おとぎ話が終わったら劣化コピーはオリジナルになる。
きゅぅう くるる くるる
シルヴァが小さく細く喉を鳴らし、せっせと鼻先で私のつむじをかき分けている。
多分これは髪を梳かしているつもりと思われます。時々髪をくわえられているみたいですし。
ハーフアップに整えられていた髪がもっしゃもしゃになっていることでしょうが、シルヴァが可愛いので別にいいです。
「シャル、あの、な」
おずおずと王太子殿下が歩み寄る。当然シルヴァが尾を叩いたところで歩みを止めて跪いた。
「……なんか頭かじられてないかそれ大丈夫なのか」
「甘噛みなので」
シルヴァの中で何かが盛り上がってきてるのか、若干つむじが湿ってきてる気もしますが問題ありません。
「そ、そうか……あのな、シャル、ごめん。本当にすまなかった。俺何も見えてなかった。だけど、信じられないかもしれないけど、好きなのはずっとシャルだけなんだ。俺はシャル以外考えられない。どうかもう一度チャンスが欲しい。もう一度婚約を結んでくれないか。俺はシャルと結婚したいんだ」
「お断りします」
「即答なのか!?」
いやそんな縋る子犬のような眼をされても、シルヴァの豊かな情感にみちたスピネルの輝きには敵いませんしね。
王族だろうと王命だろうともう関係ない。
今こうして繰り広げられる愛情劇場につきあってるのは、ひとえに今後私たちにちょっかいを出してほしくないからだ。
「母上が安全だと言ったから。母上が危険だと言ったから。母上が課題だと言ったから。母上が望んだから。つやつやの黒髪、きらきらの紫の瞳、綺麗で賢くて、まるで母上のよう―――私の命や願いより母親の意向を優先する婚約者はいりません」
「―――っ」
うわぁ……と誰かが呟いた。多分陛下の側近あたり。陛下は複雑そうな残念そうな顔をしている。
「お姉さまっ、伯母様は王妃殿下なんですっエドワード様だって」
「公の間柄におけることの話はしていませんが、そうですね、それでもだからなんだというのでしょう。王太子殿下は次代の統治者ですよ。誰が相手であろうとも欲しいものを手に入れるためならば、根回し、調整、策略をめぐらせるのは当然のこと。安易に与しやすかろう相手に譲歩させるだけなのは下策です。課題を遂行し、かつ、信頼関係を築き上げなくてはならない未来の伴侶へ配慮もする方法はいくらでもありました」
「だ、だって、お姉さまは課題だとご存知だったじゃないですか!そんなエドワード様を試すみたいな」
「試しましたよ。それがなにか?」
「そんなのっそれじゃ―――ひぃっ」
公爵令嬢の鼻先を、天井から床まで一筋の稲妻が細く走る。
床にできた小さく丸い焦げ跡が、薄く煙を一筋あげている。
ふんっと荒く一息をついたシルヴァは、褒めて褒めてとばかりに私を肩越しに覗き込んだ。尻尾が少しご機嫌そうに左右に揺れている。
咄嗟に剣や結界を張る構えを見せたのは、陛下と騎士団長と数名の騎士。さすが勇猛果敢の名に恥じませんね。
上体を少し斜めにひねってシルヴァの大きな口の端にキスをしてあげると、細い舌先で唇を擽ってくるから笑いがこぼれた。
公爵令嬢は腰が抜けたようで、床に座り込んで口をはくはくさせている。
「も、もうやめて?シャルロット、私が悪かったの。ちゃ、ちゃんと私が気づくべきだったの。あや、謝ってももう遅い、かもしれない、けどっ」
ひくりひくりとしゃくりあげながらも美しく涙だけをこぼす王妃殿下。勿論鼻水などこぼれていない。素晴らしい。
私はあざとくわざとらしく、こてりと首を傾げて笑ってみせた。
「まるで私が処刑人か襲撃者みたいですわね」
五歳からこっち、朝の七時には登城して一般教養は当然として妃教育貴族教育帝王学にマナーレッスンやダンスレッスン、剣術や魔法術をはじめとする戦闘訓練まで詰め込まれて。
王妃殿下が幼い頃に師事した優秀な学者様方が、休日すらも費やし懇切丁寧熱心に忍耐をもって、王妃殿下がそうであったようにと指南され。
家族の夕食も終わる時間に帰れば、公爵一家がその日の楽しい出来事を語らいあう団欒をただ拝聴し。
学園の教育課程が修了した十歳からは社交や公務も組み込まれて。
雑務を処理できるか。計画はたてられるか。下準備はできるか。運営はできるか。調整はできるか。交渉はできるか。統率はできるか。
冷静に心乱されることなく目的をもって邁進し慈悲をもって公平に民に尽くす王妃殿下のように。
誰 の こ と で す か。
全盛期の頃はどうだか知りませんけど、今この場で、この拙い謝罪だけで泣きじゃくり、赦さざるをえないような、赦さない者が悪いような振る舞いしかできない人のことですか。
確かに傾国とも称えられた美貌とその涙は剣にも盾にもなり、その威力は殲滅兵器となるでしょうが。
存じ上げてはいましたが、ことここにいたって、よりにもよって、あなたがそこまで成り下がりますか。
―――よろしい。ならば戦争だ。
「もうよさないか」
扇を優雅にまた開いて口元にあてたところで、窘めたのは陛下だった。
椅子に深く腰掛けなおし、片手を額にあてて深いため息をついてから、男性らしく開いた膝に手を組んだ肘を載せた。
「望みは、王家と公爵家からの解放か」
「シルヴァとのささやかで静かな生活ですわ」
「それは出奔せねばなしえないことか?そんなことをせずとも、その生活ならば用意も保証も可能だ」
賢王と称えられるのは伊達ではない。
逸らすことを許さない威厳ある双眸には、すでに愛妻の親族に対する親愛がもうなかった。
私の教育につぎ込んだ時間と金銭は相当なものになる。いや、私からしてみたらそれより私の時間のほうがずっと価値があるけれど、それは私にとってだけの話であって、つぎ込まれた資金は国庫から、つまり税から出ているのだ。
王妃殿下に今一歩及ばない模倣品とされる王太子妃候補ではあるが、少なくとも他の貴族令嬢より見劣りする者ではない自負くらいはある。あっさりと手放すことは国として怠慢と誹られるだろう。
それに、目撃者は可能な限り少なく手回ししていたであろうあの男爵令嬢と王太子殿下の逢瀬も、醜聞になりえる。
あれは男爵家の不正を暴くための工作であったと、王太子殿下と公爵令嬢の婚約にはなんら支障がないと周知させるためには、『シャルロット・マクドゥエル』は必要だ。
まさかこの課題で、マクドゥエル公爵令嬢が自らリタイアするなど想定もしていなかっただろう。
シャルロットは、王太子妃としては少々物足りない大人しく従順な令嬢という認識だったのだから。それこそ騙されていたと知っても粛々と受け入れるくらい。
だからこそあんな茶番を恥ずかしげもなく課題だと言ってのけるのだ。
―――要はなめられていたということ。
聖女か女神もかくやとばかりに称えられる王妃殿下だが、称賛ならば国王陛下も比肩している。
王妃殿下の武勇伝には必ず国王陛下の武勇伝も並ぶのだから。
その国王陛下は今、自らの後継者の伴侶を強権を発動させてまで確保することと、手放して得ることの損益を天秤にかけて交渉しようとしている。あくまでもこの国の最高権力者として。
シルヴァに軽くもたれかかっていた背を伸ばし、居住まいを正して扇を降ろした。
「おそれながら陛下、誰の庇護を受けずとも、私にはその生活が可能なのです」
「侮るわけではないが、貴族令嬢が何の庇護もなく一人身で生活ができるとは思えないが」
「絶え間なく与えられた多岐にわたる十年の課題の数々に感謝しておりますわ。辺境伯領騎士団の新人訓練にも参加させていただけましたのよ」
陛下がちらりと送った目配せに、騎士団長が小さく首を横に振った。把握していなかったのだろう。
これも王妃殿下の武勇伝のひとつだ。最低限の装備で一週間、魔獣も出没する山中で野営するこの訓練にお忍びで参加したと。過去に類をみないほどトラブルのない訓練だったらしい。
禁呪の森の課題と同じ状況だったことは想像に難くない。
え?私は正真正銘のお忍びでしたがなにか。
ただまあ、この四年はどんな生活でもできるスキルを手に入れられるよう教育の方向性を誘導していたので、これについては文句はない。私立派に育ちました。
シルヴァが私の両肩を優しく引いて、ぱふんとお腹に寄りかからせてくれた。ふわりと温かい。
陛下は両の親指を眉間に押し当てて、もう一度深く息を吐きました。
「……もちろん婚約は白紙に戻すし、そうなれば王家からの干渉もない。ただの貴族令嬢であることにすらもう未練はないか」
「高貴なるものの義務を果たさずに、のうのうと特権を享受するほど恥知らずではございませんわ」
びたーんびたーんびたーんびたーんたーんたーん
打ちつける尻尾のリズムに合わせ、床から壁を伝い、天井を幾筋も走る細い稲光。ぱしんぱしんぱしんと火花を小さく散らしている。バルコニーの崩れた手すりがさらにからからと落ちていきます。
誰一人悲鳴ももう漏らさないのはさすがに名にし負う天下の首脳陣故でしょうか。公爵令嬢は静かに気絶したようです。
「―――っ、森の主よ。よしてくれ、あなたの宝をこれ以上傷つける気も手を出す気もない」
「ではそろそろ御前失礼させていただいても?」
許可を待つまでもなく立ち上がれば、シルヴァが腰と膝裏に前足を回して抱き上げてくれる。ふくふくのお腹と前足の長さの関係で微妙にお姫様抱っこにはならないのが惜しい。
「禁呪の森には、食料や物資を定期的に捧げる」
「それは王命でしょうか」
「いや、嘆願だ」
「……ご存知の通り、あそこは只人が踏み入るべきところではありません。わかりやすいところにでも置くのがよいかと」
置き場所に都合がよさそうなところの目印を伝えれば、まだ王妃殿下や公爵閣下たちが声をあげようとするのを、陛下が手を翳しておしとどめた。
「今はのみこめ。すでに見限られてる」
うんうん。引き際は大事ですよね。
シルヴァが大きな翼を艶やかにひらめかせて、ゆっくりと浮かび上がる。
しっかりと両腕を首に巻きつけると、きゅうるるるるると一鳴きして眦をするりと舐めてくれた。
それではみなさまごきげんよう
そう告げた私は、我ながら会心の笑みを浮かべていたと思う。
◇◇◇
「『ねえ、知ってるぅ?それってシュートメの嫁いびりっていうんですってー』って捨て台詞は使えなかったのが心残りといえば心残りよねぇ」
「きゅい?」
禁呪の森の泉のほとりに、これまでこそこそちまちまと揃えてきた旅装一式を身に着けながらシルヴァに語り掛けると、こてりと首を傾げられた。
王妃殿下に教えられた言い回しです。まるで他人事で笑っていたのがおかしかったですね。関係性で言えば、私と王妃殿下は確かにヨメシュウトメとやらでしょうに。
対立したいわけでも敵対したいわけでもないのは本当ですから、あの場はあれが引き際でしょう。
国王陛下は確かに国益を考えてあの場をおさめましたが、あれ以上王妃殿下に鉾が向くのも防ぎたかったのでしょうから。
「さて、私の用意はばっちりよ!シルヴァ、お願いね」
「きゅぅううくるるっ」
歓びを謳うようなシルヴァの鳴き声が、残響をもって禁呪の森に浸透していく。
見上げた空が、その色を一瞬だけ淡く波打つ虹色に変え、また元の青さに戻った。
禁呪の森には、一体の討伐に師団級を必要とする魔獣が闊歩している。
隣接する王城をはじめ、王都にその被害がないのは、魔獣たちを森の外に出さない結界がはられているから。
その結界は、誰がはっているのか誰も知らないし、はられていることに誰も疑問をもたないくらいはるか昔から存在している。
何故おとぎ話レベルにおちているような森の主のお話が、今でも王族に伝えられているのか。
それは確かに結界が存在しているから。
魔獣を閉じ込めているからこその、国の守護獣だから。
「まあ、私が知っていたのはシルヴァが結界をはっていることだけだったけど」
だから国王陛下は、私たちに森から出てほしくなかった。
森の主をひきとめるために、私を庇護下におきたかった。
交渉材料がまるでなかったのが無念だったことでしょう。
だから、貢物をするから出ていかないでくれと。
せっせと貢物を捧げていればいい。
結界のすぐ内側におかれたそれは、魔獣が片づけてくれる。
たった今はりなおされた結界は、シルヴァがこの森から出ても数か月もつはず。
それからゆっくりと、ゆっくりとその強度を落としていったのちに崩壊する。
貢ぐために結界を出入りしていれば、そのうちその強度の変化に誰かが気づくでしょう。
「うふふっ、出ていかないなんて私言ってないですものねぇ」
シルヴァをぎゅうっと抱きしめて
その白銀のすべらかな口元に頬ずりをして
しっかりと抱きしめ返され
そのままくるくるとワルツみたいに回りながら
ゆらりゆらりと上空へ踊りあがって
王国民が誇るあの尊き王妃殿下ならば、崩壊していく結界の代わりを用意できることでしょう。
その溢れる才と力をもって、また新たな武勇伝を紡ぐでしょう。
それにどれほどの代償が必要なのか知りませんけれどもー!
「おきばりになるとよろしいわああ!あはははははっ」
「きゅいきゅいきゅーいっ」
雲が風に流れるように
花びらが風に舞うように
くるりくるりふわりふわりと
シルヴァが私を抱いて飛ぶ
「どこに行こうか。どこでも行けるね」
「くるるるぅ」
「シルヴァ、シルヴァ、大好きなのはシルヴァだけ。シルヴァだけそばにいてくれればいいの」
尻尾がリズミカルに左右にゆれる。
くるるくるると喉の鳴る振動が心地よい。
ああ、なんて空が広いんだろう。
たったひとつ望んだシルヴァとのささやかで静かな生活は、人型になる変身魔法を覚えたシルヴァによって驚愕に彩られることをこの時の私はまだ知らない。
これにて完結表示します。
書けなかった設定は多々あれど、今でもかなりぶっこみすぎてきつきつな気がしていますので。
別視点とか、続き書くとしたら月版なっちゃうわねとかありますが、一番かきたかった「しっぽびたーん」が書けたので満足です。びたーん!
おつきあいありがとうございました!
みなさまおかげで日間総合80位異世界恋愛ジャンル18位マークしました。震えます。ありがとうございます!
これからも感想・ブクマ・評価もありがとうございます!(お礼を先払いスタイル)
ラスト一文書き替えました。完全に人になるって読めちゃうって気づいたので……不覚!悔しい!