4-3 裏道に
「それで? どこの病院だ?」
「中央王立病院」
「はあ?」
流石のカロージェロも、それを聞けば大声を出した。
竜の中。相も変わらず外は土砂降りで、運転席と助手席にはいつも通りの二人が座って、後部座席には気絶させた令嬢と、意識が未だに戻らないティナが座っている。
「お前、それ、」
竜を起動しながら、カロージェロが恐る恐る聞く。
「月にいくら払ってんだよ。あそこ、貴族だってなかなか行かねえだろ」
「命には代えられない」
「一年通い続けたのか? お前、よくそれで暮らして……だからそんなに痩せてんのか」
「もうすぐ二年になる。てか、痩せてるのはそっちもだろ」
「俺は鍛えてんだよ。ついでに言うなら、量より質で食ってんだ」
いつもならばスムーズに竜を発進させる彼が、今回ばかりはハンドルに身体を凭れて動かない。
「あんなこと言った後で手のひら返すのもアレだけどよ、流石に王立は無理だ。そもそもが普段だって入り込めるような場所じゃないし、そもそもお前の情報が割れてたら、向こうだって待ち伏せしてる可能性がある」
「わかってるよ。だけど……」
「……嫌な予感がすんな。奇病か?」
苦々しく、セヴェリは頷いた。
「『遅延病』って呼ばれてる。遺伝性の病気で、発症者がそこまで多くないから、まだ研究が進んでないんだ」
「症状は?」
「『段々遅くなる』」
もちろんそれだけではカロージェロだって呑み込めないだろうと思ったから、立て続けにセヴェリは説明した。
『遅延病』。『段々遅くなる』とはその言葉の通りで、身体に関するあらゆる機能が『段々遅く』なっていくのだ。
初期症状は、ほんの僅かなところから現れる。今まで習慣化していた運動をするのに、やけに時間がかかるようになる。いつも通っているはずの道をいつものように過ぎていったはずなのに、約束の時間に遅れている。部屋に飛んでいる羽虫を叩こうとして、しかしいつまで経ってもそれを仕留めることができない――――初めの頃に訪れる発作は精々がそのくらいで、だから日常生活と症状との間に垣根が存在していることすらもろくに認識できない。疲れや、あるいは単なる一時的な不調として片付けられてしまう。
問題はそこからだ。中期になると、たとえば朝食を作っていたはずが、気付くと陽が落ちているなんてことがありうる。仮にそれを終えたときに目の前に料理が出来上がっていたら大したもので、大抵の場合は消し炭を鍋から取り出すことになる。……そして、消し炭を作っていたことにすら、それを目の前にしないことには気付けないのだ。
会話の遅れも生まれてくる。こうなると、人と対話している際に発作が起これば明らかに意思の疎通に問題が発生するから、おおむねこの段階で病気が発覚することになる。
身体動作の遅延。及び精神活動の遅延。
すべての神経系における伝達速度の著しい低下――原因は不明。
そしてティナは、かなりのステージにまで進行してしまっている。
終末期。薬によって症状を抑え込まない限りはいつ死んでもおかしくない。呼吸、あるいは心臓を含めた臓器の活動にまで、その『遅延』が及ぶからだ。
確かに、息はある。鼓動もある。――ただそれが、生存を維持できるだけの速さで行われないというだけで。
後のことは、おおむね心肺停止した人間とそう変わらない経緯を辿ることになる。やがて肉体が魂を手放して、医者がその様子を見て死亡を告げる。教会で聖職者がありがたいお悔やみの言葉を唱え、土の下に埋められる――永遠に。
「闇医者の心当たりなら、いくつかないでもないけどよ……」
トントン、と指でハンドルを叩きながら、
「基本は外傷専門ばっかだ。内科は……」
「……わかってる。専門はどこでもいいから、一番信頼できるところに連れて行ってくれ」
「……信頼、か。それはそれで難しい注文だな」
けれどカロージェロは、「よしわかった」と言って竜を動かし始める。セヴェリも、まだ頭痛の残る頭で、幻惑の魔術の起動元を魔術紋から自分自身に切り替える。中継地点を挟むやり方よりも、直接繋いでおいた方が断然感度は高い。もしものときのために、最も強力な形に切り替えておく。今日ばかりは、出し惜しみはなしだ。
闇医者のところに行ってどうするのか。ひょっとしたらその医者がたまたま内科の知識もあって、ティナに応急的な手当てをしてくれる可能性もある。
しかしもちろん、それだってその場しのぎに過ぎない。その後は国を出ることになるのだ。出国した先でまた病院を探さなければならない。ストックに取っておいた薬は家を出るときに全て回収してきたが、それでも二ヶ月分が精々だ。二ヶ月の間に、王立病院に匹敵するだけの規模の病院に――。国際指名手配された場合はどうする?
どう考えてもそのランクの病院に入り込むことはできない。顔を変えるか? いや、幻惑の魔術の精度をさらに磨くか……そもそもその病院にかかるだけの金はどこから工面すればいい?
たった少しを考えるだけで、頭がおかしくなりそうだった。
両の掌で顔を覆う。皮膚に貼りついていた雨の名残で、不安を取り去るように顔を拭う。
自分がやらなければいけないのだ。
なぜって、それが自分の役割なのだから……。
「検問が増えてるな」
カロージェロが舌打ちとともに溢した。
「ちょい遠回りになるが、裏道に入ってもいいか?」
「大丈夫なのか?」
「むしろそっちがホームだ。多少狭かろうが、簡単には接触しねえ」
ティナの容態が安定しているようなら、それでももちろん構わない。見つかってしまえばそれこそどうしようもなくなる。移動に関してはできる限り、カロージェロの意向を尊重したい。
だから、ティナの様子だけを確認しようと、助手席から身体を後ろに向けて。
そこで、見た。
金髪の令嬢が、妹の首筋に、刃物を突き付けている姿を。