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5-1 それが人生か



 未だに目を覚まさずにいた。


 雨の音を聴きながら、静かにセヴェリは、彼女を見つめている。ベッドサイド。たとえそれが彼女に伝わらなかったとしても、寂しくなんてないように。時計の針は、もうずっと真夜中を指していた。


 じっと彼は、彼女を見つめている。


 水色の瞳のまま、じっと。


 やがて、その部屋の扉が開く。ドアノブを握ったのは褐色の、セヴェリよりも一回り大きい、骨ばった手。


 カロージェロが、中に入ってくる。


「ずっとそうしてんのか?」


「まあ」


「ちょっとは寝とけ。明け方前には動くんだろ」


「…………頭痛が酷くて、眠れそうにないんだ」


「適性外魔術なんか使うからだよ」


 部屋の隅にあった小さな丸椅子を彼は手に取って、セヴェリの隣、一人分の隙間を空けて、そこに座った。


「聖女様に治してもらったらどうだ?」


「今、そっちを触られると魔術の行使に影響が出る。そうなると居場所がバレるかも……」


「……ま、そうだな。ここだって、誰にも勘付かれてないとは限らねえ」


 カロージェロの運転する竜は、結局あの後、彼が知ると言う闇医者のところには辿り着かなかった。もう、必要がなかったからだ。


 ティナの治療は聖女アンネリア=ヴァンハネンが行うことになった。それならばもう、正規の医師免許を持たない藪医者などには用がない。だから向かった先は、カロージェロが個人的に所有しているというセーフハウス……隠れ家であるここだった。二十年ほど前に道路設備や住宅環境の劣化とともに廃れていった商業区画。その一室に、彼は組織と繋がりのない個人的な場所を所有していた。


「いつ、どんな目に遭ってもいいようにな」


 わざわざ自分自身にまで辿り着かないように、買い取った身分証を四つほど経由して借りている場所だから、足がつくにしても一晩程度の余裕はある、と彼は語った。随分埃の被った部屋で、アンネリアなどは踏み入った瞬間には口を抑えて咳をしたけれど、ベッドとソファがあるから少なくとも休む場所には困らない。


 とりあえずのところ、逃亡者たちはそうして、一旦腰を落ち着けていた。


「……それ」


 カロージェロが、セヴェリの指に嵌った魔術具を見て言う。


「どんな感じなんだ」


「特には何も」


 セヴェリは、それがよく見えるよう、胸のあたりに右手を掲げて言う。


「特定の行動に対して反応するタイプなんじゃないかと思う。僕があの聖女に敵対的な行動を取らない限りは、多分安全」


 そこまで言ってから、セヴェリは、


「……ごめん」


「何がだよ」


「僕が勝手に決めた。聖女の側につくことを」


 カロージェロは、しかしそれに対して、怒るでもなくこう返す。


「仕方ねえさ。あの場であれ以上の選択はない。それに、俺の魔術の効きが悪かったのもあるしな」


 自信満々で恥ずかしいったらありゃしねえ、と髪を掻く。


「それこそ仕方ないだろ。向こうが回復魔術士で、しかもどんな状況からでも自己回復できるなんて、発想できる方がおかしい」


「まあ、怪獣に当たったようなもんだな。お互い、このへんは諦めることにしようぜ。巨大な流れがあって、俺達はたまにそれにぶち当たる。そんで成す術もなく流されるがままになる。選べるのはせいぜい、東の沖に行くか西の沖へ行くか。そういうもんだろ」


 一応、とセヴェリは言おうとした。


 指輪を嵌めたのは自分だけだから、お前は逃げようと思えば逃げられる。そのことを、ひょっとしたら認識していないかもしれないと思って、親切心で伝えようかと考えた。


 けれど、つい数時間前――『裏切らない』『見限るな』と言われたことを思い出して、代わりにこう言って返すことにした。


「それが人生か」


「ああ。そんなもんだ」


 しばしの沈黙。時計の音だけが残酷に美しく、次にセヴェリが動くのは、ティナの額に浮かんだ汗をタオルで拭うための瞬間を待つことになる。


 彼の硝子に触れるような手つきを見ながら、ふとカロージェロは言った。


「結構似てるんだな、お前ら」


「そうかな」


「雰囲気がそっくりだ」


 セヴェリは少しだけ口元を綻ばせて笑う。


「同じ家で暮らしてるからかな」


「冗談だろ。その寸法で行くなら俺は一度もフラれてないはずだ。誰もが俺と同じように愛情深くなる」


「お互いに少しずつ愛着を失っていったわけじゃなくて?」


「いつもフラれるのは俺の側だよ。どんな相手と付き合っても最後にはこう言って終わる。『ごめんなさい。あなたにはもう、興味が湧かないの……』」


 はは、と声を上げた。


「本当に?」


「嘘だったらよかった」


「想像つかないな。お前はなんて言うか、もっと追われる側だと思ってた」


「いいや。俺はいつも置いていかれる側さ。お袋と親父にまで出ていかれたんだからな」


 ぎし、と窓が鳴った。


 セヴェリはその音に目を向ける。暗い夜が広がるだけで、その先には何も見当たらない。ただ、風がガラスを揺らしただけらしかった。


「死別?」


「いや。お前と違って生きてるよ。決別……っていうほど確固としたものでもない」


 カロージェロの手が滑らかに動いて、胸のポケットにしまい込んだ煙草の箱に触れる。けれど彼はこの部屋にいる人物……セヴェリと、その妹に目を留めると、ぱたりとその手を離して膝を叩いた。


「お袋は俺が三つのときに男を作って出ていった。で、置いていかれた親父は酒に溺れた。わかりやすい堕落の仕方だろ。面白みのない男だったよ。だから酔えば殴るし、酔いが醒めれば後悔して泣く。お前だけは、って抱きしめて。だから俺も親切心でさ。十四の頃、親父の背丈を超したころになって、殴り返してやった。これなら罪悪感も湧かないだろうと思って、ほんの優しさのつもりで。次の日の朝には、親父は金だけ持って家から消えてた。…………お前、俺と最初に会ったときのこと、覚えてるか」


「……仕事の初日?」


「いや、もっと前に」


 記憶を探った。


 けれど、出てくるわけもない。薬物配達の最初の日に「あまり関わってこなかったタイプだ」と彼を見て思った記憶が、一番古いものだから。


 だから、正直にセヴェリは訊いた。


「いつ?」


「カジノにいただろ」


 ぎょっとした。一度もその話をしたことはなかったはずだから。


「いたのか?」


「お前と違って、ディーラーの側でな」


 人差し指を立てて、チッチッ、と振る。その仕草に、ああ、とセヴェリは納得した。磁力を使ってたってことか、と。


 冒険者を辞することになってから、あの仕事を始める前に、少しだけの空白期間が存在している。その頃のセヴェリは途方に暮れていた。もう自分の頭の中に、自分が今現在持てる力によって薬代を賄える方法が見当たらなかったのだ。


 そして辿り着いたのが、賭博だった。馬鹿げていると、今になれば思う。下手をすれば失うだけだった。幸いそれは短い期間で終わったし、結果として財産も多少なり増やせたものの、続けていればいずれは破滅の道を辿っていたことだろう。


 その頃は、とカロージェロは言う。


「暇だったんだ。俺のやることと言えば、机の下に手を入れて、勝ちが過ぎてる客からイカサマで金を搾り取るだけ――ルーレットの球を操作したりしてな。後は暴れ出したチンピラを裏でボコるだけ。だからまあ、結構店の中にまで目が行き届いた」


「カモがいるなって?」


「正直、そう思わないでもなかったけどよ」


 カロージェロは笑う。そんな時代もあった、と遥か昔を懐かしむようにして。


「でもまあ、その割にはどうも切羽詰まってるじゃねえか。いいとこの坊ちゃんが遊びに来てるって風でもねえ。賭け方を見ると、向こう見ずで借金まみれになるタイプでもねえ。こいつは一体どういう奴なんだ、と興味を持ったところで、急にふっつり顔を見せないようになった」


「スカウトされたから」


 言ってから、ふとセヴェリは思った。あの頃は一体どこから自分の存在を嗅ぎつけたのだろうと不思議に思っていたけれど、カロージェロのようにカジノの店内を見ていた者がいて、使えそうな――つまり、金に切羽詰まっていて、かつ衝動的に破滅しそうにない人間を見定めていたのかもしれない。


「明日から別の仕事だって言われて現場に行ったら驚きだよ。で、しかも半年も経つ頃には打ち解けて、そいつは家族のために必死こいて働いてるって言うじゃねえか。俺は思ったね」


「運命だって?」


「こんな家族が欲しかった、って」


 一瞬、セヴェリが言葉に詰まる。


 ふ、と笑ってカロージェロは言葉を重ねる。


「運命と似たようなもんか?」


 どうだろう、と言葉を濁すほかなかった。


 そう言ってくれること自体には嬉しさはあるけれど、正直に喜びをあらわにするのには抵抗があったから。


 目の前にいる妹は、自分に何も言わないまま、命を絶とうとしたのだから。


「……僕は正直、自信がない」


「何に?」


「この子の幸せに」


 考えるんだ、とセヴェリは。


「僕がこの子を追い詰めてたんじゃないかって」


「……たとえば?」


「あまり外に出ないように、って何度も言ってた。病気なんだからって。それに、薬代に必死で、この子に何の贅沢もさせてやれなかった。そのくせ一緒にいる時間も取れなくて……孤独にした。不安を、和らげてあげられなかった」


「それでも精一杯やってた」


「精一杯やったなら、この子が死んでもいいのか?」


 拳を握る。


 そして彼は思い出している。自分が初めて、彼女の家を訪れた日のこと。彼を迎え入れた、新たな家族のことを。


「僕は元々、この子の将来の世話をするために、家族として『雇われた』んだ」


「……それは、直接言われたのか?」


「はっきりとは。……でも、やんわり」


 ティナの母は、彼女が幼いころに死んでいた。


 そしてティナの父も、その当時はまだ発病していなかったものの、自身の母の死から学んでいた。あまり自分は、長く生きられないだろうことを。


 心配したのは、娘のことだった。病気が遺伝しているかどうかはわからない。けれど、それを警戒するに越したことはない。自分が死んだ後、この幼い娘はどうなるのだろう。彼女が自身を預けられるパートナーを得るまで、自分は生きていられるだろうか。もしもたった一人で取り残されるようなことがあれば――。


 その懸念が拾い上げたのが、施設にいた、魔術の才能のある少年だった。


「もしものときのための保険だったんだと思う。こんなに若い間に発病することは稀だから、普通にしていればティナはちゃんとしたパートナーを見つけたり……そうじゃなくても、ある程度自分の人生に自分で責任を取れる年齢になっていることは期待できた。でも義父さんは心配性だったから……だから、この事態にぴったり合う保険を遺せた」


「……義務感か?」


「もちろん、それだけじゃない。幸せだったから。……幸せだから」


 そっと彼は、毛布の下……まだ冷たいティナの手に、自分の手を添えた。


「愛してるんだ。生きていれば、人には役割が与えられる。そしてそれに対して僕達は思う。こんな役はやりたくない。こんな役を与えられて光栄だ。……僕は、自分に与えられた役割を愛してる。義父との仲は良かった。家族としてたくさんのことを教えてもらった。だから僕はその期待に応えたい。ティナを……妹を、この上なく幸せにしてやりたいと思う」


 カロージェロが、息を吐いた。


 見えない煙草の煙を吐くように、深く。肺に溜まっていた淀みのようなものを、空に溶かすように。


「自分が許せないか」


「ああ」


「そうか」


 降り止まない雨。


 それを見ながら、カロージェロは何事かを呟く。


 けれどそれは、雨音に紛れて、セヴェリの耳までは届かずに消えていった。






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