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1-2 慰め





 この稼業にセヴェリが手を染め始めたのは、それほど昔のことではない。一年にも満たないくらいだ。十九歳になる少し前。だから妹には、今のところこの仕事のことを隠し通せている。


 元は彼も、こんな仕事をしていたわけではなかった。彼と、彼の妹の両親は昔に死んでしまった。父は彼が魔術学校を卒業する頃に病気で亡くなった。母に至ってはもっとずっと以前。セヴェリは少なくとも、彼女の顔を知らない。それほどの昔に、事故で亡くなっていた。


 妹――ティナは、彼女の父と同じ病に罹っている。金が必要だった。親のいない十代の兄妹が暮らしていくだけの生活費――そして妹の命を伸ばすための、医療費が。


 それは並大抵の金額ではない。少なくとも、魔術学校を出て官吏の道を歩み、若いころの薄給はやがて管理職以降にまで出世したときに上がる給与で贖う、なんて悠長なことはやっていられなくなった。そのくらいの金額が、彼には切実に、必要だった。


 官吏を退職して、彼は一度、冒険者になった。官吏とは異なり死の危険がある。長くできる職業ではない。しかし代わりに、一生分の大金を稼ぐことだってできる。そんなギャンブルめいた職に就いたこともあった。そしてそれなりに成果は出せていた……しかし結局、所属していたパーティーから出された解雇通知が、その先の道も塞いでしまった。


 そしてとうとう、こんな仕事に就くことになった。


 つまり、薬物の運び屋。


「百十。合ってる?」


「ピッタリだ」


「配達ルートは?」


「十三号」


 了解、と短く言って、セヴェリは薬物を包みの中に戻した。竜が動き出す。真っ黒な身体を道路に滑らせるようにして、車輪は回り出す。


 罪悪感は、当然あった。


 セヴェリはそれほど崩れた生活を送ってきたわけではない。少なくとも魔術学校に通えるようになってからは、並大抵の人間よりはまともな生活を送ってきた自覚がある。だからこんな風に、法を破って金を稼ぐことには、ごく善良な忌避感を抱いている。


 けれど、もう戻れはしないのだ。


「雨でよかったな」


「え?」


 竜を繰りながら、カロージェロが言った。


 彼との付き合いは、この仕事を始めてからになる。親しくないわけではない。この一年の間、仕事の仲間として顔を付き合わせるのは彼一人だったからだ。


 それなりに、話もする。どこそこの店が美味いだの、劇団が今度街に来るらしいぞだの、あるいは夏場は蚊が多くて眠れやしないよなだの、そんな他愛のないことを。


 友人と言えば、それに近い。


 が、セヴェリは彼の過去の話を、まるで知らない。最初に顔を合わせたときが彼にとっても薬の配達は初仕事だったというから、おそらくその前はまた別の仕事をしていたのだと思うが……薬を売人から直接受け取るのも、配達ルートの指示を受けるのも彼だから訊けないでいる。


 おそらく、自分よりももっと深いところに、足を埋めている。


「ほら、お前の魔術、効きがいいだろ。こういう日は」


「ああ、うん」


 頷いて、セヴェリは応える。


「幻惑って言っても、僕のは水系統の派生だから……やっぱり水気の多い日の方が効きはいいね」


「土砂降りだと?」


「最高。誰にも気付かれない」


 確かに、と言ってカロージェロは、目の前を横切っていく通行人を巧みに避けて進む。指先一つ伸ばせば触れ合うような距離でもなお、その歩行者はまるで竜の存在に気付かなかったかのように平然と、通り過ぎていった。


「腕の見せがいがあるな」


「お見事」


 薬物の配達において、もっとも気を付けなければならないことは何か。


 それは、見つかってはいけないということだ。……当たり前のことではあるが。


 それは未だに、違法ではない。が、合法と言い切ることもできない。快楽剤、とセヴェリはカロージェロから聞いているし、きっとカロージェロも誰かから聞いている。たとえ法で裁かれることがあろうとなかろうと、薬で快楽を得るということに対する社会のまなざしは厳しい。酒、煙草……そういう伝統的で由緒正しいものでない限り、大抵世間はそれに軽蔑の目を向けるものだ。


 そうなると当然、薬物を使う側も堂々とは使いづらい。そしてできることなら、それを持っていることだって丸きり人目から隠したいと思っている。――だから、配達人たちは姿を隠す必要があり、そしてそのために、セヴェリの魔術は信じがたいほど適しているのだ。


 幻惑。


 魔術学校にいたときに受けた判定は『特殊二級』。使い手自体はそこまで少なくはない。が、これほどまでに極端な適性を示すものは珍しい。その意味で書き込まれた称号だった。


 ひとたび本気で魔術を行使すれば、接触しない限りはこちらの姿に気付かれることはない。土砂降りの日であるなら、音すら消すことができる。攻勢魔術、防御魔術ともにろくな適性を示さなかった彼であるが、この特殊型の魔術にだけは、並外れた力量があった。


 冒険者として活動していたときは、ダンジョン内の悪魔から仲間の姿を隠すために使われていたけれど。


 今となれば、ただそれは、社会の正義の目から姿を消すためだけに。


 すいすいと人を避けて、カロージェロは竜を走らせる。人を四人乗せられるほどの大きさのそれが、進路の大部が馬車道とはいえ誰にも触れないまま走っていくのは、ほとんど魔術染みた手際に思える。しかしそれが単に彼の技量のみによって達成されているものであることを、隣に座るセヴェリはよく知っている。元々竜はこんな配達に使うようなものではない。ひょっとすると元はカロージェロは、この薬物の製造元に連なる裏の人間たちの送迎役でもやっていたのではないか――ほとんど揺れもない竜の中で、そんなことを思っている。


「雨、嫌いなんだよな……」


 ガラスに流れていく水滴を見つめていたら、そんな言葉が、ふと口を衝いて出た。


「気が合うな」


 カロージェロがその言葉を拾って、そう応える。うねる前髪を、指の先でつまみながら、


「俺もあんまり好きじゃあないぜ。何せ髪型が決まらない」


「決まらないと?」


「捗るナンパも捗らない」


 ふ、とセヴェリは笑いを溢した。


 確かに言われてみれば、と思って。雨の日のカロージェロは、やたらにガラスに映る自分の姿を気にしていたように思う。今までもそんなことを気にして仕事をしていたのだろうか。


 それとも、ただ自分の憂鬱な気分に勘付いて、それを笑い飛ばすために?


「平気だろ。それだけ顔がカッコよければ。ハゲてたって誰も気付かないよ」


「そう言われると心強いな。親父がハゲてたからずっと将来を悲観してたんだ」


 ははは、と声を上げて、二人は笑い合う。土砂降りの日はこうして、軽口を交わし合うこともできる。


 この汚れ仕事を行う上で、この時間がセヴェリにとって、数少ない気持ちの軽くなる時間だった。


 そして笑い声が止んで、明るい空気だけが竜の中に残れば、もう一つ。自分の心を慰めるための物思いにふけることにする。


 この薬物は、高価だから。


 普通の快楽剤とは勝手が違うのだ。先のない人生の中で、後悔と諦念だけが部屋の中に住み着いているような人々を、さらに痛めつけるようなものじゃない。


 これはただ、もっと純粋な快楽のために。


 自分がどれほど欲しても届かないような富を持つ人々が、ちょっとしたスリルを求めて遊びで使うだけのもの……。面白半分に自分を傷付ける人たちの、ちょっとしたくだらない趣味の手伝いのようなものなのだ。


 そう、セヴェリは自分に言い聞かせる。


 こんなのは言い訳に過ぎないと、わかってはいるのだけれど。


 誤魔化しの飾りが消えた人生を直視することは、時々、耐えがたいほどの苦痛だから。






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