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毎度バカバカしい転生を一席  作者: 日立かぐ市
粗忽長屋における後期クイーン的問題
10/18

 ドンドンと強く戸を叩く音が聞こえたかと思うと、返事を待たずにガラガラっと勢いよく開いた。

 戸を開けたのは少し小柄な男。どうしてなのか白いスーツを着たホストを見ても驚く様子も見せない。

 ホストでございますから、職業柄一度見た顔は決して忘れない。昨日一緒に飲んだのに、この男はいなかった。

 男は軽い足取りで遠慮する様子もなく、ホストの返事も聞かずにそのまま中まで入ってくると、一方的に喋りだした。

「熊よう、これから浅草のほらなんだあれにこれしに行こうと思うんだけどよ、ほらあれだよあれ。あれにこれだ」

 早口で喋りながらあれとこれを身振り手振りで説明するが、あれにこれではわからない。

「それでよ、お前も一緒にあれにこれしに行かねえか?」

「あれにこれ?」

「そうだよ、あれでこれするんだ」

 どうやら人形の何かに向かって手を合わせる様子から察するに、お参りに行くというのだろう。

「ああ、昨日行ってきたところなんすよ。浅草寺の観音様にお参り」

「それだよそれ、浅草寺の観音様だ。いや、そうじゃねえ。上野の寛永寺にお参りだ。そろそろ、あれもこれする頃合いだしよ」

 また早口で身振り手振りだ。

 徂徠豆腐そらいどうふにも登場する「芝三縁山増上寺」、それに「上野東叡山寛永寺」、さらには「浅草金龍山浅草寺」、この三つは江戸三大銘鐘と呼ばれたそうでございます。

 上野の寛永寺は現在の上野公園のほぼ全てが境内だったそうで、当時から桜の名所でございますから庶民にも大変馴染みのあるお寺でございます。

 そろそろ桜が咲き出す頃合いでございますし、上野で花見をしたくなるのはこの男だけではないはずだが、ホストは違った。

「それに二日酔いみたいで」

 新宿のホストクラブで働き始めた頃は二日酔いにも苦しんだが、毎日飲んでいるせいか、どういうわけか、いつの間にか二日酔いなんて忘れていた。

 それが二日酔いだ。ナンバーワンホストが二日酔いなんて情けないとは思うが、そうは言っても体はついてこない。

 なにせ、どうしてこの長屋で寝ていたのかも忘れているくらいに、記憶を失うくらいに昨晩は飲んでいる。

「なんでい飲みすぎたのかよ、熊は本当にだらしねえな。まあいいや、一人で行ってくるか」

 またしても熊、ホストを熊五郎だと思っている。

「サーセン」

「いいよ、いいんだよ。そんな顔するなよ。あれにこれしに行くなんて俺一人だって、行ける時にまた行きゃあいんだからよ」

 ホストが顔をしかめた理由はそれじゃない。

 ホストの疑念はたった一つ。また高座にかかっている落語の中ではないのか。だとすれば、この落語は一体、どんな演目なのか

 昨日からホストは熊五郎に間違えられている。熊五郎が登場する落語で間違いないだろう。

 主演か助演かまではわからないが、恐らくは助演だろう。ならば、主演は誰なんだ。

「あの、ところで、あなた様は……」

 白いスーツを見ても何も反応はなかったのに、これにはさすがに目が点になった。

「はぁ?何言ってやがる、お前はよ。前からそそっかしい奴だとは思っていたけどよ、俺の名前まで忘れちまったのかよ。兄弟みたいなもんだっていうのに、お前ってやつは本当にもうしょうがねえな。飲みすぎて頭でもぶつけちまったのか。八だよ、八五郎。思い出したか?」

 やっぱりだ。

 昨日から八五郎の名前を聞いていたものだからホストも予想はしていたが、ホストにとっては当たって欲しくない予想だった。

 熊五郎と八五郎。落語で数多く登場する二人だが、共演は少ない。この二人が共演する落語といえば『船徳ふなとく』か『粗忽長屋そこつながや』くらいのものでございます。

 そして船徳の可能性はほぼない、いやゼロだ。あり得ない。船徳なら、長屋でゴロゴロしていない。

 つまり粗忽長屋に違いない。

 『粗忽長屋』の冒頭は、浅草の観音様にお参りへ向かった八五郎が人混みをかき分けて、身元不明の行き倒れの顔を見る。

 すると八五郎「こいつは熊五郎で間違いない」と断言する。

 そんなシーンから始まります。

 しかし、行き倒れているのは明らかに熊五郎じゃない。と言いますのも、この行き倒れ、昨晩からここで倒れていたという。しかし、八五郎が熊五郎に会ったのはその日の朝。

 前日の夜から死んでいる行き倒れに朝会うはずがない。

 周りからは違うと言われても、八五郎はこれは同じ長屋の熊五郎で間違いないと譲らない。じゃあ今から当人を連れてくると長屋へ戻って熊五郎を連れてきた。

 目の前の行き倒れはお前だ、目の前で死んでるのはお前だと言われ、熊五郎は行き倒れているのは確かに自分だと思い込んだまま話は終わってしまう。

 そんな滅茶苦茶な噺でございます。

 さて、『粗忽長屋』という荒唐無稽なこの噺の中で、ホストは一体どんな役割を果たすのか。昨日から熊五郎に間違えられているホスト当人は、落語好きでございますから当然気がついていた。

(目の前に八五郎、それに俺が熊五郎に似てるってことは、俺って『粗忽長屋』の行き倒れ役ってことだよな)

 それ以外には考えにくい。熊五郎に似たホストが行き倒れになれば噺は滞りなく進むことでございましょう。薄々感づいていたが、どう見ても長屋に場違いなホストを見て熊五郎だと信じ込む八五郎をこの目で見ると現実味が増してきた。

(それって、俺が死ぬってことじゃね?イヤイヤイヤ、ちょ待ってよ。俺まだ死にたくないんだけど。っていうか、昨日行き倒れになっていてもおかしくなかったな……。俺が死んでたら粗忽長屋始まってたじゃん)

 昨日死んでいてもおかしくなかった、どうしてホストがそう考えたのかといいますと、粗忽長屋で行き倒れが見つかるのは浅草寺のすぐ近くでございます。

 浅草寺にお参りをした後にホストはしこたま飲んだ。どういうわけか、送ってもらったのか酔っ払って勝手に入ったのかまるで覚えていないが、目が覚めるとこの長屋にいた。

 あのまま酔って外で寝ていれば、そのまま亡くなっていたとしても不思議じゃない。粗忽長屋の行き倒れとして登場してもおかしくはない。

 いくら桜が咲く頃合いだ、春めいているからといっても、凍死というのは起こり得るもの。

 なんでも気温が二十度程度あったとしても、体温が下がってしまえば凍死することもあるそうでございます。

 桜の咲く頃なら夜はまだまだ寒い。二十度もあるはずがない、十度程度だ。凍死は十分に可能。知ったからには、酔ったからといって外で寝るのはもうおよしなさい。

(ってぇことは、浅草寺に近づかなければ俺死なないんじゃね?それに八さん、上野に行くって言っていたし今日じゃないんだよな、たぶん)

 気が付き安心したホスト。二日酔いの頭痛を治そうとまた横になった。

 しかし、ここは落語国。常に落語の中でございます。

 ホストが巻き込まれた『粗忽長屋』は既に始まっている。

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