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 既に高く昇った太陽を、まるで初めて見たかのように眩しそうに目を細めて顔をしかめる男が二人。

 新宿の街を急ぎ足で歩いていく周りの地味な吊るしのスーツとはまるで違い、派手なスーツに体を包んでいる。

「翔さん、またこれからアレ行くんすか?」

 まるで昼間が似合わない、ミルクティー色の長い髪をした男は不満げな声音を作って言った。

「今日は三十一日だろ、与一会だからさ、行かないとかいう選択肢ねえんだわ」

 そう答えた白いスーツに黒のシャツを着た男。やはり太陽の光が似合わない。

 顔は青白いほどで、体は棒のように細い。しかし、バレエダンサーや太極拳の指導者のように背筋が伸び姿勢はよく、それに背も高い。

「大丈夫ですか?昨日も寝ていないんじゃないですか、店が終わってからもあの客に付き合って」

 ダークグレーのスーツに白いシャツ、シャツのボタンは上から3つも外して胸元を大きく開け、肩で風を切るミルクティー頭だが、目を細め、口を細め、いかにも心配そうな不安そうな表情で、白スーツの顔を覗き込んだ。

「それが俺らの商売だろ。ホストは寝ても覚めても夢を見てもらう商売。寝たくないって言われれば、いつまでもお姫様を白昼夢の中に閉じ込めておくのが仕事なのよ」

「だからって、寝ないのはまずいっすよ。それに、いくら翔さんが落語好きだからって、体壊したら元も子もないじゃないですか。それに落語って同じ話をするんですよね。二徹明けなんですから今日くらいいいじゃないですか。もし、もしナンバーワンの翔さんになにかあったら、翔さんがいなくなったら俺……」

 どうやら白スーツの方はしばらく寝ていないようだが、口調からも表情からもそんな事は感じさせない。むしろミルクティー頭の方が眠そうだ。

「ケイ、落語ってのは同じ噺でも二度も同じものはねーんだわ。俺たちだってそーだろ。同じネタを使いまわしてもお姫様によって少しずつ変えるだろ。一人ひとりハマるツボが違うからさ。落語も同じなんよ。毎回違う。まぁ心配するなって、四徹までは経験あるし、明日はちゃんと寝るからよ」

 ミルクティー頭と別れ、翔さんと呼ばれた白スーツの男が向かったのは、歌舞伎町と同じ新宿にある寄席。

 寄席といいますのは、10日ごとに演者が入れ替わります。つまり月に三度ほど演者が入れ替わる。

 ただ月によっては、3月だとか8月だとか12月だとか、31日がございますから一日だけ余ってしまう。

 余った31日の寄席を余一会と呼び、この日だけは特別興行が行われるのが習わしとなっております。

 特別な寄席でございますから白スーツに限らず、寄席に通う者はそれを楽しみにしている。

 演芸場の方もそれは承知で、いつもなら一日入りっぱなしでも値段は変わらないっていうのに、この日だけは昼の部・夜の部で入れ替え制にして、ここぞとばかり少しでも稼ごうとする。

 チケットを買い求める20人ほどの列に白スーツも並び、ホストクラブの仕事で見ることの叶わぬ夜の部の演者を確認する。

 昼の部よりも夜の部の方が豪華だとか偉いなんてことはないのだが、見ることが出来ないと思うと夜の部の方を羨ましく感じてしまうもの。

 ただ、白スーツのホストは昼の部にも夜の部に劣らぬ楽しみがあった。演者の並びを見て、今日はお気に入りの噺家が「死神」をかけるかもしれないと期待が持てた。

 独演会や二人会などは別として、寄席といいますのは最初から演目が決まっているわけではございません。その日その日の流れや演者の順により噺家が演目を決めるもの。

 つまり、『明日は「死神」がかかる』、というのは誰にもわからない。その日、その時が来るまではわからない。

 もちろん演者の順を見たって誰がなにをするのかわからないのだが、「死神」はホストが落語にハマるようになったきっかけの一席。そのせいで、今日は「死神」をかけるかもしれないとすぐに期待してしまう。

 「死神」という噺は明治の大名人、三遊亭圓朝作の落語でございます。

 比較的新しい噺でございますが、人気があるからでしょう、「死神」という落語ののサゲ、オチは実に様々なバリエーションが考案されております。

 ざっくりと分ければ主人公となる男が死んで終わる場合と、死なずに冥府から冥界から生還する場合に分けることが出来るでしょうか。

 白スーツのホストが言ったように落語には同じ噺でも同じではない。そして、白スーツのホスト、翔さんはそこが気に入っていた。

 ホストクラブの営業が始まる前、いわゆる同伴出勤の客に連れられ寄席に入った。その客も別に落語が好きだとか寄席が好きだとかじゃなく、新宿の悪くない立地にいつまでも潰れもせずに寄席があるものだから、それで興味を持っただけだった。一人で入るのは心細いから、同伴の翔を連れていった。それだけだった。

 偶然だが、その寄席は規格外だった。

 今日と同じ余一会だったこともあるのでしょう、なんと三人の噺家が立て続けに「死神」をかけたのだ。

 初めて聞く落語だ。有名な「死神」すらも知らなかった。何も知らなかったが、また同じ噺がまた始まったと、そのくらいはすぐに気がついた。

 ただ、進んでいくとまるで違う噺のように聞こえる。それが不思議でしょうがない。

 もちろん噺家によって口調は違う。口調だけじゃない、ラストへ向かって一気に暗い雰囲気に引き込むものもあれば、明るい雰囲気のまま猪突猛進突き進むもの、サゲが違うものまであった。

 落語とは違うが、ホストも喋る商売だ。同じ内容を客それぞれに合わせて話すことが出来たらと、翔は頭を悩ませることもあったものだから、一気に心を掴まれた。

 同伴した客の女はつまらなそうにしていたし、ホストクラブも始まる時間が来たということで、途中で席を立つことになったが、翔の興味はかえって増してしまう。その夜の仕事が終わると朝から寄席へと足を運ぶことになる。

 寄席は自由席でございます。いつも同じ席に付きたい方もいれば、このホストのように拘りはなく、その日その日で目に付いた席に座るのを習いとする方もいますでしょう。

 この日は余一会、客の入りも十分になると予想したホストは後から来る客も入りやすいようにと前よりの席に座った。

 さて、午前の部の最後の演者は確かに「死神」をかけた。

 噺家による工夫、アレンジは少なく、淡々とした調子で王道とも呼べる展開に翔は前のめりになり、舞台の上にあるはずのない命を示すロウソクの揺らめきを確かに感じた。

 そのロウソクの火が一瞬大きく煌めいたと感じた次の瞬間、まるで酸素が尽きたかのようにスッと火は消えホストの視界は真っ黒に落ちた。

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