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2-3 悪夢





「使い捨てられたな」


 何でもないことのように、カロージェロは言った。今にも煙草を取り出して吸い始めそうなほど、いつも通りの口調――その声に、少しだけセヴェリの心は軽くなる。


 もっとも、城ほどもある鋼のような圧迫からたったの一欠片が取り除けたところで、何の救いにもならないが。


「どうなってるんだよ、これ……」


 セヴェリは混乱と緊張の中で、思わず床の上に屈みこむ。両手で顔を覆う。自分のこれまでの人生を悲観的に振り返りたくもなる。けれど一つだけ、抜け目のない彼だから忘れずにしたことがあった。


 魔術の行使だ。幻惑魔術。消音と気配消し。まるきり部屋の中身をすり替えるような規模の魔術を準備するには時間が足らないが、それでもこれがあるだけでよほどのことがない限り――何か強い目的を持った人間がこの場を訪ねてこない限りは、しばらくの猶予ができる。元々内密に薬物を服用するはずの場面だったのだ。公爵だって、しばらくの間はここに人を近付けないよう取り計らうことくらいはしていただろう。よほどのアクシデントがない限りは、これが突破されることはない。一応は、と自分たち自身にも姿消しの魔術をかけておく。


 カロージェロは落ち着いた様子で部屋の中を歩き回っていた。慣れているのか、それとも諦めているのか……彼の態度がどちらの心境を示しているのか、今のセヴェリには判断がつかない。


「何があった?」


「見てなかったのか?」


「目を逸らしてたんだ」


 正直にセヴェリがそう言うと、カロージェロは薄く笑った。


「そっちの方が大抵の場合、人生は上手くいくからな」


「おかげで大事なところを見逃した」


「一生に一度、起こるか起こらないかの不運だ」


「起こった後はすぐ死ぬ羽目になるから?」


 カロージェロはセヴェリの言葉に、一瞬だけ考えた素振りを見せた。それから「なるほど」と言って口の端を上げる。


「そういう仕組みだったのか。知らなかった」


 カロージェロが歩く。女の死体の傍。少しだけ開いた窓。雨風の吹き込む場所に立って、こう語り始める。


「そんなに面白いものじゃなかったさ。公爵が薬をヤった。そうしたら顔色が悪くなって、声も出せないまま机の上に倒れた。この時点でどう見たってヤバいんだが、どうにもこの女は肝が据わってた。飼い犬が眠っちまったみたいな目つきで公爵を見てた。おかげで俺もてっきりそういうもんなんだと思ってそのまま見守っちまったんだが、俺たちが大人しくしてるのをいいことに、女は薬の入ってた袋を外にぶん投げた」


 見てみろよ、とカロージェロが言うので、セヴェリもよろよろと立ち上がる。彼が見ているのと同じ方向に目線を向ける。つまり、今いる五階の建物からその下……地上を見下ろす形になる。


「あそこの地面、足跡がついてるだろ」


「見えない」


「帰りに眼鏡屋に寄っていこう。お前はたぶん、目が悪い。……足跡がある代わりに、薬の袋は姿を消してる。誰かが受け取って持ち去ったんだろうな」


「誰かって?」


「少なくとも、俺たちじゃないことは確かだな」


 そして目的も確かだった。証拠の隠滅。それ以外には考えられない。窓の外から目を逸らすと、女がすぐ近くの床に倒れ伏しているのが目に入る。公爵と同じ死に様。証拠の隠滅、ともう一度、セヴェリは唱えた。


「悲しい事件だ」


 そう、セヴェリは言った。


「ああ、確かに。こんなに悲しいことはないな」


「何せ人が死んでるから」


「しかも二人も」


「それじゃあ、僕達はなんでここでこうして生きてるんだ?」


「生贄だろうな」


 肩を竦めて、カロージェロは言った。他人事のような素振りで、窓枠に凭れ掛かって。


「暗殺だろ、これは。貴族が死んだら、少なくとも誰か一人は犯人を挙げなくちゃあならない。実行犯が必要なわけだ。黒幕まで辿り着けなくても、少なくとも木っ端の使い走りくらいはぶっ殺さなくちゃ、面子が立たない。こっちの女は死ぬことを前提にした捨て駒。んで俺達は、捕まることを前提にした捨て駒」


「でも、僕達はやってない」


「やったようなもんさ」


「知らなかった」


「だから捕まっても問題がない。……なあ、ここってさ」


 服のポケットを叩きながら、カロージェロは部屋の天井辺りをぐるりと見回す。


「煙草吸ったら、臭いがつくよな?」


「そりゃあね」


「吸ったらまずいよな」


「どうかな。後悔しないように、今のうちに吸っておいた方がいいのかもしれない」


 煙を吐く代わりに、お互いに溜息を吐いた。


 この世の憂鬱の全てに色づけられたような、深く、重い溜息を。


「…………逃げよう」


 意を決して、セヴェリは言った。


 そうするほか、選択肢はない。ここにいることで訪れてしまうだろう未来のことは、はっきりと見えている。二人が死んだ。その埋め合わせに、これからさらに二人が死ぬ羽目になる。この同僚と一緒に、絞首台を一歩二歩と登らされる羽目になる。


 そんなのはまっぴらだった。こんなところで死ぬわけにはいかない。だから、逃げるしかない。この場をどうにか切り抜けるしかない。官吏から冒険者へ転職したように。冒険者から運び屋に切り替えたように。これからは逃亡者に変じるしかない。


 オーケー、とカロージェロもそれに頷いた。


「ま、それしかないわな。どうする? やり口は」


「……ちょっと待ってくれ。今、考える」


 完璧な殺人とは、どういうものか。


 死体を誰にも発見させないこと――まずセヴェリの脳裏に浮かんだのは、それだった。


 死体がなければ、誰もその人物が死んだことには気が付かない……しかし、これは馬鹿げた考えだということもすぐにわかる。相手は一般人ではない。王弟なのだ。たとえ死体が見つからなかったとしても、マーヴィン=ヴァンハネンの失踪は騎士団による大々的な調査の対象となりうる。


 そうなると、次善の策になる。この場に自分たちがいたことを気付かせない、というものだ。


 初めから容疑者として数えられなければいい……いつもなら、それができた。だが、今回に限ってはできない。すでに門のところで騎士に顔を見せてしまっているからだ。


 いや、待てよ。あの騎士も眼鏡の女と共犯だったのではないか。だとしたら、顔を見られていたところで何事も……違う、それでもダメだ。自分たちが眼鏡の女のバックについている存在によって生贄にされたのだとしたら、騎士もその方針に準じている可能性が高い。となると、騎士は自分たちと公爵との面会について嬉々として話すことだろう。


 自分たちがここにいた痕跡を消すことはできない。


 だったら、他の人間の犯行に見せかけるか? しかし誰に? 眼鏡の女が全てやったと言ったって、誰も信じてはくれないだろう。そもそも、この公爵の死因は何なのだ? 毒……のように思えるが、こんな症状は見たことがない。回収されていったというあの薬の袋は、一体何のために現場から消されたのだろう。


 …………ダメだ。考えが纏まらない。余計なことは、思考から省かなくては。


「殺人があったことを隠すことはできない。それと同時に、僕達がここに来たことを隠すこともできない」


「なかなか厳しい条件だ」


「どうすればいいと思う?」


「騎士団に俺達が善良な人間だと信じて貰えるよう、今更ボランティア活動に励んでみる」


「殺人現場にいたけど僕達は関係ないんです、って言葉に説得力が出るくらい?」


「ああ。俺の見立てだと、大体ゴミ拾い千年分くらいで達成できる」


「僕も同意見だ」


 それじゃあ、とセヴェリは言う。


「千年、ゴミ拾いをしながら逃げよう」


「小細工は抜きか?」


「する余地がない。……誰も来ないうちに、ここを出よう」


「それからは?」


「誰にも見つからないように、国を出るしかないな。騎士団に追いつかれない程度の速度で」


 間違っている、と。


 セヴェリは自分でわかっていた。この判断は、間違っていると。


 いくら自分の幻惑の魔術と、カロージェロと竜が揃っているからといって、そこまで簡単に一国の騎士団から逃げ切れるものなのか。自分の魔術だからこそ、欠点があることもわかっている。その場その場のペテンごときならばともかく、正面から、長期にわたって対峙するのは限りなく難しい。


 それに、国を出てからどうするというのか。公爵殺害。下手をすれば国際指名手配もありうる。そうなればこの国との犯罪者引き渡し条約を結んでいないような国にまで逃げるしかない。そうした国々は少なくともこの国と同じ言葉は使っていないし、経済的にも貧しいところが多い。


 外に出て、どうやって暮らしていくつもりなのか。


 それに、ティナの――妹の治療は、どうするつもりなのか。


 問題は山積みだった。


 けれど、これ以外の選択肢がないことも、また事実だった。


 他に存在するあらゆる選択肢は……この「後先考えずに逃げる」という悪夢のような選択肢よりもさらに悪い。全てが差し迫った死に直結している。僅かながらの希望すらも存在しない。


 だから、この選択肢しかなかった。


 生きていれば時々、そういう状況は現れる。あらゆる選択肢が不正解である場面。間違いだらけの中で、比較的傷の少ないものを選ばなくてはならない場面。その状況に陥ったときには、すでに藻掻きようもない。分岐点はずっと昔に存在し、全てが手遅れなのだ。


 思い詰めるセヴェリの肩を、カロージェロが軽く叩いた。顔を上げた彼に、白い歯を見せて言う。


「気楽にいこうぜ。どうせ人間、いつかは死ぬんだ」


 慰めの言葉。


 そうとわかったから、セヴェリは無理に笑顔を作って答えようとして……そして今度は、カロージェロよりも早くに気付けた。


 見逃さなかった。


 大事な、ところを。




「お父、様……?」




 金の髪の令嬢が、ふらふらと、部屋の中に入ってきたところを。






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