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3-1 きっかけ





 妹の発病。


 きっかけは結局、これだった。


『特殊二級』――魔術学校では上位一割が取得する『二級』の称号。そしてその中でも『特殊』のカテゴリーにおいてのそれは、セヴェリのような人間にとっては最上位を意味する。なぜならば『特殊一級』の称号は、少数民族に伝わる遺伝性の魔術適性や、あるいは時代にたった一人の『聖女』にしか与えられないものであるからだ。


 将来を嘱望されていた。


 特殊魔術は、攻勢魔術や防御魔術と違って直接的な戦闘力を持つことはない。しかし幻惑の魔術――彼の操るそれは、ただ火球を飛ばすだとか、風の刃を起こすだとか、そうした基礎的な現象を引き起こす魔術よりも、遥かに戦略性が高い。


 ゆえに、在学中からすでに騎士団魔術科からの声はかかっていた。セヴェリがそれを引き受けずに官吏になったのは、ごく単純な理由――彼は、争いが好きではなかった。


 それに、妹のこともあった。彼が魔術学校を出てからの進路を決める段階では、すでに遠からず、彼らの父が病に命を落とすことはわかっていた。


 騎士団に入れば、おそらく自分の配属は治安部ではなく国防部になる。そのことは簡単に認識できた。そしてそうなった場合――現在のところ、すぐさま紛争の火種となるようなものはなかったが――いずれは自分自身、戦争に出ることになる。


 もしも自分が命を落としてしまったら、その後の妹はどうなる?


 今度こそ、本当に一人になってしまう。


 だから彼は、騎士団からの誘いを断った。代わりに文官の総合職として登用されることになる。……平民上がりの文官は、若いころはそれほどの賃金は得られない。また、管理職としてもどこかで出世の頭打ちが来る。しかしセヴェリはきっちりと計算をしていた。自分の役職の上昇速度、そしてそれによって得られる給与の使い道……このまま行けば何事もなく、平穏に暮らしていけるはずだった。


 ティナが十四歳で発病するとは、思わなかったのだ。


 かなり珍しいケースだ、とかかりつけの医者が言っていたことを覚えている。


「確かにごく若い時点で発病することも考えられなくはないが……それでだって、四十を越してからの話だよ。この子の父親が死亡した年齢を考えても、相当に進行が早い家系なのかもしれないな」


 治療には、金が必要だった。


 だから彼は、文官を辞めた。そして鞍替えしたのだ――冒険者に。


 世界中には、魔力の流れによって自然に形成された『ダンジョン』と呼ばれる遺跡がいくつも眠っている。そしてその奥には大量の資源が眠っている。ごくわかりやすく言えば、金銀宝石……あるいは石油や天然ガス。冒険者はそうしたダンジョンに潜り、内部にいる『悪魔』――滞留した魔力が創り出した魔法生物を駆除し、ダンジョンの内部構造を明らかにしていく開拓者の集団だった。


 当然、未踏の地を歩く者たちは、命の危険に晒される。


 それだけに、実入りは平民文官などとは比べ物にならないほど大きい。


 セヴェリは学生時代の友人の伝手を辿って、大手のクランに所属することができた。そしてここでも彼は重宝されることになる。


 当然のことだった。なぜなら、セヴェリの幻惑の魔術さえ使えば、ダンジョンの中に蔓延る悪魔たちとの交戦を大いに避けることができるのだから。


 彼はすぐにクランのメインとなる部隊に組み込まれた。おかげで妹の治療費も何とか賄うことができていた。幸い彼女の病気は早期発見できていたから、このまま毎日の薬の服用さえ続けていれば、今日明日にいきなり死ぬということはまずないだろうと思われた。そうして彼女が生き延び続ければ、いつしか画期的な治療法が生まれるだろうと期待を持つこともできた。


 しかし結局その淡い希望も、一本の矢によって壊されることになる。





`ヽ、`ヽ、`ヽ、`ヽ、






「おいっ! 誰だ今の矢を射ったのは!?」


「ち、ちが……っ! 待ってください! 俺はただ、普通に悪魔に……!」


「救護班に前に上がらせて! これじゃ間に合わない!」


「おい、イーガウ! しっかりしろ!」


「ダメだ、頭を貫通してる……」


「ふざけんな! こんなところでこいつが死ぬわけが……」


「馬鹿野郎が! てめえ一体どこを見てたんだ!」


「違う! 俺はちゃんと、そんなつもりじゃ……」





「あいつだ! セヴェリ! あいつの魔術のせいで、イーガウが見えなかったんだ!」






`ヽ、`ヽ、`ヽ、`ヽ、





 冒険者とは、絶えず肥大する生き物だ。


 騎士団とは異なる。彼らは常に上を目指す。外へと広がろうとする。その組織は流体のように形を変え続け、常に新しい者が入り込んでくる。そういう風に、できている。


 統率が、取れないのだ。


 それでもセヴェリの属していた一団は、普通のクランよりもずっとマシではあった。一年近くの間は一切の事故を起こさずに活動を続けた。特殊二級の幻惑魔術という異常な能力を御し続けた。


 けれど、皮肉にもそれによってクランが業績を上げ、規模が拡大したことで――幻惑魔術の使用に際しての注意事項を洩らすメンバーが、出てきてしまった。


 姿消しの魔術を行う際に、互いの姿まで見えなくなってはどうにも立ち行かない。


 だから、お互いの姿を確認できるようにするための特別な手順がある。セヴェリが魔術を行使する際に、受け手となるそれぞれの人間が、はっきりとお互いの姿を目にしておくことだ。そうすれば、魔術がかかりきっても互いの姿を見失うことはない。すでに発見しているものを見逃させるだけの力は、彼の魔術にはないからだ。


 だから、出発の前に、クランは必ず円陣を組んでいた。互いが互いを認識しながらセヴェリの魔術をその身に受ける……それが透明な開拓者たちの、出発の儀式だった。


 結局、誤射した男が何らかの言い訳としてセヴェリを使ったのか、それとも本当に、儀式に不備があってメンバーの姿を見失っていたのかはわからなかった。男は翌週にはクランから姿を消していたからだ。


 そして、セヴェリの魔術自体に欠陥があるのではないかという疑念も、晴れることはなかった。


「本当に申し訳ないが……」


 クランリーダーのタビサの部屋に呼び出されたセヴェリが聞いたのは、そんな言葉から始まる、解雇の通告だった。


「私たちのクランがここまで拡大したのは、間違いなく君のおかげだ。私はそれを誤魔化すつもりはない。だが……」


 無理なんだ、と彼女は言った。


 剣一本から二十五年かけて成り上がった、冒険者の星。やがてその功績で以て貴族位を与えられることもあるだろうと周囲から見込まれていた。その彼女が、苦虫を噛み潰すような表情で、手のひらに食い込んだ爪から血液まで滴らせて、セヴェリにそう告げた。


「君の能力は間違いなく優秀だ。はっきり言って、君の運用さえ上手くできれば、この国の冒険者クランの最大手としての地位は保証されたようなものだろう。……だが、無理なんだ。この国の冒険者という職は、すでに成熟しすぎている」


 彼女は言った。


 もう今は、命が軽い時代ではないのだ、と。


「私がこの業界に足を踏み入れた時点で、すでにその兆候はあった。けれど、今はもっと顕著だ。労働組合がある。互助会がある。一度悪評が立てば、もう冒険者としてやっていくのは難しくなる。そして何より――人が一人死ねば、周囲の人間たちは、恐れを覚えるようになってしまった」


 君のようにな、と。


 彼女は言って、セヴェリの拳を見つめた。


「何回に、一回だ」


「……千回に、一回です」


 目の前で、人が死んだ。


 イーガウ。クラン内の主力の一員。タビサと同じく、このクランの立ち上げ当時から在籍していた、大ベテランが。


 それからだった。何度も何度もセヴェリは、自分の魔術に欠陥がないことを確かめた。そして気付いた。学生時代にはなかった――おそらく、彼の死から身に付けてしまった、新たな欠陥を。


 千回に一回、極度の緊張下において、自分の魔術は失敗する。


 イップスだった。


 イーガウの死の瞬間が脳裏に過ると……魔術行使の流れに淀みが出る。時間のロスが発生する。平時であればかけ直しで補うに足るだけの、ほんの些細な欠陥。


 けれど。


「もう、クランのメンバーたちは、君を信用しない……」


 タビサの言葉に、セヴェリは反論ができなかった。


 使い道はある。間違いなく、この能力はダンジョン探索に適しているのだ。自分をメンバーに入れることで発生する利益を、必要ならば彼は、十個でも百個でも並べ立てることができる。


 けれど、これは損得の問題ではない。


 信頼の、問題だった。


「私が駆け出しの頃だったら、」


 そう、タビサは言った。彼女自身、ほとんど泣いているような、悲痛な声で。


「絶対に、君を手放さなかっただろう。そして誰も、君がダンジョンに潜ることに文句も言わなかった。……けれど、もう時代が違うんだ。軽い命だけを持って、遠くを目指した時代は、もう終わってしまった。誰も彼もが、命を失うことを怖がっている。冒険者は、生き様ではなく、ただの職業になってしまった」


 これを、と言って、彼女は袋を差し出した。


「退職金だ。通常の額に加えて、向こう一年分の基礎給与が入っている。次の仕事を見つけるまでは、これで何とか凌いでくれ」


「…………助かります」


 受け取りながら、セヴェリはまた、頭の中で計算していた。妹の薬代。通院費。生活費。これから自分が次の職業を決めるまでに残された、猶予時間。


 頭を下げるセヴェリに、最後にタビサは、こう言った。




「君とは、もっと早くに出会いたかった……」


 


 手遅れを嘆くための呪文。





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