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枯れ木が花を咲かせます  作者: 藤泉都理
四巻 天と地を繋ぐは、薫雨
66/135

 目が回るような忙しさというのを、希羅は初めて知った気がした。




「ねーちゃん。酒追加」

「はい」

「ねーちゃん。ご飯大盛りおかわり」

「はい」

「なずな。皿洗え」

「はい」

「お茶なくなったぞ」

「はい」

「おねーちゃん。おしっこ」

「こっちだから、もう少し我慢してね」



 希羅が『たんぽぽ』で働き始めてから数日が経った。店は今日も午後七時の開店を皮切りに、客がどっと押し寄せて、即座に四十客ある椅子が埋まる状態となってしまった。



 ご飯とお茶がおかわり自由。単品のおかずはどれも百円。お酒は少々お高めだが、これでは客が殺到してもおかしくないと納得のいく希羅であったが、せめてもう一人店員を増やした方がいいのではと切に思いながら、せっせと身体を動かし続けた。


 


 午前一時。客がまばらになったところで、希羅はようやく一息つくことができた。



「何時もお疲れさまね」


 早苗に軽い夜食を用意しているから奥に行くように告げられた。


「今日は一段と多かったけど。さすがはなずなちゃんね」

「いえ」

「あ、あの」

「あら、何でしょう?」


 お客の呼び声に、早苗は振り返り、奥へ行こうとしていた希羅は、聞き慣れた声が耳に入り、早苗に自分が行くからと告げてその人物の元へと向かった。


「いらっしゃいませ。何か、ご注文でしょうか?」

「あ、と。その。話があるので。その、少し、付き合ってもらえませんか?」

「申し訳ありません。今はまだ仕事中なので」


 希羅はお辞儀をしてその場を後にした。







 午前二時。店の閉店時間になって後片付けをしていた希羅が、今日は泊まって行けとの誘いに丁寧に断りを入れて店を出たのは、午前三時であった。



「希羅ちゃん」



 店から出た希羅の前に先程の客、隼哉が現れた。希羅は何も言わずに手を前に伸ばして進むように促した。



 宿街はまだ眠ることを知らず、喧騒が鳴り響き、赤や黄色の色鮮やかな提灯が道や店を照らしていた。二人はその中を無言で通り過ぎ、灯りや人気が少なくなったところで、希羅はようやく口を開いた。




「修磨さんたちに聞きましたか?」



 ばつの悪そうな表情を浮かべる希羅に、隼哉は修磨たちの予想が当たっていたのだと悟った。



 昨晩、修磨と草馬と酒を飲んでいた隼哉はそのまま遊里の家で朝を迎えて、朝食までご馳走になり、お詫びにと店の手伝いをしていたところに、希羅と修磨が現れた。何時もとは違う二人の様子を見ていた彼は、其処で修磨に現状を告げられたのだ。



「うん……戻らないの?」

「なずなさんには申し訳ないんですけど、もう少しだけ」

「もう少しって。何時まで?」



 隼哉には緊張しているという自覚はあった。事実、顔は強張っていたし、声音も硬くなっていた。




「『蛍火の儀式』まで?」




 前を向いていた隼哉は隣に居る希羅を見つめた。それでも、不思議なほどに希羅の顔に驚きの色はなかった。



「いえ。さすがに二か月もこのままで居るわけにはいきませんから。洸縁さんが解決策を伝えに来るまでです」


「選ばれたの?」



 滑るように出て来た言葉に、小さく微笑む希羅を見て。隼哉の心臓が強く脈打った。



「あんなの、幻想だよ。実際に叶わないし」



 嘘だと思っていた。言葉通り、幻想だと。だが、揺るがない希羅の姿を見て、事実なのかと動揺する。



「希羅ちゃんは、それを望んでるの?」

「はい」

「叶えたら、哀しむ人が居るって。希羅ちゃん。分かってるよね」

「はい」

「なら」



 言葉が出て来ない。彼の言っていたように。もう。本当に、覚悟しているのだ。




『今までよ。希羅は俺たちに申し訳ないって気持ちを持ってたんだよ。生きろって言う俺たちの想いを受け取れないから。だから、距離も取っていた。けど、最近。踏み込んで来てんだよ』




 二人で飲んでいた時、修磨はそう言って、一升瓶の酒をあおった。




『大丈夫だって思うようになった。俺たちの想いを酌んで、その上で自分の願いも叶えていいんだって』



 修磨は一升瓶を乱暴に地面に下ろした。



『ならもう、俺のやることも、一つだけなんだよ。例え希羅を』








「『私が死んでも、死んだことにはならないのよ。だから、あの人たちが悲しむ必要は、全然ないの』」



 俯いていた隼哉は咄嗟に希羅を見た。止められないのだと否応にも気づかされて、胸が苦しくなった。



「赤ん坊だったお子さんを亡くした、或るお母さんの言葉です」



 『蛍火の儀式』を受ける為に、地方から京都へ訪れた女性だった。



「私、そうなんだって、胸がすっきりしたんです。そっか。大丈夫なんだって。私が死んでも、私の命は弟に引き継ぐだけ。死んでないって。悲しむ必要ないって。分かったら、遅くなったけど、修磨さんと洸縁さんにやっと、向き合えたんです……それでもまだ、少しはまだ申し訳ないと思っているんですけど」


「なら止めよう、ね?」



 希羅は首を振った。



「私、死にかけたことがあって、その時。多分、あの世だと思うんですけど、そこに母が居たんです。一人でした」



 居るはずの弟が居なくて、その時になって、生きようと決めたのだ。



「その儀式のことは結構前に知っていたんですけど。情けないんですが、心が折れて、死ぬことばかり考えてて。せめて、母の遺言を守ってからにしようって」



 希羅はゆっくりと息を吐いて、曇天の夜空を見上げた。ぽつり、ぽつりと、数滴、雨の粒が降って来た。



「私。生きていていいか分からなくて。ずっと、罪悪感を持っていて。こんな私の命でいいのかなって、思っていたんですけど。なら、強くなって、せめて、丈夫な身体だけでも。心だけでも。弟に遺してあげたいと思って。修磨さんたちに、頼ってばかりじゃ、だめだって」


「だから。戻らない?」


「なずなさんには本当に申し訳ないって思っています。でも。我が儘を通させてもらいます。もう少しだけ」


「希羅ちゃんは、希羅ちゃんだよ。誰も代わりになれない。弟君でも例外じゃない」




 ほんの数分降っていた雨の粒が止む代わりに、遠くで雷鳴が轟いたかと思えば、空は紫色に染まり、嵐の前に訪れる奇妙なほどの静けさが、二人を包んだ。




「分かっています」


「希羅ちゃんがいなくなったら、僕、すごく泣くよ」


「…すみません」


「…大切な人を二度も喪えって言うの?」


「……何時かは、死にます。なら、無駄に死にたくない」


「無駄にって。なに?僕たちと居るのが無駄?」



 隼哉は自嘲気に笑った。



「そうじゃありません」



 希羅は大きく首を振った。



「違わないよ。希羅ちゃんは僕たちと居るよりも、弟君を甦らせる為に死ぬことを選んだんだから。無駄に死にたくないって。僕たち。無駄なんだ」



 希羅は目を伏せた。



「…すみません」



 隣に居た隼哉は希羅の前に立ち、真直ぐに見つめた。



「謝らないで。生きてよ。希羅ちゃんのままで。生きてよ」


「選ばれました。決めました。もう無理です」


「拒んでよ。変えてよ。無理だって。言わないでよ」


「…すみません」


「僕は、」






 瞬間、雷光が天地を切り裂き、空はまた重苦しい濃い灰色に包まれる中。






「僕は、希羅ちゃんが、好きだ」






 一文字、一文字にありったけの想いを込めて、隼哉は告げた。希羅は隼哉を直視した。






「ずっと一緒に居たい」






「…ずっとなんて、どっちにしろ、無理ですよ」






 希羅は小さく微笑んだ。



「隼哉さんは妖怪で、私は、人間で。寿命の長さが違う。私はどっちにしたって、隼哉さんより先に死ぬ」


「だから生きている間に、一緒に色々したい。楽しみたい」


「もう、私は満足なんです」



 隼哉は息を飲んだ。それほど、あまりにも、綺麗な笑顔だった。




(嫌だ)




「もう、十分過ぎるほど、私は幸せで。もう、私はいいんです」



 隼哉は端整な相貌を崩した。



 この強固な意志を変えられることは決してないと、本当に、気付かされた。












(ひどいよ。希羅ちゃん。ずるいよ)



『隼哉さんのお気持ちは嬉しかったです。でも。私には、弟以上に大切な人は居ません』



 あの後。無言で希羅をなずなの家まで送った隼哉に、希羅は告げた。



 何も告げられずに、触れることさえできずに、隼哉はその場を後にした。






「こんな―――」






 父を心配した姫叶が彼を見つけ出すまで、土砂降りの雨に打たれながら、地面に足を付けて、空を仰ぎ、声を上げて泣き続けた。












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