十
「久しぶり。海燕」
「ああ」
―――『穏芽城』にて。
氷を無事に城に運び終えた海燕は今、櫁の自室で、彼女と向かい合っていた。
「これ。土産」
「ありがとう」
海燕に手渡された風呂敷包みの中身は、蜜柑入りの牛乳寒天だった。
櫁は一言断って、手で掴み、口に運んだ。
「美味しい」
「痩せたな」
それに以前と比べると格段に元気がなくなったと、海燕は思った。
「まぁ、忙しいから。これでも天皇代理補佐だし」
「だな。全然似合わないけど」
「どーせ飛脚の方が似合いだって言うんでしょ?」
「まーな」
海燕はにししと笑い、櫁も彼につられるように笑みを浮かべたが、直ぐに消えた。
「希羅は、元気?」
海燕はああと告げた。とは言っても、四月の花見以降、ろくに会いに行かず、現状はどうなっているのかは分かってはいなかったが、予想はできた。この後、修磨か洸縁に会いに行って、それが合っているかを訊きに行くつもりでいたのだ。
「どうやら櫁様の懸念は当たっていたようですね」
「遊山。兄様も」
天皇代理である柊が現れて、海燕は姿勢を正して頭を下げたが、柊に頭を上げろと告げられたので、その通りにした。櫁もまた姿勢を正して、目の前に座った柊に視線を合わせた。彼の傍らに居た遊山は、入り口に静座している岸哲の隣りに腰を落ち着かせた。
「お久しぶり。相も変わらずお肌が綺麗だこと。化粧もしないで。嫉妬しちゃうわ」
「場をわきまえろ」
「その真面目さも相変わらずね」
にこにこと嬉しげに笑う遊山であったが、岸哲に睨まれて大人しく口を閉ざした。
「櫁」
何事かを告げようとしていた柊は櫁の姿を見て口を閉ざした。
「何時かはこんな日が来るって分かってたの。希羅は絶対、あの子に命を渡すって」
櫁の瞳から幾筋もの涙が頬を伝った。
「絶対選ばれるって」
「名前が書いてありました」
櫁を代弁するように、岸哲は告げた。
『蛍火の儀式』に選ばれるのは、赤子を生き返らせたい人物から、毎年一人。
その名は蛍のように瞬く淡い光を灯しながら、京都の守護樹とされる一本竹『簷跱』の根本の幹に記される。
それ以降から儀式が行われる八月中旬までの間に、亡くなった赤子がその人物の前に姿を現し、儀式当日まで共に過ごす。
そしてきたるその刻に、選ばれた人物の命が赤子に譲渡されて、儀式は終わる。
「私。希羅を止められない。だから。海燕。兄様。お願い」
櫁は戦慄く唇を制御して、二人の瞳を真直ぐに見つめて、嘆願した。
「希羅を、死なせないで」
二人は声を揃えて、ああと応えた。
(彼女が死んだ方が櫁様のご負担が幾らか軽くなりますよね。なんて言ったら。殺されるかもね)
遊山は外へと向かう柊の背を見つめながらそう思った。
隠せるものではないのだ。
櫁の叔母が彼女の父親を殺した事実は。
綻びができた今なら尚更。
その時、櫁は無論、彼女も苦しむことになるだろう。
赦してと、赦さないでと。
赦すと、赦さないの。
その狭間に、最悪、一生を懸けて苛まれることになるのだ。
ならばその苦しみに身を投じる前に、何も知らず、ただ弟の為に死んだ方が善いのでは。
「遊山。変な気は起こすなよ」
「あら。主に手を出そうなんて考えていませんよ」
背を向けたままそう告げた柊は、ならいいと、歩く速度を上げた。
(全く。見透かすのは此方が専門だというのに)
遊山は彼らを思い浮かべて、口の端を上げ、柊の後を追った。
(大丈夫ですよ。殺しはしませんから)




