3.体験入部
『芋セーラー』と聞いて誰もが想像し得る垢抜けないデザインのセーラー服、男子はと言うとオーソドックスな普通の学ラン。それ以外に形容できない、ボタンに校章の刻印されている普通の学ラン。
田舎の公立中学校の制服なんてどこも似たようなものなのだが、俺は初めて着た「制服」に多少は心が躍っていた。
俺の進学した公立中学校は、市内の北に位置する為「北中」と呼ばれている。市内には南中や西中や東中もある、なんともセンスのない校名だが、ハイカラな横文字を並べて舌を噛みそうになる私立の校名よりも、学校の位置関係が分かりやすく、簡潔明瞭な公立校名の方が優れていると、私立への妬みを込めてそう思う。
北中は生徒数が多く部活動が盛んな中学校で、山や川に面した位置にあるが、コンビニやドラッグストア等もあり、ある程度の店は通学路付近に揃っている。登下校中の買い物、いわゆる「買い食い」行為は禁止されているので、店があろうがなかろうがあまり関係はないのだが。
部活動が盛んな理由は生徒数が多いこと以外にもある、全生徒達は強制的にどこかしらの部活に所属しなければならないのだ。帰宅部は許されない、教師の暴力は少なくなった時代だが、まだまだ先生方の理不尽な権力は健在で、強制部活加入のルールを破れる様な生徒は居なかった。
入学翌週から5月まで、新入生はどこの部活に自由に見学や体験に行ってもいい仮入部期間制度が設けれている。4月の間は自由に部活見学や体験入部をして、5月1日の段階で部活動を決めて本入部をしなければならなかった。
荒れた学校では無かったのだがどんな学校にも一定数のヤンキーは存在している。ヤンキーもまた、鉄の掟を破る事はできずに、何かしらの部活動に所属していた。ヤンキーという生物の動物的な本能なのか、やたらと群れる事を好むためにヤンキーの固まった部活動が存在してしまう。
男子バレーボール部もそのひとつで、部活見学中の新入生はむりやり入部させられる恐れがある為、新入生はバレー部部室前を横切ることもはばかれていた。
そういえば、小学校時代の悪友たちは皆、バレー部に入部すると言っていたな。
俺は小学校の後半に軽~くグレただけの根性なしだから、バレー部に入部する悪友たちを笑顔で見送り、部活動見学に勤しんでいた。
どうせなら運動部がいいかな?文化部は陰キャの烙印を押される可能性が高く、モテない。モテ要素で考えると、男子より女子の方が多いテニス部かバスケ部、陸上部なんかも意外と狙い目か…いや、でも露出度的には水泳部が段違いで…
健全な男子中学生に成長した俺は、あらぬ妄想を膨らませながら、あらぬ所も膨らませながら部活動見学の計画を立てていた。実に健全だ。
*「部活どうすんの?」
俺「まだ、全然、どこに見学行くかも決
めてないよ」
*「ふーん、そうか」
突然声を掛けて来られたが、動揺してはカッコ悪いので俺は平然と答えた。
あの時と同じ、声の主はあいつだ、そう仙川。それ以上は何も言わずに、あいつは大山たちを引き連れて野球部の見学へと向かった。
よくも声を掛けて来やがったなと思ったが、あいつにとって俺は取るに足らない存在、球拾い要因として少年野球に誘った事も覚えていない可能性だってある。
(何部にするか迷っている、いや、迷っている状態だと自分自身に言い聞かせてる?俺は…何をしたいんだ?やりたい事なんて決まってるはずなのに。迷っているフリをして自分を騙そうとしてるだけなんだ。)
仙川に声を掛けられて動揺したのか?俺は時間にして1~2分程度の事だったと思うが、全力で思考をフル回転させて自分自身に問いただした、そして、己の中に一つの結論を出した。
試合に出たい、野球がしたい。
俺は仙川軍団の後ろ、50mほど離れた距離で後をつけるかのように、トボトボと猫背で、しかし瞳はまっすぐ前を向き、野球部の見学へ向かった。
北中野球部は、3年生15人、2年生4人で構成されており、市内では南中とトップを競い合っている強豪チームだ。鬼軍曹の海老沢監督率いる北中野球部はスパルタ野球で知られており、恫喝なんて日常茶飯事、ケツバットにビンタ、丸坊主も強制されていた。「鬼のエビ率いる北中」と噂されて、市内はもちろん、監督に至っては全国区の知名度で恐れられていた。
恐れられて「いた」。
……1年前までは。
今の3年生が2年生の時の夏、昨年の夏に鬼のエビは練習中に突然倒れた。もともと高齢だった上に飲酒喫煙しまくりの不摂生、炎天下の中、怒鳴り散らしながらバットを振り回す。倒れない方がおかしい。
そのまま病院送りになったエビは、あっけなく息を引き取ってしまった。
副顧問をしていた野原先生が監督を引き継いで今に至る。野原監督は低身長でスポーツ刈りの体育教師、エビの教えを少しは受け継いでいるが、基本的には平和的、坊主頭の強制もなく、ある程度の熱い指導はあるものの野原監督が暴力を振るう事はまずなかった。
3年生からはエビの隣にいるだけの小さな副顧問という印象が強かったせいか、エビの子供、通称エビっ子と呼ばれている。
強豪校な上にスパルタ監督が居なくなった事も相まって、野球部に興味を持ち見学に来た1年生の多いこと多いこと。
大袈裟ではなく50人ぐらい居たんじゃないのかな?ミーハーな奴らだ。
練習はすでに始まっていた、見学初日はノックを見せてもらっただけで終わったが、インパクトは充分だった。
少年野球とはレベルが違う、怒号の様な選手の掛け声に、目で追うのも大変なスピードのノックを打つ監督、それに追いつく守備範囲の広さとグラブ捌き、肩の強さ、二遊間のコンビネーション。故海老沢監督に相当しごかれたのであろう、その迫力にただただ圧倒された。
仙川「凄い…」
仙川はキラキラ眼を輝かせながら先輩達の動きにくぎ付けになっていて、俺に気付くことはなかったが、一緒に来ていた大山が俺に気付いたようだった。
大山「え、初日から見学来てるの?素晴らしいねぇ」
小馬鹿にしたような言い方に少しイラッとしたが、あまり気にならなかった。俺も、3年生達の動きに見とれていて大山の嫌味どころではなかったからだ。
練習が終わり、帰ろうとした矢先に事件が起きた。
3年生の一人が大山に声をかけたのだ。
(あ、あのショート守ってためちゃくちゃ上手い人だ…。)
ショートを守っている山内先輩は、足が速くて肩も強くて打撃も良くて顔もいい、スラッとした細マッチョの高身長。全て揃った3番打者だ。
俺を含め、1年生は羨望の眼差しで大山が走って向かう先に居る山内先輩を見つめていた。
___その瞬間
大山が突然、エビぞりになってうずくまった。
(なんだあいつ?エビの教えに感銘を受けてエビの真似してんのか?)
違う、山内先輩は走ってきた大山の腹を思いっきりしゃくり上げるようにぶん殴ったのだ。油断した所に、みぞおちにいい感じに入ったようで、大山はゲロを吐き出した。
うずくまる大山に、山内先輩は一言二言吐き捨てて去って行った。
山内先輩の後ろ姿が見えなくなったのを見届けた後、すぐに仙川軍団がうずくまる大山に駆け寄った。
仙川「大丈夫か!?お前、何したんだよ!何言われたんだよ!!」
仙川の肩に支えれて立ち上がった大山は、ボソボソっと仙川に喋っていた。
大山「学ラン……上に…学ラン……」
真相はこうだ、俺たちは全員体操服を着て見学をしている。しかし、大山だけはおろし立ての学ランにしわが寄る事を嫌い、ジャージの上に学ランを羽織って見学をしていたのだ。
え?そんなことで殴られるの?と思うだろう。甘い甘い、田舎の中学校の暗黙の掟を舐めてはいけない。体操服の上に学ランを着たり、Yシャツの上に体操服のジャージを着るような、ハイレベルなお洒落行為は最上級生に当たる3年生しか許されない。
細かいことを言えば、体操服のジャージの上着のチャックの開ける量も決められているぐらい厳格なのだ。3年生はチャック全開が可能、2年生は半分くらいまで、1年生はチャックを開けるのはほんの5㎝程度まで。
これは、校則ではない、北中の全生徒に受け継がれる暗黙のルールだ。誰がこんなくだらないルールを作ったかだって?知らん、こっちが知りたい。
翌日、野球部に見学に来た1年生は20人に絞られた。あの理不尽な暴力を見て、それでも入部したいと思う奴らが20人…。余程の野球好きか、引っ込みの付かなくなったバカのどちらかだろう。俺は確実に後者に当たるわけだが。
練習開始早々、山内先輩が俺たち1年生の方に向かって駆け寄って来た。
__1年生全員に緊張が走る。
(また大山を殴りに来たのか…?
大山、出番だぞ。前に出ろ。)
俺の予想とは裏腹に、山内先輩が1年生全員に向かって話し出した。
山内「昨日は変なとこ見せて悪かったな。今日も来てくれた奴ら、根性あるよ。誰も来なかったらどうしようかと思ったわ」
アイドルかな?と思うようなと端正なルックスと爽やかな笑顔で、山内先輩は言って下さった。
緊張と緩和、極度の緊張状態が解放された1年生はホッと胸を撫で下ろした、顔を見合わせて軽く笑みがこぼれる奴も居た。
山内先輩はさらに続ける。
__さっきとは別人の様な低く重い声で
山内『お前らの顔は全員覚えたから、もし、本入部しないで逃げたら……分かってるよな?』
練習を見学中、隣に居た奴が面白い情報を教えてくれた。北中の野球部の3年はヤンキーばかり、エビの恐怖政治で大人しくなっていたけれど、3年はバレー部以上にタチの悪い先輩も居るとの事。
それで2年生の人数は少ないんだな。へー、そっかぁ…納得。
俺は、短いスカートからスラッと伸びた太ももを覗かせながら、手取り足取りラケットの握り方を教える大人びたテニス部3年生の女子と、鼻の下を伸ばしながら部活動体験にはげむ1年生男子を遠目に眺めながら、
「時間よ戻れ」と強く、強く神に祈った。