1.出会い
1990年代後半、平成後期、まだ「令和」なんて元号は誰も知らない時代。
都会でもド田舎でもない中途半端な田舎町。
駄菓子屋に備え付けられたアーケードゲームに興じ、コーンポタージュ味のスナック菓子を好み、テレビのバラエティ番組が大好きで、人を笑わせる事が得意。
笑われてるのか笑わせてるのかよく分からないが、人の笑顔が好きだった。
下ネタワードを躊躇なく織り交ぜた俺のギャグは女子ウケ皆無で、バレンタインデーのチョコは毎年ゼロ、人並に馬鹿なありふれた田舎の小学生生活を送っていた。
当時はサッカーよりも野球が人気の時代で、「野球部」という肩書きを持っていれば上級児童に認定される。
まぁ、小学生ですでに陰キャに片足ツッコみかけてる当時の自分としても、陽キャたるその肩書きに憧れてないと言えば嘘になり、グローブを突き刺したバットを肩にしょって空き地に向かう磯野カツヲや、のび太を小突き回しながら野球に興じるジャイアンやらを、羨望の眼差しで観ていたと言っても過言ではない。
いや、過言だ、少し言い過ぎた。
野球を始めたのは小4のころ。あいつらに誘われたからだ。
真っ黒に日焼けした肌、小学生にしては筋肉質な身体、そこそこに勉強のできる頭、声も大きくて態度もデカい、教師からも慕われ、ギャグセンスが低い癖に女子ウケがいい。
Theクラスの1軍、だれもが認める「野球少年」の奴らだ。
そいつらは俺の通うそろばん教室に居た。文字からも感じられるギラギラ感は、陰キャを消滅させうるであろう光のオーラを発していて眩しくて眼が痛くなり、胸焼けもする。
*「なぁ、お前も野球やれよ」
俺「え、俺?」
*「そうだよ、どうせ土日暇なんだろ?嫌な
らいいけど」
めちゃくちゃ失礼に誘ってくるし、断れないほど強引でもない、野球には興味があったが、この誘い方で乗ったらただの負け犬だろ。ったく。
俺「うん、やる」
即答した。
クラスの一軍からのお誘いを断れるほど、俺のプライドは高くはなかった。もしかしたら、俺もあのグループに入れるかもしれない。小4ながら打算的な事も考えていた。勝ち馬に乗れると思ったらすぐに乗る。
そう、陰キャからキョロ充にランクアップできるチャンスだと踏んだのだ。
いや、ランクダウンか。
う~ん知らん、何でもいい。
何より、楽しそうな同級生の集団に、声をかけられたのが嬉しかったのであろう。
俺を誘ってきたのは、野球少年グループのエースで4番の仙川俊之。町内の少年野球の人数は足りてるはずなのに、なぜ?少し不思議そうな顔していると仙川が言った。
仙川「お前、体育のドッヂボールの時、そこそこいい球投げてたろ」
俺 「え?そうだっけ」
俺は、父親がスーパーのワゴンセールで買ってきた不思議な音を立てて弾む謎のゴムボールでよく遊んでいた。
ボールを投げることや捕る事が楽しいのではなく、壁や地面にぶつかると鳴る「バイ~ン、バイ~ン」という間の抜けた音と異常な反発力が楽しかった。
ゴムボールを壁にぶつけながらひとりで、デュフフと陰の者特有のニヤつきを見せながら毎日、壁当てをしている可哀想な小学生だったのだ。うん、泣けてくる。
その成果が生きたのであろう、体育や休み時間に行われれるドッヂボールで少し活躍していたのだ。バインバインさせとくもんだな。
仙川「じゃあ明日、袋川公園に来いよ」
俺の市内で小学生が公式に野球をする方法は2つある。全国的な話ではない、あくまでうちの市内だけでの話だ。
まず俺たちの話している「少年野球」というのは、町内野球の通称だ。参加している子供の親が監督やコーチを行っているので、週末しか活動できないし、野球経験も怪しい親たちが勘で教えているために技術ではなく根性論に走りがち。正直、レベルが低い。
そして「学童野球」学校単位で行っているいわゆる部活動だ。毎日放課後に学校の先生が顧問となり練習をしている為、少年野球よりもレベルが高い。
俺が誘われたのは「少年野球」の方だ。そろばん教室から帰ってすぐ、母親に少年野球をすることを伝えて承諾を得た。さすが野球。すごい信頼感だよ、野球。娘が野球と結婚すると言っても、二つ返事でその日に送り出しそうだな俺の親。
俺は希望と不安と、年の離れた兄の使っていたボロボロのグローブを抱きながら就寝した。
あくる日曜日の朝。俺は、グローブを前かごに入れ、
いざ袋川公園へとチャリンコを走らせた。