかしかった。顔に熱が集まるのが自分で分かる。ユウナの顔をまともに見られない。

 やっぱり私は聖女になんてふさわしくない。腹黒くて、意地悪で、醜い……。この朱華色の衣を身にまとう資格なんてありはしないんだ。


「それで、鐘楼に来てどうするつもりだったの? 鐘を鳴らしたいみたいだったけど……。いくらあなたでも、何か考えがあってのことでしょう?」

 天井を見上げながら、ユウナは言った。


「停魔するから……。みんなを……少しでも元気にしたかったの……」

 私は指をいじり、ブツブツと呟く。「でも……もうやめる……。ユウナの言う通り、子供みたいだもの……」


「しゃきっとしなさい!」

 私の背中を、ユウナはバシンと叩いた。


「痛っ! な、なにするのよ……!」


「みんなに鐘の音を聞かせるんでしょ? いじいじしてる場合?」


「すぐ叩く……暴力魔……」


「何か言ってる?」


「言ってないし……」


「やるのやらないの? どっち? はっきりしなさい!」


「うるさいなぁ、もう!」

 私は声を張り上げた。「やる! やります! これでいいんでしょ!」


「当然」

 ユウナはニッと笑い、コクリと肯く。


「でもさ、魔法陣もないのにどうするの?」


「鳴らすだけなら、魔法陣がなくてもできるのよ」

 そう言うと、ユウナは私の手を掴み、鐘楼の外へと連れ出した。


 塔の足場は、まだ上へと続いていた。なるほど、ここから上の鐘たちへと上れるのだ。ただ、鐘楼までの足場よりも小さく、壁側に手摺もなかった。剥き出しだ。ユウナは駆け足で上って行くと、途中で立ち止まり、躊躇する私を振り返った。


「さあ、ステラ。あなたも早く」


「分かってるけど……分かってるけどぉ……!」


 怖すぎる。小さな足場からは下が丸見えだ。足を踏み外してしまったら……ヒューってんでバシーン。終わりだ。痛いだろうなあ。


「ほら、私の手を取って!」

 そう言って、ユウナは手を伸ばした。私が震えながら手を差し出すと、ユウナはしっかりと掴んだ。


「下を見ちゃダメ! 私だけを見てなさい」


「下見ないと踏み外しちゃうよぉ……」


「感覚でだいたい分かるでしょ」


「分かんないよぉ……!」


 ユウナの手だけを支えに、一歩一歩と足場を進み、何とか登り切ることができた。私たちは天井を歩き、鐘へと近づく。ユウナの言っていた通り、鐘は人力でも鳴らせるようになっていた。鐘の内部にある重りにロープが括り付けられている。一番大きな鐘だった。ユウナはロープを解き、垂らした。


「覚悟はいい? 怖がりさん」

 ロープを握り、ユウナは私を見た。


「ユ、ユウナこそ!」


「大きな音を鳴らすのよ、みんなに聞こえるように!」


「う、うん……!」


 私たちは同時に足場から飛び降りた。


 鐘が鳴った。

 聖界から降り注ぐような極上の奏で。きっと、遠くの山の向こうまでも聞こえるはずだ。

 私たちはロープを伝い、床に降り立った。そのまま、鐘楼の外に出る。人々は身動きも忘れ、こちらを見上げていた。本当に鎮静作用があるのなら、暴徒たちも大人しくなってくれるはずだ。私は期待を込めて外画の方に目を送り、手を合わせる。深く目をつむった。


 お願いします、聖人様。みんなをお救いください。誰の命を失うことなく、明日へと繋げてください。お願いします、お願いします、お願いします。みんなの怒りを鎮めてください。恐怖を鎮めてください。命をお守りください。私たちの罪は、全て私が償います。私の全てを捧げます。だからお願いします。みんなをお救いください!


 肩を叩かれる。ユウナが眼下を指していた。

 不思議な光景が広がっていた。祈っている人々の姿が見えた。聖域の中だけではない。都市中の人々が私と共に祈ってくれていた。思わず目頭が熱くなった。


 みんなが私を見ていた。

 この瞬間初めて、私は自分が聖女になったのだと実感した。そしてその役割も。私の命はみんなのためにある。みんなのために命を燃やしてこその聖女だ。


 鳴り続ける鐘の音が私を浄化してくれたのかもしれない。心の淀みが無くなったような気がする。今なら素直になれるかも……。


「ユウナ、あのね――」


「何? 聞こえないわ」と、ユウナは耳を押さえ、頭上の鐘を指した。


「私、その……ユウナに酷いこと言って――」


「聞こえないってば」


「ごめんなさい、本当に大好きなの……」


「知ってるよ」


「聞こえてるじゃん!」


 肩を叩くと、ユウナは笑った。そして、彼女は私を抱きしめた。


「ユウナ?」


「本当はね、ステラの言う通りなのかもしれない」

 私の耳元で、囁くようにユウナは言った。「ステラが聖女に選ばれて、どうして私じゃないんだって思った。悔しかったよ」


「本当?」


「ちょっとだけね」、彼女は指で作った小さな隙間を見せ、いたずらっぽく笑う。

「でも、今のあなたを見て分かった。聖女はみんなを惹きつける力のある人じゃないといけないの。だから、私じゃダメだったんだ」


「そんな……。だったらそれこそユウナの方が……」


「私はこんなこと思いつきもしなかったし」

 ユウナは鐘を見上げる。


「でも……私一人じゃ鳴らせなかったよ。鐘のところまでも怖くて行けなかっただろうし……。ユウナがいてくれたから……」


「そうだね。二人だから鳴らせた」

 ユウナは私の手を握る。「聞いて、ステラ。私、聖女の補佐に選ばれたの」


「え?」


「私だって、ここで遊んでたわけじゃないんだから。この数日で頑張ったんだからね」


 ユウナはふふんと胸を張った。


「聖女の補佐って……何するの?」


「一番近くで聖女様をお支えするの」


「ダメよ!」

 鐘の音を掻き消すような大声で、私は叫んだ。「だって、もう二度と……お日様の下には出て来れないかもしれないのに! みんなに会えなくなるんだよ! ダメだよ、そんなの!」


「だからじゃない」

 ユウナは微笑む。「一人じゃいやでしょ? 寂しんぼのくせに」


 私は口をパクパクとする。私の全てを理解しているようなその笑みの前では、続く言葉が出て来なかった。

 やっぱり、この人には敵わない。


「ありがとう……ユウナ……」


 こぼれる涙を、ユウナは拭ってくれた。


 やがて、鐘の音が聞こえなくなった。見上げると、鐘の揺れは小さくなっている。ついには動きを止めてしまった。私たちは名残を惜しむように、しばらく鐘から目を離せなかった。

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