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聖週間の少女たち  作者: 雲丹深淵
第一章 ダリアの花冠
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巫女の屋敷の使用人

 陽光が戸に遮られた薄い部屋で、ベッドの上から母はいつも私を迎えてくれた。


 頬には朱が差してあり、声も明るかったように思う。そして何により、以前と変わらない笑顔がそこにあった。だから、母は健康なのだと思っていた。聖人様は私の願いを聞き入れてくれているのだと、信じていた。すぐにまた元気になって、外にも出られるようになるだろう。今度こそ、花冠の作り方を教えてもらうのだ――。

 私と会う前には必ずお化粧をして、細い体で無理をしていたのだと分かったのは、母が起き上がれなくなってからだった。


「ごめんね……」


 何かのたびに呟かれるその言葉が辛かった。


 どうして謝るの?

 謝らなければならないのは私の方だというのに。

 こんなに大好きなのに、こんなに愛してくれたのに、まだ何も返せていない。聖人様には毎日欠かさずに祈っている。まだ連れて行かないで。私から奪わないで。一人にしないで。母が一緒にいてくれる、それだけで私は十分なのに。そんな簡単なことさえ許してくれないのだ。


「私がいなくなったら……あなたは……」


 目を涙に濡らして、母は言った。その顔は痩せこけ、いつもの笑顔はそこにはなかった。母の体からは、およそ幸福と呼べるもの全てが抜け出していた。


 私は今まで何をやっていたのだろう。聖人様にお祈りをするよりも、もっと他にするべきことがあったはずだ。お屋敷での仕事も休みをもらって、ずっと一緒にいるべきだった。そんな簡単なことに、どうして手遅れになってから気がつくのだろう?


 母が最期に何を語ったのか、私は覚えていない。言葉は耳に入っていたが、深い悲しみのためだろう、どうしても思い出すことができない。目に見えない亡者の群れが生み出す冷たい静寂に全身をすっかり覆われて、ただただ震えることしかできなかった。

 つかの間の自失から目を覚ますと、母の手が私の前に伸びていた。手を動かすのも辛いはずなのに。小刻みに痙攣するその手には、みすぼらしい花冠が握られていた。


 母が作ったのだろうか? ベッドの上から出られるわけはないので、誰かに頼んで材料を持ってきてもらったのだろう。ハネズヒソウで作られた赤い花冠。私は大事に受け取ると、しばし眺め、膝に置いた。

 母の手はまだ宙にあった。震える私を温めようとしてくれているかのようで。それが分かったから、両手でしっかりと手を握った。


 ひやりと冷たかった。

 死人のような。


 か細い声が耳に入って来た。

「私を恨まないで、ダリア――」


 虚ろな目で私を見つめるその顔は、次第に色を失っていく。


 私を恨まないで。

 恨まないで。

 恨まないで。


 そんな日が来るなんて、思ってもいなかったのに。


 〇


「いつまで寝てんだい、このバカ娘!」


 頭に強い衝撃が走り、私は飛び起きた。何やら悲しい夢を見ていたような気がするが、そんなものは頭の中から吹き飛んでいた。驚いて見てみると、ベッドの傍に怖い顔の女性が立っていた。太った中年の女性で、顔が歪むほどに満腔の怒りを込めて私を睨みつけている。


「ご、ごめんなさい……」


 じんじんと痛む頭を手で押さえて、私は言った。


 埃で飾られた薄暗い部屋。

 本館の豪華な部屋を一度見てしまうと、雲泥の差に羨望する気力さえなくなってしまう。むしろよくぞこんなところで寝てられるものだと感心してしまう。この悲惨は毎朝の新鮮な驚きだ。

 私の寝ているものは、木箱を並べた上にシーツを敷いたベッドとも呼びたくない代物で、浅い眠りと深い背中の与えてくれる。室内にはそんな簡易のベッドがいくつもあるが、全て空になっていた。


「さっさと支度をしな! 西棟をお前一人で掃除するんだよ! 終わるまで飯抜きだからね!」


「え、一人で……?」


「ああん?」


 赤ら顔の前では、言葉も口の外へは出ていきたがらない。続きは口の中でごにょごにょと。


 この人はヘブラさん。使用人たちをまとめている人で、みんなからはマダムと呼ばれている。自分にも他人にもとても厳しい人なので、主人からの信頼も彼女のお腹の肉ほどに厚い。この屋敷にいる限り、私が絶対に逆らってはいけない人。文句なんて言えるはずもない。


「返事は!?」


「はい、喜んで!」


「本当に使えない子だね、この子は!」


 吐き捨てるようにそう言うと、マダムは大股で出て行った。


「だったら自分で掃除すればいいでしょ!」


 カッとなって、私は言った。「馬鹿! デブ! 何よ偉そうに!」


 勢いよくドアが開いた。


「何か言ったかい?」


 灼熱を思わせる顔色のマダムがそこにいた。


 私は口に手を当て、でも何か言わなくてはと思い、「喜んで!」と叫んだ。


 勢いよくドアが閉まった。


 昔から、カッとなったら自制が利かなくなる。悪い癖だ。寝坊をしたのは私のせいで、マダムのせいじゃないのに。鐘の音を聞き逃すなんて……。


 私は息を吐き、使用人の衣装に着替える。



 私はコーデリア様のお屋敷で働いている。コーデリア様は名門サーベンス家のご党首であり、この聖地では「赤の巫女」として知られている。私の母とは古い友人だったそうで、その縁から私を屋敷に迎えてくださった。当時の私と母には、彼女が巫女どころか聖女様に見えたものだ。


 屋敷での仕事は辛いと言えば嘘になる。とっても辛い。労働の経験なんてなかった私は満足に仕事をすることができず、いつも誰かに怒られた。時に折檻を受け、痛みに夜も眠れないこともあった。文句なんて言える立場ではない私は、黙って耐え続けた。ある時から、誰も口をきいてくれなくなった。歩いていると足をかけられ、転ばされることが増えた。隠そうともしない陰口に悩まされた。


 生前の母の笑顔を思い出すたび、最後に見せた涙が辛かった。でもそんな悲しみも、時の流れの中では次第に薄れていく。母の花冠が枯れ果てた時、私はもう涙を流すことができなくなった。



 西棟は屋敷の外れにあり、倉庫として使われている。私にとっては、辛い場所だ。西棟には恐ろしい地下室がある。懲罰のために使われる場所で、使用人の間では「西棟行き」とは最大の罰を意味する。背中がズキリと傷んだ気がした。


 西棟は細長い建物で、一人で掃除するには当然手間がかかる。しかし、あまり人の出入りのある場所ではない。完璧にせずとも咎める者はおらず、誰かに虐められることもないだろう。夜までご飯を食べることはできないだろうが、普段よりかは幾分かマシだと考えよう。


 渡り廊下を歩いて西棟へと向かう。

 使用人の子たちがあからさまな悪口を言ってきたが、聞こえないふりをする。細心の注意を払っていたのだが、また足をかけられた。無様に床に膝をつかされる。キッと肩越しに睨みつけるが、もう誰もいなかった。遠くの方から重複した笑い声を浴びせられる。


 気にしない、気にしない。

 あいつらは馬鹿、あいつらは可哀そうな子。

 相手にしたって仕方がない。


 ホコリにまみれた私は、精一杯に胸を張って、先へと進む。


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