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荻生徂徠、一説によると討ち入りをした赤穂浪士の裁定に、打首ではなく切腹が相当と進言する上申書を提出したとされております。
しかし、この根拠となる書物は現在では偽物、偽書ではないかと考えられております。
逆に、『赤穂浪士に義はなく賊だから打首だと主張したが、周りは切腹だという主張ばかりで嫌になった』そんな徂徠の嘆きを弟子が書き残しており、そちらの方が信頼性が高いだろうと見られております。
では、なぜ荻生徂徠は豆腐屋が言うような苦労の末の仇討ちではなく、赤穂浪士を賊だと考えたのか。当然、そこには理由がございます。
そもそも赤穂浪士が討ち入りをする原因となったのは浅野内匠頭にあります。かの有名な、浅野内匠頭が吉良上野介に松之廊下で斬りかかった事件でございます。
この事件後の取り調べにおいて、浅野内匠頭は吉良上野介に斬りかかった理由について何一つ説明していないのです。
豆腐屋が挙げたものは、憶測や仮名手本忠臣蔵から始まる創作された忠臣蔵で作られたものでございます。
史実では浅野内匠頭は取り調べに対し、何一つ理由を話しておりません。もし吉良上野介にも否があれば、当時なら喧嘩両成敗、吉良上野介にも処分があったかもしれないが、理由を話さないのだからそれもない。
吉良上野介に処分があれば、浅野内匠頭の無念を果たそうという討ち入りはなかったのかもしれません。
しかし浅野内匠頭は取り調べにおいて何も語らなかった。吉良上野介だって処分は受けたくないでしょう。当然、心当たりはないという。
士が統べる世でございますから、名誉を傷つけられた、そんな理由でも一つあれば浅野内匠頭の処分は寛大なものとなったかもしれないが、肝心の理由を本人が話さない。
浅野内匠頭は意義も申し立てず、事件当日のうちに腹を切ることとなる。
そんな事件でございますから、浅野内匠頭が吉良上野介を斬る正当な理由がないのであれば、四十七士の討ち入りはもはや逆恨み。この落語国の荻生徂徠が言うように討ち入りに義はなく、賊に同じとなります。
史実の荻生徂徠もそう考えていたらしい。
しかし、どういうわけか偽書まで作られ、その偽書の中の荻生徂徠は切腹を上申したことになっている。
「豆腐屋殿。翌日の火事で焼け出されたことは聞いて知っております。豆腐のお代、十二文。そなたから頂いたおからの恩を返すためにも、焼けた豆腐屋の普請を私に任せてもらえないだろうか」
「先生よ、そう言ってもらえるのはありがたい。ありがたいんだけど、それは受け取れねえよ」
(チョ、チョチョチョ、センセに豆腐屋さん新しく建ててもらわないとサゲにならないよな?いいのか、よくないっしょ。ダメでしょ自腹切ってもらわなきゃ。この落語、サゲなくなっちゃうっしょ)
赤穂浪士が切腹か打首か、それはこの際どうでもいい。荻生徂徠が豆腐屋を再建しなくては、まとまる話がまとまらなければ、この徂徠豆腐、この落語が終わらない。
終わらなければ、新しいサゲをこの目で見ることも叶わない。
そう考えたホスト、咄嗟に横槍を入れる。
「イヤイヤイヤそこは好意に甘えるとこっしょ。持ちつ持たれつ、みたいな人情大切にしていきたいしぃ。それに新しい豆腐屋建ててもらって、増上寺の出入りが叶えば商売繁盛間違いないっしょ。センセも豆腐屋もウィンウィンっていうことで」
「わかってる。だけどよ、豆腐のお代は十二文だ。おからなんて、あれは大した金にもならねえ。とてもじゃねえが豆腐屋を普請だなんて割にあわねえよ。気持ちはありがてえが、大きすぎる」
「豆腐のお代は出世払いをする、私とそなたとの約束ではござらぬか。火事という災いを転じて、この機会にどうか恩を返させては貰えないか」
「そうそう徂徠先生出世のお祝いってことで、パーっと弾けちゃって行きましょうよ。今夜はパーティーやっちゃいましょうよ」
一人だけ場違いな男が豆腐屋をその気にさせようとするが、豆腐屋の顔は暗いまま。
「納得がいかねえんだよ、俺は」
「納得ぅ?先生、堅実そうに見えるけど使う時はパーッと、やる時はやる男っしょ。止めるなんて野暮っしょ。荻生徂徠センセ、豆腐屋新築一軒入りました!」
碌に話も聞かず勝手にそう言うと、ホストは落語国に見合わない声を上げて、一人で踊りだした。
荻生徂徠、貧乏暮らしが長かったこともあるのかもしれませんが、著作によれば浪費が大嫌い。倹約が第一というような人ですから、ホストが言うような事はまずあり得ないのでございますが、ここは落語国だ。派手にやらなきゃ盛り上がらない。
「この怪しげな男の言うとおりだ、景気よくパーッとやらせては貰えないか」
「出世したんだ、パーッとやるのはいいんだけどよ。先生があの討ち入りに義はねえって言うのが納得できねえんだ。先生があれを義じゃねえって言うなら、俺と先生の義はまるで別物じゃねえか。なら先生の義は受け取れねえ。俺にとっては、義でもなんでもねえってことになる。この前の十両も先生のなんだろう、持って帰ってくれ」
そう言うと神棚から取り出したのは紙に包まれた十両。
火事で焼け出されたと聞いた荻生徂徠が長屋の大家に頼んで渡してもらったものだ。
落語国はまさに絵に書いたような江戸っ子ばかりでございますから、一度「いらねえ」と言えば必ず突っ返すし、一度「やる」と言えば泣けなしの全財産だろうが渡してしまう。てめえが落とした金ですら受け取らない。
「わかりました。日を改めて出直します」
徂徠もそれはよくわかっている。おとなしく十両を懐に閉まって出ていってしまった。
(イヤイヤイヤ、喧嘩とかマジないでしょ。これじゃあ落ちるのもオチないっしょ。イヤ、もしかして俺、高座の邪魔しちゃってるくさい?余計なこと言って、もしかしてサゲ変えちゃったくさい?)
ここでホストも気がついた。この徂徠豆腐は失敗したのではないか、サゲがないのではないかと。サゲがなければ噺は終わりませんから、大問題だ。
もしこれが練習ならばいい。仮に高座でかけているのだとすれば噺家のこの工夫は失敗。失敗どころじゃない、噺がまとまらないのだから大惨事と言っていい。
(もしかして、俺がなんとかしなくちゃヤバくね?)
そう思った瞬間にホストは体が動いていた。長屋を飛び出し、走って荻生徂徠に追いすがった。