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7-3 必要なことであるなら





 裁判場にその三人が入ってきたとき、流石の宰相ノルチョムもその顔を引きつらせた。


 まず最初に思ったのは、どうやって。どうやってあの拘置所から抜け出してきたのか、ということ。


 あの邪魔くさい聖女は論外だった。回復魔術はその本来の領域内においてこそ絶大な力を有するが、しかし応用性は低い。何せ、魔術具を作ることすらもこちらの手持ちの回復魔術士ではままならなかったのだから……。あの小娘の方が適性は高いとはいえ、単純な石壁を破壊できるほどの力は絶対にない。


 となると、次に怪しいのは幻惑魔術使いの優男だった。あれには随分と苦しめられた。奴を雇う組織に問い質しても、その能力の底は誰も知らない。冒険者時代に所属していたクランから情報を集めようとしても、中核にいるメンバーは義理立てのつもりか、決して口を割らない。精々が騎士団第四分隊長のフリードの、曰く「こんなこともあろうかと」収集していた情報に頼るのが限界だった。


 しかしそれでも、とノルチョムは思う。幻惑魔術の使い手は大抵の場合、物理的な障壁には手も足も出ないと聞く。であるなら、あの単純な牢を抜け出すことはできないように思われた。


 そうすれば最後の一人――長身の、雷魔術使い。最大の誤算だった、組織の裏切り者。こいつを置いて他にいないのではないか、と思われた。


 奴はほんの幼い頃から組織の子飼いとして扱われていた。親の残した借金の代償。ほとんど奴隷のように扱われ、命の危険のある任務についたことも一度や二度ではない。だから今回も、何も言わずに組織の意図を汲み全てを受け入れるだろうと思われた男が――機会を窺っていたのか、平然と裏切った。


 公爵邸から脱出する手際、あるいは襲撃から逃れる際の竜の操縦技術。単純な攻撃魔術では脱出できない牢に閉じ込めたつもりだったが、ひょっとするとまだ、隠し玉を持っていたのかもしれない。


 忌々しい、とノルチョムは思う。なぜよりにもよって、この最も重要なタイミングで、薄汚いネズミごときが悪足搔きをし始めるのか――――


「静粛に!」


 裁判長の叫びに、我に返った。


 そうだ、今は自分の感情の処理にかまけている場合ではない。目の前の問題に取り組まなくては――。


 離れた席に座っているエリオール侯爵から、厳しい目線が送られてきている。どういうことだ。聞いていないぞ。……もちろん、そんなものは当たり前だ。こちらだって予想もしていなかったのだから。けれどノルチョムはそんな動揺をおくびにも出さず、鷹揚に頷いた。余裕。それは自分を強者に見せるための、一番最初の武器だ。


 唐突な闖入者に、裁判場内はざわついている。情けない、とノルチョムは思う。公爵殺害事件、そして聖女の資格剥奪のための悪魔裁判だ。この場に居合わせた人間は高位貴族のみ。それがたかだかこんな若造どもの乱入ごときで、巣を突かれた兎のように怯えている。


 王までも。


 ほんの少しだけ、こんなことになっても決して背筋を曲げなかっただろう、貴族の男のことを、思った。


「落ち着いてください、みなさん」


 そう一言告げれば、場は静まり返る。


 誰もが求めているのだ。自分を先導してくれる存在を。自分で物を考えるのは苦しいことだから。誰かが導いてくれるなら――その先に続く道が地獄だったとしても、簡単についてくる。


 穏やかな笑みを作り上げて、ノルチョムは言った。


「アンネリア=ヴァンハネン嬢は聖女とはいえ、貴族位はお持ちでない。であるなら、この裁判に席は用意されておりません。退出していただきましょう」


 おお、と声が上がる。そうだそうだ。騎士は何をしている。そんな、どこぞの平民とも変わらない野次馬じみた声――。ノルチョムは内心で、強烈な不快感を覚える。この国は長く続きすぎた。建国の指導者たちが集った議場も今や時遠く、ただその血を引いているに過ぎない馬鹿者どもの遊び場と化している。


 その声の主の顔を一人一人見ながら、レッテルを張っていく。お前は貴族ではない。お前も、そこのお前も。お前たちなどは、貴族ではない。貴族らしいかもしれないが、本当の意味での貴族ではない。私と同じだ。私と同じ、薄汚い、本物になれなかった、言い訳ばかりの、どうしようもない――――




「資格なら、あります」




 凛とした、声が響いた。


 誰もが、その声の主を見ないではいられなかった。


 金色の髪。この裁判場に居合わせた中で最も幼いだろう、若い女。


 アンネリア=ヴァンハネン。


 公爵代理権書を掲げる彼女の顔に、ノルチョムは、マーヴィン=ヴァンハネンの面影を見た。


「ばか、な」


 ありえない。


 そう、思った。二つの意味で、ノルチョムはそう言って、驚愕するほかなかった。


 一つには、公爵代理権書の存在。焼き払った、とフリードから報告を受けていた。本当か、と念押ししたときには奴もしっかりと答えた。そう、確か、「短い文言だったから、中身までちゃんと覚えちまいましたよ」なんて言ってその内容を諳んじて、そしてそれは自分の記憶の中にあるものとそっくりそのまま同じものだったから、信じ込んで。


 けれど目の前に、血まみれのそれは、掲げられている。


 やられた、と気が付いた。


 幻惑魔術だ。


 どのタイミングだったのかはわからない。自分の目の前に出したときかもしれない。フリードに奪われたときだったのかもしれない。


 入れ替えられた。偽物と、本物を。あの魔術士に。


 姿消し、音消し――その二つの他に、まだ奴は力を隠していた。


 ……いや、待てよ。


「なるほど。それではアンネリア=ヴァンハネン嬢の同席を、裁判長として認め――――」


「お待ちください」


 ノルチョムは立ち上がって、異議を唱える。いかにも公正な、当たり障りのない伯爵宰相と言った面持ちになるよう、仮面を被って。


「その代理権書、見ればかなり汚れています。ひょっとすると、ええ。こんなことは言いたくありませんが、偽造の跡を隠すためかも……」


 ざわり、と再び裁判場が揺れる。


 代理権書の偽造。平民同士であれば大して重い罪にもならないが、しかし貴族に対して行えば国家への反逆と見做される大罪だ。


 公爵令嬢がそれを行う大胆さ、という想像のみで、貴族達の間に動揺が広がる。彼女を疑いの目で見始める。


 そして当然それは、疑いをかけられる側だけでなく、そんな大それた疑いをかける側にも。


「……本気で仰られているのか。宰相殿」


「マーヴィン=ヴァンハネン公爵は何よりも手続きを重んじられた。これが彼の暗殺事件の真相を決するものである以上、その手続きは……彼の亡き後の私達にできる限り、厳正であるべきです」


 可能性は、あるのだ。


 公爵代理権書が、本当に燃えていた可能性。


 マーヴィンの死から、いったいどれほど、奴らに準備をする時間があったというのか。それに、あの小娘が受けた教育はどうせ付け焼刃の淑女教育程度。それならば、代理権書の偽造を行うなどと知恵が回るものか。


 もしもあの代理権書が幻惑魔術による偽物であるなら、それだけで決着がつく。


 こんなに大きな勝ち目があるならば、逃すという選択肢は、決して存在しないのだ。


 裁判長が、ノルチョムを睨みつけていた。この男も裁判場の主として長い。自分の決定に嘴を突っ込まれていい気がしないことは、想像に難くない。


 しかし、ここは譲らない。


 ノルチョムは正面から、それを見つめ返した。


 ざわめきが大きくなり――しかし最後には、裁判長は嘆息とともにそれを認めた。


「いいでしょう。ヴァンハネン公爵の名を出されて首を横に振れる司法関係者はいない。彼の弔いとあれば、なおさらに。――アンネリア=ヴァンハネン! あなたの同席の可否の判断を行うより先に、その代理権書の真贋を鑑定したい。専門部署の人間をこの場に招集し、そちらを改めることを許していただけるだろうか」


「構いません。それが必要なことであるなら、私は受け入れます」


 まただ、とノルチョムは思う。


 また、ありえない想像が、頭の中に浮かんでいる。


 あの小娘が、マーヴィンに見える。


 あの高潔で、頑迷で、どこまでも貴族らしかった男――その面影が、あんな拾われてきた野良犬の顔に、宿っているように見える。


 ありえない。


 そんなことは絶対に――たかだか回復魔術が使えるくらいの、そんな特技しかない女が、あの男の後継者になれるわけがない!


 裁判場が、再びざわめきを取り戻す。事務官たちが扉を開けて走り出して、代理権書の鑑定官を呼びつけに走り出す。


 正式な鑑定にはかなりの時間を要する。通常であれば一度中座ということになるが、この規模の裁判だ。下手にこの数の貴族達が散開すれば、騎士たちの護衛も間に合わない。このままここで待機、ということになるだろう。


 ノルチョムは、椅子にずっしりと、その身を沈めた。


 そして、自分に言い聞かせる。


 何の問題もない。


 あの小娘がマーヴィンに似ていたとして……そんなことすらも問題ではない。貴族教育の全てまで受けていたとしても、マーヴィンであれば、そんな小細工を教え込むことはないはずだ。代理権書が嘘だと知れて、それで終わり。彼女の顔つきも、声音も、何かのブラフか強がりだろう。


 もし、そうでなかったとしても。


 それだって、問題はない。


 こちらの関わった証拠は全て消した。証人こそいなくなったが、その後の彼女の行動は、彼女が犯人であると推察するに十分な根拠を提供している。


 だから、こちらが一方的に圧殺して、終わりになる。 


 もしもたった一つ、不安要素があるとすれば、こちらの回復魔術士をこの場に引きずり出されることくらいだけれど――――。


 見つかるはずがない。


 彼女は、この裁判が終わるまで、最もいそうにない場所に隠されている。


 それに、見つけ出そうとしたって。


 あの三人がこの場にいる限りは、もう、他に使える人員など、どこにもいないはずなのだから。


 だからゆっくりと、ノルチョムは座り込んで、時間が経つのを――来るべき結果が来るのを、待っていた。


 それが時間稼ぎだと、気付きもしないままで。





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