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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第四章 モモの審問
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聖典と異端の正体

 

 僕たちは天井を破り、上階へと移動した。そこにもベッドが置いてあったので、その一つに腰を下ろした。ジュリアとカルミルが左右から身を寄せてきた。ルビウスが覆いかぶさるように上から身を乗り出して来る。貧弱なベッドは今にも潰れてしまいそうだ。


「読むぞ」と、必要もないのに僕は宣言した。


「早くしろ」と、僕の頭をペシペシ叩きながらルビウスが言った。


 本を開いた。びっしりと細かい文字が記されていて、一瞬目がチカチカした。全て直筆だった。印刷技術の発達していない時代のものなのだろうか。その内容は……ほとんどが祈りの言葉や、祭式についての記述だった。


「……これは時祷書だ」

 ページをめくり、僕は言った。


「そのようだな。別に珍しいものではないけれど――いや、もちろん聖絶技法でできている以上は、価値のあるものには違いないが……本当に異端たちの聖典なんだろうか?」と、カルミルが言った。


 一度本を閉じる。背面を見ると、ゲブラー派の印が刻んであった。


 僕はページを繰る。最初の方は、聖地開闢の歴史が書き連ねられていた。そして祈祷文や聖人の遺した言葉、死者への祈りなどが記されている。さらにページを繰ると、聖地の月ごとの一年の暮らしが、美しい挿絵と共に描かれていた。細密画で、どのページを切り取ってみても一つの絵画として価値があるものであることは門外漢の僕でも分かった。実に鮮やかに染色されていて、魔石の顔料が惜しみなく使われている。


 春の節。

 花畑で貴族らしき者たちが仲睦まじく身を寄せ合っている。恋の季節とでも言いたげだ。遠くには大聖堂の姿が見える。ここは都市の外の丘だろうか。


 次のページ。

 聖週間だろう。みんながみんな花冠を被り、ページは朱華色で埋め尽くされている。都市の中だが、大聖堂がやけに高い場所にあった。


 次のページ。

 農夫たちが畑を耕している。丘の上だ。奥に見える大聖堂を見るに、場所は離れ島のようだが……。


 夏までめくってみて、閉じる。もう一度背後の印を確認した。


「この印をよく見ろ」

 僕はカルミルの頭を掴み、ぐっと本に寄せる。


「ゲブラー派の紋章だけれど……これがどうした?」


「本物か? 偽造されたものではないのか?」


「馬鹿を言うな」と、僕の頭を掴み、ルビウスが言った。「これは聖絶技法で造られた逸品だ。となると、刻印も聖絶技法によって押されている。これほどの価値がある物……恐らくは大聖堂が造らせたに決まっている。偽造であるはずがない」


「そうだな」

 僕は頷くと、カルミルを押しやり、ルビウスの手を振り払った。


「何が言いたいんだい?」と、カルミルが訊ねる。


「これは本当にこの聖地を描いているのか?」


 僕はページをめくる。この絵も。これも。これも。


「湖がない」


 どの絵を見ても、湖がなかった。まるで見知らぬ風景だ。


「ああ、僕も気がついていた」と、カルミル。


「でも、大聖堂はこのシュアンのものと同じですよね」と、小さく描かれた大聖堂の絵を指してジュリアが言った。「どう見ても聖ゲブラー大聖堂です」


 ページをめくり、一つ一つの絵を確認する。


「大聖堂が建っている場所を見ろ。全て丘の上にある。都市を見下ろす高い場所だ。こんな場所は聖地にはない」

 それから、市井が描かれた絵のあるページで指を止めた。「そして、この都市だ。今の聖地とは明らかに違う」


 見たこともない黒い建物群。都市の規格よりもはるかに高く、重厚な造りをしているように思う。湖上都市の根子建築とは明らかに異なる。よく見れば、家々は管のようなもので繋がっていた。それらは家というよりは……巨大な装置のようにも見えた。


「丘の上の大聖堂……」と、カルミルが呟く。「赤い鳥が舞い降りたとされる、聖地始まりの丘……」


「ヴェルメリオの丘――」

 誰ともなく、呟いた。


 そういうことか。これが異端どもの聖典だとすると、奴らの正体に察しがついた。


「ヴェルメリオ派だ」と、僕は言った。


「間違いない。赤い鳥の信奉者という時点で気づくべきだった」と、カルミル。


「ああ。ヴェルメリオ派のシンボルは赤い鳥だ」


「ヴェルメリオの丘……どこかで聞いたな。何だった?」と、ルビウスが訊ねた。


「聖人ゲブラーをこの土地に導いたとされる赤い鳥が舞い降りた丘のことだ。聖地シュアンの始まりの地と呼ばれている」と、僕は答えた。「だが、この聖地のどこを探してもそんな名前の丘は存在しない」


「すると、聖職者の中にゲブラー派が隠したに違いないと陰謀論を主張する者たちが現れた」と、カルミルが引き継ぐ。「ゲブラー派の教義は全てでたらめである、ってね。彼らはゲブラーはもとより、聖女ミラさえも否定した。一時は異端の最大派閥を誇ったこともあって、その過激な教義から多くの堕落者を招いた。それがヴェルメリオ派と呼ばれる者たちだよ」


「狂っている」と、僕は言った。


 長きにわたる聖書研究からヴェルメリオの丘とは湖周辺の丘陵地帯を指していることが確実とされており、大本山ハルマテナの見解もあって現在では信じている者はいない。徹底的な弾圧に遭い、多くの信徒たちが破門され、島送りにされたといわれている。よもやまだ存在していたとはな。


 僕は本を広げると、乱暴に掴み、強引に引きちぎろうとした。


「無駄だ」と、ルビウスが言った。


 彼の言葉通り、本はびくともしなかった。


「刀を持っているか?」

 僕が訊ねると、カルミルは上着のポケットから赤色刀を取り出した。ひったくるように奪うと、発光させ、本に突き刺した。ジュリアがハッと声を上げる。しかし、刀は少しも本に刺さってはいなかった。そして煙が出るほどの高熱にもかかわらず、表紙を燃やすことさえできない。さすがは聖絶技法だ。


「ヴェルメリオ派の聖典……か。彼らはここに描かれている聖地こそが本当の聖地の姿だと信じているんだね」

 赤色刀を受け取り、カルミルが言った。


「位置からして……この都市は湖の下に当たるのではないでしょうか」

 湖を見つめ、ジュリアは言った。


「フフフ。湖の下に本当の聖地が広がっている、と。だとすれば、大聖堂の説く聖地の歴史は全てでたらめだということになるな。いや、なるほど。聖地がひっくり返るとはこういうことだったんだな」


 ルビウスはいかにも愉しそうに言った。目は爛々と輝き、興奮のあまり頬は紅潮していた。


「断じて――」

 そう言うと、僕は本に強く拳をぶつける。「そんなはずはない。こんなもの、異端どもの願望の結果だ。奴らの妄想が形になったものに過ぎない」


 すると、カルミルが僕から本を奪った。


「彼らが造った物だとすると……」と、本を裏返し、カルミルは言った。「どうしてゲブラー派の印が刻んであるんだろう?」


 背後からルビウスが本を奪った。


「もちろん、この時祷書が正当な物であるという証だからに決まっている!」と、ルビウスは本を掲げた。「制作当時はここに描かれている聖地の姿は当たり前のものだったのだ! しかし、今の聖地へと変わって以降、当時の聖地を描いた書物は全て抹消されてしまった! だが、聖絶技法で造られたこの本だけは免れたのだ! ヴェルメリオ派とやらはこれを継承し、復活の時を待っていたのだろう!」


「ずいぶんと楽しそうじゃないか」

 強引に本を奪い返し、僕は言った。


「アハハハ! 当たり前だ、これが興奮せずにいられるか! 湖の下にある謎の都市! その都市を描いた謎の本! その本を隠した謎の女! 全ての謎が一本の線で繋がった!」


「とにかく、これはヴェルメリオ派が存在するという何よりの証拠だ」

 ルビウスを無視して、僕は言った。


「ああ。これを大聖堂に持ち帰り、長老様たちにお見せすることができれば……ヴェルメリオ派たちの目論見は阻止できるだろうね」


「そうだな――」


 その時だった。

 突然、悪寒に襲われる。全身が総毛立つ感覚――カルミルも、ルビウスも、同じものを感じたらしい。一刻も早くこの場を離れなければ――そう思わせる何かが、近づいている。

 その直後、部屋が真っ赤に染まった。部屋の外に、何らかの強い発光体が現れたのだ。間髪入れず、ルビウスが光を発し、壁を破壊した。僕たちは穴から外を確認する。


 湖が赤く発光していた。いや、違う。正確には水路だ。都市に張り巡らされた水路が光っている。


「これは……」


 空を見上げる。水路の光は柱となり、夜空を色づけていた。そして、空に何かが投影される。目だ。瞬く間に、無数の目が空を埋め尽くした。


「要塞化する!」

 僕はルビウスを見た。「転移だ! 今にこの一帯は魔法が禁じられる!」


 増殖を続けるクーバートをどうにかするには、確かにそれしかない。普段なら歓迎するところだが、今の僕は庇護の対象外になっている。このままではクーバートと一緒に駆除されてしまう。ルビウスは素早くズボンのポケットから布を取り出した。その布の上に飛び乗ると、「オレに掴まれ!」と叫んだ。


 僕たちは四方からルビウスに抱き着く。すぐに眩しい光に包まれる。転移したのだ。


 そこは、あの外画の部屋だった。


「ここはダメだ! 外画は全て封鎖される! どこか別の場所に――」


 だが、すぐにおかしなことに気づいた。赤い光が見られない。窓は板で封じられているとはいえ、少しくらい隙間から光が漏れるはずだ。


 僕はルビウスを見る。「……ここは本当に外画か?」


「小細工はもう必要ないだろう」


 ルビウスがそう言った途端、部屋の壁が四方に倒れた。現れたのは大きな広間。お洒落を排した「暮らす」ではなく「いる」ことだけを目的としているような、実に寂しい部屋だった。その奥の方に、いくつか椅子が置かれていた。そこにクーバートと二代目が腰かけていた。二人は夢中で談笑していたが、僕らに気づくと、こちらに手を振った。


「こっちは手に入れたぜ」と、クーバートは手に持った報石を振る。「そっちは――」

 そして、僕が抱える本を見た。「……見つけたんだな」


「では、それが……」

 二代目は息をのむ。


 僕は辺りを見回し、ルビウスを見る。

「おい、ここはどこだ……? 最奥画のようだが、一体誰の――」


 直後。背後でドアの開く音がした。カツン、カツンと、確かな足取りでこちらに近づいてくる。振り返ってその姿を確認した僕は、思わず目を見開いた。


「お前は――」


 そうか。

 こいつの屋敷だったのか。


「残された時間は少ない。働いてもらうぞ、審問官」


 冷ややかな目で僕らを見下ろし、その女は言った。



                 〇


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