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 朝になり、部屋の外では出立しゅったつする音が聞こえてくるが、ホストはお構いなしに横になったままだ。

 女郎が吸い付けた煙管きせるをくゆらせて、ただ女郎もホストも何も言わずにただ品川沖の波音を聞いていた。

 やがて、部屋の外も収まった。どうやら泊まりの客はあらかた帰って行ったらしい。

 音を立てずに丁寧に戸が開くと、正座に改まった小僧は深々と頭を下げて言う。

「失礼します」

 しびれを切らしたのでございましょう、なかなか起きてこないホストの部屋の戸を開けて恐縮したような、どこか慣れていないような声音だった。

 ホストはその声を聞いて、ようやく上半身を起こして言った。

「連れは行っちゃった?」

「はい、明け方早くに出立しゅったつされました」

「そう言っておいたから。別にオレは置いていかれたわけじゃないからね。あの三人は大山詣りに行くんだけど、オレはやめちゃったからさ」

「左様でございましたか。あの、私、そろそろ交代となりますので」

「夜から朝までお世話したもらって悪かったね、ありがとね」

「いえ、そのようなことは。それで、その、お支払いの方をお願いしたく存じます」

「あぁ、支払いなんて、そんな事今言わなくてもいいっしょ。昨日の酒がまだ残っているんだよね。いや、昨日の酒は上等なものだったよ。安酒じゃなくてさ、いい酒だった。初回なのにいい酒出してくれて、めっちゃ嬉しかったし。だからさ、向かい酒をして昨日のいい心持ちをもう少し楽しもうと考えていたところなんだよね」

 それを聞いて、布団の中に隠れた女郎がホストの腰に廻した手に力を入れる。甘えるように顔をこすりつけた。

「左様でございましたか。ではただいま支度のほどを」

「一本でいいからね。一本飲んだら一度寝て、風呂が沸いたら起こしてくんねえかな」

「かしこまりました」

 女郎には一人で飲みたいと言うと、「昨日のこと考えておくれよ」と言い残してシトシトと女郎部屋へと戻っていく。

 支払いなど出来るはずもないホストではございますが、払えないというのに、さらに勘定が増す注文をする。

 だからと言って隙きを見て逃げようというわけでもなく、泰然自若、のんびりと遊郭を楽しんでいる。

 昼過ぎまで寝てたかと思うと、また酒を持ってこさせて夕方になると誰よりも早く風呂へ入った。


 風呂からあがり、海をみながら煙管で一服している時だった。

「あのう、失礼ではございますがここで一度お支払いをお願いしたく存じます」

「オレは初回だけどさ、あの三人みったりは大山詣りをしてから戻ってきたら、ここに寄って裏を返そうって考えているんだ。裏も返さない初回だけのつまらない客じゃないんだよオレたちは。わかるだろ。その時は昨日よりもさらに盛大な宴席だ。昨日の酒よりもっといいヤツを隠しているんだろう。この見世は北にも負けない酒に肴に女を揃えている」

「そうでございましたか。では、それまで逗留されるということで」

「そういうこと。戻ってくるまでは芸者も女郎もいいから、酒だけ持ってきてくんねえか」

「承知いたしました」

 気の弱そうな小僧はホストに言いくるめられて下がっていった。


 ホストが言った裏を返す、これは二回目の登楼を意味します。一回目は初回、二回目は裏、客側から見れば裏を返す。そして三回目で馴染みとなります。

 見世の大福帳には初回の客なのか馴染みなのかが書いておいたそうでございます。

 どこの誰なのかわからない客相手に、つまり支払い能力があるのかわからない相手に盛大な宴席を上げて取りっぱぐれるわけにもいきませんので、初回の客にはそれなりに。

 酒や肴だけでなく、もちろん見世の女も最初から一番人気というわけにはいきません。

 二回目、客が裏を返すなら見世もリピーターになってもらうためだ、初回よりもサービスはよくなるし、酒も肴も初回よりもいいものを出せる。

 三回目になれば見世と客の信頼関係は出来ているものだと判断し、女郎もいいところを呼べるようになる。

 当時はこのようにして、見世と客がお互いに間合いを計りながら信頼関係を作り上げたものでございます。

 しかし、ホストは裏を返すなどと言いましたが、当然そんな予定などございません。

 ホストを除いた熊五郎一行は大山詣りから帰ってきても、ここに寄ることはない。まったくのホストのでまかせだ。

 そんな事とは知らず、小僧の方もまだ経験が浅いのでございましょう、すんなりと聞き入れてしまった。

 しかし、これはおかしいと思ったのが旅籠はたごあるじ。慌ててホストに詰め寄った。

「これっぽっちもございません」

 主の剣幕に敵わないと感じたのか、ホストはあっさりと白状した。

 しかし、白状したからといって主の方は収まらない。当然でございましょう、金を払えないのであれば旅籠が一方的に損をするだけ。

「ないってことはないだろ。誰か建て替えてくれる知り合いだとか、その大山詣りに行ったのだとか。無いじゃ困るんだよ」

「あれは最近、たまたまに知り合って意気投合した連中で知り合いと呼べるような仲でもないんで」

「じゃあ、本当に本当に一文無しなのかい」

「へい。本当に本当に、正真正銘の一文無しでございます」

「文無しのくせに妙に堂々としやがって。ふてぶてしい野郎だね。お前たち、こいつを布団部屋に入れときな」

 旅籠の主がそう言うと、見世の男衆が三人も四人もしてホストを囲み、階段下にある布団部屋へ連れていき放り投げた。

 ホストのように支払いが出来ないものを「居残り」と呼んだそうでございます。

 手紙などで知らせ代わりに支払いが済むまで、妓楼ぎろうや旅籠に居残りをさせるっていう寸法でございます。

 こうした居残りや脱走した女郎などを、当時の妓楼や飯盛旅籠では行灯あんどん部屋や布団部屋に閉じ込め折檻したんだそうでございます。

 居残りを折檻したところで金が落ちてくるわけでもございませんから、居残りの場合は折檻というよりも代わりに金を持ってくる者が現れるまで監禁するものでございますが、このホストの場合はそれもない。

 金を返すあてもなく、ただ監禁されるホストの生活が始まった。

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