二十一
「ねぇ、父さん」
「ん?」
太陽がまだこの国を燦々と照らす以前の時分。
まだ暗い空を舞うように飛びながら仲間と共に故郷へと戻っていた時に、隣に居る娘に呼びかけられた隼哉の瞳には妙に嬉しそうな表情が映っており。
何だいと疑問を投げかた隼哉は、帰ってきた答えに赤面して慌てふためいたしまった。
「そ、僕は、希羅ちゃんに、恋なんか。だって。めちゃくちゃ年だって離れてるし。言っただろう。母さんのことを忘れられないって。計算じみた想いだって」
(希羅ちゃん、とは言ってないのに)
久しぶりだった。
(男性に対しこの形容詞を使うのはかなり阻まれるが)可愛い父親の姿を見るのは。
「あの時は。でも今は違うんじゃない?」
にっこり笑顔に、いやでも、としどろもどろに言葉を繋ぐが。
(断定した否定はなし。やっぱり)
この考えに到ったのは、あの刻の父親の姿で。
あんな光景を目にしてしまっては、こう思うしかない。
今の姫叶の頭は、何を話していたのかという疑念よりも父親の恋を応援したいという嬉しさに満ちていた。
恋話に興味のない生物など居ないのだ。
「で。どうなの?」
爛漫に輝かした瞳を向けられた隼哉は、何と答えたのだろうか?
「何しに来たのかな。君たち。ああ、道を間違えちゃったんだね」
「邪魔なんですけど」
それから数日経って後。希羅の家の玄関口で睨み合う修磨と姫叶。
「私たちは希羅ちゃんに用があるの」
「生憎、希羅は今居ない。つーことで、二度と来んな「いい加減にし。修磨。ごめんな。姫叶ちゃんに。あれ。名前何やったっけかな~。君」
ひょっこりと現れにっこり笑顔を向けた洸縁ではあったが、彼の背後にはおどろおどろしい黒い炎がほとばしっていた。
消え失せろ、との文字がくっきりと見える態度を取る修磨と洸縁の前に、手に箱を持った隼哉は一歩踏み出した。
「あの。希羅ちゃんに渡したいものがあって」
「詫びの品を届けに来たんだね。じゃあ、受け取っとくから」
「あのね。その妙な口調止めてくれない?」
「殴られないだけ有難いと思って欲しいね。なぁ、洸縁君」
「いやいや。殴るなんてそんな暴力的なことで済ませられるわけないやろう。精神を破壊せんと気が済まんくらいや」
普段なら絶対に手を取り合わない彼らだが、彼女に関することなら話は違うらしい。
(よっぽど腹を立てているのね。でも)
「あら。姫叶ちゃんに、隼哉君じゃない。どうしたの?」
互いに凝視し合う中、からんころんと下駄を鳴らしながら姫叶たちの方に歩いて来るのは譲り葉と。
「お久しぶりです」
諍いの元になっている希羅であった。
修磨と洸縁は疾風の如き速さで希羅の前に要塞の壁のように立った。
無論。隼哉を希羅に近づけさせない為である。
「あの」
「あなたたち、いい加減にしなさい。たかだか抱擁ぐらいで」
「たかだかじゃない!俺だって、まだしたことがないんだぞ!」
「君にもさせへんっての」
「おまえな。何度もしてるからって天狗になんなよ」
「父親に抱きしめられるなんて気色悪いだけやわ。その点。母親なら幾つになっても大丈夫やし」
「母親って。おまえ男だろうが」
刹那、躊躇いの素振りを見せた洸縁だったが、胸を張って不敵な笑みを浮かべた。
「阿呆やね~。君。性別も分からんのかいな。僕は女やで」
「はぁ!?何言ってんだおまえ」
「女やって言ってるんです」
「嘘つくなよな」
「嘘じゃありません」
「信じられるかっての」
「信じられなくても結構。事実やから」
互いに対象を見失ったようだ。嘘つけ嘘じゃないと、言い争いが勃発してしまった。
「あの。これ」
「私に、ですか?」
防壁がなくなった隙に、と、隼哉は素早く希羅の前に立ち持っていた箱を差し出した。
「この前の謝罪と思ってもらえれば。その。抱きしめてしまって」
「そんなに気にしないでください」
徐々に蚊細い声音になってしまった隼哉の顔は真っ赤に染められており。その気恥ずかしい空気を打ち破るように、希羅はあっけらかんと言い放った。
「雰囲気の所為ですから。よくありますよね。全くどうでもいい存在でも危機に陥ったら、突拍子もない行動に出るって。でも」
強くなろうと志す希羅は不敵な笑みを浮かべた。
何時の間にか、ハリセンを手に握って。
「二度目はないと思ってください」
この笑顔に自称親二人に戦慄が走り、諸悪の根源である譲り葉に詰め寄った。
「おふくろ!」
「ちょっとは強くなったわね、小娘」
未だに希羅の名を呼ぼうとはしない譲り葉。如何に認めていないかが窺えるが、この笑顔にほんの少しは思い直したようだ。うんうんと頷いていた。
「俺の可愛い希羅に何した!?」
「莫迦ね~。ほんの一瞬でも目を離した隙に子どもって成長するのよ」
「あないな希羅ちゃん。希羅ちゃんやないです」
「じゃあ、あのまま無防備な笑顔ふりまいて男に勘違いさせるような魔性の女になってもいいっての?本人が無自覚なだけに厄介極まれるわよ」
「「だめだ/や!!」」
鼻息荒く返された返答に、でしょう、と譲り葉は告げた。
「強くなろうとしている子どもの邪魔をしないこと。それと。分かっているわね」
不意に真顔になった譲り葉に、表情を一変させ力強い返事を送った修磨と洸縁。
もう隼哉など眼中になかったのだが。
「雰囲気なんかじゃないです」
蚊細い声音はだが、透き通っており。その場にいる皆の耳に届いた。
(父さん。頑張れ)
正直、あんな風に言われては引き下がると思っていたのだが。
この父親の頑張りに、娘は拳を作り心の中で激励を飛ばしまくった。
そんな娘の熱い瞳が見つめる中、隼哉は真直ぐに希羅を見つめた。
全身に心臓が生えたように、騒がしいくらいに脈打ち、立つことさえままならない。
「僕は、希羅ちゃんが」
恋に落ちるとは、巧い言い回しだとあの時はっきり自覚した。
気が付けば、目を開いた彼女を抱きしめていた。
あの刻の彼女の姿が離れないからか。
今の彼女の偶像を尊敬しているからか。
それとも、境遇に同情して引き起こされたのか。
線引きはできない。
が。
どちらにしても、惹かれていたのだろう。
「僕は、希羅ちゃんのことが。その。あの。ま」
「おふくろ離せ」
「恋路を邪魔するものはこの譲り葉が赦さないわよ」
「譲り葉さん。く、苦しいわ」
「以下略よ。修磨も洸縁君も親なら、子どもが巣立つ瞬間を見守りなさい」
そして私のように苦しみなさい。
という怨念の言葉が耳を通らずに直接頭に響く。
彼らは思った。
絶対に嫌がらせだと。
「ま」
(あ~。父さん。じれったい。さっさと告白しなさいよね)
「ま。そ。その!お菓子。美味しいですから。僕の手作りで。自信ないんですけど。でも絶対美味しいですから。今。食べてもらっていいですか?」
(父さんのへたれ)
「今、ですか」
「今です」
「じゃあ」
上の蓋を開いた希羅の瞳には、まるで虹を小さくした形のお菓子が映っており。一つ手に持ってみれば、餅のような感触が手に伝わる。
「頂きます」
「ど、どうぞ」
本人が気付いているかは定かではないが、幸せ満載の表情を浮かべる希羅は、一口でそのお菓子を口の中に入れ、もぐもぐとゆっくりと咀嚼して味わい、数秒後ごくりと呑み込んだ。
熱い緑茶が欲しくなるような和菓子だった。
「今までに食べたこと味、ですね。柔らかい餅の中に蜂蜜のようにとろりとした餡。どっちも色々な食材が使われているのでしょうか?」
「うちの特産品の『虹色トマト』を使っているんだ。甘さの中にも酸味とほんの少し苦味があって、飽きさせない味になっていると思うんだけど、どう、かな?」
「美味しいです」
「そ、そう。嬉しいな。はは」
微笑ましい和やかな空気が醸し出される。
「僕、お菓子を作るのが好きで。でも、里の皆は食べ飽きたって。よければ、これからも食べてもらえればな、と。僕、お菓子で笑顔になる人の顔見るの好きなんだ」
「私でよければ」
食べ物大好き、な、希羅が断る理由が何処にあろうか。
否、ない。
隼哉に対し、『男は危険』との警戒心が一切なくなった瞬間であった。
「…あの娘。見知らぬ人に「お菓子あげるからこっちおいで」って言われてほいほいついて行くお莫迦さんね、きっと」
「おふくろ。希羅を莫迦にすんなよな」
「そうですよ。希羅ちゃんは用心深いんです」
否定の言葉を口にするも、力ない。
彼らは思ったのだ。
やはり希羅を一人にしては置けないと。
「その。本当に嬉しい話なんですけど、一か月に一回、でお願いできますか?」
「お金は要らないよ。趣味で作ってるから」
不意に口を閉ざした希羅。何やら目まぐるしく考えているようだ。が。数十秒後。どうやら、いい考えが閃いたようで、じゃあ、と口を開いた。
「物々交換、で。私、お菓子作るのは苦手で。ご飯のおかずなら自信はありますから、それで」
「勿論」
ほのぼのとした空気に包まれる中、希羅はつい本音を口にしてしまった。
「料理友達ができたみたいで。楽しみです」
「僕も」
「ちょ!父さん」
父親の腕をぐいぐいと引っ張り皆の耳に届かない距離まで離れた姫叶は隼哉と相対し、用心の為か。声を潜めて言葉を発した。
「何してんの?」
呆れ顔にも、にへらと、口元を緩めた表情を返す。
「いいかな~って。だって、あんな嬉しそうな顔見れただけで満足だし。気持ちを伝えたからって、譲り葉さんの言う通り、僕には希羅ちゃんを護る力はない」
「今から身に付ければいいじゃない」
「勿論。頑張るよ。けど」
「けど?」
「僕はお菓子で希羅ちゃんを幸せにしたいなって。それぞれに役割があるのだとしたら、僕にはきっとこれなんだって」
「父さんに武術全般は望めないもんね」
姫叶は、ふぅと短いため息をついた。
「父さん。希羅ちゃんと結婚したい?」
「分からない。だけど。多分、その覚悟がないのかも」
彼女の傍に居る為の必須条件は、彼女を護れる力を身に付けること。
それこそ。この世界で最強を名乗れるほどに。
「僕は一族の長で、里の皆を護る義務もある。どちらを選べと言われたら、今の僕は彼らの方だ」
「だから告白しなかったの?」
「伝えたいけど、僕の気持ちは半端で。だけど、喜ばせたいっていう気持ちも捨てられなくて。ほんとに僕はだめだね。中途半端だ」
「うん。だめだめ。でも、それだけ色々想っているってことは、本気だって、私は思うよ。だから、今はいいんじゃない?その料理友達の立ち位置で」
「ごめん。情けない父親で」
「もう慣れた」
にっと笑った姫叶に、隼哉は弱弱しい笑みを浮かべたまま視線を希羅へと固定させた。
(僕は今の希羅ちゃんが好きだ)
だがこの想いはまだ心の内に。
その後、隼哉と姫叶、そして譲り葉は故郷へと帰って行った。




