表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/30

4-1 呪わずにはいられない



 気が動転していた。


 だからセヴェリは、初めに刺客の存在を考えてしまった。


 騎士団ということは考えられない。正規の部隊がこんな動きをするわけがない。それならば薬物関係組織の仕業か。自分がいないうちに妹の命を奪いに来たというのか――。


 しかし、そうではないことにも、またすぐに気が付いた。カロージェロが言っていたことだ。この場面で自分たちの身内を狙うメリットは少ないと。それに、妹がこの状態になる心当たりなら、もう一つある。


 これまでの生活でも、ずっといつ起こるかに怯えてきた出来事。


 発作だ。


「どうして……!」


 そんなはずがない、と否定したかった。


 だって、薬を買ったのだ。根治にまで及ぶことはなくとも、症状を恒常的に抑えられるだけの薬を。とても普通に暮らしていたら買えないだろう薬を。今朝だって彼女に飲むように言って家を出たのだ。


 それなのに、なぜ。


 セヴェリは毛布を引き剥がす。ティナの手足に触れる。


 温もりが、微かに残っている。


「まだ、間に合う……!」


 彼女の上に跨って、心臓に両手を当てる。身体全体を使って、規則的に何度もポンプする。心臓の動きを補助する。大丈夫だ、と呟く。それは息を止めた彼女への言葉でもあったし、もちろん自分で自分を励ますための言葉でもあった。


 手足に熱が残っているうちは、この発作はまだ取り返しのつくラインにある。


 そう、確かに医者に教わっていたのだから。


 二分程度の心臓マッサージを行ったら、手足に触れる。少しでも指先の温度が増していたら、それでいい。それから薬を飲ませる。予防的には一日一錠。発作が起こったときには二錠を服用するように言われている薬を。


 もちろん、その場所をセヴェリは覚えている。ティナが一人で留守番しているときに発作を起こしても平気なように、あらゆる部屋に常備しているのだから。ベッドから降りる。チェストを開く。


 そして、固まった。


 薬がなかったからではない。


 薬が、多すぎたからだ。


 服用漏れがないように、セヴェリとティナの二人は、病院から貰ってきた圧縮成形の錠剤を必ず小分けに管理するようにしている。


 棚の中に、小さな紙の仕切りを作っておくのだ。そして各仕切りの中には一週間の曜日が書き込まれている。


 もしも服用するのを忘れた場合に――あるいは服用したかを忘れた場合でも、この仕切りを見て、薬が残っているか残っていないかを確認すれば、記憶に頼らずとも過不足なく薬を消費することができる。


 今日の曜日の分が、そこに残ったままになっていた。


 どうして。その言葉がもう一度意識に浮かび上がれば、疑問はもう、止まらなかった。


 命に係わる問題なのだ。ティナは頭が良く、物忘れもほとんどしない。休日に一緒に家で過ごしているときも、服用漏れがないことの確認をルーティン化している姿を目にしていた。


 それに、どうしてあんなに綺麗に眠っていたのだろう。発作が起こってから完全に身体が動かなくなるまでには、タイムラグがある。自分一人でもある程度は動くことができるし、家のどの部屋にも置いてある薬を服用するくらいのことはできる。実際、自分が不在にしているときに彼女が発作を起こしたことはあったし、それでも問題なく対処ができたからこそ、こうして彼女一人を残して外出することができていたのだ。それなのにどうして、毛布に一つの乱れもないまま、彼女はあんなに安らかな顔で眠っていたのだろう。


 それなら、薬を飲む暇もないほどの急性を伴うまでに、病状が悪化していたのか。


 それでもない。そうだったとしたら、心臓マッサージ程度では彼女の指先に熱を灯すことはできない。


 偶然の、服用漏れなどではなく――、


「わざと、薬を飲まなかったのか……?」


 脳裏に浮かぶ、言葉があった。




 自殺。




 まさか、と思う。


 激しく手が震えだす。瞳の水色にブレが生じ始める。考えたくはない。そして、この場で考えるべき事項でもない。そうわかってはいても、考えずにはいられない。


 自分の妹は、自ら命を絶とうとしたのではないか。


 その考えが鋭い針のように、脳に突き刺さってくる。


「違う!」


 叫んだのは、その考えを否定するためではなく、脇へと置いておくためのものだった。


 違う。自分がそんなことを考える必要はない。それは後になってから考えればいいことだ。今考えることじゃない。余計な思考を挟み込むな。今やるべきことをしろ。そう思うから、彼は自分で自分に叫んだ。違う。


 自分がするべきことは、妹の命を繋ぐことだ。


 本当に?


 心に浮かぶ疑問の言葉を振り切って、セヴェリは薬を手に掴んだ。今日の分。それから予備の分。合わせて二錠。そしてティナの傍に再び屈みこむ。


 意識のない状態で薬を飲ませるのは、初めてのことだった。


 重度の発作を起こした場合は、通常は病院に連れていく。そして注射を行う。しかし今日ばかりは、それをすることができない。ここで何とかするしかない。自分の置かれた状況もそうだし、意識を失ってからもうどのくらいの時間が経っているのかもわからない。一刻を争う可能性がある。今すぐに飲ませるしかない。


 だから、セヴェリはティナの口を、指で開いて。


「飲んでくれ……!」


 薬を口に入れても、嚥下運動が起こらない。


 泣きそうになる。反射的な動作すらも起こらなくなっている。意識レベルが低すぎる。どうすればいい。指でさらに押し込む。ダメだ。それでも舌が一つも動かない。手がガタガタと震えて、爪の先が口腔を傷付けそうになる。


 その震えを見ていたら、思い出した。


 自分には、魔術があるということを。


 セヴェリは立ち上がる。キッチンへ走る。コップ一杯分の水とともに、戻ってくる。そして瞳を明るい水色に染めながら、これ以上ないほどに集中する。


 コップの端を、ティナの唇につけて。


 それからゆっくりと、水を、流し込んだ。


 セヴェリの魔力適性は間違いなく水の属性にある。それは間違いない。しかしそれが、水の操作魔術まで得手としていることを表すのかと言えば、そんなことはなかった。


 特殊魔術の使い手の例に洩れず、彼はその卓越した幻惑魔術と引き換えにしたかのように、通常の水の魔術はほとんど扱えない。


 たかがコップに少しの水の量を扱うだけで、頭が割れるように痛くなる。


「う、ぐ――」


 だらり、と鼻の下に生温かな感触が流れ出てくる。血だ。過集中による血圧の増大。それに耐えきれずに毛細血管が破裂した。


 服の袖でそれを拭う。セヴェリは自身のあまりにも極端な魔術適性を呪わずにはいられない。魔術学校にいたときも、一年を修める頃にはすでに特殊型以外の実技試験は免除されるようになっていた。何も結果を残せないか、重篤な状態で医務室に運ばれるかのどちらかの結果しかありえなかったからだ。


 眼球が硝子のように罅割れている。何百人もの小人が瞳の裏を針で刺している。酸をかけられて骨の芯まで溶かされている。そんなビジョンがありありと浮かんでくるほどの苦痛。そんな代償を支払いながらだというのに、水は小指の爪の先程度の歩みしか見せてくれない。


 ただ飲ませればいいというものではないのだ。人間の喉には気道と食道があるのだから。下手に水を入れるだけでは、誤って気道に侵入してしまう。そうなると溺れたような状態になってしまうのはもちろん、薬だって正しい作用を見せることはない。


 間違えてはいけない。


 彼女のこの細い喉の中をイメージして、正しい道を通さなければならない。


 無理だ、と泣く声がする。自分の声。こんなことはできないと泣く声。腕がほとんど千切れて、ほんの筋線維の一本でしか指先まで繋がっていないような状態で、レースのドレスを編むようなものだ。そう訴える声。


 全くその通りだよ、とセヴェリはそれに返してやる。レースのドレスを編むようなものだ。知ってるよ。だからなんだ。やるしかないんだ。知るか。お前の苦しみなんか。やるんだ。お前がやるしかないんだ。お前以外にはできないんだ。


 やれることは、全部やれよ。


 思いついたことがあった。


 魔術の基本原則の一つ。『近ければ近いほどいい』という、それを。


 自分の幻惑魔術一つ取ってもそうだ。自分の近くにあるものに対してかけたときの精度は、当然遠いものにかけたときよりも良い。魔術紋等の補助がない限りは、当然全く比べ物にはならない。魔術というのは、基本的に発生元と発生先との距離が短ければ短いほどに効果を増す。


 触れるほどの距離なら、なおさら。


 そして魔術とは、人の脳から生み出されるものだから。


 満身創痍の震える身体で、セヴェリはティナの肩に手をかける。


 そしてゆっくりと、唇と唇を近付けて。


 彼は彼女に、口付けた。


 義理の妹である、彼女に。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ