リナリア戦
そうして対戦が終わると、次の瞬間には地形も対戦者の傷も元通りになる。
これがこのタリア学園が国一の学園だと言われる所以であり、賢者ロワンの賢者たる所以でもある--空間魔法の効果だ。
賢者ロワンは常にタリア学園全域、つまり初等部、中等部、高等部、研究部に対して空間魔法を張り巡らせている。賢者ロワンはその絶大なる魔力と複雑にして精密な魔法によって、指定空間内でのみ絶対なる力を持つ。
具体的に言うのならば、賢者ロワンはその空間での出来事を全て認識することが可能となり、また空間内での死を覆すことさえできるのだ。もちろん、普段は負担を減らすためにもそんなことはしないだろうが。
こうして出来上がったタリア学園では、対戦において実戦と同じ様に死が存在する状況で訓練できる。
とはいえこの死は痛みを伴うし、それ相応の恐怖もある。だからこそ、最初の入学試験で全ての生徒が試験官に殺され、その後の反応を試される。心に深い傷を負う様であった場合には入学試験不合格とされ、またその時の記憶が消される様になっている。
記憶を操る魔法は国に禁術指定されており、それを扱える者は賢者ロワンだけだ。その代わり、賢者ロワンは《誓約》という魔法により悪意を持ってそれらの魔法を行使した時死んでしまう。よって安心というわけだ。
ちなみに最初の入学試験において失禁する者は少なくない。それほどに痛いし怖いのだ。特に初等部からの入学ならほとんどがそうなる。またこの年齢でさえ対戦ならよくあることだが。
「うー、首が切られるとはー。ちょっと怖かった〜」
マツバさんはぱっと見大丈夫だったようだ。けれど僕だけが見えるであろう、彼女の身体から滲む赤黒い靄は彼女が恐怖を感じたことを示していた。
ちなみに水属性に適正の高い僕なら、水分に関して詳しくわかってしまうのだが、まぁ少し漏れているくらいなら日常茶飯事、問題無いだろう。
「はいはーい! 一試合目は無事ふぃにーっしゅ! ねくすといってみよー!」
バンダ講師の合図で出席番号二十一までの対戦が終わったことを確認した後、次の十人分の対戦が始まる。
また観戦でもしていたいところだが、ここは準備体操でもしておくべきだろう。
「じゃあリナリア、僕は少し身体を慣らしてくるね」
「そうね、私もそうしようかしら。ちゃんと今度は気をつけなさい? 治るからいい、なんて決して思わないことですわ」
そう、この学園で問題視されているのは死や怪我に対する認識が甘くなることだ。常に実戦を意識していないと、この学園はむしろ人を堕落させてしまう。
「うん、常在戦場だね。大丈夫。一番僕がわかってる」
「……なら、いいですわ。貴方が誰かを意味無く傷つけたならば、私は貴方を軽蔑しますわよ」
リナリアに軽蔑されるなんて恐ろしい。それは僕にとって死を意味するにも等しいことだ。
「大丈夫。絶対に、大丈夫だよ」
決意をこめて返すと、リナリアは小さく微笑んだ。そのまま彼女は僕から離れていく。
それからしばらく剣を素振りし、身体を慣らしていた。けれど、リナリアとの対戦を前にどうも身体が緊張しているみたいで調子がなかなか出ない。でも仕方ないだろう。常に本調子でいられるなんてあり得ないのだから。
「おーきーどーきー! 三試合目準備してー!」
バンダ講師の声に従って戦場に向かう。相対するリナリアは平時の如く優雅な出で立ちだ。
わずかな熱気が周囲を包みこむ。怒っている、というわけでは無いだろうけれど、興奮に近い状態であるのかもしれない。
その視線は鋭利。牙を覗かせた笑みは獰猛にして愉悦。頭上部に生えた獣の様な副耳は可愛らしく動きながらもその本質は第三の目に近い。
間違いなく、本気だ。
だからこそ、僕の闘争心も昂ぶる。
「ココノエ、貴方は私を楽しませてくれるかしら?」
「うん、任せておいて。そう簡単には、負けないよ?」
僕は鞄から愛用の剣を引き抜き、右手で構える。僕が臨戦態勢になったことを確認したリナリアは、二度ほど手首を回した。その時には既に二振りの短剣が彼女の手には握られていたのだ。
それは、氷で作られた短剣。一流の魔術師が作り出す物体は、自然にある金属を容易に超える硬さと鋭さを持つ。氷だからと油断はできないだろう。
「準備おーけー? それじゃー、ふぁいとーっ!」
バンダ講師の掛け声にまず僕が動いた。才能の無い僕が後手に回って勝つ確率なんてほとんど無い。先手必勝だ。
リナリアに向けて駆ける。距離は瞬時に縮まった。その合間にも彼女は迎撃の姿勢に移る。剣を振りかぶり一閃。
キンッと鋭い音をたて短剣に受け流された。そうなれば必然、迫るのはもう一つの短剣。狙いは首、瞬く間に接近する短剣を左手で弾く。
防護印の刻まれた手袋と短剣が瞬間的に直撃。ギリッと金属を擦る音が響き彼女の体制がわずかに崩れた。その隙に蹴りを叩きこむ。
「《氷壁》」
バリンッと足先で氷が割れた。蹴りは減衰され届かない。その合間に彼女は姿勢を整え、次の瞬間払うように蹴りを放った。狙うは僕の軸足。地に足をつけたままでは回避できない。
「『集う水は剣』」
蹴られる前に体制を崩し、跳躍。空中で横になると同時、その下を彼女の足が横薙ぎに振るわれた。
片手を地につけ、側転で離脱。 彼女の姿勢が戻るに合わせて僕の姿勢も整った。
「接近戦は上々ですわね」
「まぁ、得意だしね」
互いを睨み合いながら言葉を交わす。接近戦においては僕の勝利だろう。なんせ、彼女に魔法を使わせたのだから。
それに僕の横には水の剣が出現している。戦闘中に詠唱した結果だ。ここまでは順調。
「それでは、魔法の方はいかがかしらっ!」
振るわれた彼女の短剣から小さな何かが複数飛来する。避けられないものを水の剣で抑え、横に跳びながら目で追えば、それは小さな氷塊であった。
「《氷爆散》」
彼女の一言で氷塊はさらに細かく分かれ飛び散る。飛来する氷塵は最早たいした威力は無い。けれど、僕の意識を逸らすには十分だった。
「『鋭く穿て』《氷柱》!」
足元から氷の柱、もとい氷の杭が突きあがる。慌てて後方へ跳べば、氷の杭は搔き消え、目前を短剣が通り過ぎた。
チッと音たて前髪の先が切り裂かれる。あと少し回避が遅ければ、もしくは後ろに回避していなければ、少なくとも片目が潰されていた。
「『流れよ鋭利に』」
着地と同時に詠唱を進める。僕の場合、魔法戦では圧倒的に早さが足りない。
「喰らえっ!」
「む、邪魔ですわ」
水の針を無詠唱で可能なだけ生み出し飛ばす。飛来する水の針を彼女は無詠唱で蒸発させ、直撃を回避。攻撃としては不発だが、彼女の追撃を止めることはできた。
「『切り裂け』!」
水の剣を彼女へと飛ばし、同時に僕も駆ける。水の剣が切りかかるに合わせて、僕は横薙ぎに足払いを放った。
「《氷壁》!」
鈍い音が響くと同時に足に痛みが奔る。それは音と同じく鈍い痛み。氷壁によって足払いは完全に防がれてしまう。
それでも、水の剣は彼女の短剣を一本弾くことに成功していた。自分の役割を果たしたことで、水の剣は魔法としての効力を失い、ただの水と化し落ちる。だが、再利用は容易だ。
「『水よ繰り返せ』!」
「にゃっ!?」
繰り返しの装飾語によって一度散った水が再び剣の形をとる。その間に右手の剣を振り上げた。
ギリッと擦る様な音を響かせ、彼女の短剣と僕の剣が切り結ぶ。本来ならば膠着状態となる場面だが、今回は違う。水の剣が刃を研ぎ澄まし、再び彼女へと切りかかった。
「甘いですわ!」
彼女が叫ぶと同時、彼女の発する魔力が膨れ上がった。それに呼応して、水の剣に異物感を覚える。しかし水の剣は役目を果たすために彼女の首へと迫りーー。
「間に合いましたわ」
彼女の首元で止まった。水の剣は彼女の魔力に侵され、支配権を掌握されてしまったのだ。
水の剣は瞬く間に反転し、その鋒を僕へと向けて飛来する。
切り結んでいた彼女の短剣を押し出し、その反動で後ろに跳躍。どうにか水の剣を回避し、目線を上げた時、自分の失策に気づかされる。
彼女は弾かれた分の短剣を再び生み出しながら距離をとっていた。距離をとる理由は明白。大規模な魔法のため。
「『咲き誇れ』《氷の花園》!」
水の剣が、中に取り込んでいた氷塊を核として内側から爆ぜる様に薔薇の姿へと変わった。飛び散る氷塊が頬を切る。
次なる攻撃を避けるために後ろへ跳ぶか、攻撃の軸となるであろう氷の薔薇を破壊するために前に進むか。一瞬の判断を迫られ、僕は前に進み出た。
「貴方ならそうすると思ってましたわ!」
彼女が叫ぶのも無視して剣を振り上げ、氷の薔薇へ向けて振り下ろす。
「『花開け』《氷爆散》!」
氷の薔薇を剣で砕く寸前、薔薇の花が開く様にして花弁が勢いよく散開する。手に、頬に、掠める様にして氷の花弁が次々と裂傷を作りだす。
どうすれば、避けられる。どうすれば、勝てる。必死で頭を巡らせるも、彼女との距離は詰められるほど近くもなければ、氷の花弁を打ち消す術もない。
「『花弁よ切り裂け』《氷刃の演舞》! これで、終わりですわ!」
散った氷の花弁が舞う様に、されど鋭く飛来した。避けようもなく満開の花弁に切り刻まれ、血が流れていく。大きな血だまりが広がっていく。
最早勝ち目はないに等しいが、一矢報いたい。死まで決して諦めない。手元の剣を見つめる。垂れた血に染まり鈍く照り返す刀身は鋭利だ。これならば、首にでも当たればあるいは。
切り刻まれ、痛覚も触覚も鈍くなる中、剣を振りかぶる。花弁が目を掠り、激痛が奔る。視界が霞み狙いもつかない。それでも、剣を投げた。
「届けぇぇぇ!」
「そんなもの、当たりませんわ」
回転しながら迫る剣を見つめ、彼女は危なげなく避けようとする。僕の眼前には首に迫る最後の花弁が遅々として見えた。死を間近にした高速の思考。花弁を避け得ないとわかる。剣が当たらないとわかる。
だけど、それでも、諦めない。紡げる言葉は数文字のみ。苦手な想像力を駆使して何が成せる。
届かないのならば届かせる。当たるのならば外させる。紡げばいい、努力の成果を--。
「『点移』ぃぃ!」
言葉足らずの装飾。されど結果はついてきた。次の瞬間に、首を切り裂くはずだった最後の花弁は僕の後方へと過ぎ去り、僕の剣は彼女の左手に鋒を添えていた。
「手がっ! 何故ですの!?」
彼女の左手が浅くとはいえ裂かれる。驚愕に目を見開く可愛らしい彼女の姿を視界におさめ、僕の意識は暗闇に落ちてしまった。
意識の暗転、まるで心臓が氷になってしまったかの様な寒さが襲う。それは針の様でいて、けれど何よりも冷たかった。
零れ落ちる雫が刻一刻と僕の命を縮めていくのを感じる。寒い、どうしようもなく寒い。死の恐怖には慣れたはずでも、やはり幾らかの恐怖は残る。きっと、僕の周りにも赤黒い靄が滲んでいることだろう。
命の雫が全て流れ落ち、全ての意識が消えようとした瞬間、強大な流れを感じて目を覚ます。
「……うへぇ、失血死とか怖いね」
「仕方ないですわ。……一撃では倒せないほど、貴方が強かったんですもの」
僕の後ろから普段通りに戻ったリナリアが優雅に歩み寄ってきた。その表情は笑顔だ。そして強い熱気を感じる。どうやら興奮する程には対戦を楽しんでくれたらしい。
これで少しは見直してくれただろうか。そんなこと考えるまでもない。たった今、彼女が言ってくれたではないか。強かった、と。
でも、喜ぶのはまだ早い。彼女に手傷を負わせた程度で思い上がってはいけない。まだまだ上を目指すんだ。
「ココノエ。私達はどうやら早く終わったみたいですから、ハイド様の対戦を見学いたしましょう?」
「あっ、うん。そうだね、クロユリさんの実力も気になるしね」
何と言ったって、クロユリさんは今一番の要観察対象だ。敵を知らねば戦に勝てず。リナリアを守るためにも必要なことだろう。
「……そう、ですわね。ハイド様には敵いませんでしょうけど」
リナリアは扇を取り出して口元を隠すと、ハイド達の戦場へと歩みを進めた。それに僕も着いて行く。
それにしても随分とした信頼だ。ことあるごとにハイドの名を出されると流石に少し嫉妬してしまう。なら僕はいっそのことクロユリさんを応援しよう。
「もしかしたらクロユリさんの方が有利かもしれないよ? 何と言っても相性による……だろうか…………ら?」
ハイド達の戦場に着いた時、最早現状に理解が追いつかず口が上手く回らなかった。その戦闘は、正に異質と呼べるものだったのだ。