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江戸から大山詣りのルートは主に二種類ございます。一つは大山道と呼ばれる、現在の国道246号線を通るルート。江戸の四宿なら新宿からのスタートとなりましょう。
もう一つは東海道。品川宿からスタートして東海道を藤沢宿まで行き、そこから内陸へ入っていくルートでございます。
恐らくは大山道の方が速いのでしょうが、人気があるのは東海道を使うルートだったようでございます。
というのも、東海道を使うことで大山の他にも金沢八景や江ノ島などを観光することも可能でございます。先程も申した通り、数年に一度のお詣りのついででもなければ観光名所を巡ることが出来ませんので、ここぞとばかり大回りをしたようでございます。
あとは単に藤沢の女郎屋が評判だっていうんで東海道ルートを選んだなんて話もございます。
熊五郎一行が選んだのも東海道ルートでございました。
今日中に六郷を渡ってしまって川崎宿か、それとも神奈川宿あたりまで行こうっていうんで、朝からでかけたのだが、ホスト一人だけ歩き慣れていない。
転移する前の一年、一番長く歩いたのは歌舞伎町のホストクラブから新宿三丁目の寄席までだ。それも偶々歩いたのであって、普段ならわずか1キロ程度のその距離もタクシーを使っていた。
つまり歩かない。
そんなホストが江戸から大山まで歩けるわけがなかった。
当時は遠出するなら一日に30キロ程度歩くのは当たり前、それを五日も六日も続けて辛いどころか数年に一度の楽しみにするくらいでございます。
1キロ歩くかどうかのホストとはわけが違う。
長屋を出て3時間半、約15キロほど。ようやく品川宿までたどり着き、これからいよいよ東海道へ入るという時になってホストはついに音を上げた。
「ちょっといいっすか」
「なんだよ熊公」
「せっかくなんで、今日は品川で休んで行きませんか?」
「何言ってるんだよ、今日は六郷を渡ってしまいてえって話したじゃねえか」
同じく東海道を行く箱根駅伝なら、一区は日本橋から六郷を超えて、一行の目的地である川崎も超え、その先の鶴見まででございますから、品川で休もうというのはいくらなんでも早すぎる。
この品川、これから旅へ向かう、いつもより懐に余裕のある旅人には少々毒がございます。
「吉原に対して北と呼ばれる品川の遊郭がどんなものか一度遊んでみたかったんすよ。ね」
疲れ果てたホストは熊五郎一行にささやいた。
品川というのは大変に女郎の多い宿場でございました。
幕府公認の遊郭は江戸の吉原、京の島原、大坂の新町、この三つだけでございますが、実際には黙認された遊郭は多数ございました。
中でも一際規模が大きかったのが品川遊郭。
飯盛女と呼ばれる女郎は多い時には3600人程度在籍したと伝えられております。
天保十四年の調査では、飯盛女を置かない平旅籠が19軒に対し、飯盛旅籠はなんと92軒もあったというのですから、品川宿というよりもまさに品川遊郭でございます。
『品川の客ににんべんあるとなし』
品川遊郭の客は侍と寺、すなわち僧侶が多かったんだそうです。屋敷の近い薩摩藩士、それと芝の増上寺の僧侶が多く利用したことでも知られております。
『三千世界の鴉を殺し主と朝寝がしてみたい』
これは長州藩の高杉晋作による都々逸と言われておりますが、品川の遊郭で詠んだものでございましょうか。
さてホスト、御一行の顔を伺うとどれも満更じゃなさそうだ。あと、もうひと押しだとすぐにわかる。
「どうです、品川を少し味見してからでも遅くはないでしょう」
ホストの目で合図するとその先には水茶屋の女。その着崩した胸元は白く輝いて見える。
「ね、大山は逃げませんよ」
さらにホストが甘えるような声音を使っても他はまだ少し渋い顔をしている。
そこでホストは考えた。
「お金のことは大丈夫、一分でいいですから。一人一分、三人で三分、残りはオレが出すんで。それならいいでしょ?せっかく遊ぶんだから我慢はいけない。でしょ?我慢出来ない分はオレが持ちますから」
ホストの提案を聞いて熊五郎の一人がいぶかしげな顔で言う。
「一分でいいのか?」
一分というのは一両の四分の一。熊五郎一行にとって一分は十分に大金ではございますが、座敷で飲んで食べて芸者を呼んで、その後は女郎と床に入って一分ではとても足りない。
安いと人気があった深川でも二分が相場。
それを一分でいいとホストが言うのだから、気持ちが揺れる。
「本当に一分でいいのか?」
「そう言ってるじゃないっすか、一分でいいって」
「遊ぶ時は我慢しない……?」
「そうっすよ、我慢せずに一番いいお酒出してもらって芸者も女もいいところを呼んでもらって遊んじゃましょーよ」
熊五郎AもBも「そこまで言うなら今日は休んでいくか」「休むとしようや」と言い出したかと思えば、すでに見世選びに移ってる。
時間が時間なら客引きが通りにあふれるのでござましょうが、まだ昼を過ぎたばかりで客引きは水茶屋ばかり。
水茶屋で女郎が客引きをすることもあるのですが、やはり時間が早すぎて顔を見て選べないっていうんで、でかい見世にしようってことになる。
白木屋という見世に定め、大きな玄関に入るとホストが大きな声を出す。
「さーせん!ちょと早いんですけどいいすっか?」
スススっと男衆が現れて「もちろんでございます。ささ、どうぞ足をおすすぎください」とタライを勧められる。
当時の旅は裸足であったり草履であったり、いずれにせよ足が汚れるものでございますから、まず最初にすることは足を洗うことでございます。
次は飯盛旅籠でございますから、どういったおもてなしをすればいいのか確認のために、今で言えばロビーのような座敷に一度通される。
飾り立てられた部屋はどう見ても、ただの宿泊施設ではない。
ホストはまるで遊び慣れているかのような口付きで話しだした。
「今日はいつもとは趣向を変えて北で遊んでみようって話になったんすよ。で、初回だけど出来るだけいい酒を持ってきて欲しいんすよね。めっちゃいいやつ入れちゃって。それに芸者も知りたいんで、マジいいところを見繕って。もちろん女郎もトップオブトップの四人で。あとあと、明日の朝は早くから出立するから悪酔いするような安い酒じゃ困るんでヨロシク。もちろん肴は品川なんだからいいのがあるって聞いてるんで、大きな皿にチマチマと盛り付けるんじゃなくて、隙間なくびっしりとガッツリ盛り付けちゃって」
「へい、かしこまりました。ただいま座敷のご用意を」
そう言うと男衆は一度下がっていく。
残された熊五郎一行、落ち着き払うホストとは対照的に慣れないものだからソワソワしているのが目にわかる。
「本当に大丈夫なのかよ、あんなこと言ったけどよ」
「大丈夫っすよ、考えはあるんで。あ、それと、オレやっぱり大山詣りやめにしたんで。歩くの無理っぽいんで。さーせん。なので、兄貴たち三人で行ってきて」
「じゃあ、大山まで行かない分、浮いた旅銀で支払おうってことなのかよ」
「まあ、そういう感じっすかね。あとあと今日は品川まで来れなかったぶん、明日は沢山歩かなきゃダメっすよね。なんで、開けたらすぐに出発しちゃってください。その後はオレがやっておくんで気にせずに、よろしくお願いしゃーっす」




