商館長の長い話
「モモさんも知っての通り、私たち商会がこの聖地と協定を結んだのはほんの数年前のことです。その結果、固く閉ざされていたこの聖地にも外界の手が入り、国内外問わず多くの商品が流通することになりました。もっとも、旧来の市場は壊滅的な被害を受け、没落貴族を生んでしまったわけですが……そうまでしても大聖堂は我々と手を組む必要があった。なぜだと思います?」
「お前たち商会が提携国を巻き込んで圧力をかけたからじゃないのか」と、ルシエルが言った。
「ええ、まあ、そうなんですけどね。それはきっかけに過ぎないわけで」と、額をハンカチで拭いながら二代目は言った。
「実を言うとね、大聖堂の方から取引を持ち掛けてきたんですよ。ある物を商会に買い取ってもらいたいとね」
「薄色魔石か」と、僕は言った。
「はい、そういうことです。大聖堂は我々の持つ流通ルートに強い興味を示しておりましてね。まあ、今から魔石を売ろうと考えたら、我々に一任するのが一番ですからね。賢い選択です。我々は大聖堂から薄色魔石を仕入れ、外で売りさばく契約を結びました。その引き換えに聖地での商売が認められたのです」
「薄色魔石は大聖堂の地下で採れるのか?」
「さあ、どこで手に入れているのかは我々には分かりません。どうでもいいことですからね。大聖堂に属するあなたに分からないのであれば、私に分かるはずがないですよ。私が知っていることと言えば、大聖堂は毎月大量の魔石を用意して、我々は大金を払ってそれを受け取るということです」
大量の魔力を扱う魔法都市において、魔石は必要不可欠なものだ。薄色魔石という粗悪品だとしても、売りさばけるほどに余っているものなのか。
「いやはや、あのヴィクトリア・ウィンストン氏はなかなか話が分かるお方ですね。我々と大聖堂の交渉は全てあの方を窓口に行われました。あの方はよく理解していますよ、商売ってものを」
「では孤児の売買を始めたのはウィンストンなのか」
「ええ、そうです。大聖堂は孤児の価値が分かっていなかった。貴重な労働力を、むざむざ死なせるなんてもったいない。ウィンストン氏は私との会話からそのことに目をつけたんですね。孤児の売買を認めてくださいました」
「孤児はどうやって運び出した?」
「死体運びと提携して、商館へと運ばせるんです。難しいことはなかったですよ。何しろ、大聖堂ときたら普通の孤児のことなんてまるで管理してないんですから。彼らが目の色を変えるのは、特別な子です」
「私聖児だな」
「そう。私らは早い段階から、愛護寮に私聖児がいることに気づいていました。あれほどの上等な子供が、この聖地では毎年のように現れると来ている。売れば一人で薄色魔石一回の取引よりも利益を出せます。しかし、彼らは大聖堂により、徹底的に管理されていた。市場には出て来ない。ウィンストン氏に相談しても知らんぷりときている。私らはお宝を前にして指をくわえていたってわけです。そんな折、我々に接触をしてきた人がいます。誰だか分かりますか?」
「いいから答えろ」と、僕は言った。
どうせオブライエンだろう。
「ブライアン・オブライエン氏ですよ」
ほらな。
つまりは異端信仰者たちだ。
「劇場に招待を受けましてねぇ。のこのこ赴いたところ、いつの間にかポケットに報石が入っていました。何度かの連絡を通して、オブライエン氏がこの商館にやって来ました。顔も隠さずに来たのは、彼なりの誠意なのでしょうね。その場で、彼は私聖児の提供を約束してくださいました。簡単な話ではないですが、次の聖誕祭までにはきっと手に入れて見せる、と」
オブライエン家とウィンストン家の関係を考えれば、ウィンストンが商会と秘密裏に繋がっているのは面白くないだろう。商会が大聖堂との関係を深めれば、それに比例してウィンストンの力がさらに増すことになる。オブライエンは異端を利用して商会に食い込もうとしたのか。
「私はアテナ・ウィンストン君を求めました。あなた方も知っての通り、彼女はとても高い能力を持っている。あれほどの逸材はなかなかいませんよ。一体、どれほどの価値がつくのか分からない」
僕に顔を向け、二代目は言う。アテナを思い浮かべているのか、目を細め、下卑た顔になった。
「しかし、やはりアテナ君は難しいと。まあ、私も本気ではなかったですからね。そもそもの話、彼女が私聖児かどうかオブライエン氏には判別できないということでした。傍目から見ればどう見ても私聖児なんですけどね。代わりに、オブライエン氏は自分の娘を提供すると言ってくださいました」
「ジュノーか?」
「私も最初はそう思ったのですが……あの子は私聖児ではないそうです」
「ではルージュか」
「ええ、そうです。あの子は私聖児なんですよ。オブライエン氏の血を分けた娘ではないそうなんですね。だから、愛情もなかったんでしょう。私としては私聖児でなくともジュノー君の方が魅力的だったんですけどねぇ。この聖地には自分の子種かどうか判別する方法でもあるのでしょうか?」
ルージュは聖週間の初日に教戒師に襲われたと供述している。やはり異端たちが手を回していたのだろう。
「お前は、異端の正体を知っているのか?」
「ええまあ、自分たちで名乗っていましたからね」
二代目は大きく首肯した。それから、少し前に乗り出す。「彼らは自分たちのことを、『赤い鳥の信奉者』だと言っていました」
「赤い鳥?」
「ゲブラーや信徒たちをこの地に導いたという鳥のことか?」と、ルシエル。
「聖獣信仰……」
聖人を助ける聖なる獣たち。カルムにある各聖地には、聖人と共に彼らの伝説も多く残っている。聖人を時に導き、時に救う聖獣たちは、ともすれば聖人よりも優れた存在であると考える者もいて、土地によっては信仰の対象となっていると聞いたことがある。
オブライエンの屋敷での聖人像……粗雑な造りのゲブラーに対し、やけに精緻だった赤い鳥……。あれはこれを意味したのか? 異端信仰者の正体は赤い鳥の信奉者……。
「と言っても、それを知っているのは異端たちの中でも上位の者たち――例えばオブライエン氏たちだけのようですけどね。そして、彼にしたって普段は知らないそうですが」
「どういう意味だ?」
「彼らにはね、実体がないんですよ。まるで亡者のようです」
「実体がない……?」
「異端信仰……異端。彼らが信仰しているのはその言葉です。自分たちでも何を信仰しているのか、知らない。正確に言えばですね、忘れているんです」
「忘れている……」
「信仰の記憶に続く扉の鍵を取り上げられている、とでも言いますかね。代表者のみが記憶を保持し、他の者たちの記憶を消してしまうのです。ですから、日常生活を送るに当たり、彼らは自分たちが赤い鳥の信奉者であることを忘れているわけですね。ですが、何かの折に鍵を与えられ、信仰の扉を開くことができる」
市民洗浄の応用か……。しかしこの規模となると……恐らく、管理塔の人間を支配下に置いている。本人たちも忘れているのなら、たとえ審問したところで辿り着けないはずだ。
「奴らを一斉に目覚めさせる方法はあるのか?」
「さあ。分かりません」と、二代目は腕を挙げて降参を示す。
「推察はできるな」と、ルシエルは言った。
「ああ、そうだな」と、僕は言う。
「いやはや、見当もつきませんねぇ。何でしょう。例えば……鐘の音を聞く、とかですかね?」
二代目は額に指を当て、片目をつむって言った。
こいつ、やはり全て知っているんじゃないのか?
「鐘の音を鳴らす魔法陣は毎回変わるそうだ。だとすれば、効能も音ごとに変わると考えるのが自然だ」と、僕は言った。
「考えたな」と、ルシエルは頷く。
魔法陣の作成がどのように行われているのかは分からない。しかし異端どもが大聖堂に蔓延っているのなら、干渉することもできるだろう。
「方法は知る由もないですが、とにかく彼らは定期的に異端信仰者へと戻り、どこかに集まるのです。それを異端集会と呼んでいます」
と、小さく咳ばらいをして二代目は言った。「それまではオブライエン氏の屋敷で行われていたそうですが、大聖堂に目をつけられたとのことで不可能になってしまったそうです」
地下の部屋のことか。
「彼らは集会の場を求めていました。そこで、私はこの商館を提供したのです。協定により、大聖堂はここには立ち入ることができません。彼らは安心して集会を行えることができるようになりました」
「異端たちはここに集まっていたのか?」
「はい。商人たちの舟に隠れてこっそりと。この塔にある倉庫を場所として提供しました。全員参加というわけではなく、小規模なもので、そのメンバーも大部分は毎回異なっているようでした。私は彼らに干渉しませんでしたから、何をやっているのかは知りませんが、ここを拠点に活動の幅を広げたようでした。商人たちの一部を貸し与えましたから、やれることが増えたんでしょうね」
「ここで集会を始めたのはいつ頃だ?」
「半年ほど前ですかね」
「カルミルが襲われた時と同じだな」
「ええ、そうですね。彼は非常によくやってくれました。無事に都市から出られるのでしょうかね。彼と会ったのは、さらに以前、一年前くらいですか。孤児と一口で言っても、ウィンストン氏の影響の及ぶ愛護寮は一握りなんですね。カルミル君はその他の愛護寮の子供を差し出すと言って、我々に接近してきた。ええ、大聖堂からの指示だということはすぐに分かりましたよ。そりゃね」
二代目はニコリと皮肉めいた笑みを浮かべる。「ウィンストン氏だけでは十分ではなかったのでしょうね。より詳しく我々の内部を探る必要があったのでしょう」
「そうだろうな」と、僕は言った。
「まあ彼のくれる情報も馬鹿にできませんでしたから、互いにうまく利用し合っていましたよ。ええ。そして、半年ほど経ち、この商館で異端集会を開くにあたり、どうしても大聖堂の目を欺くための力が必要になった。これまでの話を聞けば分かると思いますが、不干渉特権と言っても表面だけで、大聖堂は我々をしっかりと監視していたわけですね。ですから、カルミル君をこちら側に引き込むことにしたのです。異端信仰者たちは彼を襲い、結果として支配下に置くことができました。それにより、無事に集会を開くことができるようになった」
「異端は怪物を飼っているとカルミルは言っていた。用心棒なのだろう。そういう奴に心当たりはあるか?」
「怪物……?」と、ルシエル。
「審問官よりもはるかに強い力を持った者がいるらしい」
実力から見て最も疑わしいのはグレンだ。この聖地で審問官のカルミルを一方的に追い詰めるような真似ができるのは奴だけだ。オブライエンが異端である以上、娘を利用した可能性は高い。だが、審問でグレンから聞き出した話では、同一化した時に異端としての記憶はなかったらしい。洗脳されて駒として利用されていたのなら記憶には残っていないだろうが……。グレンは異端たちから用心棒として利用されていたのだろうか。
二代目は腕を組み、目をつむる。
「どうでしょうねぇ。私にはちょっと分かりかねます」
どこか、演技臭さがあった。何か知っていることでもあるのだろうか。
「カルミルは私聖児たちを連れ去ろうとした。あれは異端信仰者たちの指示なのか?」
「正確には、違います。オブライエン氏は私聖児の提供を約束してくださいましたが、彼らの計画ではその私聖児はあくまでルージュ君のことだったのです。結果はあなたもご存じの通り、あの子は今は大聖堂にいますね。オブライエン氏もですけれど」
ハハハと、乾いた笑い声を上げる。僕もルシエルも屈強な男も重い沈黙で応えた。
「カルミル君の行動は彼の自発的なものです。彼は異端信仰者たちに襲われ、第伍愛護寮に逃げ込みました。そして、結果的にそこの孤児たちと懇意になったのです」
「知っている」と、僕は言った。
「カルミル君が愛護寮に入り込んだのは、偶然のことでした。彼の孤児たちを想う優しい心を利用し、異端信仰者たちは仲間に引き込むことに成功したわけですね。でも、偶然というのは面白いですねぇ。第伍愛護寮というのはね、私聖児育成の実績を買われ、他所よりも多くの私聖児を預かっている場所だったんですよ。カルミル君はある少女に恋をしました。そう、ジュリア君です。彼は私にある交渉を持ち掛けてきました。それは、ジュリア君を連れて聖地の外に逃げる、その手助けをしてほしいというものでした」
「なるほどな。その見返りに私聖児たちを売ることになっていた、と。だが、結果的に奴は失敗した」
「ええ、そうです。せめてジュリア君だけでも残してくれたらよかったのですが」
「大聖堂にカルミルを密告したのはお前だな」
僕がそう言うと、二代目はぱちぱちと目を瞬いた。
「奴は人格の消去が行われていた。あれは大聖堂が感知しなくては行われないものだ。カルミルが大聖堂を裏切ったことを知っているのは、異端たちとお前だけだ。異端がカルミルを切るはずがない。お前はカルミルに協力すると約束し、手駒として利用した挙句、用済みになった奴を消そうとした。ジュリアも奴隷として売りさばくつもりだったのだろう」
「そうやって仰られるとずいぶんと非道な人間に聞こえますねぇ」と、二代目は他人事のように言う。
「ビジネス、だろう? 貴様がここでやっていることは全て同じだ。平穏な地に不和の芽を巻き、対立する二者両方に手を貸し、利益をかすめ取る。商会流のビジネスモデルなのだろうが、あまりにも人を馬鹿にしたやり方だ」
「いやはや、説教とはいつになっても身に染みるものです」と、額の汗を拭きながら二代目は言った。「私としてはね、懇意にしている方の全員に幸せになってほしいと。そのために協力は惜しみません。ただ、私も無償というわけにはいきませんから。最後にはこちらの方が少しだけ幸せになっているようにしているだけなんですよ」
「商人たちが教戒師を襲っているのも、幸せの過程なのか。あれはお前の指示か?」
「まさか、まさか。そんな恐ろしいこと、私が命じるものですか」
と、二代目は顔の前で手を振った。「彼らは少し頑張りすぎているみたいですね。そこまで強く言ったつもりはないのですけどねぇ。私はただ、聖週間の内にお宝を見つけてくれれば、私はとても嬉しいと伝えただけですよ」
「お宝だと?」とルシエルは眉を顰め、僕を見た。「何の話だ?」
「異端が持っているというお宝だ。オブライエンが所持していたらしい。だが娘の手に渡ったとされ、今は行方不明だ。こいつらはその隠し場所を僕が知っていると考えている」
核心をついたつもりだが、二代目の顔には少しも変化が見られなかった。
「なるほどね。教戒師を襲って情報を聞き出そうとしているのか。藁にも縋るってのはこのことだな」と、冷たくルシエルは言う。
「お宝ねぇ。本当にあるんですかねぇ」と、内心を少しも表に出さない飄々とした態度で二代目は言う。
「聖典の情報をお前たちに渡したのは誰だ?」
「聖典……」
二代目は微かに目を細めた。「……ああ、カルミル君から聞いたんですね?」
「誰がお前に情報を渡した」
「そうですね……。彼――あるいは彼女、便宜的に彼と呼ばせていただきますが、彼と初めて会ったのは、聖週間の少し前のことです。この商館に単身で乗り込み、そこ、そうあなたの腰掛けている長椅子の端っこに腰掛けていたのです。本当に影の中から突然浮き出てきたような、不思議な人でした。私はもうびっくりしちゃいましてね、手に持っていた杯を落として割ってしまいましたよ。なかなかの値打ちものだったのですが……いや、どうでもいいことですね。彼もやはり異端の仮面を被っていましたねぇ。みんな被っていますねぇ。その彼が言うにはですね、自分は赤い鳥を信ずる者たちの端くれ、今日は面白い話を持ってきた、と。そして、異端のお宝について話してくれました」
グレンに違いない。人知れずここまで来ることのできる実力、そして異端の情報、両方を保持しているのは奴くらいのものだ。ワーミーや怪物とやらを除けば、だが。
「曰く、聖絶技法で創られた代物だそうですが、彼も現物を見たことはないようです。しかし、もしも表に出れば聖地がひっくり返ってしまうと言われているものである、ということでした」
聖絶技法……。今は失われた、古代の技術だ。大聖堂もこの技術で作られている。それが事実だとしたら、確かに価値のある代物だ。
「彼がもちろん善意から情報をくれたのではないことは分かりました。我々と異端信仰者たちとの関係を裂こうとしていたのは明らかです。そもそもお宝にしても、本当に存在するのかも怪しい。あなたが発見したあの地下祭壇にしてもそうです。いかにもお宝を飾っていたと言っているような……。嘘くさく見えてしまう」
「だが、それでもお前は手を出した。何故だ?」
「上がね、欲しがっているんですよ。何としても手に入れろと無茶を言うんです。こちらの事情も知らないで、勝手なものです。我々としてはそんな不確かなものよりも、目の前の顧客との仲を優先したいところだったのですが」
なるほどな。それなら目の色を変えているのも当然だ。
聖典が本当に聖地を揺るがすような代物だとしたら……もしも流出してしまえば、大変なことになる。商会はお宝を確保し、大聖堂との交渉を有利に持っていこうと考えているのだろう。
「商会が狙っているのは聖地にある魔石の鉱床か?」
二代目はゆっくりと頭を振る。
「それだけじゃない。聖人領であるこの土地は王国の目が届かない。ここを手に入れることができれば、王国を中から崩すための拠点となる――かもしれません」
「そう上手くいくかな」
ルシエルは顎に手を当て、息を吐く。
「まあ、実物を見てみなければなんとも言えませんけどね。聖週間初日に再び彼はここに来ました。私は言いましたよ。お宝の話は確かに魅力的ではありますが、我々が動くほどの話ではない。我々を動かしたいのなら、それ相応の価値があることを証明するべきだ、とね。彼は言いました。聖週間の二日目、その劇場で面白いことを予定している、と」
「聖週間二日目の劇場……?」
僕が呟くと、
「確かに、面白いことがあった」と、ルシエルは言った。
僕が顔を向けると、彼は自嘲気味に笑った。「劇団員にワーミーが紛れ込み、劇場を乗っ取っていた。俺たちはワーミーを捕らえようとしたが、見事に失敗した」
「そうです。劇場にはワーミーを捕らえるため、シューレイヒム卿……今はもう別の人になってしまったみたいですが、騎士だった人たちや教戒師たちがなだれ込みました。ワーミーの確保のためという名目ですが」
二代目は返事を求め、ルシエルを見た。
「ああ、そうだ。ジュノー・オブライエンからの報告で、劇場にワーミーが紛れ込んでいることが分かった。俺たちは大聖堂から依頼を受け、秘密裏に確保に向かった」
「その報告では、ワーミーは裏側にだけいるという話でしたか?」と、二代目は訊ねる。
「いいや。観客にも洗脳された者たちがいる可能性があるということだった。何しろ、劇場で紫色魔法を使い放題だったからな。観客などいくらでも洗脳できる状況にあった」
「それで、観客たちは一時劇場に留められ、検査を受けたはずです」
「ああ。もっとも、俺は外区画に飛ばされてしまっていたから、話に聞いただけだがな。戻ってきたら全部終わっていたよ」
「無能だな」と、僕は言った。
「頑張ってはいるんだ」と、ルシエルは爽やかな笑みを浮かべた。
無能の働き者か。
「実は、あの場には異端信仰者たちが集められていたのです。それも、彼らの中でも上の方の人たちが。言ってみれば小規模な異端集会が開かれていたんですね。それと言うのもね、異端たちは以前から劇場を利用していたのですよ。私に接触してきた時と同じようにね。一夜の内に様々な階級が集まるあの場所は、彼らにとって都合がよかったのでしょう」
「異端どもが捕まったなどという報告はなかった」
「ええ。全員逃がれたようですからね。観客席でちょっとした騒ぎがありましたから、それに乗じたのでしょう。もっとも、その騒ぎ自体も彼らが起こしたのでしょうが」
「お前も劇場にいたんだな?」
「ええ、まあ、いましたね。隠れてこっそり見ていましたよ。素晴らしい劇でしたねぇ。アテナ君も素晴らしかったですが、やっぱりあのシュナ君の演技には驚かされましたね。あの子はきっと大物になりますよ。もっと前から目をつけておくべきでした。惜しいことをしましたよ。目利きには自信があるつもりだったんですけどねぇ」
「お前の目的は劇ではないはずだ」
僕が言うと、二代目はコクコクと二度頷いた。
「ええ、そうです。私は異端集会に参加していたんですよ。彼らは直接会って話をするわけではないんです。報石を使って会話をするわけですね。ここにやって来た例の彼から、私は報石を預かりました。みなさんの会話は全て筒抜けでしたよ」
二代目は報石の板面を読む仕草をした。
「その集会では、お宝の実在を証明するという名目で行われたそうです。オブライエン氏が用意したのは、地下祭壇に置かれていた匣です。それを一階のある席に配置しました。まあ、匣は開かない仕掛けになっていたので、その中身が明らかになることはなかったようですが」
「席を訪れた奴を特定するのが目的か?」
「いえ、ご存じと思いますが、一階は中区画に住む者たちの席。そこは下級貴族と裕福な平民たちが混在する、大変賑やかな所です。誰しもが次のチャンスを虎視眈々と狙い、より多くのお金を稼ごうと躍起になっているのです。当然ながら、劇なんてまともに観ることもなく、情報交換に精を出していました。人々の行き来が激しいその場所で、どうして特定などできますでしょうか。オブライエン氏にもそれは分かっていたはずです」
「では何のための集会だったんだ?」
「さてね。お宝を所持していることは権力の頂点だという証のようですから。オブライエン氏は自分の立場を確固としたものにしたかったのではないでしょうか」
「お前は地下祭壇の存在を知っていたんだな」
「いいえ。屋敷で集会を開いていることは、オブライエン氏自身から聞いていました。ですが、それが地下であることも、そこに祭壇があることも私は知りませんでした。祭壇については報石に刻まれた彼らの会話の中で、初めて知りましたよ。もっとも、集会では彼はオブライエンではなく、レドーという名で呼ばれていましたが。他にもルブルムとかアドムとかいましたねぇ。変な偽名ですね」
「使徒の名前だ」
「ああ、そうだったんですか。状況からするとレドー氏がオブライエン氏に違いないようでした。オブライエン氏は最後まで弁明をしませんでしたね。集会の終わり頃に、誰かが刻みました。『いずれ全てが明らかになるだろう』とね。オブライエン氏が刻んだのだろうと思っていたのですが……。その後に起きたことを考えると、違ったのかもしれませんね」
「翌日にオブライエンは潰された」
「はい。奥方も娘たちも全員捕らえられてしまいました。残念なことです。オブライエン氏とは良い関係を築けていたと思っていましたからねぇ。私が大聖堂に報告したばっかりに。胸が痛みましたよ」
「報告……?」
虚を突かれ、普通に訊ねてしまう。
「ええ、そうです。その晩、例の彼は再び商館に現れました。私は替えの報石を用意し、それを彼に渡しました。集会の終了後に石の記憶は自動的に削除されたので、判別される恐れはありませんでした。異端集会はとても興味深いものだったと、私は言いました。その行方はともかくとして、どうやらお宝なるものが実在することは事実のようだ、と。そして、上からの話を彼に伝えました。こちらにもお宝を手に入れなければならない理由ができた。異端たちを出し抜きたいから、協力してほしいと。彼は私の言葉に満足したようでした。しかし、その頃には私が送った報石が大聖堂に届けられていたのです。やはり大聖堂は石の記憶の復元ができるようですね」
二代目は腕を組み、ふーっと深い息を吐いた。
「私はね、考えたのです。彼の望んでいることは何なのか。どうやら、異端信仰者と我々商会、そして大聖堂の対立を画策していたようでした。では、私の取るべき手は一つ。彼の望んだ構造を利用してやればいい。そうすれば、こちらが最大の利益を得ることができる。彼の正体なんて気にもしませんでしたねぇ。報石にも刻まれたように、いずれ全てが明るみになると思っていましたから。実際、その通りでしたよ。今朝、私は彼の正体がジュノー君であると知りました。あの子は恐ろしい子です。いくつもの陣営を対立させ、さらにその対立の中にワーミーさえも加え、聖地をめちゃくちゃにし、そのどさくさの内に妹を連れて逃げる算段だったのでしょう。目的を達するために何を犠牲にするのもいとわない。実に見事です。でも、大聖堂と私が結託したのは予想外だったのでしょうねぇ。まあ、こればかりは経験の差という奴でしょうね」
商会と大聖堂は結託している?
僕にとっても、それは全くの予想外の話だった。
「では……商人たちが教戒師を襲っているのは……?」
「末端の商人たちにはほとんど情報を与えてはいません。偽の聖典のことも、地下祭壇のことも。彼らにはもっと派手に動いてもらう必要があったからです。まあ、少々頑張りすぎてはいるようですが……結局のところ、パフォーマンスですよ。異端の方々や、王国、そしてハルマテナ皝国には我々が大聖堂と決別したと思わせる必要がありますからね。我々は大聖堂と対立を装い、聖地から一時的に手を引く取り決めになっています。聖地の市場はまたも大混乱に陥るでしょうが……大聖堂は聖週間が終わった後、聖地の大掃除をするらしいのです。我々はその邪魔をしないよう、一度聖地から出て行きます。不要なものが取り除かれたすっきりとした聖地で、再び商売ができるその時を楽しみにしていますよ」
「オブライエンの屋敷で……商人たちを捕らえた。あの時、大聖堂がすぐに解放するように指示したのはそういうことだったのか」
「大聖堂もね、異端のお宝を探しているのです。しかし、彼らはあまり野蛮なことはできません。ですから、我々に宝探しを委託しているわけですね。我々が見つけ出し、大聖堂に買い取っていただくことで合意しました」
「あの孤児たちは?」
「もちろん契約の内です。一時的にしろ聖地から撤退することに対する損失の補填ですね。私聖児たちは数には入っていませんでしたが……まあ、失敗したので誰も損はしていません。忘れてもらいましょう」
「お前たちは合意の上で大聖堂から夜逃げをすると。だが、お宝はどうする? まさか本当に大聖堂に渡すわけではあるまい? そのまま本国へと持って帰るつもりだろう」
「もちろんそれがベストです」
「クズめ」
「ビジネスですよ」
二代目は机の上で両手を組んだ。「我々の知る異端と魔石についての話はこのくらいのものです。信じる信じないはあなた方次第ですが、真実を語ったつもりです」
「まあ、確かにな」
大聖堂との関係についてまで、僕に話す必要はなかったはずだ。それを誠意だというのなら、その通りなのだろう。
「では、今度はこちらにも協力してほしい。モモさん、あなたがグレンさんと大聖堂で何を話したのか、全て教えていただきたいのです」
二代目は真っすぐに僕を見据える。
「お前はグレンが本物を所持しているとまだ思っているのか。祭壇ははったりだと自分で言っていたじゃないか」
「お宝の正体が聖典であることが判明しているように、少なくともあの祭壇には何かが飾られていたのです。ジュノー君がそれをオブライエン氏から受け継ぎ、どこかにやってしまったのは確かです。本物ではないでしょうが、ヒントにはなってはいるはず。あなたが全てを聞き出したとは思いません。ですが、お宝に繋がる何らかのことを聞いている可能性はある。あなた自身もまだ気がついていない、とても大切なことを。私が知りたいのはそれなのです」
やれやれ。いけ好かない奴だが、こうまで長い話をべらべらと喋ってくれたのは事実には違いない。では、僕もそれに応える必要がある。こいつなりの誠意に、僕なりの誠意で。
「そうだな……」
僕はしばし考え、口を開いた。




