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6-1 明け方





 扉だけはどうにもならないのだ。


 いくらセヴェリの幻惑の魔術が優れていると言っても、どうしても欠点は存在してしまう。


 しかしそれでも、宰相ノルチョムの居場所が公邸であることを突き止め、そして彼が今個人的な休憩室で、明け方から仕事に取り掛かろうとしているところであるとまでわかれば十分ではある。


 あとは、令嬢――アンネリア=ヴァンハネンの領域だ。


 廊下の角に立つ、これもまた同じく姿を消したカロージェロが、オーケーサインを送ってくる。巡回はしばらく来ない、という合図だ。アンネリアは頷いて返す。


 そして、ノックもしないままに、がちゃりと扉を開いた。


「な――――」


 中にいたノルチョムが声を上げるよりも先に、セヴェリが中へと身体を滑りこませる。透明なままだから、向こうも抵抗はできない。口を塞いで、声が出ないように。カロージェロまで部屋に入ってくるのを見届けてから、ゆっくりと幻惑魔術を解いた。


 ノルチョムの目が驚愕に見開かれる。


 それに優雅に、アンネリアは礼を返した。


「不躾な訪問で申し訳ございません。ノルチョム様」


 叫ぶ気配が消えたことを確認してから、セヴェリは手を離す。部屋全体に消音と気配消しの魔術はかけたまま。


 内密な話をするために。


 突然の登場にノルチョムは動揺しながらも、しかし対応を返した。


「お、おお……! 探していたんだぞ、アンネリア嬢!」


「失礼しました。……あの場にいては、そのまま罪を着せられそうだったので」


 ノルチョムは喜色を浮かべ、アンネリアの肩を叩く。姪に会った叔父のような仕草。今にも彼女を抱きしめんばかりの表情ながら、しかし、彼女の台詞の後半部……『罪』という言葉には、ひと時で顔を曇らせた。


「そうか……、そうだな。いや、確かにそれで正解だ」


 何はともあれ座りなさい、と彼はアンネリアに椅子を勧めた。彼女がいかにも淑女然とした所作でそれを受け入れる。当然、セヴェリとカロージェロは彼女の後ろに控えて立つことになる。


「その二人は?」


「一時的な協力者です。引き込みました」


「信頼はおけるのかね」


「利害は一致しています。今のところ」


 部屋の中は質素なものだった。


 伯爵宰相の公邸とは思えないほどの控えめさ。……しかし、セヴェリにも目を凝らすだけでわかる。白を基調とした清潔な内装は、一見すると質素であるというだけで、実際には随分と高価なもので揃えられているということを。うわべにはわかることのない気品。確かに、噂に伝え聞いていたあの謹厳実直のヴァンハネン公と相性が良いというのも、あながち不自然なことではないだろう、と彼は思う。明け方の静かな空気は、この部屋にとって最も似つかわしいものに思えた。


 まだ、雨は降り続いている。


「単刀直入に申し上げます。協力してください」


 金色の髪の少女は真っ直ぐな言葉で、ノルチョムへと訴えかけた。


「それは君の……指名手配の解除に、ということかな」


「はい。そして、無実の証明に。……真犯人は別におります。後ろのこの者達が、その証人です」


 そして、彼女は説明した。


 セヴェリとカロージェロの二人が見た、公爵暗殺の真相。その全てを、詳細に。


 そして自分を陥れようとしている存在についての推理の全てを。


 ふうむ、とノルチョムは椅子に凭れ掛かり、長細い髭を指先でこすり合わせた。


「しかし、証拠はないわけなんだね」


「ええ。……暗殺に使われた薬は、すでに回収されてしまったようです」


「こちらの持ち札は、そこの平民の二人だけ、というわけか」


「難しいでしょうか」


「ほとんど不可能と言ってもいいだろうね」


 ノルチョムは両の丸い手のひらで顔を覆う。水で顔を洗うような仕草で、その表情が見えなくなる。


「君も知っているようだが、エリオール侯爵は今、その勢力を強めているんだ。ただでさえ彼の領地は並外れて広いうえ、代替わりしてからというもの、隣国を相手に有利な条件の貿易協定を次々に結んでいる。まだ彼は若いが、次の外務大臣にと推す声もある。平民二人の証言でそれを覆すのは……断言してもいい。不可能だ」


「しかし、私は――!」


「わかっているとも。君がヴァンハネン公――マーヴィンを殺したのではないということは。しかしね。いくらなんでも私の力だけではどうにも……」


「――――それなら、これがあればどうですか?」


 彼女は、セーフハウスでしたのと同じように、自分の袖から一枚の紙を引き抜いて。


 机の上に広げた。


 公爵代理権書。


「これは……!」


「父が私に託したものです。公爵としての地位と、ノルチョム様の手腕。この二つがあれば、覆せるものもあるのではないですか」


 そうか、と彼は頷いた。


 それは深い……深い、頷き。


「子は、親に似るな」


「それは、どういう……」


「馬鹿正直だ、ということだ。人間には向いているが、貴族には向いていない」


「ノルチョム、様?」


 彼は両手を顔に付けたまま、二度三度、上下にそれを往復させる。顔の筋肉を緩めるように。あるいは、表出しそうな感情を抑えるように。


「優秀だったよ。間違いなく。私は学生時代……いや、もっと前から、あいつに勝てるようなところは一つもないと思っていた。そして実際に、今こうして奴が死んで私が生きていることも、勝利の結果だとは思わない。ただの属性の違いだ。奴が高潔で、私は卑俗だった。たったそれだけの違いがもたらした偶然が、今の状況だ」


 セヴェリは公爵代理権書を机の上から回収する。


 いつでも、逃げ出せるように。


「何を仰って……」


「アンネリア。もう、」


「ほう。君はその平民に名前で呼ばせているのか。よく見れば『忠誠の指輪』まで……。マーヴィンが聖女候補とはいえ平民を養子にと言い出したときは愕然としたものだが、やはり私の思った通りだな。平民は、どう教育しても貴族にはなれない。育ちは生まれに敵わない。当たり前のことだがね」


 信じられない、という顔でアンネリアはノルチョムを見ている。


 だから、セヴェリが、代わりに言った。


「公爵暗殺の黒幕は、あなたか」


「病を抱えた友人に、よく効く薬があると勧めることが罪だと言うなら、確かにそう呼ぶに相応しいかもしれないな」


「病……?」


「おや。マーヴィンは娘に……しかも聖女にもそれを打ち明けていなかったか。そうだろうな。奴は厳格だった。聖女を抱えた貴族家など、どうせ好き放題にその力を使っているというのに……。つまらない戒律を馬鹿正直に守って、自身のちょっとした病を治すことすらもしなかった。おかげであんな……」


 ノルチョムが顎を上げる。


 手のひらを、顔から首へと、ゆっくりと押し下げていく。


 現れた、その表情は。




「あんなつまらない死に方をするんだ……」




 喜悦。






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