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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第四章 モモの審問
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僕と彼女の世界

 

 闇の奥から何か眩いものが近づいて来た。それは全てを浄化するような光で、少女の形をしているようだった。闇の中の僕にとってはあまりにも眩しすぎる。僕は目を開けることさえできなかった。


「手を! 手を掴んで!」


 手だと?

 薄らと目を開けると、こちらに手が伸ばされている。彼女が光っているわけではなかった。彼女を通して、穢れ無い蒼穹が見えていたのだ。我慢できず、僕は手で顔を覆おうとした。すると、その手を掴まれた。


「捕まえた!」


 少女は僕を抱き寄せると、顔を近づけて来た。闇に慣れた僕には、彼女の光はあまりにも強烈過ぎた。目が焦げ付きそうで、顔を逸らそうとする。しかし彼女がそうさせてくれなかった。


「モモ、このままではあなたは死んでしまう! 分かっているでしょう!? あなたは自己審問を受けている! あの人たちはあなたを殺して聖地を手に入れようとしているの! 目を覚まして!」


「僕の命に聖地を左右するほどの価値はない……。僕が死のうが生きようが……誰かが何かを為して……誰かが何も為すことができない……それだけのことなんだ……」


「聖地を護るのがあなたの仕事でしょう? あなたはまだ戦わないといけない!」


「そう信じていたのに……。僕はただ……市民たちを無駄に傷つけていただけなんだ……。その責任はとらなければならない……」


「それが死ぬことだっていうの?」


「いつかは……こうなると分かっていた。大聖堂を護るためとはいえ……僕の行いが許されるはずはない……。最後には裁かれる日が来ると……。僕の死により責任がとれるというのなら……それはとてもありがたいことなんだ……」


「死は何にもならない! 死んじゃったらそれでおしまいなのよ! 責任をとりたいのなら、それこそ他にも選択肢はある! モモにしかできないことがあるはずよ!」


「僕は……誰かを傷つけることしかできない。そしてそれは許されざること……。じゃあ、もういいじゃないか」


「だって、このままじゃ――あなたが生きていた意味がないじゃない!」


「意味……?」


「大聖堂によって生み出されて、利用され、殺される。そこに何の意味があるの? あなたが生まれてきたのには、もっと違う意味があるはずよ!」


「僕は本来生まれて来るはずの存在ですらなかったんだ。大聖堂が人為的に作り出した、誰かの別人格に過ぎないのだから。僕が生きていることに意味なんてあるはずがない」


「違う、違う……! あなたは分かってない……!」


「何を……?」


「生きなくちゃいけないってことを! ここで命を諦めることは簡単よ! でも、それでは責任をとったことにならないわ! あなたは無駄に死ぬだけよ!」


「それで構わない」


「私が赦さない!」

 顔を掴まれた。「あなたは……この手で、たくさんの人を傷つけてきた。あなた以上に、私はあなたを赦すことができない……!」


「お前は……」

 そうだ。どうして気がつかなかった。「お前は、表の僕……なのか?」


「ええ、そうよ」

 と、彼女は言った。「私たちの意識の壁には、少し前から穴が生じていたの。でも、その穴を通り抜けることができたのは私だけだった。あなたは気づくことさえできていなかった。でも、今、壁は崩壊したわ。私たちの意識は繋がった」


「どうして……こんな時に……」


「あなたが死を望んだから……!」

 涙が僕の頬に落ちた。「私もそうだった。そう望んでしまった……。受け入れてしまった……! 私たちは死にたいと強く思う気持ちで繋がったの。でも、私は生かされた。救ってもらえた……。今では生きていたいって心から思うの」


「僕は――」


「あなたは酷過ぎると言うにも足りないような無惨なことをしてきた。私はあなたを許せない……。あなたに死んでほしいとさえ――思ってしまう……!」


「そうか……」


「でも……」

 彼女は僕の背中に腕を回した。そして。強く、僕を抱き締めた。「思えるはずない。だって……私たちは同じ人間なんだから……。あなたは私で……私はあなたで……」


 彼女を通して、光が僕の中に入って来る。抱擁するようなその柔らかな光は、もう何度も感じたものだ。あの人がくれたものと同じ――。


 途端、頭の中に記憶が流れ込んでくる。

 知らない記憶……でも、とても懐かしい記憶だ。



「あなたをこの楔から解放してあげたいのだけれど……」


 コーデリア様は言った。

 大聖堂のバルコニーだった。僕たちは影の中から明るい都市を見つめていた。


「今の私にはどうすることもできない。無能な私を許して、モモ」

 僕の手を両手で握り締め、彼女は言った。


「そんなことを言うのはやめてください」

 僕は頭を振った。「審問官は聖地の影でしか生きていけない存在です。そういう風に生みだされたのです。僕は解放なんて望んでいません。むしろ、もっとあなたの力になりたい……。この聖地を護りたい、そう思います」


「そのために、あなたが傷だらけになるのは耐えられない。誰かの犠牲の上でしか成り立たせることができないなんて……。今の聖地の在り方を、どうして受け入れることができると言うの?」


「僕に同情など必要ありません。僕は酷い人間だ。もちろん一般的見地から言えば、ですが。それだけのことをしてきた。もし僕に感情があれば、自責の念でとうに命を絶っていることでしょう。そんな人間が明るい世界で生きていけるわけがない」


 僕は確かにそう言っていた。



「何だこの記憶は……?」


「分からない。私たちの中にある、ずっと昔の記憶……。あなたが断片でしか思い出せなかった記憶が、私を通して補完されているのよ。私にはこの記憶は分からない。でもあなたなら分かるはずよ」


「補完された記憶……」


 でも、コーデリア様の顔はぼやけていた。まるで、自分や審問官たちの顔を見る時のように。ただ、彼女が優しい笑みを浮かべていることは分かった。心からの気持ちがこぼれ出した、自然な笑みを。今はもう浮かべることのないものだ。



「では試してみましょうか」


 コーデリア様は突然、柵の上に立った。


「何を——」


 絶句する僕の前で、屋根の上によじ登った。


「ほら、おいで」


 彼女は僕に手を差し出した。


「危険です。戯れはよしてください」


「平気よ」


 コーデリア様はいたずらっぽい笑みを浮かべると、屋根の縁で片足を浮かせる。


「危ない!」、僕は身を乗り出した。


 彼女は腕をバタバタさせ、なんとかバランスをとっていたが、やがて限界が来た。


「あら——」


 コーデリア様は体勢を崩した。落ちる——。気づいた時には、僕は屋根の上で彼女を抱きかかえていた。


「お怪我はございませんか」


「やっぱり助けてくれた」と、コーデリア様は微笑む。僕は彼女を屋根に下ろし、体を支える。「ね、お日様って気持ちいでしょう?」


 僕は彼女によって日の光の下に引きずり出されてしまった。温かな陽光は体の中に浸み込んでいくようで、心なしか気分もよくなったように思う。凍ってしまった心が解けていくみたいに。


「……分かりません」と、僕は答える。ただ、居心地の悪さはずっと感じていた。


 彼女は僕のマスクをとり、素顔をさらけ出させた。


「巫女として、この聖地から闇を取り去りたいの。聖地の隅々まで白日の下に晒したい。私に力を貸して、モモ」


「それがあなたの望みであれば」と、僕は答えた。




 涙が頬を伝っていた。

 表の僕が泣いているのだろうと思った。でも、違った。僕の物だ。僕の目から涙がこぼれている。 


 何故、涙なんて流れる?

 そんなもの、審問官には不要だというのに。

 光に当てられたせいだろう。だから、こんな変な気分になっているんだ。


「コーデリア様……」

 呻くように僕は言う。


「とても大切な人……。あなただけじゃない、私にとっても……。幼い私に聖典を読ませてくれ、劇場で素晴らしいミラを見せてくれた……。私も、あなたも、きっとこの人を探してたんだと思う」


「うん、そうだ……。だって僕は……約束したんだから……」


 涙を拭う。でも、止まらない。奥から奥から溢れ出てくる。


「モモ。審問官としてあなたがしてきたことは決して許されることでは――いえ、許してはいけないことだと思う。あなた自身もそれを理解している」


「ああ……」


 審問官は必要ない。

 そもそも、審問だって必要なかった。

 僕は暴力行為に依存していて、自分のエゴで大聖堂の信仰を捻じ曲げてしまった。

 全てが間違っていた。

 間違った審問官なんて存在する必要がない。

 僕はもうそれを理解している。


「でも――」

 彼女はギュッと僕を抱き締める。本当に大切な物を扱うみたいに。「――あなたは生きていていい」


「え?」


 彼女が何を言っているのか、分からなかった。


「あなたの全てが間違いだったとしても、死んでいいわけがない」


「生きていていい……? 僕が……?」


「生きていていい。あなたがどんなに自分を否定しようとも、私が肯定する。あなたは生きていていい。生きていていい。生きていていい」 


 生きていていい。

 生きていていい。

 生きていていい。


 自己審問の答えが覆される。


 僕は生きていていい……?

 必要な存在だというのか……?


「その代わり……ただ、生きているというだけでは駄目。普通の人のように生きることだってもう許されない。審問官でなくなったとしても」


「では……僕はどうすれば……。僕は……人を傷つけることしかできないのに……」


「あなたは贖罪を続けなければならない。あなたが傷つけた人の分だけ、他の人を幸せにするの。あなたならできるし、できないといけない」


「幸せに……?」


「それが信仰の目的なのでしょう?」


 そうだ。僕を審問した僕の声は確かにそう言っていたっけ。

 あれが僕自身の言葉だったなら。

 僕にはとっくに分かっていたんだ。

 自分の為すべきことが。


「僕は……戦う。戦わなければいけない……」


 贖罪のため。

 誰かを幸せにするため。

 理由なんて何でもいい。

 審問官が必要かどうかなんてこともどうでもいい。

 僕は戦える。

 その力を与えられている。

 じゃあ、戦うしかないじゃないか。


 その直後――。

 彼女を通して青空が僕の視界いっぱいに広がっていった。世界が無限に拡大していく。


 目が眩むような一瞬の後、気がつけば僕は湖の上に立っていた。空が反映された湖面は、いかにも作り物のような鮮やかな青色をしていた。都市もなく、大聖堂もなく、果てもない。青色だけがどこまでも続いている。そんな汚れの一滴までも浄化されたような世界の中で、僕は僕と向かい合っていた。


 彼女の顔は、今でははっきりと見えていた。


 夜空に煌めく星々を集めたような美しい銀色の髪、その火眼は変わった色をしており、薄紅色だ。嫌でも特別を感じさせる見た目だが、まだあどけなさが残るその顔は親しみを感じさせる。


「見える。お前が……見える。どうしてだ? 僕たちは同一化したのか……?」


「いいえ、一つになったわけじゃない。でも、互いを理解する時が来たということだと思う」


 彼女の顔には見覚えがあった。でも、会ったことがあるはずがない。だって、彼女は僕なのだから。自分で自分には会うことはできない。きっと偽の記憶を植え付けられていたんだろう。僕は彼女を知っていた。でも、本当は知らなかったんだ。


「私はアテナ……。アテナ・ウィンストン」

 彼女はそっと僕の頬に手を当てる。「私が分かる?」


「分かる、分かるぞ。お前が分かる……」


 アテナ・ウィンストン。

 それが、表の僕。


 信じられなかった。この聖地で生きる者ならば、彼女がどんな人間なのかは知っている。ヴィクトリア・ウィンストンの娘で、誰よりも清く、誰よりも美しく、誰よりも優しい人。ジュノーとグレンと同じじゃないか。僕たちはまるで異なる人間だった。


 温もりが僕を包んだ。アテナは僕を抱き締めてくれた。かつてコーデリア様がそうしてくれたように。涙が止まらないのは、感情が芽生えたからだろうか? 心臓の鼓動が、やけに温かく感じる。


「不思議だな……。ずっと前からお前のことを知っていた気がする。最初からずっと一緒にいたような……」


「当たり前よ。私たちは同じ人間なんだから」

 アテナはクスリと笑う。


 そう言えば、ジュノーもそんなことを言っていたっけ。あれはこのことを言っていたのか?


 アテナは僕の手を握ると、自分の胸へと押し付ける。


「私たちは元に戻る時が来たのよ。モモ、私と同一化してくれる?」


 慈愛に満ちた瞳に、吸い込まれそうになる。このまま彼女と一緒になれたら、どんなに素晴らしいことだろう。僕はもう生涯を温もりに包まれ、優しさと癒しの繭にくるまることができるのだろうな。一人じゃないって、きっととても大事なことなんだ。


 ……でも。


「ダメだ」と、僕は彼女の手を振り払う。「僕たちは同一化できない」


「どうして?」

 アテナは心底から驚き、そして悲しそうな顔をする。


「お前に幸せになってほしいからだよ」


「どういうこと?」


「同一化すれば、僕の記憶の全てがお前に引き継がれる。何の罪もないお前が、一生僕の犯した罪によって苦しむことなる。そんなことはできない。僕の罪は全て僕の命をもって終わらせる必要がある」


「あなたの審問の記憶……」


「僕の目を通して色々と覗き見ていたようだが、記憶が共有されたわけではないんだろう?」


 アテナは自分の額に手を置いた。


「ええ……。私には審問の記憶はない……。いくつかの断片的なものならあるけれど……完全ではない。とても嫌悪を感じるけれど、その実態は分からない……」


「それでいい。この記憶は僕の物だ。お前にはやらない」

 僕はそう言うと、口の端を捻じ曲げる。笑っているんだ。「今夜が、僕の最後の戦いとなる。その果てにあるのは僕の死だ。そしてお前に体を譲り渡す。それで終わりだよ」


「モモ……」

 アテナは何かを言おうとしたが、結局口を閉じた。


「僕はこの聖地を救いたい。アテナ、僕に力を貸してほしい」


 アテナは目に涙を溜めつつも、優しくほほ笑んだ。


「それがあなたの望みなら」




 目を開ける。

 僕は匣の中にいた。ここは……地下の僕の部屋だ。頭上から光が差している。こんな暗い光では、誰の命も満たせない。匣の蓋が少しだけ開き、ヴィクトリア・ウィンストンが僕を睨みつけていた。


「いつまで寝ているつもりだ」


「僕はまだ……生きているんだな」


「残念か?」


「ああ、そうだな」


 ゆっくりと立ち上がる。さっきまで見ていた夢と同じく、僕は下着姿だった。匣から出ると、ウィンストンが審問官の装束を差し出した。すぐに着用する。籠手と赤色刀も手に入れた。完全装備だ。


「その様子では同一化はしていないようだな」


「ええ、していません」と、僕の代わりにアテナが答えた。


 ウィンストンは怪訝な顔をする。「どういう状況だ?」


「僕の中でアテナが起きている」


「私たちは共生することに決めました」


「そんなことが可能なのか……?」

 ウィンストンは顎に手を当て、疑わし気に僕を睨む。


「少なくとも、僕たちは共に自我を持ち、互いに表に出ることができる。記憶や意識の共有こそないが、互いを認識することはできている」



 意識の湖上で、僕はアテナに手を伸ばした。彼女は僕の手を握る。それから、指を絡める。彼女は微笑んだ。



「同一化をすればお前の力は格段に上昇する。それを理解しての判断なのだろうな」


「もちろんだ」と、僕は言った。


「今のお前では大した戦力にならないと言っているんだ」と、ウィンストンは冷たく言った。


「お前は娘ではなく僕を選ぶのか?」

 彼女と程度を合わせた冷たさで、僕は言った。


「同一化をすればどちらでも同じだ」


「戦力を保つには僕をベースにする必要がある」


「どちらでも同じだ」と、ウィンストンは繰り返した。


 ――この人はこういう人なのよ。


 途端、頭の中に知らない記憶が流れ込む。

 石造りの冷たい空間。審問部屋だ。中にいるのは三人、だが一人は鎖に繋がれ、ぼんやりと虚空を見つめている。ジュノーに毒を飲ませた直後だ。アテナとウィンストンは向き合っていた。


「この聖週間でお前にできることはもうない。必要なのは審問官のモモだ。お前はもう出て来るな」


「はい。分かっています」と、アテナは答えた。


「最後になるかもしれないから、言っておく」


 ウィンストンはアテナの頭に手を置く。そこには何の情も感じられない。ただ、触れただけだ。例えば机に手を置くみたいに。


「お前に愛情を感じたことは一度もない」


「……私もです」

 声を震わせ、アテナは言った。




「なるほどな」

 やれやれと僕は頭を振った。「しょせん審問官は母親にはなれないということか」


「同一化をしないと決めたのならそれでも構わない。だが、失敗だけは許されない。何をしてでも目的を果たせ」


 僕はジロリと睨みつけた。


「言われるまでもない。お前こそ、ちゃんと仕事はしたんだろうな。こっちは死にかけてまで時間を稼いだんだ」


「当たり前だ。誰に物を言っている」

 ドアの方へと歩きながら、ウィンストンは言った。「長老様方への道は開いた。行くぞ」


「ああ」


 僕はウィンストンに続いて部屋を出た。



「頑張ろう、モモ」と、アテナが言った。


 彼女がそう言ってくれるだけで、力が漲るようだ。同一化なんてしなくとも、僕たちなら何だってできるはずだ。だって僕はもう一人じゃないから。二人もいるんだから、誰にだって勝てるさ。


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