八
「殺せ。もう私に価値はない」
―――居場所不明。
梢は自身を闇の中へと誘った地黄煎火へ冷ややかな視線を向けた。
地黄煎とは穀芽の粉に地黄の汁を練り合わせた物のことであり、地黄煎火とは昔、それを売って生計を立てていたのだが、盗賊に殺され、何もかもが奪われてしまった無念によりこの地を彷徨う男の魂のことで、火の玉の形状をしていた。
梢が視線を向けるものの、地黄煎火は何も発さず宙を浮遊するのみ。
「元々価値はないがな」
此処に連れて来たくせにと、梢は不満に思いながら溜息交じりにそう告げた。
文武共に重点を置き、中立の名君として名を馳せ、国民の評判は上々。
そんな評価を得られたのはひとえに、優秀な補佐たちが傍に居てくれたから。
自分には勿体無いほど。
『皆はどう思う?』
一つの案件に対し、自分の意見を述べる前に必ず皆に意見を求め、答えを導き出す。
当たり前のことだが、自分はそれに過敏に、そして執着し過ぎていたのかもしれない。
『梢』『様だ。柳』
今から十年前。自分が十八で、柳が三十五の時。まだ彼は城を訪れていた。
貴族の出であった彼が朝廷に仕えることは必須で、自分が天皇を継承した七歳の時、彼はすで天皇補佐の地位に居たが、自分が十五歳の時に暇が欲しいと請われた為、その年に解職した。
それから年に一度か二度は城を訪れていた。
彼曰く。
城が傾かないか心配だから。
だそうだ。
余計な節介は何処ぞにでも捨て置けばいいものを。
『城の外で羽を伸ばしているようだな』
皮肉気にそう告げても、彼は嬉しげな笑みを浮かべるだけ。
忌々しいと心の中で毒づく。
『人間と同じで妖怪にも色々居るからな。あんまり怖がって欲しくなくてよ』
『最初から警戒心を持っていた方がよかろう。もしもの時を考えればな』
『ま。それもそうだけどよ。そんなんじゃ、窮屈だろ。やっぱ』
綿のように、言動の何もかもが軽い男だったのに。
誰よりも信頼していた男で。
『自慢しに来ただけならばもう行くぞ』
『不老不死の薬を捜しているって聞いたぞ』
踵を返そうとする前に肩を掴まれそう告げられ、離せと言う前に、そうだと素直に答えた。
『国の行く末を見守らなければいけないからな』
『おまえ。何をそんなに焦ってんだ?』
『焦る?私がか?何を根拠にそう思う?』
『余裕がないって顔に書いてんぞ』
癪に障り、目元を険しくさせるも、直ぐに真顔に戻す。
例えばどんなに、勝手に去ったくせに勝手に心配するなと、声を荒げたくとも。
感情を表に現すことはしない。
せめて冷静沈着でなければ、誰も付いてこないのだから。
『そう思いたいなら勝手にそう思え。私は余裕綽々だがな』
『…おまえさ。もっと『梢様だ』
説教を遮り、今度こそ踵を返し、天皇執務室『紫宸殿』へと戻って行った。
『十川様がお亡くなりになったとか』
煩い。
『梢様の補佐役が次々と』
煩い。
『あの方もそろそろ潮時では?』
煩い。
『彼らが居なければ何もできないのだから』
煩い!
前天皇から仕えていた補佐役が次々と姿を消し、気が付けば、自分が真に信頼する者が数名しか居なくなった頃。
告げられた、幾度目かの不老不死の在り処。
それは奇しくも、あの男が住んでいる家に在った。
『不老不死の薬を寄こせ』
直接その男を訪れたのは、手に入れる可能性が高まると踏んだだけ。
それだけだった。
部下に家から下った人気のないところに呼び出しを喰らった男に、自分は手を差し出した。
『寄こせ』
『だから、そんなのないって言ってんだろ』
『誤魔化すな』
『おまえは俺よりそんな噂を流したやつを信じるのか?』
今思えば、悲しい表情をしていたのかも知れないが。
当時は侮蔑されたような気がしてならなかった。
『寄こせ!』
胸元に収めていた短刀を取り出し、鞘を抜いて、男に向けた。
『もうそれしかないのだ!』
この時の自分はきっとおぞましい表情を浮かべていたに違いない。
『寄こせ。さもなくば。おまえの家族も殺すぞ』
『おまえはしない』
カッと頭に血が上ったのは事実。
自分が男の腹に短刀を突き刺していたのも。
その光景を目の当たりにしても、悲哀など一切湧き出ることなく、苛立ちと憎悪が増幅して行くだけだった。
『何故避けない?』
腹の底から溢れ出る黒い感情が全身を纏い、呼吸を遮る。
『おまえなら苦も無く避けられただろう?』
上から熱い息を感じる。苦しげな吐息も聞こえる。
病に罹っていると部下から報告は受けていた。
それでも、この男なら。
『おまえ。天皇から逃げたかったんだな』
瞼が吊り上げられた。
『俺が、奉行所に、差し出すとでも、思ってんのか?俺が?』
『煩い!』
短刀から手を離し、男の体温が感じられない処へと身を引き、眼を付ける。
『煩い煩い煩い煩い!』
『勝手に居なくなったくせに』
『要らないのだ!おまえなど!』
『俺は』
『聴きたくない!』
その場から立ち去る時、一人の女児に気付いた。男が娘とする女児。
男が立ち去った原因を作った娘だ。
それから八年後。
洸縁から告げられた、死の宣告。
その二年後、自分は彼もまた大切に想うその娘を死に至らしめようとした。
結果、娘と同様に自分もまた命を長らえ、そして今は、姪と甥により天皇の地位から離され、隠居の身となった。
「自分では死ねないのだ」
それは天皇として生きた小さな矜持だった。不老不死になろうとしたのもそう。
矜持だけしか、持っていなかったのだ。
「おまえは後悔を抱く生者をあの世へ誘ってくれるのだろう?」
連れて行ってくれと、掠れた声音で請うと聴こえて来たのは。
「洸縁と玄武が懸命に繋いだってのに」
耳にすることを許されない男の声。
心臓が強く脈打ったが、気持ちを落ち着かせ、地黄煎火の声音かと思い至ったのだが。
後ろから頭に添えられた懐かしい手に。
くしゃりと顔を歪ませ、此処は生と死の狭間なのかと毒づく。
「恨みで天国にも地獄にも行けなかったか?」
「柳」
男の体温が、死んだはずの心臓に伝わって行くようだった。




