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4-2 見限るな



 呼吸はなお弱く、鼓動は今にも消え入りかねなかった。


 しかしそれでも、確かにそこにある。


 灰色の髪の義妹は――確かにそこで、生きていた。


「よか、った……」


 へなへなと、セヴェリはその場に座り込む。二錠。それが薬の投与の限度だった。三錠以上は、薬の作用それ自体のせいで危険な状態になりかねない。だから、この量で効かなかった場合は、もう手の打ちようがなくなるところだった。


 泣きそうになる。なりふり構わず抱きしめたくなる。生きていてよかった、と何度も何度も、彼女と自分に、語り掛けたくなる。


 けれどもう一度、「本当にそうか?」と囁く声が、心の中で聞こえてきていた。


 本当に、よかったのだろうか。


 ティナは、自分で死のうとしたのではなかったか。


 どうして。その言葉がまた、水底から顔を出し始める。どうして、薬を飲んでいなかったのか。毎日の服用を怠ればたちまちこうなることは、彼女自身が一番よくわかっていただろうに。


 本当に、彼女の命を救った自分の行動は、正しかったのだろうか。


 彼女が持っていた何かしらの意思を無視した、独りよがりな行動ではなかったと、胸を張って言えるのだろうか。


「…………いや、」


 今は、とまた、セヴェリはその考えを振り払う。今はそんなことを考えている場合じゃない。追手のこともある。彼女の容体が落ち着いたなら、いますぐこの場を去らなければならない。そのことを思考の優先順位の第一位に置かなければならない。


 彼女の意思は、後回し。


 本当に、それでいいのか?


 何度も語り掛けてくるその声は、しかし別の音によって綺麗にかき消されることになった。


 それは、玄関の戸が開いた音。


 びくり、とセヴェリの肩が震える。誰が来た? そして咄嗟に使うのは幻惑の魔術。公爵邸で起こったことと同じで、この部屋自体を隠しきることは難しい。しかしとりあえず姿消しの魔術くらいは使える。そしてあのときのカロージェロと同じように、部屋に入り込んできた相手に不意打ちを食らわせるくらいのことはできる。


 もっとも、セヴェリはカロージェロとは異なり、攻勢の魔術はろくに使えはしないけれど。


 それでも、こちらの姿が見えないというアドバンテージがあれば、騎士の一人くらいであれば、不意打ちで仕留めるくらいのことはできる。


 だから彼は、護身用に寝室に置いてある長物を両手に携えて、待ち受ける。


 足音が聞こえてくる。固い。遠慮なく、靴の底が床の上を歩き回る。リビング。キッチン。耳を澄ませば相手のいる位置までも何となくわかる。


 そして段々と足音は近付き……。


 最後には、この部屋の扉を開いた。


「っ! ……なんだ、お前か」


「がっかりか?」


「いや、安心」


 身構えて損をした。


 そこにいたのは、カロージェロだったからだ。自分を追ってきた騎士や、あるいは刺客などではなかった。それだけで、身体から力が抜けていく。


「遅いから見に来たんだよ。どうした?」


「妹が発作を起こして……、待てよ。さっきの令嬢はどうした?」


「誰に言ってんだよ。自分でかけた魔術で相手がどのくらい気絶してるかくらいは把握してるぜ」


 少なくとも半日は起きねえ、とカロージェロは言う。


 それから、ベッドの上に横たわるティナを見た。


「あれか? お前の妹」


「発作を起こした」


「例の病気か」


 顔を顰めて、


「重いのか?」


「かなり。正直言って、いますぐ病院に連れこまないとマズイ」


 だから、これから先を、セヴェリはこう続けるつもりだった。


 ここでお別れだ、と。


 病院に連れて行かなければならない。しかしそれがどういう結末を意味するのか、セヴェリだってわからないわけがない。妹が倒れました。どうか治療をしてください。……よしんばそれが叶えられたとしても、注射一本を打っておしまい、なんて軽い病気ではないのだ。処置は長い時間に及ぶ。その間、どうやって騎士団の追手をやり過ごすことができるだろう。


 できるのかもしれない。


 どうにか医者を脅して、妹を秘密の内に治療させることだって、できるのかもしれない。


 けれどそれは、自分の抱えるタスクだ。


 公爵暗殺の濡れ衣とは違う。自分の家庭の問題から波及したリスクであって、だからカロージェロは、こんな危険な橋を渡る必要がないのだ。


 だから、言おうと思った。


「病院へ――」


「行くなら早くしねえとな。俺が担ぐか?」


 は、と声が出た。


「なんだよ」


「いや、だって……僕はともかく、お前は」


 そこまで言えば、カロージェロは呆れた顔をする。


「お前なあ。今さらそれはねえだろうが」


 溜息を吐いて、雨に濡れた髪をガシガシとかきながら、彼はティナを指差す。


「んで、どっちが抱えるんだよ」


 もちろん、妹を他人の手には任せない。セヴェリは未だに無茶な魔術行使の余韻の残る疲弊した身体ながら、ティナを抱えて、ベッドから起き上がらせる。不安になるほどの軽さだった。


 あのな、とカロージェロは言う。


「こんな状況でパニックになるのはわかるけどよ、悲観的にはなるなよ。俺がお前ら二人を放っぽって逃げるような薄情な奴に見えるか?」


「見えない、けど」


「じゃあ見たままだよ」


 言いながら、彼は部屋の扉を開けてくれる。妹を抱えた兄が、歩きやすいように。


「いいのか?」


「いいも何も……。お前、普通に考えろよ。いくら俺が竜の運転が上手いからって、国から追われてる状態で普通に逃げ切れると思うか? お前がいなかったらとっくに捕まってんだよ。お前は足が欲しい。そんで俺は目隠しが欲しい。どっちか片方が欠けたらその時点で終わりなんだよ、俺達は」


 カロージェロが振り返る。


 そしてセヴェリの狭い額に、拳をこつんとぶつけて言う。


「一蓮托生だ。俺はお前を裏切らない。だからお前も……俺を勝手に見限るな」


 ありがとう、とセヴェリの応える声は、やはり震えていた。




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