いくつかの真実
「僕には……記憶がある」
額を押さえ、僕は言う。「審問部屋で表の僕と、ジュノー、そしてお前が話していた……。見たのは夢だが……あれは記憶だ。表の僕が意図的に夢という形で流し、僕を導いた……」
「お前があまりにも勘が悪いものだから痺れを切らしたのだろう」
僕はウィンストンを睨みつける。
「お前たちに都合よく使ってくれたわけだ。僕が知りたいことは二つ。ジュノーを壊したのはお前か? そして、お前は自分を長老派と呼称したが、他の二人もそうなのか?」
ウィンストンは冷たい笑みを浮かべると、ゆっくりと足を組んだ。
「最初の質問だが、お前の言う通りだ。ジュノーから預かっていた聖水を手に、私は審問部屋を訪れた。ジュノーを救出するか、それができないならば壊すつもりだった。審問部屋に行くと、お前がいたが、表の人格と入れ替わっていた。ジュノーを逃がしてやることは不可能ではなかったが、奴自身がそれを拒否した」
「なぜあいつは――」
と、ルビウスは言いかけ、首を振る。「いや、いい。二つ目の質問に答えろ」
ルビウスへと顔を向け、ウィンストンは言った。「少なくともジュノーは長老派だ。私が引き入れた」
「ありえない」と、ルビウスは言った。「それでは奴はわざと捕まったというのか? 妹をみすみす危険にさらすような真似をするわけがない」
「もちろん初めから長老様を支持していたわけではない。お前とジュノーは異端の影を追い、オブライエンに辿り着いた。そしてジュノーは異端と商会、商会と私の関係を知った。私が商会と取引を始めたのは大聖堂の指示であり、その理由は当然商会の内情を調べるためだが……それだけではない。もう一つの理由は、商会から四人の少女たちを護るためにあった。商館の置かれた土地ではよく人が行方不明になり、似た人間が他所の地で奴隷として売られていたという話は何度も耳にした。私聖児ともなれば、多少の無理を通してでも手を出してくる可能性は高い。警戒するなという方がどうかしている。そんな中、そいつとの商談の中で――」
ウィンストンは二代目へと目を送る。二代目は気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「そいつに接近を図った者たちがいるらしいことを察した。独自に探ってみたところ、オブライエンが妙な動きをしていることに気づいた。奴なら、自分の利のために娘を取引に使うことは十分に考えられる。何としてもオブライエンの動向を探り、可能ならば奴を支配下に置きたいと思っていた。その矢先、お前とジュノーが私の前に現れてくれた」
ルビウスは肩をすくめる。
「オレたちがオブライエンに接近してどうなったのかは、話した通りだ。ジュノーはオブライエン家の当主としての、そして異端の長としての権力、その両方を手に入れた。そして、オブライエンがそこの男と商談した内容を聞き出し、貴様が大聖堂の代表として商会と取引していることを知った」
ルビウスは二代目を指し、ウィンストンを見て言った。
分厚い雲が垂れ込め、月の光の届かない暗い夜――ジュノーとルビウスはウィンストン家の屋敷に向かった。ルビウスが外で見張りをしている間に、ジュノーは当主のいるこの部屋へと一人で潜り込んだ。しかし、すぐに違和感に気が付く。オブライエンの時とは明らかに違う。空気を切り裂くような殺意が空中に漂っていた。
闇の中から躍り出た何者か。音も無い激しい攻防が続く。その時、雲間から月が顔を出し、窓から光が差し込んだ。二人は互いを認識する。矛を収め、新旧のグレンは会談した。
「貴様とジュノーは手を組んだ。御三家の内、二家が手を組んだ以上、聖地は思いのままのはずだった。貴様はジュノーを長老の下へ案内すると言ったな? ジュノーはオレが大聖堂に入れるように交渉してみると言った。だが、結局オレはまだ大聖堂に入れない。長老との会談で何があった?」
「長老様方は異端信仰者たちの存在を知らなかった。基本的に、彼らは地上に対して関心をお持ちではない。ジュノーは異端たちの存在が聖女の再誕の妨げになると伝えた。自分が異端たちの計画を止めて見せる、と。その見返りに妹の命を保証するように要求した」
ウィンストンは冷たい眼差しでルビウスを一瞥する。「お前の話など一言も出なかったよ」
「そうか」
「長老様はジュノーに聖女再誕計画の概要を話聞かせた。ルージュが聖女の心であることも。聖女が復活すれば、聖地の安寧は保たれる。カルバンクルス王国はもとより、ハルマテナ皝国からも独立することができるだろう。聖女の創る新たな世界が生まれるのだ。そこでは洗脳も支配も監視も必要ない。審問官も教戒師も必要ない。ルージュは聖女の一部となり、世界を護り続けることになる。この聖地に生まれ、聖人教を信じてきた者にとってそれ以上の栄誉はあるだろうか? ジュノーはその未来に感銘を受けたようだった」
「貴様らが洗脳したのではないのか?」
「そんなことは必要ない。信仰心の欠片も持たないお前たちには分からんだろうが、信仰とはそういうものだ。ジュノーは長老様方への恭順を誓った。四人の少女たちを保護し、長老様へと献上する。そのためには異端の排除は絶対だ。ジュノーは商館へと赴き、二代目に情報を流した。そして私に教戒師たちを操らせ、ルージュの狂言誘拐を起こした。手筈通り、ルージュはお前が受け取り、そのままワーミーの下へと送り込んだ。これは所在の掴めないワーミーを捕捉しておくためでもあった」
「ふむ」
ルビウスは腕を組み、小さく息を吐いた。
「さらに異端集会に潜り込み、そいつを渦中に引き入れた」
ウィンストンは二代目を指す。「陣営を裂くつもりだったようだが、そいつが大聖堂と取引をしたことで難しくなった。具合の悪いことに、騎士たちがルージュから聞き出した情報が大聖堂に渡ってしまっていた。ワーミーとの関係が漏れてしまったのだ。引き際だと悟ったのだろうな。ジュノーは大聖堂に捕まることを選んだ。ワーミーを道連れにな」
「やはり……」
僕はチラリとルビウスを見る。ルージュが教戒師に襲われたというのは、こいつとジュノーの自作自演か。そして――。
「もう気づいているのだろう? あの子に裏切られていたことに」
「……」
「恐らく同一化をした時点でジュノーからお前を想う心は失われている。奴はお前を利用していたのだ」
「もっと前に気がつくべきだったよ。ハハハ、実に悲しい話だ」と、ルビウスは乾いた笑い声を上げた。
そうなのだろうか?
「もう、どうでもいい」と確かにジュノーは言っていた。だが、あの一瞬、ジュノーははっきりと顔をゆがめた。僕の暴力にも顔色一つ変えなかった奴が、子供のように顔をくしゃくしゃにした。あれは何を意味するのだろう?
「情けねーなぁ」と、クーバート。「ジュノーちゃんを信じたお前を信じて俺たちはまんまとはめられたってことか。らしくないな~。女の嘘なんてお前なら見分けられるはずだろ?」
「あいつがそれほど切れ者だったってことさ」
ルビウスはそう言うと、肩をすくめた。
「よっぽど入れ込んでたみたいだな。お前を盲目にする女がいるなんてなぁ。俺も会ってみたかったな」
このクーバートという男が分からない。ルビウスの失態で仲間たちが捕まり、奴隷として働かされているというのに何故へらへらと笑っていられるのだろうか。怒りを感じないのか? 感情が欠落しているのではないか。
「ジュノーはお前たちワーミーを聖地の市民にするつもりだったようだ。再教育を施し、聖人教の信徒として都市で暮らせるようにしたかったのだろう。だが、コーデリアが奴らを手に入れた。洗脳を施し、魔導部隊として手駒に加えてしまった」
「まあどうにかするさ、明日。明日から頑張るよ」と、相変わらず軽い調子でクーバートは言う。
ウィンストンは真意を探るようにしばらくそのニヤケ面を眺めていたが、諦めたのか話を続けた。
「聖週間の二日目、ジュノーは劇場で異端集会を開いた。聖典を見せるという名目でな。もちろん地下の祭壇にあった偽の聖典だ。異端たちはのこのこと劇場に姿を現した。私は観客席から全部見ていたよ。ある席の一つにオブライエンは匣を置いた。そこに現れた者たちを、私は自分の席から監視していた」
「二代目から聞いた。だが、特定は不可能だったのだろう?」
「あの場では誰もが匣に触れていたからな。まあ、だからこそ配置場所に選ばれたのだろうが。特定は至難の業だった。だが……それでも何人かの怪しい人物はいた。ほとんどは金で雇われた市民たちだったが……一人だけ、洗浄を受けていた者がいた」
「何故分かった?」
「審問官としての……いや、今日までの聖地の監視者としての立場のおかげかは定かではないが、私は洗浄を受けている者を見分けることができる。洗脳された者とも異なる微妙な動きや雰囲気が私には分かるのだ」
「すごいな」と、僕は素直に感嘆した。
「そいつは匣を調べると、二階の自分の席へと戻って行った。やがて劇が終わり、他の観客たちに紛れて移動を開始した。だが、出口には向かわず、人気の無い一画へと向かった。そこには一人の人物が立っていた」
「……誰だ?」
「コーデリア・サーベンス」
「コーデリア様……?」
「奴は異端に染まっている」
「ふざけたことを言うと承知しない」と、間髪入れずに僕は答える。
「私は事実だけを述べている。男と二、三言話した後、すぐに劇場で騒ぎがあった。観客たちの退場が禁止され、検査を受けることになった。コーデリアを含め、異端たちは劇場に閉じ込められた。騎士たちの登場は予想外だったのだろうな、まあ、それこそがジュノーの企てだったわけだが」
「だが、異端たちは捕まっていないようだが」と、ルビウスが言う。
「そうだ。劇場でちょっとした騒ぎが起きた。一部の市民たちが調査に反発し、強引に突破を図った。結果として、その集団へと注意が集中し、他の者たちの検査は緩いものとなってしまった。騒ぎに乗じて、コーデリア自身も非常口から外に逃れたようだ」
「その騒ぎとやらを起こした市民たちは……」
「当然、市民洗浄を受け、操られた者たちだ。異端たちがみんな洗浄を使えるとは考えにくい。もしそれなら、匣を調べる際にも使ったはずだ。だが、実際に洗浄を使ったのは一人だけだった。それがコーデリアだ。あんなにも大勢の人間を同時に洗浄するなど不可能だと思っていたが……奴には可能らしい」
僕はチラリとカルミルを見た。僕の視線に気づくと、彼はコクリと肯いた。
「僕は怪物のように強い異端信仰者と戦いました」と、カルミルは言う。「彼は市民洗浄を行い、次々と市民たちを僕にけしかけて来たんです。そんな真似ができる人間が、何人もいるとは思えない……」
「間違いなくコーデリアだろう」
「あの人が……異端たちが飼っている怪物……」
自分で口にしても、まだ信じられない。
そんなはずがない。そんなはずがないんだ。あの方は誰よりも強く聖地のことを思っている。聖地の平和を望んでいる。なのに、異端に染まっている? 聖地を偽りと信じ、ありもしない幻想に浸っているだって? そんなはずがない。
だが……コーデリア様が背信者だったとしたら……いくつか腑に落ちる点がある。異端たちは審問官を利用して信徒を増やしていたという。審問官を無意識の内に改造などできるのかと思ったが、全権を担うコーデリア様が手を加えれば可能に違いない。
それに、僕を背信者として断罪したことも……。
僕が地下祭壇を発見し、異端信仰が白日に晒され、そしてルビウスと会って何らかの情報を渡した――少なくとも傍目からはそう見えたはずだ――そのタイミングで僕を捕らえろと命じた。あまりにも迅速な対応で、その権限がない人ではないと難しい……。権限があるのはコーデリア様だけだ。
でも、そんなはずない。そんなはずがないんだ。
「あの人は巫女の他に、この聖地の中ではどういう役割を持っているんです?」と、カルミル。
「奴は先代の器だった」
「つまり、聖女候補だったと? あの人の世代でも計画は実行されたんですか?」
「違う。大聖堂は聖女の器となるにふさわしい者を造ろうとした。それがこの聖地の私聖児たちだ。だが、どれも満足のいくものではなかったらしい」
「お前もそうなのか」と、僕は訊ねる。
「今となっては分からないが……この強化された肉体を持って生まれたのも、恐らくはそのためなのだろう」
「要は実験体か。聖地で器の子は造れなかった。そこで王女ルチルがその役に選ばれた、と。その理由は……カルバンクルス王家の血筋に関係があるのか?」と、ルビウス。
「詳しいことは私にも分からない。だが、このタイミングで外から人を呼ぶということはそういうことなのだろう」
「アザレア・バーガンディが時祷書を隠し持っていた理由は分かるか?」
「いいや。奴は全くのノーマークだった。奴がどうして異端の宝を手にしたのか、私には分からない。我々はコーデリアが第伍に隠したのだと確信していた。まさか第捌にあったとはな」
そう。こいつらはコーデリア様が時祷書を所持していたと考えていた。表の僕が見せてもらったと主張していたからだ。これは何を意味する? コーデリア様が、アザレアに譲ったのか? それとも……元々、あの記憶の人物はアザレアだったのだろうか?
だが、分からない……。表の僕が本を読ませてもらったというあの女性。あれは……僕の記憶の中の「あの人」とよく似ている気がする。いずれも顔がぼやけていて思い出すことはできないが、その雰囲気や穏やかな口調の何もかもが……僕に温かな光の錯覚を与えてくれる……。
あの人はコーデリア様のはずだ……。だが、時祷書を隠したのはアザレア……。どうなっている……?
あれは一体、誰だったんだ……?
「謎の女、か」
ぽつりとルビウスは呟いた。
「その娘のダリアを、コーデリア様は侍女として屋敷に入れていた。偶然だと思うか?」と、ウィンストンを見て僕は言った。
「コーデリアは何かを把握していたと?」
「そこまでは分からないが……」
「考えても仕方がない。全てはコーデリアを捕らえれば分かることだ。そのためにも、奴らの計画は必ず阻止しなければならない」
「分かっている」と、僕は肯く。
「では、本題に入る」
ウィンストンはすっと姿勢を正し、足の上で手を組んだ。




