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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第四章 モモの審問
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夢うつつ

 

「……」


「…………」


 また、声が聞こえる。

 誰かの声……。

 聞いたことがあるはずの、今は知らない誰かの声……。


「……それは本当の話か?」


 誰だろう……。

 薄暗い部屋の中には僕の他に二人の人影……。

 一人は扉を背に、そしてもう一人は壁に縛り付けられている……。


「はい。あの方に読ませていただいた記憶が、私の中にはあるのです」

 と、僕は言った。「不思議な本でした……。恐らくは、あれこそが異端の聖典だったのでは……」


「内容は……覚えていないの?」


「申し訳ありません。頭の中に不自然に靄がかかっているのです。記憶の改竄を受けているのだと思います。そもそも、本当に私の記憶なのか……それさえも分かりません」


「奴に読ませてもらった、それは確かなんだな?」


「ごめんなさい……正直に言えば、確証は持てません。顔がぼやけているのです。ただ、記憶に付随する感情……この温かな気持ちを私が抱いたのは、生涯で二人だけ……。そして、もう一人はありえない。だから、あの方と考えました」

 胸を手で押さえ、僕は言う。


「そうか。聖典は奴の手にある、と」


「いいえ、恐らく今は所持していないでしょう。所持しているのだとしたら、集会で明らかにしているはずです。実権を握ることができるということもありますが、一度表に出して実在を示さなければ信仰の存続にもかかわる問題でしたから」と、壁の女が言った。


「だからこそ、お前の父は祭壇をでっち上げたわけだ」


「恐らくですが……あの方はずっと以前に聖典をどこかに隠したのだと思います。そして、その記憶自体が消去されてしまった。大聖堂の洗脳か、異端たちによるものかは分かりませんが……」と、僕は言った。


「奴の屋敷は私が探してみよう。修道院はどうだ?」


「私があらかた捜索しました。あそこにはないと思います」と、壁の女が言った。


「大聖堂の中に隠すのはリスクが高すぎる。他に可能性があるとするなら……あれは以前、愛護寮の寮長をしていた。そこに隠したのかもしれない」


「どこの寮ですか?」


「第伍……」

 そう言って、ハッと何かに気づいたようだった。「そう、第伍だ」


「第伍……なんの偶然でしょう。あそこには現在、商会の手が入っています。審問官のカルミルが不穏な動きをしているようなのです」と、壁の女。


「第伍愛護寮か、厄介だな。洗浄が使えない今、白昼に中区画まで動けるだろうか」


「私が行きます」と、僕は言った。「この子を誘導してみせます。そして内から探ってみようと思います」


「だが、お前の中の奴は聖典の存在さえ知らない」


「種は植えました」と、壁の女は言う。「この子なら、必ず気づいてくれるはずです」


「分かった。一応、私も種を蒔いてみることにする。では、話はここまでだ」

 それから、長身の女は壁の女へと顔を向ける。懐から瓶を取り出した。「本当にいいんだな?」


「ええ……」、と壁の女は言う。


「考え直してください……。あなたはこの聖地に必要な人です……」と、僕は言った。


「ありがとう。でも、最初から決めていたことだから……」


 そして、全てが白み始める。


 これは……夢?

 違う……。

 記憶だ。

 見せているんだな、僕に……。


 そうだったのか。

 僕は掌の上だったんだ。

 ジュノーの。そして、僕自身の。


 聖典は第伍愛護寮にあると彼女たちは考えた。まんまとあそこに誘導された僕を通して、彼女は探していたのだろう。聖典は本当にあの場所にあったのだろうか? 表の僕は何かに気づいたのだろうか? 

 孤児院で僕はカルミルと会い、その劣悪な環境を知ることになった。人身売買の現場に遭遇し、商館へと向かった。そこで聖地に関する多くのことを知った。どこまでが計画の内だったのだろうか。僕には分からない。分かるはずがない。



 どうして直接教えてくれない?

 なあ、表の僕。

 答えろよ。

 お前は何を考えているんだ。

 一体何をしている?

 出て来いよ。 

 少し話そうじゃないか。


 僕はお前を知りたいんだ。

 知りたいんだよ。


 しかし、彼女が僕の呼びかけに応えてくれることはなかった。



 目を開けると、ぼんやりとベッドの傍に立つ人影が目に入った。その人影は僕に見られていることに気づくと、ビクンとその場で跳ね、隣の部屋へと行ってしまった。すぐに先ほどよりも大きな人影が現れ、僕に近づいてくる。男は顔の半分をぐるぐると布で覆った。


「起きたのかい。ずいぶんと早いじゃないか」


 カルミルの声だった。


「なぜお前が……」


 僕は上体を起こす。 

 そこはどこかの民家の中のようだった。外区画らしく、室内はとてもみすぼらしかった。窓は板で固められており、日光は入ってこない。壁にある灯石の明かりだけが頼りだった。


「……逃げたんじゃなかったのか」


「まあね。格好よく姿を消したまではよかったんだけど、君たちが暴れてくれたおかげで警戒度が上がってね。中々外に出られなくて、機会をうかがっていたのさ。君たちの頭の上でね」


「屋根裏にいたのか」


「あの塔の各部屋は裏でつながっているんだ。施工に関わった職人から大聖堂が設計図を手に入れていてね。任務の前に頭に叩き込んでいたんだよ。だからまあ、よく裏から盗み聞きしていたのさ。二代目が把握していたのかは分からないけどね」


「把握していたに決まっている。そういう奴だ」


「まあ、そんなわけで君たちの話は全部聞かせてもらった。助けに出て行かなかったのは悪いとは思うけど、ジュリアを安全な場所に逃がすのが最優先だったからね。混乱に乗じて大倉庫の隠し部屋から外に出たんだ。水に落ちた君を迅速に回収したのは僕だよ。そのことを評価してほしいね」


「お前は鐘の音を聞かなかったのか?」


「事前に鼓膜を破っていた」と、カルミルは耳に手を触れた。「今はもう修復されているけどね。乱戦の中にあった君たちでは選べない方法だったろうけど」


 確かにその方法は頭にはあった。だがあの場において聴力を失うことは即死を意味したから、実行することはなかった。ルシエルも同様だろう。


「……なぜ、僕を助けた?」


「ジュリアの頼みだからさ。それと……やっぱり情もあったからね」


「情だと?」


「言っただろう、君は僕の妹だって。いつだって兄は妹を見捨てないものさ」


「くだらない」と、吐き捨てるように僕は言った。


 兄だの妹だの、審問官には何の関係もない話だ。情だと? 顔も見ることさえできない相手にどうしてそんなものを持てるというんだ。迷惑以外の何物でもない。さっさと僕の目の前から消え失せろ――とりあえずぶん殴ってやろうとベッドから下りかけた、その時だった。

 床が発光した。いや、違う。正確には、魔法陣が描かれた布が光を発している。直後、光の中に誰かが現れた。金色の髪に、爛々と輝く赤い眼をした優男――。


「また会ったな」


 ルビウスだった。


「どういうことだ?」

 僕は眉を顰めてカルミルを見る。


「まあ……鼓膜を破るなんていうのはなかなかの愚行でね。君を助けたまでは良いけれど、ロッソやワーミーたちから逃げおおせることは不可能だったわけだ。そんな僕を助けてくれたのが、彼なんだ」


「感謝するがいい」と、ルビウスは不遜な態度で言った。それから、部屋の中で唯一の椅子にどっかりと腰を下ろした。「もっとも、本来はあのメガネの役目だったんだがな。あの役立たずメガネ……数ばかり無駄に増やしおって」


「なぜ僕らを助けた」


「聞く必要があるのか?」と、ルビウスは挑発的に言った。


「お宝か」


「そうだ。貴様の知っていることを全て話してもらうぞ。だが……貴様の中の奴はオレのことが嫌いらしい。洗脳をしても邪魔をしてくる。だからもう容赦はやめにする」

 ルビウスは僕を指す。「まずは貴様の中の奴を引きずり出し、強制的に眠りについてもらう。それから貴様を洗脳にかけ、じっくりと話を聞かせてもらうことにする」


「そんな真似をさせると思うか」


「思うね」

 ルビウスは椅子の背深くに寄り掛かった。「まだ分からないか? 外は教戒師や貴様の仲間たちがひしめいている。安全なのはこの場だけだ。そして、その安全を保障できるただ一人の人間がこのオレだ。貴様らはオレの掌中だということを忘れるな」


「そういうことだよ」と、カルミルは諦めたように言った。


 ジュリアを人質にとられているわけか。カルミルの援護は期待できない。


「お前に情報を与えるくらいなら僕は死を選ぶ。もちろんお前も道連れだがな」


「殊勝だな。どれ、口だけかどうか試してみよう」


 ルビウスは僕に掌を向ける。僕とカルミルは同時に身構えた。すると。


「おかしな話ですねぇ」


 隣の部屋から声がした。


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