三
修磨と洸縁が追いかける一日前。希羅一行が譲り葉の元へ向かって一日が経った頃。
「さて。と」
修験者の様相。赤い顔に長い鼻の仮面。四尺ほどの身体より大きな翼。やつでの葉を連想させる団扇。
「どう落とし前をつけてもらおうかいの?」
所謂、天狗に行く手を阻まれていた。
奈良県柳生町、天乃岩立神社の前。人気はなかった。
「どう落とし前をつけてもらおうかと言われても、こちらに非はないだろう」
突然の出来事に呆気に取られていた一行の先陣を切ったのは、柊であった。
「あなたが勝手に空から地面に落ちて来ただけだ」
「んだと、こる(巻き舌)ら」
天狗は腕を組んだまま柊に、これでもかと近づき見上げた。恐らく、仮面の中でがんを付けていることだろう。
「おまえらが何かしたから落ちたに決まってんだろうが。ああん?」
柊の言ったように、天狗が勝手に目の前に堕ちて来ただけであるのに。完全な言いがかりだ。希羅はそう実感したのも束の間。
「悪いことしたら何か置いて行けって、教えられなかったか?ああん?」
性質の悪い追剥であることも判明した。
天狗は肩を怒らせて、なお何かを渡すように言い寄って来た。
「…お腹減っているの?」
希羅の隣に居た男児はそう言うや、先程買った干し芋を天狗に差し出した。
身長は男児より天狗の方が三寸ほど高い程度。
何故だろうと、希羅は首を傾げた。
特別何でもないその男児の所作一つに、友達に渡すようなその仕草に、可愛いと、胸がときめくのは。
(う。なんか、修磨さんの気持ちが分かるかも)
親莫迦ならぬ姉莫迦になりそうだ。希羅はふとそう思った。
「ほーう。話の分かる小僧だ。そーだ。ちょっと寄ってけ」
干し芋を受け取った天狗は天乃岩立神社を親指で指差した。
何とか断るべきだろうと希羅が口を開いた刹那。
「じゃあ、お言葉に甘えましょう。ね」
「ああ。そろそろ休息も取りたいと思っていたところだしな」
「じゃあ、行くぞ」
「やったー」
遊山を筆頭に、柊、男児が天狗の後をついて行ってしまったのだ。
立ち尽くす希羅だったが、くるりと振り返って距離を詰めた遊山に問答無用で神社へと連れて行かれてしまった。
「父ちゃん。客人だ」
鳥居を潜った天狗は、希羅たちにちょっと待っていろと告げるや、神社の奥へと進んで行った。
この隙にと、希羅は遊山の肩を叩き、膝を屈して背を低くしてくれた彼に音量を落として告げた。
「早く此処から出ましょう。先を急がないといけませんし」
「う~ん。でもねぇ。天狗って山神様って敬われているくらいだし。彼の機嫌を損ねると大変なことになるかもよ」
希羅は言葉を詰まらせてしまったが思い直し、じゃあと提案した。
「私だけ先に行きますから、弟をお願いしていいですか?」
「希羅ちゃんはそれでいいの?」
弟を自分たちに任せて。弟と共に旅をしなくて。
その流し目に、どちらとも指摘されたような気がした希羅であったが。
「一日でも、一緒に居られましたから。それに辿り着いてしまえば、残りの時間、楽しんで一緒に過ごせますし」
「それは、そうね」
自分が一日駆け走ればきっと辿りつける。それも彼らが追いかける前に。
あれっと、希羅は今、初めておかしいと思った。
(普通に行って四日。なら、急げばきっと二日。弟を考慮しても、蛍になれるって言ってたから、私の肩に乗せれば何の負担もないし。修磨さんと洸縁さんが追いかける前に辿り着ける。それって、勝負、なのかな)
釣り合いを取る為に彼らを留める二日の期間が何を意味しているかは分からないが、考えても分かりそうにないので、一先ず頭の片隅に置くことにした。
「申し訳ありません。先を急がなければいけませんので、私だけお暇させて頂きます」
姿を現した先程の天狗と、彼の父親らしい体躯のいい天狗に、希羅は頭を下げた。
「ほぉ。それは大変なことですな」
感触は悪くない。希羅は行けると思ったのだが。
「ですが、一度客人を招き入れたからには、我らはもてなすのが礼儀。客人はもてなされるのが礼儀」
希羅は顔を上げて言葉遣いに気を付けて問いかけた。
「…もし。お断りすれば?」
「奈良の地に天風が吹き荒れる事態が起こり得るかも知れませんな」
(これか)
二日の期間が設けられた理由は、彼らなのだと。
或ることを思い出し、そう確信した希羅は彼らの後に大人しくついて行くことにした。
(天狗は別名。試練を与える者とも言われている)
天狗親子を先頭にした一行の最後部に居た遊山は、前を進む希羅の背を見つめた。
(試練に応えられるかしらね)
捕まった人間の子を助けて欲しい。
拝殿に案内し、お茶を出した希羅たちに、天狗の親子はそう告げた。
「この神社から程なくして見える騫嗎神社に捕まってしまったのだ」
何でも霊力の高い結界を施されている為に、山神と謳われる彼らでさえ立ち入ることはできないらしい。
「天狗の子ではなく、人の子か?」
「はい」
尋ねた柊は父親天狗のその答えを受けて、難色を示した。それは希羅も同様だった。柊は続けざまにその疑問をぶつけた。
「何故天狗のそなたたちが人の子を助けて欲しいと頼むのだ?」
「我らに修行を申しこんで来た子だからです。門下生と言ってもよいでしょう」
確かに。天狗に修行を申し込む修験者が少なからず居た。
「…何故その子が囚われてしまったか。お分かりか?」
「売るか、生贄として捧げるか。はたまた他の理由からか」
瞬間、柊の顔は凍りついたかのように固まった。
「どちらも法で禁じられているはず。よもや、未だにそのようなことが行われているのか?」
「ただの憶測です。どうか、気を沈ませください」
父天狗の落ち着いた声音に、柊は肩の力を抜いて、息を吐き出した。
「ああ。そうだな」
「なら私と坊ちゃんと希羅ちゃんで、ちゃちゃっと片付けちゃいましょう」
遊山はそう言うや、すっと立ち上がった。柊は待てと告げた。
「俺とそなたはともかく、希羅殿は此処でこの子と共に待つべきだ」
「…坊ちゃんがそう言うなら。仕方ありませんね」
遊山は肩を揺らした。
「じゃあ、希羅ちゃん。行って来るから」
「先を進まずに待っていろ」
遊山は手をひらひらと動かしながら、柊は剣の柄を一度強く握って、その場を後にした。
「ねぇ。遊ばない?」
二人が去った後、男児はにっこりと笑顔を浮かべて子天狗に告げた。子天狗はよかろうと告げて、男児の手を取った。
「軟弱な貴様を鍛えてやろう」
「じゃあ、相撲やろう。相撲」
会話がかみ合っていないながらも、子天狗の男児に対する印象は悪くはないようだ。声音が少し浮き立っている子天狗は男児の手を握ったまま、外へと向かった。
「姉上。行って来るね」
「気を付けてね」
腕を大きく振る男児に、希羅もまた手を振って見送った。
「心配は無用。あの子も加減というものを知っている」
「はい」
一気に静まり返ったその空間の中、希羅は奇妙なほどに落ち着いている自分に気付いた。
神聖な場所だからか。天狗が傍に居るからか。空気が澄んでいるのもその要因だろう。
「私は何を知るべきですか?」
希羅は天狗の仮面の空いている箇所、黒い眼を直視した。
「知るべき、か」
天狗はふっと小さな笑みを溢した。
「全てを知るのは怖いか?」
「語弊でした。全てを、お教えください」
希羅はぐっと、作った拳を膝の上に押さえつけた。
「知った上で、解決して、弟に渡します。あの子には何も背負わせません」
一拍後。じっくりと希羅を見据えた天狗は口を開いた。
「漸く覚悟を決めた、か」
「はい」
「そうか」
(直に接して、漸く腹を括ったか)
いやと、天狗は思った。もしかしたら最初からそのつもりで、譲り葉の元に行こうとしたのではと。
弟を託す為ではなく、真実を知る為に。
強くなったのか。強くさせられたのか。どちらにしても、逞しくなったと、天狗は実感した。
(さてさて。どうするべきか)
命を渡すまでの一か月足らずで解決できることではない。が、こんな瞳をしている時、不可能を可能にするのが、生き物だ。人間であれ、妖怪であれ。獣であれ。鬼であれ。
(叶うなら、あやつらが目覚めることもない。つまりは、この娘の負担が幾何かは少なくなる。か。そして、あの真実は永久に知ることはない。し。俺もあの方に会える可能性が高まるか)
もし。が叶うのなら、これほど都合の善いことはないが。
(…一か月。か。全く。神は何を考えているのやら?)
「なら、教えようかいの」
希羅は聞き慣れたその口調に、そして仮面を外した天狗の素顔に目を丸くした。
「何で。あなたが」
天狗の仮面を取ったその裏に隠れていたのは―――。
「道具屋さん」
丸禿でいかつい顔をした男。
希羅と海燕、櫁しか会ったことのない、秘密道具をくれる人物であった。




