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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第四章 モモの審問
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終わる世界

 

「どうやってここに……」

 僕は絶句してしまう。


「全員が誰かに夢中になっていた。忍び込むことはわけもない」


「聖儀式の途中でしょう」


「王女がいなくなっても進行するのだ。私一人いなくともどうとでもなる」と、コーデリア様は自嘲気味に言った。


「あなたがここにいるということは――」


 下の方で爆発が起きた。あの従騎士の女も来ているのだ。


「協力者は他に何人いる? 全員連れてくるといい。どれだけいようともジョアンナには勝てない」

 コーデリア様は影の中から出ると、ポキポキと指を鳴らした。「そして、お前ごときでは私には勝てない。終わりだな」


「目を覚ましてください、コーデリア様! あなたは異端に与するような人ではないはずだ!」


 思わず、僕は叫んだ。


「聖地の影が朱に染まる」

 と、彼女は再び繰り返した。「分かるか? 闇に葬られていたヴェルメリオ派が、聖地の本流となるのだ」


「ヴェルメリオ派なんて、長老様たちが意図的に作ったものに過ぎません! 彼らの実験なんです! 信奉に値するものではないはずだ!」


「そうか、あの老いぼれどもに会ったのだな」


 コーデリア様は口の端を歪めた。笑っているのだ。


「生まれた経緯などどうでもいい。ヴェルメリオ派はもはやあの老いぼれどもにも制御できないほどに拡大している。全て私の力だ。私が奴らを屈服させるのだ」


 コーデリア様はバッと腕を広げた。


「この聖地を手に入れるのはあんな小娘ではない。この私だ」


「それがあなたの目的だと……? あなたは聖女になるつもりなのですか?」


 コーデリア様は何も言わず、僕へと近づいてくる。


「あなたは妄執に憑りつかれている! それはあなたの本意ではない! 昔のあなたに戻ってください!!」


「お前が私の何を知っている?」


「あなたは僕を光に導いてくださった! 僕のために涙を流してくださった! 僕を愛してくださった!」


 声の限り、僕は叫んだ。胸の内から何かが込み上げてくる。何が? 知るものか!


「あなたは聖女にふさわしい方でした! 誰よりも慈愛に満ち、誰よりも優しく、誰をも愛し、誰からも愛された! 聖女ミラとはあなたのような人だったのでしょう! でも、あなたは変わってしまった! 悪党どもの甘言に唆され、愚かにも堕落してしまった! 今のあなたは聖女なんかじゃない! もはや赤の巫女でさえない!!」


 目から、涙が溢れた。仮面を被っていてよかった。僕は今、酷い顔をしているだろうから。


「いい加減に目を覚ませ、コーデリア・サーベンス!!!」



 強い衝撃に襲われる。顔を殴られたんだ。一撃で、仮面は粉々に砕けてしまった。立っていられず、その場に膝をついてしまう。


 コーデリア様は凄い顔をしていた。眉間に生じた渓谷のように深いしわから、三本の血管が放射状に伸びる。そして、彼女の肌は赤黒く変色していた。何だ、あの姿は……。コーデリア様は僕を蹴飛ばした。咄嗟に腕で防ぐが、しかし衝撃を受けきれなかった。そのまま吹き飛ばされ、背中から柱にぶつかった。


 強い。ただの人間の力じゃない。


「戯言は済んだか。マリオネットのくせによく喋る奴だ」


 コーデリア様は僕の左腕を掴むと、籠手を調べる。


「この陣は何だ? 老いぼれどもに何をもらった」


 そう言うと、籠手を無理やりに剥ぎ取った。そして、鐘楼の外へと放り投げる。


「コーデリア様……」


 顔を掴まれた。

 熱い。彼女の手は高温を持っていた。赤色魔法だろうか? 


「教えてやる。かつて私は審問官だった」


「あなたも……」


 やはり……。怪物の正体が彼女である以上、そうではないかとは思っていた。市民洗浄もその時に得た力なのだ。


「モモ……それが審問官としての私の名だった」


「え……」


 コーデリア様が先代のモモ……?


「分かるか? 私の名と、そして記憶を受け継いだのがお前だ」


「あなたの――記憶……」


「審問官とはそうやって生み出される。まだ赤子の内から他者の記憶を与えられ、生じた意識のズレが成長と共に膨らみ、やがて人格として分離していく。お前は私の記憶を受け継いだ」


「あなたが記憶を失っているのなら……どうしてまだ審問官の力を持っているのですか……?」


「審問官の力、か。こんなものは付属品に過ぎない。私はあらゆる力を得た。明日の日のために、ヴェルメリオ派が造り出した怪物が私だ。いかなる障壁をも越え、宿願を果たすためだけの存在……」


 掌の温度が上がった。顔を焼く熱さじゃない。そんなものは我慢ができる。それは身を内から焼く熱さだった。


「お前は私だ。当然、壊す方法は知っている」


 発する熱とは反対の、酷く冷たい声がした。その時には、僕はもう何も見えてはいなかった。


 世界が黒く染まっていく。

 僕の中の湖も。

 水が瞬く間に闇に染まる。

 そして僕の体までもが。


「うあああ……」


 焼けるように体が熱い。足先から伸びて来た闇は、へそ、胸を越え、今や喉まで迫って来ていた。飲み込まれてしまう。そうなると、自分が自分ではなくなってしまうことは分かっていた。


『しっかりして、モモ!』


 背後から強い力で抱き着かれた。アテナだ。そうだ、僕はもう一人じゃない――。彼女の触れた範囲から闇が消えていく。それは湖にも及んだ。僕と彼女を中心にして、世界に色が戻っていく。


『アテナ――』


『私が守ってあげるから。だから、負けないで……』



「そうだ、お前だよ。アテナ・ウィンストン……」


 声がした。

 それは湖底から聞こえてくるかのような、恐ろしい声だった。


「審問官モモ……。お前は背信者を許せない。そういう風にできている。いかなる者をも排斥する。かつての私がそうだったように」



 悪寒が僕を襲った。ふいの突風に体が冷やされるみたいに。

 何かが心の中に入った。よくないものが……唾棄すべき何かが、僕の中に――。


『――ナが好き、心の底から大好きなの』


 誰かが誰かに言った。頭の中で、知らない記憶が浮かび上がった。


『俺がお前を守るから。ずっとずっと、守るから。俺と一緒に生きてよ、アテナ』


 この女は……シュナ。

 溶かした鉄を流し込んだような、熱い感情が胸に溢れた。

 これは、まさか。

 まさか。

 知らない。

 僕はこんなの知らない。

 嘘だ……。

 こんなの、嘘だ……。


『お前は――同性愛者なのか?』


 ぽつりと僕は言った。そうではないと、アテナが否定してくれることを望んで。

 彼女は虚を突かれたような顔をした。みるみる顔が青くなる。それから、消えそうな声で呟いた。『そうよ』


 ブチンと、何かが切れる音がした。

 それは理性。

 あるいは僕らの心を結ぶ糸。


『ふざけるな……』


 僕は彼女を突き飛ばした。


『あっ』、彼女は倒れ込む。


『こんなことがあるか……。同性愛者? 表の僕が同性愛者だっただと? では、この体で女と邪な真似をしたんだな。お前は僕の体を汚した……。僕の体に罪を与えた……!』


『落ち着いて、モモ……』


『お前も背信者だよ……。穢れを知らないような顔をして腹の底まで頽廃に浸っていたわけだ。聖地の恥と呼ぶのももったいない。自然に反す異常者が……! 僕を裏切ったな……!』


 彼女の首を絞める。


『モモ、やめ――』


 力を込める。殺してやる。僕の憎悪が世界を包み込む。


 途端、湖面が盛り上がり、水柱が空に上がった。水柱は次々に噴出し、上空にはいくつもの穴が開く。さながら、世界の終わりを思わせる光景だった。


 狂的な殺意が止められない。彼女の首にかけた力を強めていく。

 これが正しいことなんて、もう分からない。何が正しいことかも、もう分からない。ただ、背信者は殺す。絶対に殺す。それが僕の正義だ。


 ジュノーの顔をズタズタにした時もそうだった。ジュリアを殺そうとした時もそうだった。僕はもう止められない。止めてくれるはずの人は、まもなく僕の掌の中で死ぬ。


 自分が何か別の物に変わろうとしているのが分かった。それは人間じゃない。もっと卑しく惨めで悲しい何かだ。二度と誰かと触れ合うことはできないし、言葉を交わすこともできないだろう。誰かを傷つけることしかできない怪物。最初からずっとそうだったんだ。



 アテナはそっと僕の頬に手を当てた。


『……!』


 彼女はやっぱり慈愛の目をしていた。今まさに自分を殺そうとしている僕に対して、赦しを与えてくれようとしているのだ。どうして――? などと自問する必要はなかった。彼女の目が全てを物語っている。僕とは正反対の、人の全ての優しさの象徴のようなその眼差しが教えてくれた。彼女は僕を愛しているんだ。心の底から、僕を愛してくれているんだ。


 殺しちゃダメだ。

 この子を殺してはダメだ。


 僕は何を学んだ? 罪を犯した人だとしても、傷つけ壊し殺してしまっていいわけがない。赦すことこそが大切なんだ。僕はもうそれを知っているはずなのに……!!


 しかし。

 彼女の首から手を離そうとしたその瞬間。湖面から噴出した闇が僕の体を支配する。さらに強い力で彼女の首を絞めようとする。


『ぅあああっ……!!』


 渾身の力を込めて、彼女から手を離そうとする。だが――。ダメだ、ビクともしない。殺してしまう。


『あああああッ!! いやだぁああああああああああ!!!』、僕は叫んだ。腹の中の全てを吐き出すような大声で。

 


 僕は審問官だ!

 だけど、ここで彼女を殺すのが審問官だというのなら――。



『僕はもう背信者でも構わない!!!』



 指が、首から離れた。腕の血管が破裂するんじゃないかと思うほどに力を込めて、腕を引いた。その途端、体にまとわりついた闇が弾け飛んだ。


『っかは! はぁ、はぁ……!!』


 アテナは荒い息を繰り返した。それから、震えながら半身を起こした。


『モモ……』


『僕はお前を……殺さない……。たとえお前が背信者でも……同性愛者でも……絶対に殺さない……』


 空が割れる。その穴から大量の手が伸びてくる。闇に染まったその手は世界を埋め尽くしていく。どんどん闇が近づいてくる。世界の崩壊が止まらない。


『でも、僕の世界はそれを許さない……。どちらかが……犠牲にならないとこの体を維持できない……。こういう世界にしたのは僕だ……』


 僕は彼女の頬に自分の頬をつける。腕が上がらないから、抱きしめてあげることもできない。


『僕の力の全てを……お前に与える。僕の醜い世界の全てを……。どうか赦してほしい、こうするしかないんだ……。僕の代わりに、聖地を救ってくれ……』


 同一化の時が来た。

 僕の記憶が彼女に渡ってしまうのは残念だ。でも、その記憶があれば彼女は戦う力を保持できるはずだ。このまま世界が崩壊してしまえば、僕もアテナもどちらも消滅してしまうだろう。僕の命を使って、世界の崩壊を食い止める。これは世界を維持するための同一化だ。


 アテナは息を整えながら、崩壊を始めた世界を眺めていた。それからゆっくりと僕へと顔を向ける。


『……最期だから本当のことを言うね』

 そう言うと、アテナは僕の肩を掴み、ぐっと遠ざけた。『私はあなたのことが嫌いだった』


 僕を見据える彼女の目には、冷ややかな物があった。人によっては、それは侮蔑と呼ぶ類のものかもしれない。


「アテナ……?」


『前に言ったよね。私は自分が審問官だということに気づいた時、とても悲しかった。罪のないたくさんの人たちが私のこの手でぶたれ、この口から発した言葉で傷つき、心を壊されて島送りにされた。そう考えただけで夜も眠れなくなった。自分がとても汚れたものにさえ感じた。罪を償うために死のうとさえした』


『そう……だったのか……』


『でも……私は死ねなかった。救ってもらえたの。生きていたいって心から思った。だけど、そのためにはあなたに消えてもらわなくちゃいけなかった。あなたを追い出して、この体を私だけのものにする……。それが私の目的だったの』


『よかったな……。目的を果たせるぞ』


『でも……できない……』、アテナは固く目をつむり、頭を振った。『私はあなたの目を通して見てきた。あなたは審問で多くの人たちを傷つけた。でも、あなたはそれを正しいことだと信じていた。あなたも被害者の一人なんだって思ったの』


『違う……自己審問を聞いたろ? 僕は暴力に依存していただけだ……。自分のために信徒たちを傷つけていただけなんだ……』


『そんなことない。だってあなたは……傷つき血を流しながらも、誰かのために戦える人でしょう?』


『そんなの……みんなそうだ。特別なことじゃない……』


『特別なことなんだよ。普通の人は……みんなのためになんて戦えないよ。自分の大切な人たちだけ……。その大切な人に対してでさえ……時に憎しみを抱いてしまう。でもあなたは……信徒でも虐げられる孤児でも平等に助けようとする……』


『違う、そんな立派なものじゃない。僕は審問官だから……それが与えられた仕事だったからそうしただけだ。何の罪もない者を背信者と認めさせ、度を越した暴力を加えた。僕はただのクズなんだ……』


『でも、あなたは私を殺さなかった。あなたはもう昨日までのモモとは違う。新しいモモなんだよ』

 アテナは僕の頬に手を当てる。『あなたはもう大聖堂の人形じゃない』


『やめろ……』


『気づいたんだ。私よりもあなたの方がずっとこの聖地に……ううん、世界に必要な人だって』


『違う……そんなことない……』


『モモ、審問官が心を持っていないなんて大聖堂の嘘なのよ。だってあなたはこんなにも優しいもの。あなたは心を持っているのよ。生まれた時からずっと……』


 そして、アテナは本当に強く僕を抱き締めた。文字通り、僕と強く合体しようとするみたいに。


『あなたを愛してる……』


 アテナは眩い光となって、僕の全身を包み込んだ。それは本当に温かくて……この世の全ての愛とか優しさとかそういった正の感情が集まってできているんじゃないかと思ったくらいだ。あの人が導いてくれた、いつかのあの光のようで――。なんて気持ちがいい……。誰もが万雷の拍手で僕を祝福してくれていた。僕は望まれて生まれてきたんだと、心の底からそう思えた。


『シュナに……伝えて。ありがとうって。ごめんなさいって』


 それが、彼女の最後の言葉だった。



 全てが終わった時、世界は静まり返っていた。湖は相変わらずどこまでも青く、広く、美しかった。そして、僕はどこまでも一人だった。


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