1.街頭アンケート
「少し、お時間よろしいですか」
飲み会の後、駅に向かう道中で女の人に声を掛けられた。
足を止めた俺に女の人は用紙を差し出してくる。
「簡単なアンケートなので、ご協力お願いします」
「いや、急いでるんで……」
「わかります。今まで私が声をかけた人で暇な人は一人もいませんでした」
落ち込む女の人に浮かぶ微かな罪悪感。
俺が悪いわけじゃないけど、なんなのこの感覚。
「これ言ったらダメなんですけど、ノルマがありましてお兄さんで最後なんです。お兄さんさえクリア出来たら私ノルマクリアなんです! 家に帰れます!」
「それは、そっちの都合でしょ」
「言いたい事はわかります。でも、私諦めません。そうなると、お兄さんも時間取られるし、私も家に帰れません。お兄さん手早くアンケート書いてすぐ開放。私も仕事終わる。winーwinですね」
女の人は笑顔を見せながら親指を立てる。
これは女の人の方が上手だと思いつつ、俺はさり気無く用紙に目を走らせた。
幾つかの質問があるだけで、名前や住所と言った記入欄はない。
このまま押し問答をやって俺が勝てたとしても、色々な意味で浪費が激しい。
それなら女の人が言う様に、素直に書いた方が早く終わるだろう。
「わかった、さっさとやろう」
俺は奪うように用紙とペンを手に取り、質問に目を走らせた。
質問は以下の七問だ。
・あなたは現状を変えたいと思いますか。
・変えられるとしたら、あなたは何をしたいですか。
(変えたくないとしたら、あなたは何を守りたいですか)
・あなたは人より秀でていたいですか。
・あなたは目的を持って生きたいですか。
・あなたは趣味嗜好を広く浅く、狭く深くどちらにしたいですか。
・あなたの人生を式で表すとしたら加算式、減算式どちらが望ましいですか。
・あなたの人生をナビゲートしてくれる存在がいたとしたら活用しますか。
現状に満足しているほど、俺は恵まれた人生を送っていない。
変えたくない人がいるなら話を聞いてみたいくらいだ。
何事もなく平穏な人生を送るのも退屈だが、転落人生も悲惨だろう。
そこで俺は【良い方向に転ぶなら変えたい】と書き込んだ。
次は最初と関連付けた質問。
俺は変えたいと答えたから、何を変えたいかを書けばいい。
答えを考えながら、何をやっているんだという思いがこみ上げてくる。
そう、俺は早く帰りたいんだ。
こんなアンケートでどうなる訳でもなし、思い付きで書いておけと【開放的な暮らしがしたい】と書き込む。
漠然としいてるが、突っ込まれたら口頭で答えればいい。
人より秀でていたいかに【ある程度は】と書き込み、目的を持って生きたいかに【はい】と書く。
どんどん適当になっている気がするが気にしない。
趣味嗜好は【狭く深く】に、人生の式は【加算式】に丸を付ける。
人生のナビゲートは【活用する】と書いて、女の人に渡した。
女の人はにこやかに受け取ると、アンケートを確認していく。
「ありがとうございました。助かりました」
「いや、いいよ」
適当に労をねぎらって女の人に背を向けた瞬間、視界が揺らいだ。
急に酔いが回って来たのかと目を瞑り、眉間を押さえる。
揺れが収まるのを待って、俺はゆっくりと目を開けた。
周りの世界が一瞬にして変わっていた。
左右には木々が折り重なるように茂り、前後にはうねくった道が延びていた。
もちろん何処へ続いているのか分かるはずもない。
空には太陽が浮かんでいたが、あの太陽が登っているのか沈んでいるのかすら分からない。
そこには、場違いな俺だけがいた。
「このまま三十分ほど行くと村があります。とりあえずの目標はその村に行く事です」
頭の後ろで声がして、俺は捻じれる勢いで振り向いた。
何処のゆるキャラだよって思うほどの、二頭身キャラが浮いていた。
クレーンゲームで山積みにされている縫いぐるみに似ている。
「なんだ、お前!」
「私がナビゲーターを務めさせていただきます。ナビとお呼びください。ここはあなたが望んだ事を構築、設計した世界。村までの道は作ってあります。このまま道に沿って行けば迷うことなく到着するでしょう」
「待て待て待て! 望んだってなんだよ。何にもした覚えないんだが」
「アンケートに答えた結果、あなたは選ばれたのです」
理解が追い付かない俺の前でナビは訳の分からない説明を続けていく。
その行動にイラっとした俺は、とりあえずナビを叩き落とした。
ナビの言葉が正しいとすれば、誰が何のために俺をこの世界へ転移させたのだろうか
「その疑問に答えることに意味はあるのでしょうか」
「俺の思考が解るのかよ!」
「その突っ込みに意味はあるのでしょうか」
「やかましい!」
俺に叩かれたナビが、何事もなかったかのように目の前に戻ってくる。
意味があるのかと聞かれれば意味が無いような気がする。
ナビがどう答えようと俺は確かめようがないのだ。
それなら、この世界を受け入れるしかないのだろうか。
どうやって連れてこられたか分からない俺では帰る術もない。
「希望するなら何時でもアンケートを受けた後へ戻れます。記憶も消されず、全て元通り。完璧です」
「本当かよ!」
俺の言葉にナビは盛大に頷く。
何時でも帰れるのなら、このまま帰るのは勿体ない。
俺の望んだ世界を俺のために作ったと言うなら尚更だ。
しかし、目の前のこいつを信じていいのだろうか。
暫く悩んだ末、俺は結論を出す。
「少しくらい見て回ってもいいか。だが、嘘だったらすぐ帰るからな!」
「その点はご安心ください。さて、もう日が傾いてますし村へ向かいましょう」
「暗くなったら道間違えそうだしな」
「魔物に襲われる確率も上がりますしね」
「さらっという事か!」
さっそく帰りたくなった心を抑えつつ、俺は村へ急いだ。
ここからは話の筋とはあまり関係ない話です。
「やったーノルマ達成」
既に彼女の頭の中にはアンケートに協力してくれた人たちへの思いはない。
「今日は時間も遅いし家飲みにすっかー」
彼女にあるのは酒の欲求。
この後、彼女は会社に戻り報告を済ますと家に直帰。
風呂から上がったバスタオル姿で、酒を満喫するのだ。
キーポイントとなった自分の役割を彼女は知らない。