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「チ~っす」
ガラガラっと無遠慮に豆腐屋の仮住まいへとやってきたのは、落語国へ転移したというのに何の疑問を持たずに居着いてしまったホストの翔。
どういう理屈なのか、白いスーツは汚れるわけでもなく白いまま。髪型もホストの頃のまま維持している。
それでも腹は空くらしい。
「おから、貰っちゃいに来ちゃいましたぁ」
「おお、来たかい」
行商から戻って来たところの豆腐屋が威勢よく返事をした。
「聞きましたよ、切腹したって」
いきなり物騒なことを言うホストだが、もちろん切腹したのは豆腐屋の身内じゃない。赤穂浪士だ。
「先生が打首だって言うもんだから、どうなることかと思ったけどよ」
切腹したと聞いた時は豆腐屋も喜んだのだが、それは打首じゃないからだ。
荻生徂徠とのやり取りを横で聞いていたホストに改めて言われると、その時のやり取りを思い出すのか顔が曇る。
「でもでも、皆喜んでましたよ。切腹なら、義士もあの世で顔向けが出来るって」
打首ではなく切腹であれば、荻生徂徠が豆腐屋へ話したように、それは賊ではない。赤穂浪士の討ち入りには正当性がある、幕府がそう認めたようなものでございます。
逆に言えば、吉良上野介は仇であると認定したのです。
これは、浅野内匠頭だけを処分したことが誤りであると認めるようなもので、幕府にとっては重大な決断であったはず。
それは士でなくとも、豆腐屋もよく理解している。理解しているからこそ、荻生徂徠、おから先生へ反発してしまった。
いつものようにホストが茶碗に二杯、おからをかっこんだ時だった。長屋の戸を叩く音がする。
ホストのように不躾じゃない。いかにも礼節をわきまえた、トントンという上品な音だ。
「私、荻生徂徠と申します。豆腐屋殿はおられますでしょうか」
前回は豆腐屋が飛ぶように戸を開けたが、どうやら躊躇っているらしい。まだ、豆腐屋には思うところがあるようだ。
その様子を見て、代わりにホストが戸を開けた。
荻生徂徠は一瞥すると、少し間を置いてから話し始めた。
「おられましたか。今日はもう一度、話を聞いてもらいたいと参った次第です。先日、豆腐屋殿の義は私の義と違うと申された。あれから私もよく考えました。豆腐屋殿の義と赤穂浪士の義。それに私自身の義について。豆腐屋殿が考える義と私が考える義が本当に違うのかと。いくら考えましても、その義に違いはござらぬ。同じはずだ。しかし、豆腐屋殿の義と討ち入りの義は少々違う」
「先生、だからよ」
「もう少し聞いてはもらえないだろうか」
それを聞いて何も言わないのが豆腐屋の返事だ。黙ってじっと見つめる豆腐屋を見て、徂徠は続けた。
「討ち入りに駆られた義は士の義。学者の私の義とも、商人であられる豆腐屋殿の義とも少々違うのだろう。ただ、それを果たさねばならないという、強い思いにおいては同じであると言えましょう。私は士の義に疎かった。豆腐屋殿はそれを私に教えてくださった。義士らには士の、その忠義を認め腹を切らせました。今度は私に自腹を切らせてはくれないだろうか」
荻生徂徠が普請したことで、豆腐屋の再建が叶った。さらには荻生徂徠の口利きにより、増上寺の出入りが許された。
荻生徂徠が食べた豆腐だと、この豆腐を同じ様に食べれば出世が出来ると評判になり、たいそう繁盛したといいます。
芝三縁山増上寺の向かいに店を構え、箸を使わずに食べると出世する徂徠豆腐、その由来にまつわる一席でございます。