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「熊五郎、辛いかもしれねえけどよ、これが現実だ。お前はこうしてここで死んじまったんだ」
神妙な顔つきで八五郎はホストに言うが、どう考えても目の前で倒れているのはホスト当人ではない。
昨日はヘベレケに酔って浅草からどうやってあの長屋に辿り着いたのか記憶はないが、きちんと長屋で寝て、二日酔いのせいで二度寝までしている。
そもそもホストに似ているわけでもない。
顔は見ようによっては近いところはあるかもしれないが肌は浅黒く焼けている。体つきは行き倒れの方がゴツゴツとしているが、逆に背はホストの方が随分と高い。
では誰が行き倒れているのかと言えば、本物の熊五郎だろう。ホストが今朝目を覚ました長屋に住んでいる、『粗忽長屋』の住人である熊五郎に違いない。
「このままっていうわけにもいかねえ。倒れているのは他でもないお前なんだ。熊五郎、お前が連れて帰るしかねえだろ。こうして当人がいるんだから供養してやらなきゃいけねえ」
(当人じゃないけど、でもでも熊五郎さん、オレが『粗忽長屋』に入っちゃったせいで亡くなっちゃったんだし、オレが供養するのがスジだよな。でも供養ってどうするんだ。長屋の大家に煮しめ貰って漬物樽に入れて火屋で焼くんだっけか)
こうなれば供養までホストも付き合わければならないと考えていた、その時でございます。
「御免よ、ちょっと御免よ」
そんな声が聞こえてきたかと思うと、人だかりをかき分けてきた職人風の男が一人現れた。
「よう八、俺が倒れてるって聞いて急いで駆けつてきたけどよ、どうやら俺はそこにいるじゃねえか」
そう言うと、まじまじとホストの顔を見ている。
「熊!なんだお前もう一人いたのかよ」
「よくわからねえけどよ、どうやらそうらしいな。昨日浅草のアレにコレしに行った帰りによ御馳になってたんだよ」
「御馳になってた、誰が?お前か」
「そこにいる俺がだよ。そこの俺が熊五郎だ熊五郎だって言われててな、見ると酒飲んでやがる。しかも御馳になりやがってるもんだからよ」
(確かに確かに、オレ、昨日この人と飲んでたわ)
ホストという商売柄、一度見た顔は決して忘れない。しかも、たたのホストじゃない、ナンバーワンだ。泥酔していていようが異世界転移しようが忘れない。
「チーッス、昨日はどうもお疲れした」
「おう、お前さんも大変だったな。あれから行き倒れるなんてよ」
そう言うと本物と思われる熊五郎はホストの肩を叩いた。
「それで御馳になってどうしたっていうんだよ」
「でな、見たら馬鹿騒ぎしてるだろ。どさくさ紛れてご相伴に与ろうと思って入ってったら、周りが『熊五郎が二人になった』、『熊五郎が二人いる』ってそう言うんだよ。そんな事言われてもよ、確かに俺は熊五郎だよ、だけど熊五郎が二人だって言われて、初めはよくわからなかったんだよ。そりゃそうだ、何言ってやがると思っていたんだけどよ、酒を何度も注がれるうちに段々とわかるようになってきて、ああそうか俺は最初から二人いたんだ、ってな具合で合点がいったんだよ。だからよ、おれは二人いるんだ」
(そんな話したっけか。飲みすぎてガチで覚えてないんだよな。でもでも、ガンガン盛り上がったのは熊五郎が二人いたからウケたのかも)
このホスト、顔は覚えているが飲みすぎて昨日のことはてんで覚えていない。
「そうじゃなきゃ、酒を御馳になる理由がねえもんな」
肩をギュッと握られ同意を求められるが、ホストはそれに応じられない。
しかしホストとは違い八五郎は理解が早かった。
「なるほどそういうことかよ。いや待ちな、二人じゃねえよ。こいつを見てみなよ」
八五郎が目で行き倒れを示すと新しく登場した第三の熊五郎、大変にものわかりがいい。
「なるほどな。確かにその行き倒れは俺だ。そうか、まさか俺は三人いやがったか」
自分が二人いると思っているからか、二人も三人も変わらないと考えたのか、すんなりと行き倒れを自分だと認めた。
「ちょっと待ちなさいよ。じゃあ、じゃあ何かい、あんたと、この人と、そこの行き倒れは全部熊五郎さん、あんただっていうのかい。見たところ特別似ているわけじゃないけど」
本物の熊五郎の登場に、最初に行き倒れを見つけた行商人風の男は驚くことを放棄したのか、もはや真顔になっていた。
「そうなんだよ。俺も昨日まで知らなかったんだけどね、俺は一人だけだと思っていた。それが三人もいるってんだったんだから、人生ってのは何が起こるかわからないもんだね」
「そうかいそうかい、おかしな人はいくらでもいるもんだね。私も何が起きているのか、まるでわからないよ」
何もかもが面倒になった、もうこれ以上は考えたくもない、第一発見者はそんな顔になっている。
「あの、本物の熊五郎さんも来たところで、オレはそろそろ帰ってもいいっすか?」
それを聞いて呆れ顔の八五郎、強い口調で「なに言ってるんだお前は。お前には親兄弟がいねえんだ、行き倒れの当人が供養してやらなくてどうするんだよ」そう返した。
「そうだな、身内もいねえもんな。俺が弔わなくて誰がするって話だ」
そう言ったのは恐らく本物の、行き倒れてはいない熊五郎。
「よし、俺が背負って担いで持ってくからよ、ちょっと手を貸してくれ」
続けてそう言うと、行き倒れの上半身をお越し上げ、両脇から両手を入れて行き倒れをひょいと立たせる。そこまでするとホストに「ちょっと支えてくれ」っていうと、熊五郎はホストに行き倒れを預けるとひょいと前に回って背中を丸め、ホストも「じゃあ乗せちゃいますよ」と息を合わせて熊五郎に背負わせった。
その時でございます。
「御免よ御免よ、おいおい、ちょっと待ってくれ」
人混みをかき分けて男が一人現れた。
「誰だいお前さんは。……もしかして」
「俺はそこで行き倒れていた熊五郎ってもんだ」
「お前さんもか。背負っているのが俺で、背負われているのも俺で、その横にいるのも俺で。目の前にも俺がいる。俺はあと何人いるんだろう」




