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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第四章 モモの審問
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誰がために鐘は鳴る

 

 コーデリア様の手を掴んだ。


「ぐっ……?」

 彼女は驚愕に目を見開いた。


「アテナは言った……。僕には心があると……」


「貴様、同一化を……!?」


 コーデリア様の掌の温度が高まる。内部から僕を焼き尽くそうというのだろう。僕は力づくで彼女の手を顔から剥ぎ取った。


「僕は望んでいなかった……望んでいなかったのに!」


 僕とアテナは一つになった。 

 彼女はもういない。同一化は僕をベースに行われた。彼女は僕の一部となってしまった。誰がそんなことを望むというんだ……!


「このガキが!!」


 コーデリア様は腕を振り被り、拳を繰り出した。同時に、僕も拳を突き出す。互いの拳がぶつかり、ガツンと鈍い音が鳴った。衝撃で、僕たちはそれぞれ後方へと飛ばされる。


「僕にはもう何もない……! 何も残っていない……! ただ、あなたを止めるだけだ……!!」


 強く地を蹴り、コーデリア様に飛び掛かった。コーデリア様は迎え撃つ。激しい攻防が続いた。

 同一化の影響は確かにあった。あんなにも強大に感じたコーデリア様の力に、真正面から対抗できる。僕たちの力は今や互角となっていた。


 アテナは僕に記憶さえも寄越さなかった。僕の中の欠けた部分を補充する、そのためだけの同一化だ。おかげで、僕は力を得た。でも、それは間違ったことだった。だって、アテナは死んでしまったも同じじゃないか!


 僕は拳を握り締める。血が出るほどに強く、硬く。その拳で、コーデリア様の横顔を殴りつけた。コーデリア様は激しく床に倒れ、強かに後頭部を打った。


 感傷的になってはダメだ。アテナの死で得た力。この力でコーデリア様を止める。それがあの子の望みだ。託された任務を全うしろ、モモ。涙を流すのはその後でいい。


 コーデリア様は立ち上がろうとした。すかさず蹴りを加え、再び転倒させる。この人にはこのまま眠っていてもらう。拳を握り、顔面に振り下ろした。しかし空振り。コーデリア様は僕の拳を避けると、ゴロゴロと床を転がって逃れる。普段の彼女からは考えられない、あまりにもみっともない姿だった。


 彼女はすがるように虚空へと手を伸ばした。


「力が……足りない……! もっと、力を……怒りを……!!」


 コーデリア様の体がにわかに発光をした。赤い明滅が起きる。熱い。傍にいるだけで体が焼けそうだ。とてもではないが近づけない。自分でも制御ができないのか、コーデリア様は苦悶に顔を歪めていた。


「ここまでです、コーデリア様! これ以上はあなたの体が耐えられない! もうやめてください!」


「それはお前が死んでからだッ!」


 コーデリア様は立ち上がると、僕に向かって来た。

 熱の上昇と共に、彼女の力は向上しているようだった。速い。それに、強い。拳を受けてしまうとその部位が焼かれてしまうため、避けるしかない。しかしどんどん上がる彼女の力を相手に、それも難しくなる。不意をついて飛んで来た蹴りを何とか避けるが、体勢を崩されてしまった。明らかな隙を見逃すコーデリア様ではなかった。彼女は強く踏み込むと、加速をつけた拳を繰り出した。


 鈍い音が鳴る。衝撃を受け、吹き飛んだのは僕――ではなかった。コーデリア様は柱の一つに背中からぶつかった。彼女の拳に合わせた僕の拳。高熱を発する相手に手数をかけるわけにはいかない。最初からこの一撃を狙っていた。

 右腕が死んだ。しばらくは使い物にならないだろう。これで彼女が活動をやめてくれれば……腕の一本くらいは安いものだ。

 だが、コーデリア様は立ち上がった。憤怒に顔を歪ませる。彼女の温度がさらに上がった。肌がボロボロと崩れていく。その体温はもはや尋常じゃないほどに高まり、周囲が歪んで見えるほどだった。限界を超えて来たのだ。


 コーデリア様の急接近に、僕は対応できなかった。頭を殴られる。痛みと熱さが一度に襲ってきて、僕の感覚は壊れた。視界の中でガラスが割れたような、そんな錯覚さえあった。彼女は止まらなかった。激しい殴打が僕を襲う。そして、腹に拳がめり込んだ。


「ああああああああっ!!!」


 文字通り体の内から焼かれる感覚に、僕は正常を保つことができなかった。狂ったように叫ぶ。口から血が噴き出る。もはや戦うどころではない。ガクリと膝をついた。

 コーデリア様は今や人の顔をしていなかった。原形の無い顔で僕を睨みつけると、そのまま踵を返し、台座へと向かう。だが、足に力が入らないのか、よろよろと覚束ない足取りだった。彼女ももはや動くことすらままならないらしい。


 僕は赤色刀を取り出す。赤く発光した刃を、腹の傷に押し付けた。肉が焼ける臭いが漂う。


「がぁああああ……!!!」


 熱い。痛い。死ぬ。

 僕は今までこんなことを人にやっていたんだな。まったく、お前は酷い奴だよモモ。お前は報いを受けているんだ。だから、さっさと腹の傷を塞いで、戦え。僕にできることなんてもうそれしかない。



 鐘楼の天井部、鐘の上の方が赤く発光した。それはどんどん広がっていき、鐘楼を支える各柱へと降りて来る。そして、床が光り始める。台座を中心にして、床に刻まれた文様が姿を現した。


 定刻だ。


「聖地は生まれ変わる……」


 コーデリア様は魔法陣に手を触れた。



「やめろぉおおおおッ!!」


 僕はコーデリア様の体に飛びついた。そのまま、強引に彼女を台座から引き剝がす。


「貴様……!」


 熱い。

 熱い熱い熱い熱い!


「放せ!」


 コーデリア様も、死力を振り絞って暴れる。でもダメだ。絶対に放すものか。

 あまりの熱さに、僕の意識は現実を離れた。遥か遠い過去に。

 あの時のようだ。あの時も、僕はあなたを抱き締めた。あなたが大聖堂から落ちないように。今だってそうです。僕はあなたを助けたい。だからこうして抱き締めるんです――。


 その時だった。


 鐘が鳴った。


 爆発にも似た巨大な響きが頭上で発生した。大気を震わすその音は、都市を越え、世界の隅々にまで響き渡るように思われた。絶世の歌声であり、最上の歓喜、勇猛な雄叫び――そこにはあまりにも多くの意味が込められていた。こんなにも美しいものだったのかと、今更ながらに気づいた。


「何故だ……?」

 コーデリア様は暴れることも忘れ、ぽつりと呟いた。「何故……一人でに鐘が鳴る?」


「終わったのです……」


 体から力が抜ける。僕はその場に崩れ落ちる。辛うじて、顔を上げてコーデリア様を見つめることだけはできた。


「長老様たちが解析を終えたのでしょう。鐘を鳴らしたのは彼らです。点鐘の魔法陣から余分なものを取り除き、正常なものへと変換した……。ヴェルメリオ派の計画は潰えました……」


「……あの籠手か」


「そうです……。あれは分割陣の役割を持つもの……だそうです。本来、この鐘楼は地上の管理塔と繋がっています。ですが、あの陣の効果により、主塔の大長老様へと接続しました」


「老いぼれどもめ……」

 コーデリア様は吐き捨てるようにそう言うと、ガクリと床に膝をついた。


「よもやお前ごときに止められようとは……」

 彼女の声には何の感慨も含まれてはいなかった。怒りも失望もない。ただあるがままの現実を受け入れている。「お前は審問官としての私の記憶を受け継いだ。当然、誰よりも理解しているつもりだったが……最後の最後で理解不能になるとはな」


「僕は今日、たくさんの経験をしました……。今日という一日が、僕とあなたを分けたのです」


「ジュノーの審問などさせなければよかったよ」



 鐘楼に、誰かが足を踏み入れた。

 従騎士の女だった。それと、ウィンストン。二人は冷ややかな瞳をコーデリア様に向けた。


「背信者コーデリア・サーベンス。あなたを討伐します」と、従騎士が言った。


「そうか」


 コーデリア様は無感情に呟く。鐘の音によって洗脳が解かれたのか。あるいは洗脳の上書きをしたのか。どちらにしろ、従騎士はコーデリア様の支配下から逃れたらしい。


「醜態だな、コーデリア」と、ウィンストンは言った。それから僕を見る。「私の娘をずいぶんと痛めつけたものだ」


「ふふ。最近誰かに同じようなことを言われたよ」と、コーデリア様は頭を振った。「どいつもこいつも……」


「……コーデリア様、最後に一つ……あなたにお尋ねしたいことがあります」

 声をかけても、コーデリア様は顔を上げなかった。


 ……どうしても分からない。

 彼女が異端に落ちた理由とか、聖女になりたがっていた理由とか、そんなことじゃない。

 戦いの中で僕は強く彼女を抱きしめた。遠い記憶の、あの時のように。でも……違った。僕は彼女に何も感じることができなかった。それは、何だろう……思い違いだとかそんなことではなく……何か、もっと根源的なものな気がする……。


 コーデリア・サーベンス……。

 この人は……。


 この人は……誰だ?



 今日という一日の中で得たいくつかの情報が合わさって、僕の中で一つの答えとなっていた。それは自分でも馬鹿げた考えだとは思ったが、口に出さずにはいられなかった。



「あなたは……アザレアですか?」



 コーデリア様は顔を上げる。そして、歪な笑みを浮かべた。「さあな……」


「連れて行け」


 ウィンストンの言葉を受け、従騎士はコーデリア様を担ぎ上げた。それから鐘楼の端まで行くと、飛び降りた。


 後には僕とウィンストンが残る。


「……手を貸してやろう」


 僕の傍に来ると、ウィンストンは言った。

 実際、僕は酷い有様だった。皮膚は焼けただれ、腹には半端な処置をしたままの深い傷が残っている。体にはまるで力が入らず、指一本も動かせない。自分の体じゃないみたいだ。庇護魔法による回復が無ければ、僕はもう二度と満足に動くこともできないだろうな。でも、どこかでそれを望んでいる自分がいる。それほどに僕は自分を罪深い人間だと信じているし、いつだって罰を求めている。生涯それは変わらないだろう。


「いらない」と、僕は言った。


「そうか」

 だが、ウィンストンは僕の胸部に腕を回すと、無理矢理に抱え上げた。


「おい、離せ――」


 そのまま、縁まで運ばれる。


「見ろ」


 右に大聖堂が見えた。左には都市が広がっている。「お前が護った聖地の姿だ」


 大聖堂では相変わらず信徒たちが集まり、儀式が続けられていた。彼らはもちろん自分たちの中に異端が眠っていることなど知りもしないだろう。今すぐに消去することはできないが、これからの日々の中で鐘の音を聞くたびに浄化されていくはずだ。まあ、洗脳とも言うのだが。


 都市での戦いは終わっていた。要塞化は既に解除され、残っているのはただの争いの痕跡だけ。ワーミーたちがどうなったのかは知る由もない……が。何が起きたとしても、それらにはもっともらしい理由がつけられ、市民たちは納得することになる。明日の日常には何の支障もきたさない。


 ウィンストンは僕を床に下ろした。


「任務は達成した。よくやったな。長老様もお前の望みを叶えてくださるだろう」


「……でも、本当に大事な物を失ってしまった」


 ウィンストンは何も答えなかった。



 都市の明かりがぽつぽつと戻るのを見るたび、僕は堪らない気持ちになった。抑えきれない感情が胸の内から溢れ、口から飛び出してしまう。


「僕たちは同一化した。アテナはいなくなってしまったよ」


「そうか」


「ただの同一化じゃない。僕に力を与えるだけの同一化だ。僕はあいつの記憶さえ継承されていない……。あいつは死んでしまった……」


「そうか」


「お前はあの子に愛情を感じたことがないと言ったな」


「ああ」


「彼女がいなくなった今でも、変わらないのか」


「ああ、そうだな」

 冷めた口調でウィンストンは言った。だが、その言葉の端にまだ何かを含んでいそうだったので、僕は黙って続きを待った。しばらくして、ウィンストンは語り始める。自分の気持ちを確かめているかのようにゆっくりと。


「……大長老様から最初にもらったのはヘクトルだった。子供だった彼にどう接すればいいのか、私は分からなかった。だから、下の者に育てさせた。結果、ヘクトルは自己肯定感の薄い、私の評価を気にする凡夫に育った。次にもらったのがレスミスだ。大長老様は、レスミスを私自身の手で育てるように言った。私はあの子を育てた。聖地の構造を教え込み、上に立つ者のふるまいを説いた。結果、レスミスは傲慢で膨らんだ身に虚飾をまとった愚か者に育ってしまった。三人目の子供をもらった時、聖女の心だと教えられた。大切に育てるように、と。上二人は練習台だったのだ」


 練習台、か。

 人を何だと思っているんだ。 


「私なりにアテナを大切に育てて来たつもりだ。上の兄たちのようにするわけにはいかない。アテナには近すぎず遠すぎず、適当な距離感で接した。聖人様の良き信徒として曲がったところのない誠実な人間になるように。悪を憎み、善を貴ぶそんな子に。悪い虫がつけば排除した。あの子が私をどう思おうが、そんなことはどうでもよかった。私にとって重要なのは、あの子が無事に成長し、聖女に還ることだけだったからだ。結果として――」


「彼女は死んでしまった」、ウィンストンの言葉を遮るように僕は言った。もう何もこいつの口から聞きたくなかったからだ。


「あの子を誇りに思う」

 僕の言葉を上から押さえつけるように、ウィンストンは言った。


「何?」


「この聖地を護るためにあの子は自分を犠牲にした。お前の命を繋げてくれた。ただの少女ができる選択ではない。私の育成が正解だったのかは分からない。あの子にとって、私は呪縛でしかなかったのかもしれない。だが、結果としてアテナは私の期待以上の子に育ってくれた。心から嬉しいと思っている」


「聖女の心が失われたのにか……?」


「何も失われていない。お前もまた聖女の心だからだ」

 当然のことのようにウィンストンは言った。


「僕が……?」


「審問官となり、聖女の心は二つに分かれていた。なぜ長老がお前を審問官にすることを許可したのかは分からない。彼らには彼らの考えがあるのだろう。お前たちが同一化したことにより、欠けた聖女の心は再び一つに戻った。愚かなコーデリアはお前を聖女の心とも分からず葬り去ろうとした。別の者を心と認識させられていたのだろう。所詮、ヴェルメリオ派などその程度のものだ。最初から奴らは蚊帳の外だったのだ」


 僕は自分の胸に手を当てる。

 僕が聖女の心……。


「明日の儀式で、お前は聖女に還る。その後のことは分からない。お前は抜け殻になってしまうのかもしれないし、聖女の心は切り離され、お前の記憶を受け継がせた別の心が肉体に戻されるのかもしれない。いずれにしろ、お前はもう自由だ。同一化した以上、お前はもう審問官ではない。そして儀式が成就した以上、私の娘である必要もない。好きに生きればいい」


「……そうだな」


「庇護魔法による治癒が始まる。それが終わるまでここで休んでいろ。後でまた迎えに来てやる」


 そう言うと、ウィンストンは足場の方へと歩いて行く。しかし、何かを思い出したかのように立ち止まった。


「……人はいなくなったりしない」


 ぽつりと彼女は呟いた。僕に言っているというよりは、自分に言い聞かせているみたいだった。


「何?」


「心とは人の願いを叶えてくれる……。自分の中に、無限の可能性を与えてくれるものだ。心を持たない審問官など、何とつまらないものなのだと今では思うよ」

 そして、ウィンストンは振り向いた。「求めるものは、誰の心の中にもいるものだ」


「お前の中にも?」


「……そうなのだろう」

 ウィンストンは伏し目にそう言うと、後はもう全てを忘れてしまったかのように足場を下って行った。


 一人になった。


 胸に置いた手に、もう一つの手も重ねる。


 心とは何と重いものなのだろう。

 きっと、聖女のものだからじゃない。

 生きてるからこそ、重いんだ。

 もうこれ以上は支えていられない。


「くぅ……うう……」


 堰を切ったように涙が溢れ出した。

 限界だった。


 コーデリア様は僕の求める人じゃなかった。僕が誰を求めているのか、もう分からない。彼方の記憶も、僕のものなのか、アテナのものなのか、コーデリア様のものなのか、それ以前のモモのものなのかも、もう分からない。

 僕は本当に空っぽだ。自分が自分であることなんて、どうでもいいと思っていたのに。でも、心を得た今では、それが何よりも重要なことだったんだと理解できる。

 

 僕は深く目をつむる。



 僕の中にいるんだな、アテナ。

 いないはずがない。

 だって、僕がこんなに求めているんだから。


 だったら僕は君を見つけるよ。

 いつになるかは分からない。

 だけど、君ともう一度会って話せるように。

 僕は必ず君を見つけ出す。


 その時に胸を張っていたいから――。


 僕は戦うよ。

 誰かのために。

 助けを求める人々のために。


 たとえどんなに傷つき血を流そうとも。

 この身をかけて一生戦い続けることを誓うよ。

 贖罪のためだけじゃない。

 誰かの命令でもない。

 僕自身がそれを望んでいるからだ。

 だから精一杯に頑張ってみるよ。


 僕はもう人形じゃないんだから。


第四章 モモの審問 完


最終章に続きます

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