七
――京都、果嵐の氷山にて。
雪を降らす役割を果たさなくなって数百年の月日が経ったが、気温は低く、氷を作る場所として利用されていたこの場所で、海燕は今年一番に天皇に献上する氷を、この山の洞窟の奥から出入り口へと運び出して荷台車に乗せた後、藁で包んで融けない様にした。
「海燕ちゃん。このごろ元気ないね。女の子に振られた?」
突然、肩に腕を回された海燕が視線を少し下げると、足の爪先を立てる男性の爽やかな笑顔が見えた。
「天架先輩じゃないんですから」
海燕に天架と呼ばれた人物は彼の先輩武士で、茶色のくせっ毛と子犬のように大きな瞳を持ち背が平均男性より低い、無節操に女性に声を掛けまくる軟派な男性であった。
「およ。言うようになったねぇ。なぁ、韋弦」
天架に韋弦と呼ばれた人物もまた彼と同じく海燕の先輩武士で、木の実が突き刺さりそうなほど硬そうな黒の短髪で長身の、何時もぼけ~と空を見つめている無愛想な男性であった。
「何かあったのか?」
二人の視線を集めた海燕は所在無げに口にした。
「…先輩たちは何故武官になったんですか?」
「「楽に就ける仕事がこれだったから」」
思いもしない回答に言葉を失くした海燕だった。
(天架先輩だけならまだしも、韋弦先輩もそんな理由で)
先輩としての信頼が失われつつある天架は海燕の肩から腕を離し、踵を地面に着けて彼を見上げた。
「親が武官だったからな。無条件に武官になれたし。まぁ、別にやりたいことなかったし、けど金は稼がないといけないから丁度よかったんだよ」
「同じく」
「…そう、ですか」
「なになに?海燕ちゃんは武官の壁にでも突き当たっているわけ?」
「友人を護りたいんです」
ぽつりと告げた海燕に、天架はうんと力強く頷いた後、で、と先を促した。
「でも、何時も傍に居ることができないから、護れません」
「その友人。なにちゃんって言うの?」
「…希羅です」
今は関係ないだろうと思いつつも、答えない限りしつこく訊いて来そうなので、海燕は素直に名を告げた。
「へ~。あの有名夫婦の娘ちゃんか。なるほどねぃ」
意味深な笑みを浮かべた天架は腕を組み、で、と再度、先を促した。
「あいつ。負の妖怪を引き寄せる体質らしくて」
「だからあんなとこに未だに住んでるわけ?」
天架の質問に、海燕は小さく頷いた。
「でも、何か。そうじゃないって、俺は思うんです。いえ。妖怪は引き寄せるとは思うんですけど。色々、理由があるんじゃないかって。それを知っている人たちに教えてくれって頼んだんですけど、俺には教えられないって。希羅一人だけを護りたいわけじゃないからって」
「身体は一つだもんな~」
天架はうんうんと数度頷いた。
「俺。どうしたらいいか分からなくて」
「そりゃあ、難しいよな」
「どうしたらいいと思います?」
「やりたいようにやれば?」
あっけらかんと天架にそう言われた海燕は、もっと先輩らしいことを言ってくださいと、恨めし気な瞳を向けた。天架はちっちっちと指を鳴らした。
「俺に先輩を求めるな」
天架に堂々とそう告げられた海燕が韋弦を見上げると、彼は親指を突き出し、天架に同じくと言うように頷いて告げた。
「おまえより九年長く生きてるだけだからな」
「そうですか」
海燕は落ち込んだ。解決の糸口さえ見つからなかったことに。頼りない先輩たちに。
「まぁまぁ。希羅ちゃんだって四六時中危険な目に遭ってるわけじゃないだろ?」
「まぁ」
「だったら危険な目に遭っている時にすかさず助けに行けばいい。だろ?」
「危険な目に遭う前に未然に防ぐべきでは?」
「まぁ。それが理想だろうけどよ。んなこと言ってたら、一生離れられないじゃん」
天架はあっと声を上げるや、にんまりと口の端を上げた。
「なに、おまえ。希羅ちゃんに惚れてんの?一生傍に居たいってか?」
「違います」
「ふ~ん。なら何でそこまで熱血しちゃってんの?」
「護れなかったから。今度はちゃんと、護りたいんです」
(あ~あ。ほんとに、こいつは。真直ぐだねぇ)
羨望は皆無。呆れと面白、興味が合わせて十割だなと、天架は思った。
「希羅ちゃんにはおまえしか居ないのか?」
今まで黙って耳を傾けていた韋弦の「ちゃん」発言にかなり違和感を持ちながらも、海燕は洸縁と修磨を思い浮かべて、いいえと答えた。
「ならそいつらを信じることから始めたらどうだ?」
「信じていますよ」
「ならそんなに一人で思い詰めることはないよな?」
信じていないと言われ心外だと思っていた海燕だったが、反論できずに口を結んだ。
「一人で何でもしようとするな。何の為に人がこんなに居ると思う?一人一人がちゃんと仕事を怠けられる様にする為だろ」
「おお、韋弦。今、先輩っぽいぞ」
「だろ」
前半は兎も角、後半の発言はどうなのかと、海燕は思わないでもなかったが、姿勢を伸ばして、後ろで手を組み、勢いよく頭を下げた。
「助言。ありがとうございました」
「なら今度女の子に声掛けるの、付き合えよ」
天架に肩に手を置かれそう告げられた海燕は、頭と腰を少し上げた。
「いえ。天架先輩には何も」
「俺に感謝して何かしたいって言うなら、天架に付き合ってやってくれ。毎度毎度連れ出されていて迷惑していたところだ」
「だってよ、おまえ結構人気あるんだぜ。あ。海燕も、母性本能をくすぐられるって、特に年上の女の子に大人気。よかったな。想い人も好きなんじゃないの」
自分の気持ちを見透かされたと思った海燕は、血液が沸騰したかと思うほど全身赤面した。
「俺!別に!年上の女性に!好きな人なんか!居ませんよ!」
「慌てちゃって。可愛いなぁ。くそ」
天架は羨ましいと軽く海燕の足を蹴った。
「もう仕事に戻りますよ」
海燕は二人に背を向けてその場から離れようと素早く歩き出した。
(俺、もしかして、分かり易い、のか?)
動揺する中、厚い灰色の雲が立ち込める空とは違い、心は晴れ晴れとしていた。




