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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第四章 モモの審問
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異形の集団

「気配を感じなかった」


「僕もだ」


 男は首を曲げ、ジッと僕たちを見ていた。袖の長い聖衣を着て、両腕をダラリと下げている。男は仮面をつけていた。審問官のものでも異端のものでもない、全く別の仮面だった。不揃いな牙、飛び出した眼球、焼けただれているかのようなボコボコした顔――魔という言葉を表現したに違いない、酷く醜悪な仮面だった。


「大聖堂側の……人間だな?」


「そのようだが……こんな奴は見たことがない」


 あまりにも不気味な出で立ちに、僕もルシエルも言葉を失う。この世の者とは思えない。大聖堂は亡者でも飼っていたのだろうか?


 この醜塊がどこから入って来たのか、答えは簡単だった。天井に穴が開いている。穴の周囲には、焼け焦げたような痕が見えた。赤色魔法を使って侵入したのだろう。先ほどの音はこれか。


「ここは場所が悪い」


 そう言うや、ルシエルは剣を振るった。男はひらりと背後に跳躍する。それから、前後にゆらゆらと不可解な動きを始めた。と、思いきや。


「ぅううううっ……」


 突然、男は苦し気な呻き声を発した。それから、大きく体をのけ反った。空に腕を伸ばし、もがき始める。それは助けを求めているようにも見えた。


「何だこいつは……?」


 僕たちが距離を詰めようと隠し扉から出た、次の瞬間。男の両腕に炎が走った。男は手を合わせると、巨大な炎を放出した。


「くっ!」


 僕は咄嗟に左に飛び、積み荷の中に突っ込んでしまう。ルシエルは二代目を抱え、上空へと逃れた。隠し部屋が燃やされ、退路が断たれてしまった。


 仮面男は手近の積み荷を燃やす。すると、積み荷が持ち上がり、僕たちめがけて飛んで来た。難なく避けるが、燃えた荷は他の荷の上に落ち、さらなる延焼を招いた。それだけではなかった。巨大に膨れ上がった炎がゆらりと鎌首をもたげたかと思うと、爆散した。火の粉が周囲に降り注ぎ、あっという間に倉庫の中には炎の平原が形成された。


 あの男の赤色魔法は自分が放出した炎なら、体から分離していても操ることができるのだろう。そして厄介なことに、燃焼中の物質も操ることができるらしい。


「まずい!」


 ルシエルは叫ぶと、二代目を抱えたまま一直線にある方向に走った。僕も後を追う。その先には孤児たちがいる。このままでは炎に飲まれる――。しかし、僕たちの目の前で、子供たちは炎に飲み込まれてしまった。


 だが。

 子供たちは、炎の中でも眠っていた。炎が掛け布団かとでも言うかのように。なんだ、この火は。人を燃やすことはできないのか?


 すると、火の粉が飛んできて、僕の腕に付いた。すぐに手で叩き消そうとするが、消えなかった。それどころかどんどん燃焼範囲を広げていく。


「しまった……!」


 腕が燃えているということは、奴の操作対象に――。

 直後、僕の体が持ち上げられる。そのまま上空へと浮かび上がったかと思えば、激しく床に叩きつけられた。


「ぁう……」

 効いた……。


 バシン!


 大きな音が鳴る。ハッと見ると、ルシエルが剣を僕に向けていた。腕の炎は消滅していた。


「この火は……知っているぞ。任意の対象しか燃やさず、普通の方法では消せない火……」


 仮面の男を見て、ルシエルは言う。男は高いところに立ち、僕たちを見下ろしていた。


 いつの間にか、倉庫中に炎は燃え広がっていた。男はバッと腕を上げる。すると、一帯の炎が男の手に集まった。圧縮され、球形へと形を変えていく――。


「逃げるぞ! あれはやばい!!」


 そう叫ぶや、ルシエルは二代目を抱えたまま高く飛んだ。そのまま天井を破り、外へと逃れる。僕もすぐに後に続いた。

 直後。屋根を突き破って、巨大な炎の柱が空へと放出された。


「うああああっ!」


 完全に避けることはできず、左足にかすってしまった。ブーツの先に灯っていた火は、瞬く間に膝まで燃え広がった。


 熱い! 千切れたと錯覚するほどの痛みに襲われる。手で叩いても、燃え移るだけだった。


「大丈夫だ、今消してやるから……!」


 ルシエルが暴れる僕の体を押さえつけると、バシンと音が鳴った。すると、幻影だったかのように炎は消え去った。猛烈な痛みだけを後に残して。


 ひらりと仮面男が屋根の上に舞い降りた。外の路地や民家の屋根には赤い顔が並んでいる。完全に包囲された。


「動けるか?」


 立ち上がろうとしたが、足に体重を乗せると槍で貫かれたような痛みに襲われ、地面に崩れ落ちてしまう。


「僕のことはいい。さっさと失せろ」


「それもいいが……させてくれそうにない」


 いつの間にか、仮面の男が増えていた。ずらりと並んだ男たちに、僕らは包囲されていた。そろいもそろって、おぞましい不気味な仮面をつけている。顔が歪にねじ曲がり、角が生え、腫瘍で覆いつくされ、舌が三枚もあり、獣のように鼻が尖り……仮装行列でもあるのだろうか。腕が恐ろしく長いものや、背むしのような者もいた。異形の集団のように見えるが、いずれも聖衣で全身が覆われているので、実際の姿は分からない。


「終わりだ、モモ」

 聞き覚えのある声に振り返ると、ロッソが立っていた。「手間かけさせやがって」


 彼は籠手の爆破魔法陣を僕に向けていた。仮面の男の赤色魔法を見た後では、それはやけに取るに足りない物に見えた。


「やあ、ロッソ。愉快な友達を連れてるじゃないか。是非とも紹介してくれ」


「俺も知らねえよ。大聖堂が新設した魔導士部隊って話だ」

 男たちを見ながら、侮蔑を込めた口ぶりでロッソは言った。


 魔導士部隊……そんなものを秘密裏に育成していたなんて話は聞いたことはない。ならば、こいつらの正体は……。


「捕らえたワーミーたちをその日の内に実戦投入とは……。なかなか効率的じゃないか」

 皮肉を隠さない冷たい調子でルシエルが言った。


「お前たちと話すことはない。ただ、動くな。これ以上無駄に体力を消費するつもりもない。だから、動くな。黙って鐘を聞け。お前たちに贖罪を与えてくれる音だ」


 言葉通り、ロッソは沈黙した。誰も動く者はいない。誰もが、待っていた。空から舞い降りてくるその響きが、僕らを包み込むその時を。


 ブーツが燃えて剥き出しになった皮膚は、焼けただれていた。とても動ける状態じゃない。もう戦うことはできない。ここまでか……。


 すると、ルシエルの剣が紫色に発光した。周囲を睨みつけながら、剣を構える。突破する気か。こいつ一人だけならそれも可能かもしれない。だが、動けない小娘と昏睡状態の小男、お荷物を二つも抱えていては不可能だろう。僕らを置いていけないのが正義の味方の辛いところだ。


「失せろ、ルシエル。二代目だけなら連れていけるはずだ」


「君にも王都で証言してもらうと約束した」


「馬鹿め。そんな状況か」


「こんな状況だからさ。子供を置いて逃げたなんて言ったら、師にも妹にも怒られてしまう」


 クソ、本気か。どうする……。どうすればいい……? こんな絶望的な状況、僕の力なんかでは変えられない。同じくらい、絶望的な力がなければ――。


 それは突然だった。


 世界は深い影に覆われた。ルシエルが空を見上げていた。彼だけじゃない、ロッソも。仮面の男たちも。教戒師も。そして、僕も。誰もが唖然として、開いた口が塞がらなかった。


 巨人が立っていた。

 大聖堂よりも遥かに大きな、天まで届かん大巨人。

 丸い眼鏡をかけた半笑いのその男は……クーバートだった。


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