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毎度バカバカしい転生を一席  作者: 日立かぐ市
徂徠豆腐における新しいサゲの発明
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「ちょっ待ってよセンセ」

 その言葉に荻生徂徠おぎゅうそらいは立ち止まると、見慣れないはずのスーツを着たホストへの不審を顔に出すわけでもなく、ただ難しそうな顔をして足を止め追いつくのを待った。

「どなたか知らぬが、豆腐屋殿にあの様に言われてしまって取り付く島もない。普請は諦め、米を送ってそれをもって出世払いに代えさせてもらうほかあるまい。私にとっておからは米と同じ。豆腐屋殿もそれはよく知っている。米であれば断れないであろう」

 史実の荻生徂徠でございますが、生涯、豆腐屋へ月に三斗さんとの米を送ったそうでございます。

 江戸の頃は一日に五合ほどの米を食べたそうでございますから、二日で十合、つまり一升いっしょう食べる。

 二十日で十升、つまり一斗いっと。月にすれば一斗半。三斗の米であれば二人分の量となりますか。

 もちろんそれは、おからの恩に報いるため。

 義理堅い先生であることは間違いない。

「それも悪くないかもだけど、でもでも豆腐屋新しく建てちゃいましょうよ。妥協なんてしないで追求しちゃいましょうよ」

 食うや食わずの日々に追い込まれてもなお、仕事もせずに勉強した荻生徂徠だ、妥協する性格ではない。

 新しい豆腐屋を普請したいのは山々ではあるが、肝心の豆腐屋が断るのであれば、恩に報いることすら叶わない。

 しかし、見慣れぬ真っ白な装束の怪しげなこの男の言う通り、そうしなくては荻生徂徠の気持ちも収まらない。

 それにサゲが変わってしまう、ホストが迷い込んだこの落語も収まらない。

「それが豆腐屋の恩に報いるセンセの義だから。マジ、その気持ち俺もわかる」

「しかし、これ以上どうすると言うのだ」

 荻生徂徠の言う通り、何か策が必要となる。

 豆腐屋は落語国の江戸っ子だ、頑固と相場は決まっている。

 何か上手い策でもなければ考えを変えるはずもない。しかし考えるよりも前に飛び出したホストにはそれがない。

 ならば変えるべきは荻生徂徠の考えか。

「だってさ、センセは自腹切りたいわけっしょ、自腹を切ってでも報いたいって。その気持って皆同じじゃねえのかって俺は思うんすよ。おからをくれた豆腐屋も、それに討ち入りした士も」

 討ち入りという言葉に荻生徂徠の顔が再び曇る。やはり、討ち入りとは認めたくないらしい。

「それは先程も話しただろう。あの討ち入りには理由がない。仇討ちと認める理由がないのだ。浅野内匠頭長矩殿は松之廊下刀傷に至った理由を話さなかったのだ。その理由を話して貰えないのであれば、単なる傷害事件と捉える他ない。つまり浪士達はその加害者側。加害者による仇討ちなど、どうして認められようか」

 荻生徂徠の言う通り、浅野内匠頭が何か理由を説明していればよかったのだが、そうしなかった。

 わけもなく斬りつけたのであれば、赤穂浪士の討ち入りは単なる逆恨みでしかありません。

「めっちゃ話を戻すんだけどさ。あの豆腐屋さん、こんな凄い先生を死なせたらいけねえって豆腐を持ってきたんすよ。お代の四文が払えないことなんか最初から薄々わかっていたけど、それでも心配だからって。四度も豆腐を恵んでは恥をかかせる、だから今度はおからを持ってきたわけっしょ。先生もバカじゃない、豆腐屋の心遣いをわかっていた。でも言葉にせず、おからなら売り物じゃないからと素直に貰って食いつないだ。豆腐三丁のお代、十二文を貰っていない、払っていないなんてお互い一度も言わなかった。言えばタダ食いだ。豆腐屋さんも先生も法を曲げてしまうからと何も言わなかった。一度でも言ってしまえば先生に法を侵させたことになる。二人ともきらずの縁、お互いに法を曲げちゃいけねえってよくわかっていた。そんな豆腐屋さんの気持ちに先生は応えようと、こうして出世した。でしょ?」

 ホストの言葉を一度振り返ったのか、返事までにはやや間があった。

「よく知っておるな」

 荻生徂徠、少し顔をうつむけ、目を細めている。その頃を思い出しているのでございましょう。

 これまでに幾人もの女を借金地獄に送り込んだナンバーワンホストだ、感情というのを誰よりも知っている。あとひと押しで、この男は落ちると踏んだ。

「それなら討ち入りに義はないなんてこと言わないっしょ。浅野内匠頭も言ってしまえば何か曲げてしまうことがあった。だから言わなかった。家臣もそれがわかっていた。一度でも誰かが言ってしまえば曲げてしまうと。曲げてはいけないと堪えなきゃいけなかった。そして曲げぬままに討ち入りを果たした。それを今になって曲げようなんてのは野暮ってやつでしょ」

「面白い身なりをしておるが、面白いことを言うものだな」

 荻生徂徠もホストの言葉を聞いて考えた。浅野内匠頭に曲げられない何かがあったのであれば、と。

 そしてそれは武士のあるべき志そのもの。そして、荻生徂徠に対する豆腐屋の行動そのもの。

 金もないのに豆腐を喰った時、豆腐屋は奉行へ突き出すことも出来たのだ。そうしていれば今のこの出世した、火事で焼けた豆腐屋を立て直したいと言う荻生徂徠は存在しない。

 江戸を放逐され学ぶことも出来なかったはずだ。

 しかし豆腐屋はそうしなかった。

 それどころか豆腐屋は、金がないことを知ってもなお、荻生徂徠におからを差し入れてくれた。

「豆腐屋とセンセと一緒なら、討ち入りに義はないなんて言えないっしょ。上申書、書いちゃいましょうよ。打首なんかやめにしましょうよ」


 このホストの言葉が影響したのかはわかりませんが、荻生徂徠は切腹に相当すると上申書を提出し、その上申書の影響があったのか、幕府が下した沙汰は打首ではなく切腹と決まった。

 現代から見れば切腹も打首も同じ死刑ではございますが、武士にとっては月とスッポンのようにまるで違う。切腹であれば武士の誉れを持ったまま死ねる。

 つまり幕府が下した切腹という沙汰は、赤穂浪士の討ち入りは賊などではなく仇討ちであると認めたことを示しているわけでございます。

 本来、仇討ちといいいますのは子や兄弟が行うものでございますが、赤穂浪士の切腹により、日本では初となる家臣による仇討ちを幕府が認めた形となりました。

 赤穂浪士は打首にされるかもしれない、どこから流れたのかそんな噂が市中で囁かれていたものだから、切腹と知ると落語国の市民は赤穂浪士が本懐を遂げることが出来た、あの世で主へ顔向けが出来ると喜んだ。

 もし、打首の噂がなければ、市民は切腹に納得しなかったのかもしれません。そのくらいに、仇討ちは当たり前、やって当然、むしろやらなければいけないものだ、そんなふうに考えられていたのでございます。

 さて、赤穂浪士の切腹に喜んだのは豆腐屋も同じだった。

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