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「なんだよ雁首揃えて不景気そうな面してやがるな」
そう言ったのは熊五郎Aだった。
「同じような顔してやがるくせに言えた義理かよ」
そう答えたのは熊五郎B。
粗忽長屋の一席以来、三人の熊五郎、ここでは便宜的に八五郎と同じ長屋に住む熊五郎をA、最後に現れた熊五郎をB、そして熊五郎Cに相当する新宿歌舞伎町から転移してきたナンバーワンホストの翔、この三人と八五郎はすっかり意気投合しておりました。
この日はホストと熊五郎Bが連れ立って、熊五郎Aの長屋に押しかけたところだった。
三人の声が聞こえたのでございましょう、いつの間にか八五郎も現れると挨拶を交わすこともなく言う。
「たしかに不景気かもしれねえけどよ、どうせ暇ならどこか遊びに行かねえか」
「イイっすねぇ。ここいらで遊びっていうと、やっぱりあれっすか。吉原」
夜の街で生きてきたホストの血でございましょう、落語国に迷いこんだからには一度でもいいから吉原を見ておきたかった。
「バカ。俺たちがそんなところで遊べるお大尽に見えるかよ」
そう言った熊五郎Aだけじゃない。ホスト以外の三人は自虐もあるのか乾いた笑いを見せている。
「やっぱり高いんすか?」
「高いなんてもんじゃないよ。俺たちの身なりじゃ客引きからも相手にもされないよ」
「こいつなんて張り見世の女郎に煙管吸わせてもらおうと顔近づけすぎたもんだから塩巻かれたやがった」
時代が下るにつれ揚代が低くなり遊びやすくなったと言われる吉原ではございますが、見るからに職人の羽織を着ない者には、はなから相手にしなかったそうでございます。
「大山はどうだ、大山詣り」
近頃は随分と暖かくなってきた。春の陽気というやつだ。
寒い冬が終わり、暖かくなると羽根を伸ばしたくなるのはこの時代も同じでございます。
しかしながら、当時は庶民に旅行は許されておりません。しかし、お詣りという名目では遠出、実質的な旅行が可能でございました。
有名なのはやはりお伊勢参りと金毘羅様。それに信州の善光寺、山形の羽黒山も人気があったそうでございます。
しかし、これらは旅程が長く庶民には少々お金がかかりすぎるっていうんで、庶民に人気があったのは大山詣りでございます。
現在の神奈川県伊勢原市にございます大山は山岳信仰の地として有名で、江戸の人口が100万人の当時、年間20万人もの参詣者が訪れたというのでございますから、いかに人気があったのか知れましょう。
熊五郎も八五郎も江戸っ子でございますから話が早い。
大山詣りと聞くと「よし大山詣りといこう」、「じゃあ明日出発だ」、口々にそう言うと熊五郎AとB、それに八五郎、ホストの四人組による大山詣りが決まった。




