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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第四章 モモの審問
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審問官VS審問官

 

 知の儀も終わりに差し掛かっていた。


 聖堂は信徒たちで満たされていた。薄暗い聖堂は、彼らが首から下げた小聖匣マキルナに入れた灯石により、幻想的な光に包まれていた。石は様々な色の光を発し、さらに宗教魔術師たちの演出により、この世のものではないような美しい光景が広がっていた。この圧倒的な宗教美術の中にいては、肉体のみならず心の内までも聖なるもので満たされ、聖人様に対する崇拝を止めることができないだろう。たとえ背信者であったとしても。


 中心の高い台座の上に王女はいた。朱華色の聖衣を身にまとい、周囲に灯る淡い光の中で祈りを捧げている。あれが聖女ミラの器、か。


 聖週間四日目の徹夜祭は三つの部に分けられ、今は第一部の「知の儀」が催されている。深夜の鐘の音と共に催される第二部は「力の儀」、そして明け方から始まる「律の儀」を経て、聖誕祭へと移行する。この徹夜祭は、明日を迎えるにあたり、聖人様と信徒を繋げるための大切な儀式だ。洗身式、花冠の儀、清心式と続いた聖週間の集大成でもある。その中心として、信徒も入れない秘儀を含めた全ての儀式に参加したルチル王女は、さぞ聖らかなる御身体になっていることだろう。


 ルチル王女は薄桃色の髪をした少女で、歳も僕とはあまり変わらないくらいだった。だが、ただの少女というにはあまりにも美しすぎる。その美貌は大人をも魅了し、彼女に年齢以上の力を与えていた。平穏に暮らすには、存在感があり過ぎる。きっとこれから先、苦労することもあるのだろう。しかし王女という立場にあっては、その美貌は有用なのかもしれない。

 あの方が聖女になるのだとすると、これ以上に似合う人はいないと断言できる。誰もがすんなりと受け入れるだろう。それほどの美しさだった。


 台座の傍に、女性が立っている。コーデリア様だ。少し離れたところに、騎士と従騎士がいる。騎士は王女に、従騎士はコーデリア様についているらしい。やはり、あの二人は大聖堂を離れなかったか。騎士たちがいる以上、下手に動くことはできない。今、この大聖堂の中で最大の戦力があの二人であることは確かだ。だが、逆に言うと、儀式が終わるまではあの二人はこの場に固定される。それは僕としてはありがたいことだった。

 頃合いか。

 僕は天井付近の柱の陰から出ると、外へと向かった。


 遠くに都市が見えた。夜空が赤く染まっている。要塞化した都市の中で、激しい争いが繰り広げられていた。光の筋が降り注ぎ、家々が空に浮かび、巨大な何かが蠢いている。魔法が制限されているはずなのに、ワーミー二人はいまだに強大な魔法を使っていた。制限されてあれなのだとすると……この聖地に対抗できる者は存在しないだろう。ここで確実に潰すというウィンストンの判断は正しいのかもしれない。


 要塞化の範囲は拡大しているようだった。外画、そして中画の大部分が今や戦場と化していた。もう聖地は滅茶苦茶だ。明日の聖誕祭を迎える前に壊滅してしまうのではないかと思ってしまう。嵐は今や都市全体を飲み込もうとしていた。


 しかし、この聖域の中はまるで無風だ。何の音も聞こえなければ、脅威の欠片も見当たらない。恐らく信徒の誰も外の戦いのことなど気づいてすらいないだろう。その内に鐘の音による洗脳で人々は記憶を失い、あるいは改竄され、いつもと変わらぬ日常が繰り返される。今までだってずっとそうだったのだろう。全ては大聖堂の意のままに。

 だが、今度の鐘は全ての終焉を知らせる鐘だ。聖堂の中を埋め尽くす信徒たちが一斉にヴェルメリオ派へと姿を変え、そのまま地下へとなだれ込む。大聖堂は制圧され、聖地はヴェルメリオ派の物となってしまう。そんなことは許されない。



 鐘撞かねつきが鐘楼塔の中から出てきて、外壁の階段を上っていくのが見えた。階段は塔の周囲をぐるりと巡り、天頂部の鐘楼へと続いている。

 地下で審問官の装備は補充した。ここから鐘撞きを爆破魔法で狙撃することも可能だ。まあ、みすみす自分の居場所をばらすような真似はしないが。どうせ何らかの対策は取ってあるだろう。


 姿は見えないが、確かにいる。暗夜同化の魔法陣を使っているのだろう、聖地の影たちは完全に夜の闇の中に隠れている。もっとも、それは僕も同じだ。こちらからは向こうが見えないが、向こうからも僕の姿は見えない。

 暗夜同化も万全ではない。結局、影の中なら見えないというだけだ。月や灯石の光に晒されれば、その姿は引きずり出されることになる。幸い、月は厚い雲に覆われてはいるが、信徒たちが首から下げた小聖匣マキルナが辺りを照らし出しているから、これではとても暗夜とは言えない。下手に動けば、すぐに場所を特定されてしまう。


 しばらく影の中で佇んでいると、信徒たちの灯りが一斉に消えた。代わって、大聖堂の中で大きな光が灯った。これは、次の儀への移行を示すもの。中心たる王女の光以外の全ての光が消えてしまう。予定通りだ。僕は影の中を駆け、一息に塔へと向かう。 


 塔を駆け上がり、鐘撞きに迫る。狙いは彼ではない。彼が抱えている魔法陣だ。背後から追い抜く瞬間、素早く陣を奪い去った。

 よし――。

 途端に殺気を感じた。あまりにもはっきりとしていたから、僕の体は無意識に動いた。跳躍すると、直後に爆発が起きた。まだ奴らに僕の姿は見えていないはずだ。だとすれば、勘で狙ったものか。階段を駆け、少し上った先で止まる。暗夜同化は所持している物にも作用する。この魔法陣は奴らには見えていない。僕は陣を広げ、中を確認する。しかし、すぐにおかしなことに気づいた。これは点鐘の魔法陣ではない。ダミーだ。


 強い光に照らされる。

 ハッと顔を上げると、ロッソだった。灯石を掲げ、尖塔の一つに立って僕を見下ろしていた。


「やっぱり現れたな」

 ロッソはそう言うと、掌を僕に向けて照準を定める。「だが、どうしてまだ生きているんだ? 人格を消去されたと聞いているぞ」


「自分と向き合って帰って来たのさ」

 僕は小粋に返すと、掌の爆破魔法陣を彼に向け返した。


「点鐘の魔法陣を奪ってどうするつもりなの?」

 階段の下の方からメラハの声がした。「鐘を鳴らすのは鐘突きの仕事。あなたのではないわ」


 気配を感じ、振り返ると鐘撞きが立っていた。フードを深く被った男で、ふらふらと落ち着かない様子で揺動している。その姿を見て、違和感を覚えた。鐘撞きは老人のはずだ。だが、こいつは明らかにまだ若い。顔の覆いを取り去って、素顔を確認した。レスミス・ウィンストンだった。ウィンストン家の次男で、家柄を絶対的な己の実力だと信じている下らない男だ。アテナの兄であり、審問官カルミルの正体だ。


「そいつから情報は全て聞き出した。たったの二人で大聖堂と戦うつもりだったとはな。お前もヤキが回ったな」 


 ロッソはカルミルを直視していた。恐らく、彼には顔が見えなくされているのだろう。以前の僕のように。僕にはもうカルミルの素顔が見える。同一化こそしていないが、アテナと共生状態になったからだろう。彼女が僕の意識を補完してくれているのかもしれない。


「こいつをどうしたんだ?」


「再教育を施した。この大聖堂にお前の味方をする者はもういない」


「本物の鐘撞きはどこだ?」


「さあな。どこかの暗闇をぶらついてんじゃないのか」


「ちょっと」

 ロッソの軽口をメラハがたしなめる。ハッと、周囲を見回す。


「そうか。暗夜同化の魔法陣を持たせているんだな」


 闇の中を移動しているのなら、鐘付きを捕まえるのは難しい。やはり僕らが鐘撞きを狙うのは読まれていた。


「もうすぐ鐘が鳴る。お前に聖儀式を邪魔はさせるわけにはいかない」


「馬鹿め。邪魔をしているのはお前たちだ。僕はヴェルメリオ派たちの企みから聖地を救うために来た。これは長老様方から受けた任務だ」


「何を言っている?」と、ロッソ。


「ヴェルメリオ派が復活した。奴らは僕ら審問官を利用して自分たちの仲間を増やしていた。今、大聖堂の中にいるのは、自分たちでは気づいていない潜在的な異端信仰者たちだ。そいつらが今夜の鐘の音によって、一気に狂信者へと姿を変える。分かるだろう? 聖地を護るには鐘が鳴るのを止めるしかない」


「くだらん戯言はもういいか?」

 ロッソが言えば、

「自分で考えたの? 頑張ったわね」と、メラハが拍手をした。まったく、愉快な奴らだよ。


「お前たちに構っている時間はない。先に行かせてもらう」


 そう言うと、僕はカルミルの眼前でパンと大きく手を叩いた。


「ふざけてんのか。とりあえず、これ以上抵抗できねえように四肢の骨を折らせてもらう。それから――」


 それからどうするのか、僕が知ることはなかった。突如飛来した赤い閃光を避けるため、ロッソは口をつぐみ、その場から離れてしまった。爆破魔法だ。その発動者は僕の目の前にいた。


「外したか。不意をついたつもりなのにね」と、カルミルが言った。


「どうしてまだ意識があるの!?」

 暗闇の中から、メラハが驚愕の声を上げる。


「単純な話だね。事前に洗脳を受けていたのさ。君たちは洗脳された僕を拷問していたわけだ」


 別の尖塔へと飛び移ったロッソは、そのままこちらの方へと飛んで来た。赤色刀が赤く発光する。カルミルが僕を背後へと押しのけ、赤色刀で受けた。


「洗脳されていただと? 嘘をつけ! 目が死んでいたなら大聖堂が気づいたはずだ!」


「紫色魔法じゃない。これさ」

 と、カルミルはロッソの呼吸器を指す。


「煙を吸ったところで審問官を洗脳なんてできるはずがない!」


「その原液ならどうだろう」


「原液だと? まさか――」


「そう。グレンを壊したあれさ。異端たちは聖水と呼ぶ。大量に摂取しては審問官と言えども壊れてしまうが、少量ならば一時的な不能で済む。ちょうど、市民たちが煙を吸ったような感じだね。聖水を少量飲み、モモの洗脳を受けた。君たちには事前に作った嘘の情報を話し、彼の合図で元に戻るようにしたんだ」


「つまり、お前の話は全て嘘っぱちってことか。背信者はまだいるかもしれねえってことだな……!」


 カルミルは素早くロッソを蹴飛ばす。


「彼は僕が押さえる。君は先に行け」


「生意気言うじゃねえか、軟弱野郎が。俺に勝てるつもりか?」


「僕はもう以前の僕じゃない。心を持つという素晴らしさを君にも教えてあげるよ」


 カルミルとロッソは激しく赤色刀をぶつけ合った。火花が散る。それを合図に、僕は階段を駆け上がった。


 鐘の音まではまだ時間がある。たとえ鐘撞きが鐘楼に至ったとしても、鐘を鳴らすのはまだ先のはずだ。刻限を破り、事前に鳴らされてしまえば、聖儀式は成立しない。それは異端やつらの望むものではないはずだ。


 都市の方で大きな爆発が起きた。

 ルビウスたちの戦いも最終局面に入っている。奴らに対処するため、魔導士部隊は都市に出払っていた。そして騎士たちも大聖堂の中にいるのなら、僕を止めることができるのは審問官くらいだ。つまり、敵はあと一人。


 背後から、赤い閃光が襲ってくる。

 爆破魔法陣の掃射。これができるのは魔力調節に長けたメラハだけだ。いまだに姿を隠し、影の中から僕を狙っている。闇から引きずり出すことができれば、対処のしようもある。だが、月の光はまだ雲の中。信徒たちの灯石も消えたままだ。


 その時だった。

 突如、視界の端が明るくなった。炎が空を走り、僕を襲った。慌てて飛び、近くの尖塔に移った。

 異形の仮面を被った男が、尖塔の一つにいた。ワーミーだ。全員を都市の戦線には投入せず、何人か残していたのだ。

 消えない炎……商館で戦ったのと同じ奴だ。僕には奴の炎の消し方が分からない。ルシエルがいない今、非常に厄介な相手と言わざるを得ない。


 男は炎を鞭のように操り、僕を狙ってくる。尖塔を飛び移り、猛攻を避けた。奴にしてみれば火花の一片でも当てることができれば勝ちなわけで、一撃ではなく手数で勝負するのは当然のことだ。反撃できぬままに避け続け、結果、どんどん鐘楼は遠くなってしまう。

 ダメだ、これでは敗北と一緒じゃないか。何もせぬままに鐘が鳴るのを待つわけにはいかない。攻勢に移るんだ。

 炎の鞭が空振り、次の攻撃のためにしなったその瞬間、僕は宙に飛んだ。掌の照準を相手に定め、狙い撃った。


 対象はワーミーの男――ではない。鐘楼の塔にちらりと見えた人影だ。ワーミーの炎の明かりによって曝け出されたその姿は……メラハだ。ロッソの援護に回っているのだろう、彼女は僕の方を見てもいなかった。僕の籠手から放射された爆破魔法は、無防備な彼女を撃ち抜いた。


「ギャッ!!!」

 メラハは悲鳴を上げ、そのまま塔から落下した。


 次だ。

 僕は宙で回転し、再度襲ってくる炎の鞭を避けた。しかし右の籠手にかすり、一気に燃え移った。


「クソッ!」


 僕は籠手を捨てると、赤色刀を構え、投擲しようとした。だが、邪魔が入った。突然、大きな影が尖塔の影から躍り出た。僕は殴り飛ばされ、なすすべもなく中庭へと落下した。


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