未熟
「あ、あの、ココノエさん!」
「ん? どうしたの?」
学園服を脱ごうとしていたらクロユリさんに呼び止められてしまった。どうしたのかと振り返ってみると、クロユリさんは自らの手のひらで目を覆う様にしてーー隙間がかなりあいているのだがーー頬を赤くそめながらこちらを向いていた。
「いや、僕は学園服の下に運動服着てるからね?」
「へ? あっ、そうですかー。あはは」
僕が主張する様に白い運動服を見せつけると、急にクロユリさんは真顔になるなり恥ずかしそうな笑みを浮かべた。
「あの、あたしは運動服着てないんですけど、どうすればいいんでしょう?」
クロユリさんは周りをきょろきょろと見回しながら問いかける。見回した先の生徒達は既に運動服に着替えていた。
「あぁ、そっか、クロユリさんは新入生だもんね。たいてい皆、学園服の下に運動服を着ておくんだよ。更衣室が遠いからね」
「あっ、そうなんですか……。じゃあ更衣室の場所を教えてくれませんか?」
肩を落としながらクロユリさんは運動服を入れてあるであろう鞄を手に取る。そのまま案内を僕に頼んできたのだが、どうしようか。
「淑女が男性に更衣室の場所をきくものではありませんわ」
僕が悩んでいると、クロユリさんの背後から凛とした声が響いた。視線をそちらに移せば、未だ学園服姿のリナリアが呆れた顔でクロユリさんを見ていた。
「ふぇっ、り、リナリア様!」
「様付けは不要ですわ、好きにお呼びなさい。……それと、私も更衣室に向かうところですから、ついていらっしゃい」
「あっ……。い、今行きます!」
リナリアが優雅な足運びで教室を出て行くのを、クロユリさんが慌てて追いかける。どうやら僕が案内をする必要は無くなった様だ。
けれど、リナリアとクロユリさんを二人だけにして大丈夫だろうか。少し不安でもある。仲良くなってくれていたら、最善なのだが。
「おいビリア、貴様クロユリとはどんな関係だ」
心配しながら、去っていくリナリア達を見ていると、背後から冷たい声がかけられた。その響きは尊大にして不機嫌だ。振り返らずともわかる、王子の声だろう。
人を家名で呼ぶところからも推測は容易だった。
「おはようございます、ハイド様。……彼女とは朝に偶然出会っただけの関係ですよ」
「ふむ、……そうか。それと様付けはいらん。話しかけて悪かったな」
王子、もといハイドは表情を変えることも無く去ってしまった。クロユリさんが僕を頼ってきたことに対するちょっとした嫉妬、なのだろうか。
そうこうしてるうちに周りを見渡せば、教室には既にほとんど人がいなくなっている。僕も慌てて外に出ると、何人かの生徒が魔法の空撃ちやら武器の素振りをしていた。
武器の素振りはともかくとして、何故魔法の空撃ちをするかと言えば、やはり装飾語の確認のためだろう。
魔法詠唱は人それぞれであり、装飾語が多ければ良いというわけでもない。才能のある人は、むしろ少ない装飾語で理想の結果を生み出す。
とは言え、僕の様な凡才は装飾語でがちがちに固めた魔法詠唱を使うしかないのも事実だ。例えば、そう。
「『水は集まり』『無数の剣と化す』『誰にも触れず踊り狂え』『魅せろ』《水の舞踏》」
キンッと鋭い音を響かせて、空中に水の剣が引き抜かれた。剣はゆらゆらと揺れ、まるで拍子をとっているかの様だ。
そして一際大きく揺れた次の瞬間、僕を中心に剣達は一斉に広がり舞い始める。もちろん周りに人はいるが当たることはない。そう指示してあるのだから。
「って、あれ?」
ふと見てみれば、水の剣の何本かが他の人の魔法や武器に突撃していた。慌てて魔法を止めようとしても、一度発動した魔法を修正できるのは別の魔法だけ。原因を突き止めないと、修正のしようもない。
「『咲き誇れ』《氷の花園》!」
僕が慌てている間に、凛とした声が一際澄んで響く。踊り狂う剣が突然にその動きを停滞させ、次の瞬間には内側から破裂する様に美しい氷の薔薇へと姿を変え、地へと落ちた。
「ココノエ、今のは何かの冗談かしら」
僕に歩み寄って来るのは、クロユリさんを後ろに連れたリナリアだった。扇で隠すことをせずこちらに向ける表情は静かな怒り。
「あっ、リナリア……。えっと、これは、ちょっと失敗しちゃって」
「ちょっと? 人を傷つけるかもしれないでちょっとですって? 冗談でも笑えないわ」
欠片も笑みを浮かべずリナリアは閉じた扇で僕を指した。そこはかとなく周囲に熱気の漂う気配がする。リナリアが感情を強く揺り動かした時、普段にも増して冷徹に見える彼女の周りは、何故か反比例する様に熱気を帯びるのだ。
つまり、本格的にリナリアは怒っている。
「あ、あの、リナリアさん。失敗くらい誰でもするでしょうし……」
「貴女は黙っていなさい。ココノエ、貴方が一番魔法の危険性は知っているはずでしょう?」
僕を庇ってくれようとしたクロユリさんを扇で抑えて、リナリアは苛立たしげに踵で地をコンコンと叩く。熱気はやむこともなく、むしろ強くなっていた。
けれど、僕はリナリアに怒られているという事実があまりに衝撃的で動けなかった。いつも優しい彼女は、そう簡単に人を怒らない。
怒るとすれば理由は決まっている。誰かが傷つく可能性があったからだ。
「リナリア。言い訳をする様だけど、僕は人に危害の及ぶ様な魔法は使ってないよ」
「……そう。それで?」
僕の言葉に、彼女の熱気がやや落ち着くのを感じた。未だ怒っていることに変わりはないが、何も言わないでいるあたり、話を聞いてくれるということだろう。
「人に当たらない様にはしたけれど、それ以外の装飾を考えてなくて。級のみんなには、ごめんなさい。リナリアはみんなに危害が加わると思って、怒ってくれたんだよね?」
「そうね。こんなことで授業に遅れでもでたら困るもの」
リナリアは吐き捨てる様に言うと、クロユリさんを連れたままハイドのいる方へと向かって行ってしまった。熱気はもう、おさまっている。
「はぁ、だめだなぁ、僕は」
「んー? 困り顔だね、ぼーい! 張り切り過ぎたのかな? まぁまぁ、おーきーどーきー! 授業始めるから、そこでくーるな所見せちゃいなよ、ゆー!」
ため息を吐く僕の隣にいつの間にかバンダ講師がいた。まるで僕を励ます様に背中をぺしぺしと叩いてバンダ講師は生徒群へと向かって行く。
そうだな、今度こそ僕も成長したんだってところを見せないと。リナリアに呆れられたままなんて悲し過ぎる。
幸運なことに、今日は対戦形式の戦闘訓練みたいだ。努力の成果を見せようじゃないか。
心が昂ぶるのを感じる。心地良く、それでいて狂気的な衝動が胸中から溢れ出す。僕の中に流れる半分の血が闘争に疼く。でも、大丈夫だ。この感情を制御するのもだいぶ慣れた。
もう、子どもの頃の僕じゃないのだから。