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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第四章 モモの審問
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カルミルとジュリア

 手に力が籠る。


「かはっ」、ジュリアは苦し気な声を上げた。


 必死に僕の腕を掴み、何とか逃れようとする。しかし、痩せぎすの身ではろくに力を籠めることさえできない。


 死ぬ。

 この子は今ここで死ぬ。

 確実に。

 僕が殺す。

 殺してしまう。


 ……嫌だ。


 そう思っている自分が、意外だった。


 殺したくない。

 僕はジュリアを殺したくなんかないのだ。

 だが、どうしようもない。

 自分の意思では止められない。


 誰か、僕を止めてくれ――。


 急に横から腕を掴まれた。

 ハッと顔を向けると、カルミルだった。

 傷む頭を抱えながらも、それでも力を籠めて僕の腕を掴んでいる。


「ジュリアに……手を触れるな……」と、か細い声で言った。


 どこにそんな力が残っていたのか、強引に僕をジュリアから引きはがす。


「カルミル様……!」と、ジュリアは言った。


 僕は素早くカルミルを蹴る。カルミルは吹き飛び、無様に床に転がった。


「まだ人格を保っているのか。さっさと交代してしまえ」


「かはっ、はぁ……はぁ……」

 カルミルは床に膝をつき、苦し気に息を吐いた。


「すまない……ジュリア……。こんなはずじゃなかった……。僕はもう……消える……。それが分かる……。頭の中で声がするんだ……。僕を根本から否定し……殺そうとする」


 声?

 頭の中の声による自己否定……。

 これは活動限界ではないのかもしれない。人格の消去だ。だとすれば、本当にもうこいつが消えるのは時間の問題だ。


「その前に……君だけはここから逃がす……」


 カルミルはゆっくりと立ち上がる。


「死に体のくせに偉そうなことを言うな。そんな体でどうするつもりだ?」


 僕はカルミルの首を掴む。足腰に力は入っておらず、ぐにゃりと簡単に膝を折った。そのまま、空っぽの顔を殴りつける。


「やめてください!」


 ジュリアが叫び、力任せに僕を押した。小娘の力で動かされたりはしない。構わずもう一度カルミルを殴ろうとすると、あろうことかジュリアは僕とカルミルの間に強引に入り込み、立ち塞がった。


 何故こいつが割って入って来る。お前を護るためにカルミルは死力を振り絞ったのだろうが。僕がカルミルをいたぶっている間に逃げていればよかったものを。

 背信者を前にしたら、僕にはもう自分を止めることができないのに――。


「お願いします、私たちを見逃してください! 私たちは決して逃げ出すのではありません! 外に出て……力を得てきっと戻ってきます!」


 強い眼差しで僕を見て、ジュリアは言う。


「力だと?」


「貴族にも対抗できる大きな力――財力や権力……この聖地にいては、絶対に手に入らないものです! 私たちは外でそれを手に入れます! 買われた子供たちもみんな取り戻します! たとえ何年かかっても……! 私たちは力を得て、大聖堂とだって渡り合える力を得て、必ず戻ってきます! そしてこの聖地を、みんなが平等に暮らせる都市にしてみせます! だからお願いします、私たちを見逃してください!」


 本当によく喋る子だ。

 それももうできなくなるのだが。 


「今の話を聞いて見逃すと思うのか」


 僕はジュリアもろともカルミルを殴ろうと、腕を振りかぶる。


 カルミルは咄嗟にジュリアを突き飛ばし、僕に掴みかかった。勢いのまま、僕は床に組み敷かれる。だが、大して力が籠っていない。


「だから……君の審問だけは受けたくないと言ったんだよ、モモ。背信者を前にすれば理性を失い、どんなに酷いこともできてしまう。グレンを壊したのもやはり君だろう」


「黙れ、審問官の恥さらしが。さっさと消えてしまえ」


 その時。

 一瞬のことだったが……。

 カルミルの顔に陰影が見えた。そんな気がした。


 僕は力を籠めてカルミルを突き飛ばす。当たり前だが、顔など見えない。ただの気のせいだ。

 このままこいつの手足の骨を折り、無力化する。そしてこいつの眼前で背信者を殺す。できるだけいたぶって殺す。己の無力さを噛みしめ、せいぜい後悔するがいい。


 僕はカルミルの足を踏み砕こうと、足を上げる。

 だが、足が上がらなかった。その場にがくりと膝をついてしまう。頭痛だ。頭にひびが生えているのではないかと思える、強烈な痛みが襲った。

 活動限界か――? 

 いや、違う。この痛みは……もう何度も経験した。

 ジュノーの審問の時。ワーミーに捕らわれていた時。こんなに都合よく活動限界が起きるものか。


「審問官は背信者を許すことができない。そういう風に造られている。僕はジュリアを殺す。消えゆくお前には僕を止めることはできない。だからジュリアを助けたければ……今ここで同一化をするしかない」

 と、僕は言った。


「何……?」


 ふらふらと上体を起こし、カルミルは言う。


「同一化は……記憶の共有により起きる現象……。その一端を頼りに、表裏の人格が同じ席に着く……。二人にとって共通の存在は、ジュリア……」


 違う、これは……僕の言葉ではない。

 誰かが僕の口を借りて、言葉を発している。

 誰か? 

 決まっている。表の僕だ。


「ジュリアの記憶……」と、カルミルがポツリと呟く。


「ジュノーは……グレンの時に行ったルージュの審問の記憶を共有したことで、二つの心を一つにした……。だから――むぐ……」


 僕は手で口を押える。

 僕の口で勝手な言葉を吐くな! 

 そのまま、床に額をつけた。


 うぅ……頭が痛い。痛い。痛い。


 取り戻せ。僕の体を。背信者どもを殺すんだ……。今動かなくて何が審問官か……!


 カルミルはジュリアへと手を伸ばす。ジュリアは差し出された手をしっかりと両手で握り締めた。何かが、変わろうとしている。カルミルを見て、それが分かった。奴は何かを掴みかけている。このままではまずい。今すぐに奴を止めなければ――。


 だが、またも強烈な痛みに襲われる。


「くぅうう……」


 僕は仮面を外し、髪を掻きむしる。ダメだ、これは。まともでいられない……。

 床に強く頭を叩きつける。何度も、何度も。頭を割ってしまえば痛みも消えてくれるはずだ。だから割ろう。割るんだ割れろ割れろ割れろ……うう……痛い痛い痛い痛い痛い……。



「ジュリア――」


 声が聞こえた。僕は傷む頭を押さえ、顔を上げる。

 カルミルとジュリアが抱き合っていた。

 何だ? こんな状況で何をしている……?


「この堪えきれない嫌悪……貴族の僕が君を拒絶しているんだね。でも、分かったよ。大したことじゃないんだ、こんなもの。憎悪に実体がない。そういう風に育てられたというだけなんだ。君を抱きしめたこの温もりの方が、どんなに確かなものだろうか」


 まさか。

 そんな、まさか……。


「貴様、カルミル――」


 カルミルはジュリアを開放すると、僕を見る。

 顔があった。カルミルに、顔があった。僕も知っているその顔は――。


 瞬間。

 バチンと頭の中で弾けるような音がした。

 視界が、真っ白になった。頭がぼやけ、もはや思考もできない。僕はがくりと膝をつき、その場に崩れ落ちた。


「あ……あぁ……」


 指の一本さえも動かせない。孤児院の時と同じだ。記憶の消去が行われているのだ。もう一人の自分の正体に行き当たったわけではない。ただ、カルミルの顔を見ただけだ。だとすれば、今この瞬間、カルミルは――。


「僕は同一化した」

 と、カルミルは言った。「心、か……。手に入れてみると、あって当然のように思えるよ。本当に今まで持っていなかったのかな」


「カルミル様……」


 カルミルはジュリアの肩に手を置いた。


「ジュリア、僕はもう大丈夫だ。さっきの君の言葉だが……あれが本心でいいんだね」


「はい。私は外の世界に出て、大聖堂にも屈しない力を手に入れます。私に何ができるのかは分かりませんが……諦めたくありません」


「君なら何にだってなれるさ。僕も協力するよ」


「あの……何とお呼びすればよいのでしょうか」


「何でもいいさ。僕は██であってカルミルでもある」


 そう言うと、カルミルはジュリアから離れ、床に這いつくばる僕の方へとやって来た。肩を掴まれる。僕は彼の顔を見ないよう顔を伏せた。


「君には僕が見えないようだね。本当は見えているはずなのに、記憶が消去されてしまう。その理由は、今なら分かるよ。君が僕の妹だからだ。僕の顔を見てしまえば、表の自分の正体を知ってしまうから。同一化は君に対する絶対の防御でもあったわけだ」


「黙れ……」


「僕たちはこのまま都市を出て行く」


「本気か……?」


 僕はジュリアを見る。彼女はコクリと頷いた。


「孤児院に戻ってやりたいが、恐らく教戒師がいるだろう。このまま出て行くしかない」


「それで……構いません。あの子たちには、私なんかいなくても本当は大丈夫なんです」


「行かせない……」


 カルミルはそっと僕の頭を撫でた。懐かしい感触だった。夢の中の、あの人と同じような温かな――。僕に対する哀れみ……優しさが籠もっているような。


「母や兄に何の挨拶もなしに出て行くのは気が引けるが……まあ、元々僕らの間に愛情なんてありはしないからね。実際……本当に血が繋がっているのかさえ分からない。問題ないか」


 カルミルは僕の肩を掴むと、顔を直視させる。

 その瞬間。僕の頭の中は真っ白になった。



 ……。

 本……。

 不思議な本……。


 ここは、どこだ。

 部屋……どこかの……。

 大聖堂だ……。大聖堂の部屋……


 机に置かれた本の……ページをめくった……。


「ねえ、不思議でしょう?」


 彼女が言った……。

 その本には……何が描かれていたんだっけ……。

 彼女の言う通り、不思議な何かが……。


 でも、思い出せない……。

 いや、違う……。

 知らないんだ……。

 だって、これは僕の記憶じゃないから……。




「起きろ」


 頬を叩かれる。

 男たちが僕を囲んでいた。全員が殺気を込めた目で僕を睨んでいて、武器に手をかけている。行動を誤れば、直ちに頭蓋を粉砕されてしまうだろうという確信があった。


「あの男はどこに消えた?」


「どこに……?」


 僕は部屋を見回す。

 カルミルとジュリアの姿は既になかった。

 逃げられた……。


 背信者どもめ。大聖堂に対抗する力を得るだと?

 だが、カルミルの強さとジュリアの能力があれば不可能でもないのかもしれない。


 もういい。あの二人がどんな人生を送るとしても、聖地から出て行くというのなら僕の知ったことではない。頭の痛みとともに、ジュリアに対する殺意までが消えていた。


 このまま捕まるにしろ、聖地の外で野垂れ死ぬにしろ、あるいは成功するにしろ、好きにすればいい。



「やはり孤児を連れて逃げたようだ」と、男の一人が言った。


「この仮面、どこで手に入れた?」

 僕の被っていた仮面を手に、男が言った。


「商兵に襲われた時……奪った」


「ガンドレだな。こいつが例の審問官だ」


「ヒュー」と、男の一人が口笛を吹く。「やるじゃねぇか、お嬢ちゃん。可愛い顔して強ぇんだな」


「こいつをどうする?」


「連れて来いとさ」


 男たちは僕の肩を掴み、立ち上がらせた。


「ついて来な、お嬢ちゃん。二代目がお呼びだぜ」


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